2009年12月11日金曜日

猫が来る


この間、ある金曜日の夜、いつものように私たち家族の夕食が終わって、少しくつろいでいると、月見台(張り出し)への引き戸の外側から猫のような鳴き声がした。それは何かを求めているような急を要した声だったので、同時に気がついた幼い娘と一緒に、私たちは引き戸の上半分の透明なガラスから外を見た。紛れもない、猫だ。三毛猫だ。この辺りには、いわゆる「周り猫」と呼ばれる猫が2〜3匹いるが、この三毛猫は見たことがない。見上げてこちらを見ながら鳴いている。泣いているとさえ感じてしまった私は、直感的に「マズイなー」と思いつつ、つい引き戸を開けた。すると、トコトコ部屋に入って来て、足にまとわりつく。我が家は借家で、動物は飼ってはいけないことになっている。また大家さんちは、簡単な塀を隔てた隣なので、音が筒抜け。猫がいるだけでもすぐにバレる。

こんな人慣れした猫が、こんな見ず知らずの人の家に、それもこんな時間に来るなんて。「きっと、何か事情があるに違いない」と思ったが、同時に「ウチに来てもねぇ〜」と、とても複雑な心境。子供たちは突然の『愛くるしい』とも言える訪問者に大騒ぎ。フワフワの毛を撫でては、もう歓喜極まっている。こんなとき、オヤジはいかなる行動を取るべきか。短い時間にいろんなシナリオが頭の中を駆けめぐった。

とりあえず、いつものように家族は順番に風呂に入る。私は最後なので、しばしの間、部屋でサシで一緒に過ごした。猫はまるで自分の家のように、座布団の上でゴロゴロ。明らかにリラックスしている。それを見て、何となく「コイツにはかなわない」という感覚が私の心にグッサリと刺さった。風呂から上がっても興奮状態の子供たちは、とても寝付けそうにない。それでも、「もう寝よう」と電気を消した。「猫さんはどうするの?」と当然の質問。「この猫さんは、迷子になってるかも知れないから、きょう外に出してあげよう」と、大した抵抗なく私に抱きかかえられた猫は入ってきた引き戸の外に出た。しばらく引き戸の向こうで鳴いてはいたが、無視するしかない。だんだん鳴き声の間隔が長くなり、やがて声が聞こえなくなった後、私も布団に入った。

翌朝、引き戸の外を見るが、いない。「またどこかへ行ったかな」と思ったのもつかの間、玄関わきのポストに新聞を取りに行くと、隣の家の玄関の前に座っている。ポストを開ける音に気づいた猫は、私に向かって走ってくる。「あや〜」。幸か不幸かこの日は土曜日で私は一日中、家で仕事の予定だった。カミさんは外で仕事、子供を保育園に預けた後、私は一日一緒に過ごすこととなった。しかし、このままではいけない。

とりあえず2軒隣の友人に相談。その家はかつて猫を飼っていて、私たちより猫に詳しい。しかし、その家も同じタナゴ(共通の大家さんの借家)だから、「ウチも無理だけど、近所の○○さんちだったら、猫飼ってもいいな〜ってなこと言ってたよ」とすばらしい情報。早速、○○さんちに電話をかけると、悪くない反応。簡単に言えば、「猫による」のだろう。でも、この猫が受け入れられる自信はあったので、まずは我が家に来てもらった。案の定、OKが出て、翌日の日曜日、連れて行くことになった。ホッと一息。と同時に一抹の寂しさはあったけど・・・。

しかし、この猫が単純に迷子になってる可能性がないわけではない。そこで、「迷い猫、預かってます。お心当たりの方はコチラまで(携帯番号)」という写真付きの紙を、近所の電信柱に貼りまくった。○○さんには「もし、飼い主が現れたら帰ってもらうから」は条件だ。そして夕方保育園のお迎え、間もなくカミさんも帰宅。ほとんど仕事にならなかった長い一日を説明した後、「(翌日の)お昼ぐらいまでこの猫と一緒に過ごそう。また会いたくなったら○○さんちへ行けばいい」と話した。半分自分に言い聞かせるように。冒頭の写真は、その日曜日に撮ったものである。

1ヶ月ほど連絡を待ったが、梨のツブテ。張り紙を全て撤去し、その三毛猫は○○さんちに住むことになった。どんな事情があったかは分からないが、猫も大変だ。

猫と言えば、もう10年以上前のことだが、我が家の縁側の下から、か細い子猫の声がしたので覗いてみると、母猫が子猫2匹を抱えて授乳していた。明らかに子猫たちは弱ってた。そぼ降る雨の中だった。私と目が合った母も弱っていたが懸命に私を威嚇する。「雨宿りぐらい全然OKよ」と言い残して1〜2日後、「どうしたかな」と見てみたら、子猫1匹だけが死体で残っていた。つい数十年前までの日本では、生まれてすぐに命を落とす人間の赤ちゃんが少なからずいたという。どんな事情があったかは分からないが、命がけで猫も大変だ。裏庭の土の中に遺体を埋め、手を合わしながら、そう思った。

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