2010年10月26日火曜日

【空想】日本の農業


先のエントリ、「生物多様性」という思想、の続きです。

GM作物の問題を考えるとき、当然のことながら、農業の規模は大きな要素だ。アメリカの農業はひたすらデカく、日本は小さい。この対比の上に立って、日本の農業を空想してみたいと思うのです。GM作物に対して反対派の私だけど、もしも現実的にGM作物が今後どんどん広がっていくとしても、こんな手があるんじゃないかという空想です。

最初に断っておきますが、私は農業に関しては、全くの素人です。でも、GM作物に詳しくない私が「詳しくない」なりにGM作物について書くように、それなりに思うことはあるのです。強いて言えば、ド素人または消費者だからできる空想ってものももしかしたらあるかも知れない、という淡ーい期待をエネルギーにして、自信な〜く書こうと思います。

GM作物の農業の長所はその生産性・効率性。だから、農業の規模は大きいほど有利になります。ヘリコプターで農薬撒くんだからね。それは日本の農業と比べると、同じ「農業」という言葉を使っていいのか疑問になる程違います。前々回のエントリ、遺伝子組み換え作物(GM作物)、の下の方に、GM作物の主な生産国のランキングがあるけど、ほとんどでっかい国ですね。(ロシアがないのが不思議だけど) まぁ、言うまでもないけど、GM作物の生産で日本がデカイ国にかなわないのは明白です。でも、かなわないというだけじゃ面白くない。

さてさて前置きはこのくらいにして、はじめましょう。

まず、あえて日本では、少なくとも国内でGM作物は作らない。禁止する。つまり、国内の農業は全て非GM作物。よほど特殊な作物でない限り、日本はGM作物の輸出国にはなれないだろうけど。何しろこれがファーストステップ。

次に、生産禁止とは言っても、日本は現在でもGM作物の輸入はしているので、これは最低限にしなくてはならない。そして大切なのは、国内での非GM作物との交配は絶対に起こらないようにコントロールしなくてはいけません。技術大国日本は、そのコントロールに英知を注ぐのです。ここが大きなポイントになります。世界中の人たちは、正直な気持ちとして、「できたら、非GM作物を食べたい」と思っています。ただ、経済的に安いGM作物でないと懐が厳しいという事情があります。しかしどの国・地域でも富裕層という人たちはいるので、そういう人たちは非GM作物だけを食べます。つまり、GM作物が広がれば広がるほど、非GM作物の商品価値は上がるのです。

“made in Japan”ならぬ“cultivated in Japan”の農産物は、非GM作物だけに特化し、しかもGM作物との交配の心配が全くない。非GM作物だけでなく、有機栽培・自然農法ものなどそのバリエーションも豊富にする。日本の農業は、小規模がゆえにそのコントロールにはかえって都合がいいのです。当然、島国という立地条件も、大陸の国に比べたら有利でしょう。

さらに、これからの日本の国内事情として、人口は減る一方です。ということは、もちろん将来の食料は今より少なくていいのです。人口が急激に増えてる大きな国に比べ、その食料確保に躍起になる必要は断然少ないハズ。

また、今の日本の経済(GDP)は下降気味です。人口が減る限り、デフレ基調が続く限り、またモノが豊かになったこの国の雰囲気として、GDPを急激に上げるのは難しいでしょう。だから、付加価値の大きいブランド非GM作物を作り、世界の富裕層たちに買ってもらう。もしかすると、世界中の大金持ちたちは、少しでも新鮮なものをと日本に引っ越してくるかも知れません。そうすれば、日本の税収も増えます。また“cultivated in Japan”の農産物は日本で消費される限りは、輸送・貯蔵コストは低くなるので、日本に住んでる人にとって、その分は安く買えるという恩恵もあります。

