2022年3月24日木曜日

電力需給ひっ迫警報


一昨日の東京では、季節外れの寒さと地震による火力発電所の一部停止の影響で、「電力需給ひっ迫警報」というのが発令された。冒頭の画像は、一昨日の晩に放映されたテレ朝のニュース生番組のもの。スタジオの照明を普段より落としているとのことだった。また、下の画像は、昨日たまたま行った郵便局内の画像。「節電中」という貼り紙が目立つところに2枚貼ってあり、照明の蛍光灯が半分ぐらいになっていた。

ニュース番組の照明も、郵便局の照明も、これで十分だと思った。(追記、3月25日、この翌日のスタジオの照明は元通りになっていた。テレ朝にとっては、不十分だったらしい)


東京スカイツリーのライトアップが消えて寂しいといった内容の記事が昨日の東京新聞(朝刊)にあったが、いつからだろうか、大きな建物や広い公園などのライトアップがされ始めたのは。いくらLEDになって消費電力が少なくなったとはいえ、毎晩、こうこうとあんなでっかい建物をライトアップする必要があるのだろうか? せめて年に2〜3回の方が有り難みがないか。でも、2〜3日じゃあ設置コストに見合わないということになっちゃうのかな。


そりゃあ停電したら、困ることはある。一日中ラインが稼働している工場なんかは大変だ。私が直接困ることはほとんどなさそうだが、冷凍冷蔵庫では困るだろう。大きな冷凍冷蔵があるお店や倉庫は大変だ。食品ロスに繋がる。特に夏場。ただ、この裏側にはそれらより大きな問題があるように、私には思える。


こういう電力不足の状況になると、あれだけ被害の出た原発や、CO2の問題を抱えた火力発電所をもっと稼働させなくては、という意見が幅をきかせるようになるだろう。


私が今回の「電力需給ひっ迫警報」で思うことは、使わなくてもいい電力をどれだけ使っているか、ということに気がつくいい機会だと思っている。そもそも原発の問題や火力発電所の問題は、その数々のマイナス点(原発は戦禍では標的にされるとも言われる)だけでなく、電力の使用量を減らすことが根本の問題だ。電力をたくさん使って、たくさんモノを作り、たくさんのモノを照らそうという発想は、日本の高度経済成長時の感覚のように思えてならない。


これはプラスチックの問題にも近い。まずは、不要なプラスチックを極力減らすことが最初だ。以前、このブログの下記のエントリで、新素材よりプラスチックゴミを減らすことが先と書いたが、電力も同じだ。


新素材の前に(2019年8月30日)


また、下記で、ダンボールのリサイクルの前にリユースだろーと書いた。


ダンボールはリサイクル?(2010年3月26日)


み〜んな一緒。

電力も、プラスチックも、ダンボールも、安易に使い過ぎてる。そこの問題が根本に思えてならない。安易に使いすぎることで経済が潤うなんて感覚は、いくらなんでも古すぎだろう。お店や倉庫の冷凍冷蔵庫だって、もしも、停電の可能性を前もって考えてさえいれば、ある程度は避けられる問題のように思える。


子供の頃、東京の下町に住んでいた私の家は、雨漏りした。だから雨漏り用のバケツや洗面器が常備されていた。そして停電もときどきあった。だからロウソクが常備されていた。雨漏りしたとき、アッチコッチから不規則的に聞こえてくる音を音楽のように感じて楽しかった思い出がある。ジョン・ケージ氏に聞かせたかったな。そして、テレビや部屋の電球が消えて、数本のロウソクが灯ったときの幻想的な世界は忘れられない。あの頃に戻ろうとは思わないが、それらは決して悪いものではなかった、とは言いたい。

2022年3月10日木曜日

フィシャーマンズセーター

 

3月になって、東京はずいぶんと春めいてきた。12月から3ヶ月着続けたフィッシャーマンズセーター(上の写真)の冬が終わった。


去年12月の初め。本格的な冬がこれから始まるという頃、「この冬は、このフィシャーマンズセーター、これ一枚でいってみよう」と思った。あれやこれやと、着る服を選ばないということだ。ズボンは、スポーツ用品店で買った、おそらく冬のアップ用の軽くて温かいもの。(モモ敷き不要) 私の下着は、ふんどしだが、肌着のヒートテックと冬用の厚手の靴下、これら3点は毎日洗濯する。この3点セットが、2〜3セットあればいいということ。フィシャーマンズセーターは洗濯しない。外ではこれにヤッケを羽織る。大事なオプションとして、デスクワーク時は、事務用の黒色の腕カバーをしてセーターの摩耗防ぐ。


これにパジャマにもなる部屋着があれば着るもの全てが揃う。週末、自宅にいる間に、アップ用のズボンを洗濯するが、これはすぐ乾く。例外的に、この3ヶ月の間、この一張羅(いっちょうら)以外を着たのは、2月のエントリ(家族の事情とティーペアリング)含め2〜3日だった。コロナで、人と会うのが少なめになっていたこともある。


これは中2の息子からの影響が大きかった。私は、結構服を持っている方だ。それに対して、彼は「とうちゃん、服持ちすぎ。そんなに要らない。着ない服が多いんだよ。その分、部屋が狭くなってるよ」とミニマリスト的なことを言う。「まー、服買うのは楽しみでもあるからさー」とは言ったものの、彼の言うことも分かる。それなら、着なそうな服を処分するまでしなくとも、「この冬は最少数の服で生活してみようか」と思い至った。


同じ服を着始めて、一ヶ月以上経った正月過ぎ、誰も私の一張羅を指摘する人がいなかった。夕食中、家族に「ここ一ヶ月以上、オレ、毎日同じ服着てるの知ってる?」ときいてみた。カミさんは、「そーいやーそーねー」ぐらい。二人の子供は特に関心を示さない。仕事場でも一緒。数人いる中で、誰も私の一張羅を指摘する者はいなかった。私としては、ちょっと拍子抜けな気分になったが、実際はそういうものなんだろう。


同じ服を着て続けて、2ヶ月と少し経った2月の初旬、外でふと春を感じたときがあった。何せ毎日同じ服だから、保温状態は一定だ。着ている服の違いで体感温度が変わることはない。ガサ張る冬服で部屋が散らかることがなかったのはもちろんだったが、気温に対してより敏感になることは考えてもみなかった。そして、何と言っても、私の周りの人たちは、私の服装なんかには興味がないことが分かった。


次の週末には、3ヶ月ずぅっとお世話になって薄汚れた、フィッシャーマンズセーターを手洗いしようかと思う。