2025年10月13日月曜日

絶望の後の奇跡

 つい先日の投稿、「満点の星」(2025年9月29日)にて、応援している横浜ベイスターズがジャイアンツに絶望的な負け方をしたことを書いた。9回表ににダメ押しの2ランで4点差にして、クローザー(伊勢選手)投入の最終回に、5点取られてサヨナラ負けというショッキングな負け方だった。(それで満点の星を見に行った)

しかしだ、日付変わって昨日のクライマックスシリーズ第二戦、同じジャイアンツに、初回に5点取られて、その裏に2ラン+3ランホームランで5点取ってで驚き、2回から延長10回まで両チームとも好守備もあって、両方ずっとゼロ。11回表ジャイアンツが、しぶとく1点。しかしその後の1アウト満塁を坂本投手がゼロに抑え、迎えた11回裏。2アウト・ランナー無し、ノーボール・2ストライクから、7番石上がしぶとい内野安打。

その直後がポイント。

ジャイアンツからしたら、2アウト1塁は、打者を討ち取ってアウト一つ取れればそれでいい場面。1塁ランナーは気にしない。そこをついて、初回同点3ランの石上は初球、ピッチャーが打者に投げる前にスタートを切って盗塁成功→2アウト2塁。

点を絶対に取られたくないジャイアンツは前進守備の外野3人。そこに8番林が3塁手の頭を越す流し打ちでレフトへヒット、前進してたが故にレフトは下がってそれをキャッチ、身体が向きが後ろになって、2塁ランナー石上は余裕のヘッドスライディングで、同点ホームイン。続くピッチャー坂本に代わって代打・度会。強く振り切ってのファーストの頭をワンバウンドで越すライト前ヒットで、1-3塁。続く1番蝦名がきょう3本目、三遊間へのクリーンヒットで、サ・ヨ・ナ・ラ。

まー、スゴイ試合。

そして、実を言うと、月曜日(日付変わってきょう)、横浜スタジアムのS席を娘と2席取っていた。が、その試合が観れなったのだが、光栄の勝ちだった。明日は私はゆっくりでいいし、娘も立て込んだ学校の課題に集中出来て、きょうはグッスリ眠れそうだ。こーいうことってあるものなんだ。絶望しても諦めることはない。 

2025年10月9日木曜日

拍手のウェーブ

 

先月、国立競技場に、世界陸上を観に行った。上の画像は、女子5000m予選。ゴール前の第4コーナー。分かりにくいが、この画像では田中希実選手が3番目あたりを走っている。国立競技場の雰囲気は、世界一の運動会。自分や子供の運動会を、思いっきり世界レベルにした風の、お祭りのような盛り上がりだった。

さて、こうした長めのトラック競技は、レース終盤になるまで、選手たちは概ね、ひとかたまりの集団を成しながら走っている。観客は、その集団が自分の近くになると拍手を始め、自分から遠くなると拍手を止める。私もだが、これを7万人もの観客の多くがする。

すり鉢状になった楕円形の観客席の万人単位の拍手が、まるで波のように移動する様には興奮した〜。スポーツ観戦で、立ち上がって腕を上げるウェーブってのがあるが、それが拍手の音でのウェーブなのだ。

選手たちは、常に右からの大きな拍手を感じながら走っていることになる。例えば、5000mだと12周半、ずうっーと鳴り響く拍手の中を走っている。その中で、競技に集中しながら走っている選手たちの心境は、いったいどんなものなのだろう。それこそ幸せのような気がするが、そう甘くもないか。

2025年9月29日月曜日

満天の星

先週土曜日、私と娘が応援している横浜ベイスターズが、デーゲームで巨人に絶望的な負け方をした。(その翌日、三浦監督は辞意を表明&球団は受入。監督の仕事は大変だなぁとつくずく思う、お疲れさまでした) 選手はベストを尽くしているのは分かるものの、私たちはちょっとショックだった。それで、私は夜の9時頃、「気晴らしに、夜のドライブにでも行くか」と娘に提案。私はすでに酒を飲んでいたので、「ドライブ=彼女の運転」だったが、有り難くも、「じゃあ、人家の灯りや街灯のない奥多摩へ行って満天の星を見よう」となり、我が家のある東京・昭島から夜10時に出発して、奥多摩湖へドライブとあいなった。片道約1時間半の道のりだ。

