2022年9月30日金曜日

アシダカグモとタランチュラ


 一ヶ月ほど前の朝一番で、我が借家の一階にある客間に泊まっていた義姉が、「夕べ、でっかいクモがいてビックリした」と、やや慌て気味に言った。10cm以上は優にあったらしく、彼女は自分でネットで調べ、「おそらくだけど、アシダカグモではないか?」ということだった。アシダカグモは、しばしば家の中に住み、ゴキブリなど家の中の虫を食べるらしい。益虫と言える。ただ、10センチ以上となると、存在感が結構あって、単純に益虫と思うのも、人によっては難しいかも知れない。


そして、その1〜2週間後の早朝5時頃、高3の娘が「でっかいクモがいるよ。起きてよ」と熟睡中の私を起こした。普段、彼女はゴキブリを発見すると、すぐに私に知らせる。つまり私は退治役なのだが、「こんな時間に退治かよ」と思った私は、これくらいで起きたくなかったので、「んー」と気のない返事をして、再び眠りに落ちた。


そして本格的な起床後、彼女にそのクモの話を詳しくきいた。二階に寝ていた彼女は、朝方トイレに起きたついでに、喉が渇いたからと、一階のキッチンの冷蔵庫へ向かったらしい。すると、キッチンの床に、そのでっかいクモ。もちろん、一ヶ月前の義姉が見たアシダカグモらしきクモの話を思い返していたが、義姉の話より、足が太く身体はモコモコしていたらしい。そこで、このチャンスを逃したら次はいつになるか分からないので、(退治して欲しいということではなく)まずは私に見せたいということだった。


「ん? 足が太くて、身体がモコモコ?」


私はタランチュラを思い起こした。タランチュラとなると、私が真っ先に思い起こすのは、昔観た映画のワンシーンだ。映画の名前や内容は覚えてないのだが、1分間ぐらいのそのシーンだけが忘れられない。たぶん西部劇だったと思う。


靴を履いたまま仰向けにベッドに横たわっている屈強なガンマン。はたと気づくと、タランチュラが彼のスネに乗ろうとしている。彼は金縛りにあったように、身体を微動だに出来なくなる。額には玉の汗が吹き出し、タラリとしたたる。タランチュラは至ってゆっくりとしか動かない。無音の時間がやたらとゆっくり流れ、30秒が1時間のようだ。すると、タランチュラは、スネの上からベッドのシーツの上へとゆっくり降りる。と、その瞬間。彼はベッドのサイドテーブルにあった拳銃を素早く掴み、そのタランチュラを撃つ。もちろん一発で命中。彼は大きく息をひとつつき、額の汗を拭う。


この話を家族にすると、みんな怖がり始めた。最近は、日本にいない爬虫類や虫など、近所には内緒でペットとして飼ってる人がいるから、そのクモがタランチュラである可能性も100%否定することは出来なかった。益虫のアシダカグモか? それとも、もしかしたら猛毒のタランチュラか?


しかーし、今どきだからネットで検索。すると、そのイメージに反して、タランチュラはたいした毒ではないらしいことが分かった。「死亡例はない」という記述も。


ということは、たとえ逃げ出したペットのタランチュラであっても恐れることはなく、無論、アシダカグモの可能性の方がよっぽど高いが、アシダカグモはゴキブリを食べてくれる。という結論に至った。カミさんからは「事実無根の脅かす話をするあなたが悪い」と怒られるし、普段ゴキブリを恐れている娘も、「いくらでかくても、ゴキブリ食べてくれるんなら、全然オッケーじゃん。むしろ、ウチに住んでて欲しい」と言い出し、これからはそのクモ様を守っていこうということになった。


こうしてすっかり風向きが変わった2〜3日前、カミさんが洗面台のすぐ横で、でっかいクモ様を見つけた。それが冒頭の写真。大きさは、だいたい広げた足の先から先までが15センチぐらいか。私はこのとき就寝前の歯磨きをこの洗面台でしたかったのだけど、どういう訳か、クモ様は動かない。しびれを切らした私は、20センチぐらいしか離れてないところに立って、歯を磨きながら、「頼むから、オレのスネの上に乗ってくるなよ」と心の中で呟いた。