こう書くと、金持ちのための農業と思われるかも知れませんが、それだけではありません。そうこうしているうちに、日本は、高品質な農産物の生産技術と非GM作物とGM作物との交配を防ぐ技術は、折り紙付きの世界一になりますから、その技術セットを、「GM作物はやっぱりヤバイ」となったとき、必要になった国・地域に譲与するのです。だからある程度の技術に達したところで、日本は世界に向けそれを宣言します。つまりは、その技術を磨くために世界の富裕層に非GM作物を売り、その間養った農業技術を還元するのです。これが結果的に富・サービスの再配分ということになります。言葉をかえれば、日本の農業は「GM作物はやっぱりヤバイ」の安全弁という役割を担うのです。

この空想の一番のネックは、日本の政治かな。
繰り返しますが、以上、私の空想でした。

2010年10月15日金曜日

「生物多様性」という思想


上の写真は数年前の11月、京都の大原あたりで撮ったもの。「これが鈴なり」って言ってる柿の木があまりに見事だったんで。背景の稜線の柔らかさも、私はこの地方らしく感じる。

さて、前回の投稿の続きです。

「どーもモヤモヤが晴れない」

この遺伝子組み換え作物(GM作物)の問題を考えると、私は必ずモヤモヤが残るのだ。それは、一番の論点である「危険性/安全性」がハッキリしないことだ。

GM作物の賛成派は、農業試験場などで十分に検討した結果、生態系、種の保存なども含め「大丈夫」だと言う。これに対し、反対派は、たかだか数年の実験などで「十分な検討」とは言えない。隔離された試験場内でそれも数世代だけの試験。自然界では想像もつかない交配もあり得るし、世代も例えば50年後、100年後のことなど、「大丈夫」などと誰が分かるものかと反論する。

反対派の主張を続けよう。

ブラックバスなどでも在来種と外来種の問題があるけど、もしも強力な除草剤や農薬に負けない組み換えられた遺伝子を持つ植物があちこちに生え始めたら、ブラックバスのようにとてもコントロールできなくなる。事実すでに「スーパー雑草」と呼ばれる除草剤の効かない植物が生え始めている。GM作物の広がりはその傾向をさらに進ませ、「とりかえしのつかないこと」になる。

「とりかえしのつかないこと」を想像すると、それはそれは恐ろしい。仮に、「GMナタネと在来種のナタネがある複雑な条件下で交配してできたナタネは、人体にも悪影響を及ぼす」としたら。そしてそのGMナタネの遺伝子を持つナタネはどんな除草剤も効かず加速度的に日本全国に広まるとしたら・・・・と、もしもうこうなると公害だ。

もしかしたらGM作物の「危険性/安全性」は、ハッキリしないと言うより、そもそもハッキリできないものなのではないか。もしそうなら、それはもう感覚の問題なんじゃないか。個人個人の感覚という意味だ。例えば「特別(科学的な)根拠はないけど、イヤな気がする」ぐらいも含めて。昔から、特に第一次産業では、感覚的に決められた「限度」があって、それを超えたことはしてはいけない、みたいなことがあると思う。里山の習慣もしかり。「遺伝子組み換え」とは、感覚的にその限度を超えているような気がしてならない。私がGM作物の反対派な理由も結局はそれだ。物事には何でも限度があるが、その限度は超えたときに初めてハッキリする・・・・なんてシナリオはイヤなのだ。だから現状を考えても、せめて最小限にしといた方がいいんじゃないの〜という気持ちになる。

だいたいひとつの便利な「種」だけが生き残るような世界(または畑)は感覚的に異常にうつる。「生物多様性」とは主に自然界全体のことを示すのだろうが、身近な人間社会でも同じだ。人間社会でも「人間多様性」というか「いろんな人間がいる」からこそ、人間社会が成り立っているように思える。いつもグータラでもいざいというときは頼りがいのある人、人と話すのは苦手だけど知識だけはやたらと豊富な人、どんな人でも何かしらの意味があるものだ。もちろん生態系は人間社会のずっと上位に位置し、その恩恵でもって人間は生きている、生きさせてもらっている。

また私は特に宗教に属してないが、神様、またはそのようなものの存在は信じている。「GM作物は自然界の交配では生まれてこない」。この「自然界の交配」を「神様の仕業」だとすると、遺伝子組み換えは神様に逆らっていることになりはしないか。