出発前、昭島の夜空を見上げると、7-8割方晴れていたので、迷わず出発。満天の星を目指して、すいてる道をどんどん走り、灯りのない真っ暗な奥多摩湖畔に着いた。気温は18℃。肌寒い。さてさてと夜空を見上げると、何と星がほとんどない。雨雲レーダーを見ても奥多摩湖はもちろん、雨雲は日本国中ほとんどなかったが、無論、雲は雨雲だけではない。「えー、せっかくここまで来たのに・・・・」と私たちは、立ちすくんだ。そのとき、私のiPhone12miniで取った画像が冒頭。何とか数個の星が見え隠れしていた。

こうなると、「その白い雲が晴れるのをどのくらい待つか」が問題になる。彼女は、「衛星画像で、リアルタイムの雲が見れないかな?」と検索し始め、「Windy」というアプリを見つけてダウンロード。おっさんは、今どきはスゴイことになってるなと驚くことしきりだったが、残念なことに、1時間待っても夜空に広がっている雲は晴れそうにないことが分かった。

すると、駐車していた広めの駐車場の他の車のヘッドライトが私たちの足下を照らした。私は、「眩しいな」とヘッドライトから目をそらし、地面に視線を移した。するとそこには満天の星のような画が広がっていて、ビックリ。思わずシャッターを押したのが、下の画像。デコボコしたアスファルトが妙な反射をしていた。私は苦し紛れに、「空に星は見えないけど、地面にあったってことで・・・・」。彼女は苦笑い。
プロ野球の試合もそうだけど、普段の生活の中でも、物事なかなか思うようにいかないときが必ずある。そんなときは、無理に現実を曲げないで、そこにある現実に従いつつ、ほんの小さな幸せでもあれば、めっけもの。なけりゃないでも仕方ない。真っ暗な奥多摩湖畔で、私はそんなことを彼女に呟いたが、彼女はどう思っただろうか。

「じゃあ、ラーメンでも食べに行こう」

私たちはガラガラの下り坂を滑るように下りていった。
今度、こういうときは、出発前にその「Windy」というアプリでチェックしてから出発しなきゃね。
 

2025年9月10日水曜日

思い違いの「美しさ」

映画「国宝」、坂東玉三郎がモデルと聞いて、興味が湧いて観に行った。

序盤で、長崎で幅を利かすヤクザの親分が登場し、玉三郎はその息子。背中いっぱいに大きなフクロウだかミミズクの入れ墨を十代半ばぐらいに入れてて、その入れ墨が、その後もシンボリックに描かれている。

「へー、玉三郎って長崎出身で、ヤクザの息子で、背中にでっかい入れ墨入れてんだ」

と、観ててちょっと驚いたが、後から調べてみると、それらは全てフィクションとのこと。だから、「坂東玉三郎がモデル」は私の早とちりで、他の部分も含めて、玉三郎の半生を描いたというものではなく、「玉三郎を連想させる」ぐらいの原作の小説があっての映画みたいだ。夜8時からの3時間の上映だったので、眠くなるのが心配だったが、全くの杞憂。見応え十分のエンタメでした。

さて、40年ぐらい前、銀座の歌舞伎座で、玉三郎一人の舞(まい)の幕(無論下座音楽はアリ)を観たことがある。一幕見で、長い階段を上った三階席の奥から観てたのだけど、30分ぐらいのその幕で、連続したその動き・所作・表情はもちろん、指先・足先まで行き届いたその舞を観て、「こんな美しさがあるのか」と驚いた。ジェンダー的に、性別を言うのも変だけど、当時二十歳そこそこの私にとって、それは「女性に感じたことのない、女性の美しさ」だった。それが今でも忘れられない。

そして不思議なことに、私の中の、その舞の記憶は、舞台に向かって花道の左側の客席から、花道で舞っている黒っぽい着物を纏った玉三郎を見上げるように観ていたものとして残っている。歌舞伎を一幕見でしか観たことがない人間が、花道脇から観た記憶がある訳がない。後から、寝てる間に見た夢の記憶と入れ違ってしまったのだろうか。

でも、でもです。まぁ、これはこれでいいかと思ってる。一番遠い一幕見の席から、その舞に吸い込まれるように観ていた私は、まるで花道脇から観ていたかのような錯覚に囚われ、その錯覚が現実にまさって、あたかも花道脇から観ていたように記憶されたのかも知れない。そうだとすると、それはそれでいいんじゃないかと思えるのだ。いずれにせよ、私の中で、その40年前の、その舞の「美しさ」は変わらない。

調べてみると、今や玉三郎さんご自身は公演をされておらず、若手へ役を継承しているとのこと。もう生(なま)で観るのは難しそうだ。「国宝」は映画として楽しめたが、それがキッカケで、(玉三郎でなくても)歌舞伎に興味を持った方には、「生は全然違いますよ」と言いたい。たとえ一幕見でも。