2022年8月23日火曜日

食えると食えないのあいだ

上の画像は、ドリアンの房。7月にベトナムへ行った際、あるご家庭でご馳走になったもの。濃厚なドリアンを満喫すると、表れ出るでっかい種が下の画像。種の方がカサあるんじゃないかと思うほど。
「ドリアンの種ってでっかいよなー」と私が呟くと、「それ、食べられるよ」とその家の方に言われた。湯がくと、芋のようらしい。日本帰国直前だったので、この種を数個持ち帰って、東京の自宅で湯がいてみたのが下の画像。
塩を少し振って食べてみると、たしかに芋のような、はたまた栗のような・・・・。ん、昔食べた菱(ひし)の実が一番似ているか。断面からも察しがつくと思うが、ベニハルカのようなネットリ感はほとんどなく、サッパリとした食感と味。まー、オッケー。ところで、私はそれ程ではないが、「ドリアン好きな人」という人がいる。やや依存症気味に「ドリアンを食べる幸せ」が止められないという人だ。でも、この種を特別好きな人はほとんどいないだろう、と思った。

話は変わります。

昔、35年ぐらい前、関西の山の中に住んでいて、ヤマゴボウと呼ばれる植物が目に付いた。都会育ちの私は、当時、まだ名前も知らなかったヤマゴボウの垂れ下がった紫色の実が、ベリー系の実のようにも感じ、「これ食べられるんじゃないか(うまいんじゃないか)」と思った。そして、やや心躍りながらその実を集め、ザルで粗く漉し、ボウルに集めた紫色の汁をやや慎重に口に含んだ。舌の上に広がった汁は、ちっとも旨くなく、少し後にはピリピリする感覚もあり、すぐに吐き出した。何日かして、地元の知人にその話をすると、「あれは毒だっていうよ。あなた大丈夫だった?」と驚かれた。幸い飲み込んではいなかったが、危なかった。今なら、まずはネットで調べて・・・・、というところだろうが、それもない時代だったし。

さて、「ヤマゴボウ」と聞いて、本来私が連想するのは、その味噌(または醤油)漬けだ。

碓氷峠の名物で「おぎのや」の釜飯がある。子供の頃、東京から親父の実家がある長野へときどき連れてってもらったが、その途中、横川駅で必ずその釜飯(弁当)を買った。当時の急行・特急列車は、横川駅で乗客が釜飯を買う時間のために、通常の停車時間より長く停まった。10分ぐらいだったか。そのぐらい人気の釜飯だったのだが、蓋を開けたときに立ち上る香りを私はあまり好きになれなかった。しかし、その釜飯に必ず付いていた、「香の物」の薄い木の小箱に入ったヤマゴボウの味噌漬けは、大好きだった。

紛らわしいが、私が35年前、山の中で口にした毒のあるヤマゴボウとそれは別物だ。それから10年か20年か後になって、そのおいしい方のヤマゴボウは、ゴボウ(牛蒡)ではなく、「モリアザミの根」であると知った。

時が飛んで、今年の春。

我が家の庭に、どこからか飛んで来た種で、突然アザミが芽を出した。「もしかすると、モリアザミかも知れない」と、味噌漬けのイメージも湧いていた私は、成長を見守った。ある程度大きくなると、トゲが痛かった。今だからネットで検索だ。「モリアザミ」ではなく「ノアザミ」だった。それでも諦めきれなかった私は、花も咲き大きくなったそのノアザミの根を掘り起こした。それが下の画像。
実は、このノアザミさん、庭の敷石の隙間から生えていたこともあり、引っこ抜くのに苦労した。味噌漬けのイメージ故に、自然薯のように何とか根っこを切らずにそのまま掘り出したかったからだ。・・・さあ掘り出した。触ってみると、かなり固い。「こりゃ味噌漬けは無理だな、やっぱりモリアザミでないとダメか・・・・」、と落胆していたら、カミさんが、繊維を短く刻んでキンピラはどうかとの進言。しかし、残念ながら、ノアザミの根は、繊維が太くひたすら固い。味も旨いとは言えず、ほとんど食べられなかった。