そう思うと、「生物多様性」を重んじるというのはひとつの思想なんじゃないかという気がしてくる。思想だから、それは正しいとか間違っているとかの問題じゃないし、強制力も持たない。ただ個人の感覚として、「これはこう思う」というのがあり、同じように思う人がある程度いればそれはひとつの思想なんじゃないかと。

先の投稿で、「私は、GM作物の問題について特別詳しくない私がそれなりに考えることも意味があるのでは・・・」と書いた。詳しくはなくとも「個人の感覚」はある。そしてその「危険性/安全性」が感覚的な問題だとしたら、これは大いに言わないと、と思ったのだ。

ところで、名古屋のMOP5は、「名古屋・クアラルンプール補足議定書」という形で、ある程度の成果を得たようだ。(以下、10月11日付け“YOMIURI ONLINE”から抜粋)

補償の対象範囲は「遺伝子組み換え生物」と簡潔に表現することで折り合った。食用油や飼料などの加工品は対象から除外されることが明確になり、日本の担当者は「日本の主張通りになった」と話した。

何となく、「日本の現状を否定しない内容に落ち着いてよかった」というお役人的な雰囲気も感じなくもないけど。この「補足」議定書の元は「カルタヘナ議定書」。これは言葉にすると難しくなるけど、一応、「生物多様性の保全や持続可能な利用に対する悪影響を防止するため、遺伝子組換え生物(LMO)の国境を超える移送、利用等において講じるべき措置について規定したもの」となっている。

この「カルタヘナ議定書」の160の締約国にアメリカは入っていない。これって温室効果ガス(CO2など)の削減を謳った京都議定書にアメリカが入ってない(抜けたのかな?)のとそっくり。世界で一番GM作物を作っている国、そして世界で一番車が多い国。その国がルール作りを話し合うテーブルにつかない。外交とはギブアンドテイクだと言う人がいた。何かを得ないと何かを譲れない。大きな国にこそ、その大きな懐を見せてもらいたいのに。頑張れ「グリーン・ニューディール」。経済的な国益優先という考え方も、人間社会の多様性の一部分ということか。アメリカの一般市民はどう思っているのだろう。

そんなアメリカの農業の規模は、ご存じのとおり、ひたすらデカイ。このGM作物の問題、日本の農業の規模を考えるととても同じ視点では考えられない気がするけど、どうなんだろう? ん〜、また長くなってしまいました。それはまたこの次に。

2010年10月13日水曜日

遺伝子組み換え作物(GM作物)


一昨日から、COP10/MOP5という国連の国際会議が、名古屋にて開かれている。最近は、マスコミでもしばしば出てくるのでご存じの方も多い・・・・と思いきや、うちのカミさんに「コップジュウとかモップゴとか知ってる?」ときいたら「知らない」と言う。どちらも環境問題の会議だけど、それだけじゃ内容が分からない。とても重要な会議と言われちゃぁいるが、われわれ一般人に具体的なことは分かりにくいのかも知れない。

とは言え、私は1年ほど前、「食と農から生物多様性を考える市民ネットワーク」というグループに入会した。入会ったって、1万円会費を払っただけで、私自身は特別な活動はしていない。でも、このグループの意義や活動に賛同し、入会した。そのお陰で、私はこの「生物多様性」ということを一歩踏み込んで考える機会を得た。

食と農から生物多様性を考える市民ネットワーク MOP5市民ネット

COP10支援実行委員会 公式ウェブサイト

でまぁ、分かりにくいから放っておく、というのではなくて、いろいろある議題の中から、その中心的議題でもあるGM作物(遺伝子組み換え作物)の問題について書いてみようと思う。これはMOP5の方の議題にあたる。

だけど、私は、GM作物の問題について特別詳しくない。ただ私レベルの「詳しくない」人はきっとたくさんいるように思う。そして何よりこの問題は私たちの食生活に大きく関係していることぐらいは分かる。だからそのぐらいの私がそれなりに考えることにも意味があるのではないかと思うのです。ちなみにここに出てくる情報は、主に最近の東京新聞からの拾い読みです。