2025年8月25日月曜日

小心地滑

カミさんと娘とで、お盆休みに、香港へ三泊四日の旅行へ行った。食をはじめ、いろいろあったけど、小さなことを少し。

香港の町の至るところに、「小心地滑」のサインがあった。小心者の私は他人事とは思えず、興味を惹いた。感覚的にだが、最初は「小心者が地滑りする」みたいなイメージが広がって、「何じゃこれ?」と思った。それも束の間、だいたいイラストもついてるし、英語でも表記(CAUTION WET FLOORなど)もあるので、すぐにその意味は分かった。亜熱帯気候で海に面した香港は雨が多い。年間の降雨量は、約2,400mm。(ちなみに東京で約1,600mm) まぁ、「小心地滑」のサインは、室内(特にトイレなど)でももよく見かけたので、その場合は、頻繁にトイレの床を、水を流して掃除することが多いのか。それは不確か。

ただ、この「小心地滑」のサイン。同じものはないぐらい、いろんなデザインがあった。ひとつひとつ誰かがデザインしている。徐々に面白いなと思うようになり、最後の半日ぐらいで、数枚の写真を撮った。そして、帰国後、「小心」の意味を調べた。(岩波国語辞典 第七版 新版)

気が小さくて、臆病(おくびょう)なこと。小胆なこと。

の次に、下記。

もと、慎み深い、注意深い意。

ちゃんとあるではないか。無論、漢字なので、元々は中国から伝わった言葉だ。小心者の私の気の小ささは、「慎み深い」、「注意深い」との解釈もあると。元々は、これなんだと思うと、少し気が楽になった。




 

2025年7月24日木曜日

母親の自然

ちょうど一年ぐらい前に、当時92歳の母親(2024年11月逝去)の介護や家事をしながら、話しをしていたときのこと。「こんなになっちゃって。でもこれが自然だから」と彼女は言った。「こんなにって、こんなもんじゃないの〜」と私。

かかりつけの医者からは、「痴呆も少しずつ進んでますね」と言われていたが、彼女が言った「こんなに」の意味は、「身体が思うように動かない」ということだ。戦後の高度経済成長期を、どっぷり行動的に生きた彼女には、頭はまだしっかりしているという自負も感じられた。手すりや壁に頼りながら、ゆっくりとゆっくりと何とかひとりで歩いていたが、ちょうどこの頃から車椅子を使うようになっていた。普段一緒に住んでない私にとって、ひとりで過ごす時間が長い彼女の状態を知りたいという思いがあって、あえて少しは、ひとりで歩いてもらっていた。

「こんなになっちゃって。でもこれが自然だから」

この「自然」という言葉がとても気になった。歳をとって、身体が思うように動かなくなっていく。それは自然なんだということだが、そこには、「どうしても、自分そして(医療を含む)自分の周りの努力があってもなお・・・・」という「どうにもならない感」があった。またそれには、どこかで何かを諦めているような脱力感も感じた。自分が生まれ育って体力も増し、経験が増えていくことも「自然」だが、老いて身体が思うように動かなくなっていくことも「自然」だ。若い頃は、諦めないことが様々な経験を積むことになるが、老いてくると、諦めた方がいいと判断することが増えてくる。だから、いわば「自然な意識」の中で、自分主導的に「諦める」。

現在63歳の私は、一年前の母親のように諦める意識はまだ薄いものの、日常生活の中に、こまごまとした「諦めるべきこと」があるような気がしてならない。30代ぐらいまでのうちは、自分が意図したことは出来るだけ諦めないことを目指してきたが、今は諦めた方が、結局は自分にとって「いいこと」に繋がることもあると思えるようになった。そして、むしろ適格な諦めが必要だと感じることが多くなった。例えば、子育てだって、ある程度大きくなった子らには、親の干渉は最小限がいいし、仕事だって、やり過ぎてもいいことはない。何か私はその「分水嶺」の周辺にいるような気がしている。

分水嶺を越えると、「霧が晴れるように、新しい景色が見えてくる」なんてことをついつい望む私がいる。しかし、それは欲張りだ。母親が、そこまで言い及んでなかったのは、全くもってその欲がなく自然だったのだ。彼女のその心境にまだ追いつけていない。ただただ生き続ける。それがいい。

2025年7月23日水曜日

この案山子の効能

先週、滋賀県内の国道367号線沿いにあった、案山子(かかし)。柵の中は田んぼ。こんなリアルなのは初めてだ。これが目に入ったとき、瞬間的にホンモノと思った。イノシシや鹿にも、それが伝わるような気がするのは、邪推か?