言うまでもなく、現在の食は、先人たちが、いろんなものを試食し、料理法も考えてきた結果の集大成だ。私を含めた現代人は、その事実をすっかり忘れてしまっていないかと、ふと思った。その綿々と続いてきた過程では、具合が悪くなったり、ときには命を落とした人もいただろうとさえ思う。また、飢え故に未知のものを食べたということもあったかも知れない。それ故に、味覚は現代の私たちよりも鋭かったに違いないし、その試食の経験は自分のためだけでなく、周り(社会)の人のためにもなった。そして、今に至る。現代では、山菜採りやキノコ狩りで、たまに事故があるが、それは試みたというより、(トリカブトとモミジガサのように)単に見間違えが多いのではなかろうか。もしかすると命がけになったかも知れない状況の下での未知のものの試食。それを思うと、「あー、旨い」、「不味い」と気軽に言う私たちの味覚は、ただの「お遊び」に思えてくる。

私のように(毒のある)ヤマゴボウの実を試食した人は必ずいたと思うし、ノアザミの根を、試食した人がいて、紆余曲折の末、それを味噌漬けにした人がいたからこそ、私の好物のヤマゴボウの味噌漬けがある。未知のものの試食にはリスクを伴いもするが、数多の中から「これはいけそうだな」と感じたものを選んだだろうから、私が毒のあるヤマゴボウを試食したときのようなワクワク感もあったはずだ。

今回私は、モリアザミと同類だからと理屈っぽくノアザミの根を試食しただけだけど、少しだけ、先人たちの心意気と味覚を想像した。

2022年6月30日木曜日

神保町 天ぷら いもや


 40年ぐらい前(高校生から二十歳過ぎぐらいまで)、神保町界隈をよく歩いた。当時このあたりは、本屋はもちろん、楽器店、スキー用具店、登山用具店(今で言うところの、キャンプ・トレッキング用具店)などが軒を並べていたためだ。また隣町の秋葉原には、大小のオーディオ店がたくさんあって、レコードは、石丸電気2号館(または本館)が、当時日本で一番の品揃えだったと思う。本やレコードはたまに買ったが、それら以外は高価なのでほとんどが下見。買う場合は、数回の下見は欠かさず、結局、買わないことさえあった。そんな神保町界隈を私は楽しんだ。そして、歩いていれば腹は減る。元々学生街だったから、多くの「安くてしっかり食べられる飲食店」があった。そしてそれらは今でもある。


昨日は、たまたま昼頃に飯田橋での用事が終わって、さて昼飯と思った際、ふと神保町の「いもや」に行きたくなった。ほとんど40年ぶり。昔のおぼろげな記憶だと、神保町の交差点を水道橋方面に向かって左側の路地を入ったところにあったと思ったのだけど、検索してみると、右側の路地を入ったところだった。ちょっと気になったので、ネットで調べてみると、「いもや」は、創業者の店からのれん分けで、天丼・天ぷら・とんかつと、数店舗あったらしく、その後それらの店は次々となくなっていき、今は、「天ぷら いもや(神保町)」と「とんかつ いもや(馬喰町)」の2店舗だけらしい。当時の私は、そういったことはほとんど気にしておらず、ただ「おいしいものを腹一杯食べたい〜」というモチベーションの下、あちこちで食べていた。


さて、40年越しの再訪。厳密には当時と違っていたかも知れないが、店の雰囲気は変わってない。寿司屋のような白木のカウンターの中で、年配のご夫婦が中心となって、次から次へと入ってくる客に対応していた。天ぷら定食、750円也。猛暑の中、ミョウガを欲し、オプションで付けてもらってプラス100円。もうボリュームたっぷりなことは分かりきっていたので、「ご飯は軽く」。ちなみに、ここは食事のための天ぷらなので、アルコール類は置いていない。


最小限の言葉で、黙々と天ぷらを揚げ続けるご主人。そのタイミングに合わせて、お茶、ご飯、味噌汁、天つゆなどを出し続ける奥さん(と思われる方)。(透明のポリシートの奥のバックヤードで、もうひとかたいらっしゃった) 何て言うかな〜。このご夫婦の所作に迷いが全くないのです。カウンター越しに見ていて感じる、何とも言えぬ安心感。胃袋だけでなく、心まで満たされる。この日の東京は、35℃を越える猛暑。直径50〜60-cmはある、揚げ油(カドヤのごま油)がたっぷり入った銅の大鍋。その前に立ってひたすら天ぷらを揚げ続けるご主人。奥さん担当の味噌汁は、ぐつぐつ煮たて続けてるから、味噌の香りなんかぶっ飛んでるが、汁よりもサイの目の絹ごし豆腐の方が多い味噌汁は、「本だし(らしき)」の鰹の味がビシッと利いている。その大衆さを、またよく感じてしまうという、魔法のような味噌汁。