まず、GM作物についてざっと少し。

バイオテクノロジーで、遺伝子を組み換えられて作られた、自然界の交配では生まれてこない作物(主に農作物)。その目的は、除草剤や病害虫への耐性など。例えば、そのGM作物専用の除草剤・農薬を撒くと、そのGM作物以外の植物はすっかり枯れて虫も全滅する。その環境下、そのGM作物だけは生き続けるから、農業が簡単になり、生産性が向上する。また、ひとつの種からの収量も増える種子を開発するから、全体的に作付面積比で収穫量を大幅アップでき、安価な農作物を生産できる、というものだ。

納豆とか買うと、表示ラベルに「大豆(遺伝子組み換えではない)」とか書いてありますね。反対に「大豆(遺伝子組み換え)」というのは見たことがない。それは「遺伝子組み換え」の表示義務がないから。日本で流通している食用油の大半は遺伝子組み換えのナタネ、大豆で作られているから、すでに私たちは食べ始めています。ただ日本ではまだ研究段階で国内産のGM作物はない(サントリーの青いバラだけ)。だからその食用油の原料になっているGM作物は全て輸入です。

かなりおおまかだけど、賛成派と反対派の意見は以下のとおりだと思う。

【賛成派の意見】
今後の人口増加にともなう食料事情からして、GM作物は必要。天候不順また異常気象にもより適応でき、安定した収穫量が期待できる。しかも安い。

【反対派の意見】
ナタネなどのGM作物はいくら管理しても、輸送中にこぼれ落ちるなどして、広がる。現在、まだその安全性は確認されていない。このまま放置すれば、生態系など自然環境に重大な問題を引き起こす可能性もある。

ここでの大きな論点は、生態系への影響も含む「危険性/安全性」だろう。その点について、GM作物の開発企業(GM作物の種と除草剤・農薬のセットの開発)である、アメリカの多国籍企業・モンサント社の日本法人は、「輸入されているGM作物は農水省にも認められており、日本の生態系にも影響を与えません」として「実害」は「起きていない」と主張してます。また日本の農水省は、2006年〜2008年の調査結果を示し、「こぼれ落ちたナタネは自生しても広がらず、環境への影響はない」と雑種の発生を否定しています。

一方、反対派は、遺伝子組み換えが行われ始めて、まだ30〜40年ぐらいで、大規模に広がってきたのは、ここ最近のことなんだから、そんな「大丈夫」は信用できない。だからもっと慎重に検討すべきだ、という見解である。

ここまで主にGM作物の是非論を書いてきましたが、今回のCOP10/MOP5という会議での論点はと言うと、その是非論ではありません。GM作物が悪影響を与えた場合の賠償制度の国際ルール(責任と救済)を決められるかどうか。つまり、なんかヤバイことが起こった場合、GM作物輸出国は輸入国に対して賠償金を払ったり現状復帰を保証する制度を作れるかどうか、です。また、その制度でもって抑止力とするという感じもあるのかな。何しろもうサイコロは振られているからね。

ちなみにGM作物の主な生産国は(作付面積の広い順に)、

1.アメリカ
2.ブラジル
3.アルゼンチン
4.インド
5.カナダ
6.中国
7.南アフリカ
(アグリバイオ事業団調べ。2009年)

となっています。第一位のアメリカは、GM作物の「母国」なので、ダントツです。

で、私ですが、GM作物に対しては反対派です。日本の与党のマニュフェストには、今後力を入れていく産業としてバイオテクノロジー(GM作物とまでは言及してるかは不明)があげられてますが、反対派の私としては、決め手に欠いた政党の苦し紛れの「バイオテクノロジー」のように聞こえてしまって、ちょっと不安です。

長くなってしまったので、きょうはこれでおしまい。「詳しくない」とか言いながら、いろいろ書いてるじゃねぇ〜か、と言われそうですが、最近の新聞(一般紙)記事の範囲です。ただそれを読んでて感じるのは、どーもモヤモヤしたものが晴れないこと。そんなことを含め、次のエントリでこの続きを書きたいと思っています。では。