2011年4月15日金曜日

再生可能エネルギー転換とその痛み

再生可能エネルギーへの転換は、言うは易く行うは難しだ。しかし、今回の震災とFUKUSHIMAは、その課題を十分すぎるほど見せつけたと思う。

以下、今後のエネルギー政策を大まかに想像してみた。政治は、もちろんエネルギー問題だけでは考えられないが、とりあえずこれは書いておきたいと思う。

1)FUKUSHIMAはじめ、東北・関東の東海岸の原発は毎日続く余震に対しての対策はベストを尽くしているとして、全ての原発が東日本大震災以上の地震や津波対策が想定されているかを確認し、ダメなのは早急に対応策をとる。堤防を高くするなどもあるが、原発はすぐに止まるものではないので、的確な対応策が見つからない場合は、「とりあえず停止」という選択肢をも含む。何しろ現在、地震活動期と言われている。また大きな地震があって、「第二のFUKUSHIMA」なんてシナリオは絶対に避けなくてはならない。

2)当座は火力発電所などの稼働率を上げるなどしてしのぐ。その間、夏場のピーク時などに電力不足があるかも知れないが、それは計画停電などで乗り切る。節電は言うまでもない。

3)太陽光・地熱発電など再生可能エネルギーの大規模な開発に本腰入れる。

4)再生可能エネルギーの実用化がある程度の規模になったら、その規模に応じて原子力発電を段階的に止めていく。

上記の中で、当座の国民の負担は2)の計画停電だが、節電の新たな工夫も生まれよう。そしてそれよりずっと大きな負担は、被災地の復興のためにしばらくは莫大な費用がかかる中、現在稼働中の原発を止めて再生可能エネルギーの開発となると、相当新たな費用がかかることだと思う。でもそれは電気料金や税金を上げればいいと私は思っている。もちろん納得のいく値上げや増税分のカネの使い方であることが条件。多少なら、電気料金の値上げや増税があっても、危ない原発が止まるならそれにこしたことはない、ぐらいの危機感が私たちにあると思う。ただそうなると特に産業界は困るだろう。そして物価も高くなるかも知れない。これがエネルギー転換にともなう「痛み」であり、この「痛み」なくしてエネルギー転換はあり得ないのではないかと思う。ただ何十年かかるか分からないが、転換した後には放射能の危険がなくなるという、安心と平穏がある。

国民に利益を訴えて当選した議員は数えられないほどいようが、国民に「痛み」をも訴えて当選した議員は少ない。最近では、財政破綻した夕張市の市民が再建のために「痛み」を受け入れた。それは財政破綻の危機感と夕張市への愛着とがあったからだと思う。エネルギー政策は国の問題だ。これは国民が放射能汚染による危機感と国への愛着とをどれだけ持っているかにかかっているのだと思う。

上記の再生可能エネルギーへの転換のロードマップは、原子力発電に依存する国としてはとても大胆だと思う。でも、この大胆さは、HIROSHIMA・NAGASAKIを経験し、今後どうなるかも見えないレベル7のFUKUSHIMAを抱えた国でないと出来ないんじゃないかとも思う。そしてこの未曽有の試みに突き進む勇気を持ち、成功例まで示せたなら、現在もなお放射性物質を放出して迷惑をかけてる世界への償いになるかも知れない。そして、もっと貧乏になるかも知れないけれど将来の日本に夢を持つことができる。それは決して「甘い」夢ではなく、「痛み」をともなう夢、現実的な夢だ。

・・・・と、ここまで書いたが、こんなことはきっと誰でも考えることなんだろうなと思う。そして「誰でも考えること」でありながら、そうはならない現実がある。それは何なのか? もっと根本的で大きな問題があるような気がする。

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