「この仕事をしていることが、私たちの天職」

このお二人が働く姿そのものが、そう語っている。


なっくなってしまった他の「いもや」もそうだが、近年、こういったお店が、後継者不足で閉店することが多い。かといって、私が継げる訳ではないのだけど、「こんな魅力的な仕事なのに・・・・」と、甚だ勝手に、残念がる私がいる。天ぷらは、江戸時代に屋台で始まったと聞く。にぎり寿司も蕎麦もそうだ。元々は決して高級なものではなく、誰もが食す大衆的なものだった。太白のごま油を使って、難しそうな顔して揚げている、高級天ぷらもおいしいが、「原点はこっちだよな」と思う。

2022年5月11日水曜日

円通寺の時間


30年以上前になるが、京都は岩倉を中心に、2年程暮らしたことがある。滞在していたアパートの近くに円通寺というお寺さんがあり、何度か出掛けた。目的は、主に枯山水の庭。季節によって表情が変わるが、いつ行ってもいい。おそらく、私が一番好きな庭だ。

その京都に3週間前に出張があった。その際、たまたま先方の都合で、半日と一日の空き時間が出来た。これはチャンスとばかり、最初の半日の午後に円通寺へ向かった。10年ぶりぐらいだったが、周りの道路や境内の様子がすっかり変わっていていた。以前はなかった立派な新しい石の壁が続く。私の他に参拝者の気配はなかったが、経験上、それは全く珍しいことではなかった。しかし、前とはずいぶん立派になった入口の門に到着すると、冒頭の写真。

ナント、開いてない。
「毎週水曜日、拝観休止」
という札が掛かっている。

もー、ショック、ショック、大ショック。
よりによって10年ぶりに訪れた日がピンポイントで拝観休止日だなんて・・・・。10年の月日は、拝観休止日の記憶を私から吹き飛ばしていた。諦めるほか道はない。傷心の思いで、市内在住の友人宅へ向かった。到着すると、その友人は、たまたま翌日午後の仕事がなくなったと言う。そして、「じゃあ、明日午後、(車で)円通寺行くか?」ときかれ、私は即、首を縦に振った。私には、翌日もう一日休みがあったが、閉ざされた門を目の前にしたショックで、私はその翌日再び足を向ける気になっていなかった。しかし、車でポンと連れてってもらえるとなれば、話は別だ。その友人も円通寺には興味があったらしく、有り難くも、車で連れて行ってもらうことになった。

前日の余りの悔しさとこの日の嬉しさとで、意地になって撮りたくなった、翌日午後の写真が下。

間違え探しというほどでもないが、前日固く閉ざされていた大きな木戸と右手の鉄柵が開いている。こーでないといけない。

と、ここまで、前置きが長くなった。

この日の午後の庭は、下記の写真。(庭に向けてのカメラは許可されています)
先に「周りの道路や境内の様子がすっかり変わっていていた」と書いたが、さすがに庭はそのまま。
何と美しいことか。
比叡山が霞んでいる。
この庭自体はもちろん、借景と呼ばれる比叡山を中心とした庭の背景も含め、この庭が造られたとき(江戸時代初期)から変わらないという。現代に、そんなことがあっていいのか、とも思うが、それを守り続けている人たちがいるということだ。詳しくは知らないのだが、この庭をこよなく愛する私にとっては、こんな有り難いことはない。

少し意地悪なことを言うと、霞んでないときは、比叡山のテッペンにある(江戸時代初期にはなかったはずの)建物が若干見えるのだが、このときは霞んでいたので、「ちょうど」それも見えない。

季節柄、新緑が目を引く。ここの枯山水は砂利ではなく、苔が敷き詰めてある。スギゴケだ。およそ半分ぐらいの面積のスギゴケが枯れていて、そこに等間隔にスギゴケの苗が植えられているように見える。そのエリアにはちょうど水が溜まっているので、低い場所のスギゴケが枯れているのか。詳しくは分からないが、スギゴケのシートを貼って修復するということは、しないことは分かる。

竜安寺と違い、石の配置は、左手側に固まってある。この感覚も好きだ。また上の写真で分かるとおり、庭の奥の垣根の前後に、まっすぐ伸びた桧が4本植わさっている。太い桧だ。視覚的に、この庭の強烈なインパクトになっている。この庭は、300年以上前からあるから、これらの桧は、後から植えられたことになるのだろうか。この写真の外側になるが、左手には、樹齢何百年かはありそうな、楠の巨木も植わっている。さすがに百年単位となると、樹木の成長による太さ高さの変化は、庭の景色という面でも影響が出てくる。「変わらない」ということはこの世にないことを教えてくれる。この場合、「生きている」と言った方が適しているか。

この日も庭に面した広い部屋には、先客がひとりいただけ。10分もすると、その人も去り、私たちだけになった。私たちは各々の気分で座る位置を変えたり、立ち上がってみたりと、この庭を30分ぐらい、ただボーッと眺めていた。

そして、この日は、裏庭(中庭?)。

ここは撮影出来ないので写真がないが、数種類の品種のツツジが咲き乱れていた。一般的に、ツツジというと、公園なんかの植え込みになってる濃いピンク色の花が咲く刈り込まれたものを私は思い起こすが、この裏庭のツツジは、別世界。淡い色のいろいろなツツジの花。花の高低や枝振りにメリハリがあり、それでいて全体的にはフワッとした華やかさを感じるという絶妙な剪定だ。表の枯山水を眺めた後の、この華やかさは格別だった。

思えば前日は、ショックで再び来る気は失せていた。「一寸先は闇」と言うが、分からないものだ。連れてきてくれた友人も喜んでくれてたし。めでたし、めだたし。

それにしても、この円通寺。庭もさることながら、拝観者が少ない(しばしばいない)ところがいい。竜安寺の枯山水を、もしも、一人であちこち座る位置を変えながら、一番好きな場所を見つけ、飽きるぐらいまでゆっくりと眺められたら、きっとそれもいいだろう。しかし、現実には難しいでしょ。しかし、この円通寺は、平日なら、他の拝観者がいないか、いたとしても少数だから、しばらくすると一人になれることが多い。(一度、紅葉の頃来たとき、十数人の拝観者が途切れなかったときがあったから、例外もある)

庭の一番の魅力は、静かにゆっくりと、眺める時間そのものだ。円通寺は、それを与えてくれる。ただし、水曜日以外ね。お気をつけあれ。

2022年3月24日木曜日

電力需給ひっ迫警報


一昨日の東京では、季節外れの寒さと地震による火力発電所の一部停止の影響で、「電力需給ひっ迫警報」というのが発令された。冒頭の画像は、一昨日の晩に放映されたテレ朝のニュース生番組のもの。スタジオの照明を普段より落としているとのことだった。また、下の画像は、昨日たまたま行った郵便局内の画像。「節電中」という貼り紙が目立つところに2枚貼ってあり、照明の蛍光灯が半分ぐらいになっていた。

ニュース番組の照明も、郵便局の照明も、これで十分だと思った。(追記、3月25日、この翌日のスタジオの照明は元通りになっていた。テレ朝にとっては、不十分だったらしい)


東京スカイツリーのライトアップが消えて寂しいといった内容の記事が昨日の東京新聞(朝刊)にあったが、いつからだろうか、大きな建物や広い公園などのライトアップがされ始めたのは。いくらLEDになって消費電力が少なくなったとはいえ、毎晩、こうこうとあんなでっかい建物をライトアップする必要があるのだろうか? せめて年に2〜3回の方が有り難みがないか。でも、2〜3日じゃあ設置コストに見合わないということになっちゃうのかな。


そりゃあ停電したら、困ることはある。一日中ラインが稼働している工場なんかは大変だ。私が直接困ることはほとんどなさそうだが、冷凍冷蔵庫では困るだろう。大きな冷凍冷蔵があるお店や倉庫は大変だ。食品ロスに繋がる。特に夏場。ただ、この裏側にはそれらより大きな問題があるように、私には思える。


こういう電力不足の状況になると、あれだけ被害の出た原発や、CO2の問題を抱えた火力発電所をもっと稼働させなくては、という意見が幅をきかせるようになるだろう。


私が今回の「電力需給ひっ迫警報」で思うことは、使わなくてもいい電力をどれだけ使っているか、ということに気がつくいい機会だと思っている。そもそも原発の問題や火力発電所の問題は、その数々のマイナス点(原発は戦禍では標的にされるとも言われる)だけでなく、電力の使用量を減らすことが根本の問題だ。電力をたくさん使って、たくさんモノを作り、たくさんのモノを照らそうという発想は、日本の高度経済成長時の感覚のように思えてならない。


