2014年11月21日金曜日

「祈る」ということ

1989年頃のこと。ガンジス川沿いの町、バラナシという町に滞在していた。2ヶ月ぐらいだったと思う。バラナシはインドで指折りのヒンズー教の聖地。例えば、死を悟ったヒンズー教徒は、生きながらこの町に運ばれた後、逝き、火葬され、遺骨をガンジス川に流されることが至高の幸せとされる。また、ヒンズー教徒が沐浴する写真を見たことのある人もいるかも知れないが、たいがいはこの町のガート(沐浴場)だ。だから、ここは外国人の旅行者も多いが、ヒンズー教徒の巡礼者もたくさんいるエネルギッシュな町だ。

その旧市街の中心であるゴードリア周辺の雑踏を歩いてた私は、道端にいた白髪の初老の男性に手招きされた。お互い面識はない。だが、喧噪と雑踏の中でさえ、その男性の視線はしっかりと私をとらえていたので、私は彼が「私を」呼んでいることを確信した。そして、不思議な気持ちながらも、私は、その男性の方へと歩いていった。

私は、「ナマステ(こんにちは)。どうしました?」と軽く尋ねると、彼は「まー、ここへ座れ」と、その道端にある3人ぐらいが座れる横長の木製の腰掛けに座るよう促された。周りにはその初老の男性の仲間が2〜3人いた。変な話しと思うかも知れない。だが何せ、その初老の男性には、「何か大事なことがある」というような真剣な雰囲気があった。私はその雰囲気に引きつけられるようにその長椅子の端に腰掛けた。そして、同じ椅子の少し離れたところに腰掛けたその男性は、横に座っている私の目を見ながら、英語でこう語りかけた。

“You are very good. Because you are 90% good. But your 10% not good. So if the 10% become good, you will be 100% very good.”(お前はとてもいい。なぜなら90%いいからだ。でも、10%がよくない。だからその10%がよくなれば、お前は100%よくなる)

彼は微笑みながらも私を真剣に見つめている。
少したじろぎながらも、私はその10%が知りたくなった。

“Ummm, I see. So what is the 10%? Would you tell me what it is?”
(そうですか。では、その10%とは何か教えてくれますか?)

“Yes, of course.  It's to pray.  You don't pray, don't you?  So if you pray, you will become 100% very good, you understand?”(もちろんだとも。それは、祈ることだ。お前は祈ることをしないだろ? だから、お前は祈ることで、100%よくなるんだ。分かったか?)

“Umm, yes. I understand.”(は、はい、分かりました)
と、私はインド流に小首をかしげ、合意した。

“OK, good. You can go.”
(よし、分かったら、行っていい)

やや、狐につままれたような感覚になったものの、私は穏やかな笑顔のその男性に合掌した後、その場を去った。この町の滞在中、私はこの会話のことが気になって、この後、何度かこの場所を訪れたが、その初老の男性には会えなかった。それはまるで夢の記憶を辿ったようにも感じたが、ぽつんとある木製の長椅子だけが、夢ではなかったことを私に教えていた。

27年も前のことだけど、私にとってこれは一生忘れられない会話になっている。どうしても答えが見つからないとき、私は答えを見つけることをいったん諦め、「祈る」ことにしている。そして、私はその白髪の初老男性に感謝している。

0 件のコメント: