2013年1月31日木曜日

生の蓮の実を食す

2週間前のこと、サイゴンの町の中心あたりを歩いていたら、上の写真のおばちゃんがいました。生の蓮の実の露天商さんである。ベトナムに通い始めて15年経つが、初めてだった。あんまり珍しいんで、迷わず買った。

きょうのエントリでは、この生の蓮の実の食べ方など、詳しくレポートしようと思います、って役に立たないだろうけど、何しろ、珍しいので。忘れないように自分のメモ替わりでもあります、はい。

でまぁ、このおばちゃん、ここで売ってるのだけど、お客さん待ちながら、このきれいな緑色の蓮の実の皮を小さなナイフを使って、見事な手さばきできれいに剥いていました。それが下の写真。
そしておばちゃんの商品はというと、下の写真。
 
まず、シャワーの口のような蓮がありますね。その外側の殻を剥いて出てくる、オリーブの実のような緑色の粒がポリ袋に入って積まれてます。さっきの写真では、おばちゃんはその緑色の皮を剥いていて、剥くとその手前にあるポリ袋の白い粒になるのです。右側にはもう1袋出来上がりそうな口の開いた袋があります。さらに、その白くなった実をさらに剥くと中心に芯があるんです。その芯を乾燥させたものが、さらに手前の深緑のポリ袋です。これは蓮茶になる。

でまぁ、緑色した皮を剥くおばちゃんの見事な手運びをしばらく観察させてもらい、緑色の蓮の実のポリ袋を買いました。おばちゃん曰く、「(その緑色の蓮の実は)3日ぐらい日持ちするよ」とのことでした。私は、ちょうどその日の夜の飛行機で日本へ帰る予定だったので、日本に持ち帰って食べることが出来ました。

さて、こっからは日本で撮った写真。改めて、蓮の実です。よく見ると、ラグビーボールのような形。長い方の直径が2センチぐらい。ここからスタートして、おばちゃんのやっていた剥き方を紹介します。
まず、長い方の直径の上部と下部の皮をちょっとだけナイフで切ります。片方は、中身の白さが見えるだけですが、もう片方は、やや茶色。この種はこっから発芽するのでしょう。その上下を変えて撮った写真が下。
そして、皮の上下が切り取られた胴体部分を縦方向にナイフで皮を剥きます。そうすると、緑の皮がポロッと剥けて、中の白い部分が露出します。それが下の写真。
次に、さっき、「やや茶色」と書いた部分だけをナイフで切り取ります。その切り口には種の中心部の芯(緑色)がちょこっと顔を出します。
それで、この白い実。実は白い薄皮があります。この薄皮を、ペロペロっと剥きます。(下の写真)
薄皮をむき終わったところが、下の写真。
以上、ここまでが、私が観察させて頂いたサイゴンのおばちゃんの手さばき。おばちゃんからは、「この中にある芯はちょっと苦いから、食べない方がいいよ」と言われました。なので、「これで終わり」と言いたいところだけど、もう一工程。

薄皮を剥いた後の実を指で軽くつぶすと、繊維に沿って縦に2つに割れます。すると中心にある芯がポロっと取れます。下の写真の右側が2つに割ったままの状態で、左側がその芯をポロッと取った状態です。
これで、やっと、やっと、やーーーーっと、このちっちゃい白い実を食べるのです。あー、味のことに全く触れてないことに気が付きました。

香りはほとんどなく、味も淡ーい苦味と、若干のエグ味。ナッツ類のような旨みはないけど、食感は茹でた落花生に似てる。まぁ、乙な味とでも言うのかな。でも、蓮の実を生で食すというのは、ちょっと特別な気がするから、気のせい的な「乙な味」なのかも知れない。

さて、緑の芯は乾かしてお茶・・・・というのが、冒頭のおばちゃんの商品でもありましたが、こんなに小さな芯にもかかわらず、手元に残った数が少なかったので、今回私は諦めました。たくさんある方は是非乾燥させてお茶にしてみてください。

最後に、まぁ、こっちは生よりはあるだろう乾燥させた蓮の実。
お粥なんかのトッピングにあったような・・・・。ちょうど2つに割れたのがあったので、その断面をコッチに向けてみました。ちゃんと中の芯が残ってるの、分かりますか? ただ、この乾燥蓮の実。めちゃくちゃ外側のこげ茶の皮が硬い。かじると歯が折れそうなぐらい硬いので、(ほとんどないことでしょうが)気をつけてください。

何しろ、手間暇かかる割には食べるところが少ない生の蓮の実。サイゴンのおばちゃんのことを思い出します。しかし、とうとう買ってきた1袋を全部食べられないまま、2週間が過ぎてしまった。鮮やかな緑色だった外皮は徐々に枯れ始め、茶色いボツボツが・・・・。こうなったら、このまま全部茶色になるまで放っておいて、春になったら、種として睡蓮鉢の泥に植えてみようかと考え中。

どこまで続くんだ、蓮の実よ〜。

2013年1月26日土曜日

ココナツジュース、ベンチェー流

昔、二十数年前、場所はタイ南部のパンガン島の浜。ココナツの木の下の木陰で気持ちよ〜く昼寝をしていた私は、突然、ある若い白人男性に「お前、なんてところで寝てるんだ! 早く起きろ!」と肩を揺さぶられ起こされた。

私は旅行者。彼も旅行者。お互い見ず知らずの間柄だったので、私はとても驚いた。当然のことながら、「お前こそ、どうしたんだ。せっかく気持ちよく昼寝しているところを起こしやがって」と、私は応じた。

彼によく理由を聞くと、「上のココナツの実が落ちてきたら、お前はイチコロだ。こんな危ないところからは即刻逃げなきゃならない」ということ。つまり彼は人助けで、昼寝中の見ず知らずの私を緊急に起こしたという訳だ。

すっかり目が覚め、ココナツの木から離れたところに移動した私に、彼は別れの言葉の代わりに「気をつけろよ」と言い残し、去って行った。その背中には、正義感と達成感がほとばしっているようだった。私は、ひとつため息をついた。

それ以来、ココナツの実が下にいる人間に落ちてきて事故になるってことが、本当にあるのかどうか、ずうっと疑問だった。少なくとも私は、その彼以外からは聞いたことがない。このパンガン島の地元の人たちを見ていても、そんな感覚は全くと言っていいほど感じない。

もしそれが本当なら、ココナツ林を歩くことは、時限爆弾地帯を歩くようなものなのか。それは極端にしても、少なくともココナツの木の下は通らない方が無難、ということになるだろう。だから、その下でのんびり昼寝なんてのは、もっての外と。

そんな長年の疑問に答えてくれた人と一週間前に会った。場所はベトナム・サイゴン。先週一週間「カンホアの塩」の出張でベトナムにいっていた。そのココナツの先生は、ベトナム・ベンチェー出身。ベンチェーは、サイゴンから車で西に3時間ぐらいのところにある、メコンデルタの町で、ベトナム随一のココナツの名産地だ。ベトナム人に、連想ゲームで「ベンチェー」と言うと、きっと9割以上は「ココナツ」と答えるだろう。

その先生に、ココナツ落下事故についてきいてみた。

「それはない。なぜなら、ココナツの実は持ち主によって管理されており、落ちる前に落とされるから」

とのこと。まぁ、持ち主が誰かに頼むこともあるだろう。その先生は、「そんなことより、ベンチェーのココナツを飲まないか」と冷蔵庫でしっかり冷えたココナツをすすめてくれた。「もちろん、頂きます」と答えると、冒頭の写真のココナツを私に差し出した。