これはプラスチックの問題にも近い。まずは、不要なプラスチックを極力減らすことが最初だ。以前、このブログの下記のエントリで、新素材よりプラスチックゴミを減らすことが先と書いたが、電力も同じだ。


新素材の前に(2019年8月30日)


また、下記で、ダンボールのリサイクルの前にリユースだろーと書いた。


ダンボールはリサイクル?(2010年3月26日)


み〜んな一緒。

電力も、プラスチックも、ダンボールも、安易に使い過ぎてる。そこの問題が根本に思えてならない。安易に使いすぎることで経済が潤うなんて感覚は、いくらなんでも古すぎだろう。お店や倉庫の冷凍冷蔵庫だって、もしも、停電の可能性を前もって考えてさえいれば、ある程度は避けられる問題のように思える。


子供の頃、東京の下町に住んでいた私の家は、雨漏りした。だから雨漏り用のバケツや洗面器が常備されていた。そして停電もときどきあった。だからロウソクが常備されていた。雨漏りしたとき、アッチコッチから不規則的に聞こえてくる音を音楽のように感じて楽しかった思い出がある。ジョン・ケージ氏に聞かせたかったな。そして、テレビや部屋の電球が消えて、数本のロウソクが灯ったときの幻想的な世界は忘れられない。あの頃に戻ろうとは思わないが、それらは決して悪いものではなかった、とは言いたい。

2022年3月10日木曜日

フィシャーマンズセーター

 

3月になって、東京はずいぶんと春めいてきた。12月から3ヶ月着続けたフィッシャーマンズセーター(上の写真)の冬が終わった。


去年12月の初め。本格的な冬がこれから始まるという頃、「この冬は、このフィシャーマンズセーター、これ一枚でいってみよう」と思った。あれやこれやと、着る服を選ばないということだ。ズボンは、スポーツ用品店で買った、おそらく冬のアップ用の軽くて温かいもの。(モモ敷き不要) 私の下着は、ふんどしだが、肌着のヒートテックと冬用の厚手の靴下、これら3点は毎日洗濯する。この3点セットが、2〜3セットあればいいということ。フィシャーマンズセーターは洗濯しない。外ではこれにヤッケを羽織る。大事なオプションとして、デスクワーク時は、事務用の黒色の腕カバーをしてセーターの摩耗防ぐ。


これにパジャマにもなる部屋着があれば着るもの全てが揃う。週末、自宅にいる間に、アップ用のズボンを洗濯するが、これはすぐ乾く。例外的に、この3ヶ月の間、この一張羅(いっちょうら)以外を着たのは、2月のエントリ(家族の事情とティーペアリング)含め2〜3日だった。コロナで、人と会うのが少なめになっていたこともある。


これは中2の息子からの影響が大きかった。私は、結構服を持っている方だ。それに対して、彼は「とうちゃん、服持ちすぎ。そんなに要らない。着ない服が多いんだよ。その分、部屋が狭くなってるよ」とミニマリスト的なことを言う。「まー、服買うのは楽しみでもあるからさー」とは言ったものの、彼の言うことも分かる。それなら、着なそうな服を処分するまでしなくとも、「この冬は最少数の服で生活してみようか」と思い至った。


同じ服を着始めて、一ヶ月以上経った正月過ぎ、誰も私の一張羅を指摘する人がいなかった。夕食中、家族に「ここ一ヶ月以上、オレ、毎日同じ服着てるの知ってる?」ときいてみた。カミさんは、「そーいやーそーねー」ぐらい。二人の子供は特に関心を示さない。仕事場でも一緒。数人いる中で、誰も私の一張羅を指摘する者はいなかった。私としては、ちょっと拍子抜けな気分になったが、実際はそういうものなんだろう。


同じ服を着て続けて、2ヶ月と少し経った2月の初旬、外でふと春を感じたときがあった。何せ毎日同じ服だから、保温状態は一定だ。着ている服の違いで体感温度が変わることはない。ガサ張る冬服で部屋が散らかることがなかったのはもちろんだったが、気温に対してより敏感になることは考えてもみなかった。そして、何と言っても、私の周りの人たちは、私の服装なんかには興味がないことが分かった。


次の週末には、3ヶ月ずぅっとお世話になって薄汚れた、フィッシャーマンズセーターを手洗いしようかと思う。


2022年2月18日金曜日

家族の事情とティーペアリング


ちょっとした飲食店で外食すると、食事を注文した後、だいたい「お飲み物は何になさいますか?」ときかれる。まー、食事には、日本酒かワインを合わせることが多い。


我が家には現在、高2の娘と中2の息子がいる。家族での外食で、「お飲み物は何になさいますか?」の際、カミさんと私はだいたいアルコール類を注文するが、子供たちはだいたい「水で」、「炭酸水で」とボソッと言う。「ウーロン茶」の場合もたまにあるかな。甘さを伴ったジュース系の飲み物もメニューにあったりするが、料理を食べるのに、「甘いジュースは合わない」という感覚が子供たちにもあるようで、食後にはあっても、食中にジュース類は注文しない。そしてその子供たちは言う。「いっつも、大人はいろんな酒ばっか頼んで、水だけの自分たちは、なんか損してる気がする」と・・・・。分からなくもない。


そして、うちの家族で車の運転するのは私だけ。車で出掛ける外食の場合、私はアルコールを飲めないから、「日本酒やワインがないとね〜」という類の料理屋さんへ、車で出掛けることはまずない。(代行というのがあるが、未だに一度も利用したことがない) しかし、子供たちは楽チンな車の移動を要求する。子供たちが「日本酒やワインがないとね〜」の飲食店に車で行きたいと申し出ても、私はだいたい断るのだが、すると子供らは「酒なんて飲まなくていいじゃん。子供は酒飲まないんだから、それは(大人の都合だけで)不公平だ」と・・・・。分からなくもない。


そして、数ヶ月前、私は機会あって、ティーペアリングの話を聞きに行った。講師は、LogiConnecTeaの河野さん。お茶に詳しくない私が乱暴に言ってしまうと、「料理+ワイン(日本酒)」だけじゃなく「料理+お茶」もいかが?ってこと。ワインはかなりの種類があるが、お茶だってかなりある。品種や栽培の場所や天候の違いは、ブドウでもオチャノキでもあるし、寝かせておいしいものや新物がおいしいものとか、(発酵の種類こそ異なるものの)ワインもお茶も発酵のさせ方で様々になる。ま、お茶は発酵させないのもある。アルコールの有無は別にして、違うと思うのは、ワインはデカンティングや飲むときの温度を気をつけるが、お茶はそれ以上に淹れ方の選択肢が順列組合せでかなりあることか。単純には、お湯出しか水出しか。じゃあ、そのお湯の温度は何度か。お湯で入れて、冷めるの待ってさらに冷蔵庫で水出しとか。水出しの水の温度や置いとく時間でも変わる。


こんな風に、ワインのように様々な味・風味があるお茶だ。料理とのペアリングもさぞかし面白いのではなかろうか。と思って、河野さんの話を聞かせてもらった。その場でいくつか実食もさせてもらうと、ワイン・日本酒とのペアリングとは別の世界ではあるものの、「これもいいな」。つまりは食べ飲むことが楽しかった。


私の「これもいいな」と、二人の子供の「(水だけで)損してる」、「(車で外食に行かないのは大人の都合で)不公平だ」が繋がった。決して純粋にティーペアリングを楽しむことだけが理由ではなかったが、「各料理に合わせたいろんなお茶を(ワインのように)飲みながら、コース料理を楽しむ」、そしてそのお店には「車で行くぞー」。二人の子供を休日のランチに誘ったら、あっさり乗り気。ティーペアリングは、うちの家族内の課題を見事に解決してくれた。


お店は、ヴェッキオ・コンヴェンティーノ(埼玉・越谷)。

車で行ったので、駅からの道のりは分からないのだけど、人通りの少ないところにポツン佇んだカジュアルなお店。シェフの清水さんの料理を、河野さんがティーペアリングとともにサーブしてくれた。


料理は優しい味付けの野菜料理中心で、おいしゅうございました。(料理11品+お茶8種)

一番印象に残っているのが、アミューズに出てきた、一口サイズの、何かにのっかってるマスカルポーネを生ハムで巻いて、その上にドライイチジクのスライスがのっかってたの。その画像はないけど、文末にいくつか画像を載せます。食事をしながら写真撮るのは、子供の運動会の写真撮るのが難しいのに似てる。しっかり写真撮ろうとすると、その場の食事や運動会を楽しめなくなる。