「ストローで飲むことが多いけど、ベンチェーではこうして実に大きめの穴を開けて、口をつけて飲むのさ。これがベンチェー流だ」

大概は、お店に置いてあるのものでも、採りたてのものでも、ナタでカツカツやって小さな穴を開けて、そこにストローを刺して飲む。ストローがなくてもその小さな穴に口をつけて飲む。でも、こうしてわざわざきれいに大きく穴を開けたものは飲んだことがなかった。

口を縁につけたとたんに、その違いに気づいた。香りの立ち上がり方が全く違う。私は手のひらを鼻の前であおる仕草をして、先生にそれを主張した。すると先生は、

「ワインのグラスと同じような形だろ。あれもこれも香りを楽しむための形なのさ」

と補足してくれた。ん〜、納得。

しかし、それは香りだけではない。写真で気がつくだろうか。このココナツはやや小ぶりだ。先生曰く、

「ココナツは大きい品種と小ぶりの品種があって、大きい品種の方が大多数。小ぶりの方は数が少ない。そして大きい方はだいたい出荷用。買う人は大きいのを喜ぶんだ。そして、少ない小ぶりの方は家族で飲む。それをこないだベンチェーの実家から持ってきたのがこれなんだ。中身のジュースは、小ぶりの方が味がいいんだぜ」

とのこと。
私からもつたない補足をさせてもらうと、小ぶりだと冷蔵庫に入りやすい。

それで肝心の味。

このベンチェーの小ぶりなココナツのジュースは、よくある青臭いようなクセがほとんどなく、何ともスムーズ。感じるか感じないかの僅かな酸味と、さわやかな甘さ。芳醇な香りがその味を印象づけるのは言うまでもない。おいしくて、私は、朝夕、2つ飲ませてもらい、その味と香りに浸った。

こうなると、ココナツの落下事故のことはどうでもよくなった。あの彼に、このココナツジュースを飲ませてあげたいな。もちろんベンチェー流で。

2013年1月21日月曜日

正月の凧揚げ

一月の最初の日曜日、久しぶりに凧を揚げた。

自分ちの子供2人と、我が家に遊びに来ていたそのお友達2人、計4人の子供を連れて近所の公園へ行った。家を出るときは吹いてた風が、公園に着いたらピタッと止まった。「困ったなぁ〜」と風を待ってたら、風のない中、子供たちは走りながら凧を引っ張って揚げようとする。「そんなんじゃダメだよ。風が吹くまで待とうよー」と言ったが、すぐに飽きてしまった子供たちは、そそくさと私の家へ帰っていってしまった。

一人取り残された、さみし〜い私。

30分ほど待ったら、風が吹き出した。凧はどんどん高く揚がっていく。一人で待ってた分、気合いが入っちゃったせいか、誰も止める人がいなかったせいか、一つ目の凧糸が最後まで揚がった後も、もっと揚げたくなった。最初は5人で揚げようと思ってたから、凧を2つ持って行ってた。二つ目の凧から糸をはずし、一つ目の凧糸の最後に結んだ。「よーし」とばかり、更に凧は揚がっていった。

そこでポケットから携帯電話を取り出し、家にいるカミさんへ電話した。

「今、やっと風が吹いてきてね。どんどん揚がっているよ。年に一度ぐらいのことだから、子供に宣伝して寄こしてよ」

しばらくして、4人の子供たちが到着した。すでに二つ目の凧糸も目一杯になっていた。天にほんの小さくしか見えない凧を、子供たちはすぐに見つけられない。「見つけられた人いるかなー?」とちょっと自慢げな私は、携帯のカメラで何枚か写真をあてずっぽに撮った。携帯の画面では写っているかいないか分からないのだ。

このぐらい上がると、揚げ続けるにもそれなりの力がいる。それを子供たちに感じてもらいたくて、一人一人交代で糸を引っ張らせた。「重〜い」と嬉しそう。私も嬉しい。

寒空だけど、気持ちがいい。
年の初めに凧揚げってのは、何となく縁起がいいことのように感じた。