ちなみに冒頭の写真は、ほうじ茶をさらにバーナーで炙ってるところ。このお茶はワイルドな肉料理に合わせる。タンニンの効いた赤ワインのような感覚。半発酵の水出しウーロン茶の淡い酸味や釜入り茶の淡い香ばしさを異なる料理に合わせる。酒飲みの私だが、8種のティーペアリングを楽しんだ。が、最後に、ティーンエイジャー二人にとっての、ティーペアリング。あえてちょっと困ったこと。彼女は、食事中、二度もトイレに行ってて「(お茶で)お腹ゲボゲボ」。彼は、「お茶飲みすぎて、夜眠れなかった」。私は一度もトイレに行かず、毎日コーヒーでカフェインをとってるせいか、眠れなくなることもなかったが、二人とも、2時間ぐらいの間に8杯ものお茶を飲んだことはなかっただろう。河野さんも、食事の最初に、「無理してたくさん飲まなくていいからね」と添えてくれたが、「この料理にこのお茶」とサーブされると、8杯ぐらい飲んでしまう。それは子供たちも一緒だったんだろう。アルコールもお茶も、楽しけれど、飲み過ぎ注意に変わりはない。







2022年1月13日木曜日

フライパン焼き豆腐

先日、久しぶりに晩飯をすき焼きにした。牛肉を食わないカミさんは出張中。彼女は出張前に、「私のいない間にどうぞ」と、牛肉、春菊、しらたき、白い長ネギ、シメジ、木綿豆腐を冷蔵庫に用意してくれた。鳥取出身のカミさんと東京出身の私では、食の感覚が微妙に異なる。今回のすき焼きの材料はほぼ十分だが、私だったら、シメジじゃなく(汁が絡みやすく、味にややあるクセがいい)エノキ、豆腐は焼き豆腐だ。あと焼麩だが、今回は省略。


エノキはシメジで代用。そして、豆腐を手に取りながらふと考えた。


「豆腐を焼きゃあいいじゃないか」


菜種油を薄らと敷いたフッ素樹脂加工のフライパンで熱した。(冒頭の写真) 中〜弱火で熱していると、湯気を上げて水分がどんどん抜けていく。水分が一定以上残っているうちは焦げ目はつかない。何度か豆腐の面を変えながら、焼き続けること10分ぐらいだったろうか、表面が黄色くなってきた。私は、すき焼きの焼き豆腐は、煮崩れにくくするために表面に焦げ目を付けてるんだろうとずっと思っていたが、水分が抜けたその豆腐を目の前にして、「あー、こうして水分を抜くのもの目的なんじゃないか」とふと思った。今回焼麩は省略したが、あそこまで染み込ませないまでも、ある程度染み込むぐらいが、またうまいんじゃないかと。そして、焦げ目はそこそこに、豆腐を焼き終えた。


私は、東京・深川出身だが、その界隈に昔からある、蹴飛ばし(桜鍋屋さん)や山鯨(イノシシ鍋屋さん)の割り下ベースの鍋の豆腐は焼き豆腐なことを思い出していた。浅草の有名なすき焼き屋さんには行ったことはないが、豆腐はきっと焼き豆腐だろう。


そんなことを思い巡らせながら、二人の子供と一緒に、すき焼きの鍋をつつく。子供たちは、牛肉をつつき、私はその牛肉と他の具材からの味が染み込んだフライパン焼き豆腐を味わう。歳(還暦)のせいだろうか、このぐらいがしみじみおいしい。日本橋のおでん屋さんの豆腐の丼も思い出す。あれは焼き豆腐じゃないが、しっかりおでんの出汁が染み込んでいる。ある麻婆豆腐専門店に行ったとき、カウンター越しの厨房で、大量の豆腐を大きな鍋で水煮していたなぁ。あれも水切りが目的だろう。湯豆腐や冷や奴のように、上品に豆腐自体のうまさを味わうのが豆腐の王道かも知れないが、こうして豆腐に味を染み込ませた食べ方もまた乙なもの。


「すき焼きの豆腐は(煮崩れにくい)焼き豆腐」と判を押したように思っていた自分を、情けなく感じた。でもまあ、ひとつひとつが「是、経験」と思いながら、皿を洗った。