2018年5月15日火曜日

アサガオや、伸びたいように、伸びなさい

先週末、去年育てたアサガオの種がポットで二葉になったところで、本植えした。(上の写真) 今、ヒルガオもポットで育てているのだが、アサガオより少し遅めなので、もう少し先になると、ここにヒルガオが加わる予定だ。

さて、上の写真の上の方はどうなっているかと言うと、下の写真のようになっている。
高さ6mぐらい。南東向きの陽当たりのいいところ。
去年も同じ場所で4mぐらいの支柱を立てたのだが、軽〜く一番上まで伸びたところに台風が来て、古い竹竿の支柱が半分に折れた。そこで、今年は、6mの青竹を入手して、負担のかかる支柱の支点にクッションを挟んだ。

アサガオを育てている家は多いが、どんどん伸びて、夏には蔓の絡み先が見あたらなくて先端がブラブラしていることが多い。しかし、一度だけ、いつだったか、古い二階建ての横壁一杯に茂っていたアサガオを見たことがあって、「こんなに伸びるんだ」と感心したことがあった。

アサガオに、つるべ取られて、もらい水

この名句のアサガオも井戸のつるべ程度の高さだし(おそらく2mぐらいか)、朝顔市のアサガオは蔓を回した鉢植えだ。人間の都合はいろいろあれど、アサガオ自身は、もっと高く伸びたがっている。そして、それはアサガオの天性であり、それ自体、何も悪いことではない。

話は飛んで、中世のヨーロッパ。貴族など裕福な女性の間で、長い爪が「おしゃれ」または「裕福さの象徴」のように思われていた時代があったらしい。湾曲しながら長く伸びた爪を、誇らしげに見せる女性の絵を見たことがある。絵に残っているぐらいだし、服装もゴージャス。無論こんな爪で皿洗いは出来ないし、一般的には生活全般に支障を来すが、それでも暮らしていけるのだから、裕福な訳だ。異様に見えるものの、単に「金持ちの道楽」というだけでなく、私なりに、「どうしてこんなタシナミがあったのだろうか」と考えたことがある。それは「伸びたがっているものは伸ばす」ということではなかったか。

私は、二十歳代の頃、生活上及び衛生上の理由から無理だったので爪こそ伸ばさなかったものの、髪の毛と髭を5年ぐらい切らなかったことがある。それは、「伸びたがってるものは、それなりに意味があるはずだから、切ることはない。伸ばしたれ」と思っていたからだった。ある種のナチュラル派。今になって思えばだが、その頃私は、何となく世の中を窮屈に感じていたので、その反動でそうしていたような気もする。

髪の毛は腰まであったし、髭は薄いながら、一番長いので20cmぐらいあったと思う。伸ばしてみて気づいたが、髪の毛も髭も、ある程度伸びると、それ以上伸びないものだ。もっと太い髪の毛や髭だともっと伸びただろうが、あるところまで来るまでに自然と摩耗していたり、そのうち抜けたのもあったりで、髪の毛は腰までが限界だった。

さて、アサガオに話を戻す。

今は人並みの髪の毛ので、髭も2〜3日に一度は剃っているが、我が家のアサガオには、「伸びたがっているアサガオよ。伸びたいだけ伸びろ」という想いがある。それが今年は6mの支柱になっている。(6mでも足りないかも知れないが) 先述のように、家の壁に沿わせる方が、グリーンカーテンも兼ねていいのだが、我が家にはあいにくその場所がなく、こんな目立った出で立ちになってしまった。

また、この「伸びたがっているアサガオよ。伸びたいだけ伸びろ」は、私にとって、子育てにも重なっている。「我が子らよ、伸びたいだけ伸びろ」といった風に。つい自分の都合や、いわゆる「常識」、「危険性」というのが邪魔になって、必要以上に子供の考えや行動を制御しがちになるときが、私にはある。そんなときこそ、懐を深くしなければいけない。その戒めとしても、このアサガオがどんどん蔓を伸ばしていく姿を眺めていたいと思っている。

2018年5月7日月曜日

ニセアカシアを想う人間の気持ち

♪アカシアの雨にうたれて、このまま死んでしまいたい〜

ちょうど今、東京の多摩川河川敷では、ニセアカシアの花が、甘い香りを放ちながら咲き乱れている。あっちでもこっちでも。「あっ、アカシアだ」と呟いた後、「本当はニセアカシアだったっけ」と呟き直す。もう何度、同じ呟き直しをしたことだろうか。ニセでない、本家のアカシアを、私は見たことがない。

少し気になったので、その違いについて。
wikipediaによると、

明治期に日本に輸入された当初は、このニセアカシアをアカシアと呼んでいた。後に本来のアカシア(ネムノキ亜科アカシア属)の仲間が日本に輸入されるようになり、区別するためにニセアカシアと呼ぶようになった。しかし、今でも混同されることが多い。本来のアカシアの花は放射相称の形状で黄色く、ニセアカシアの白い蝶形花とは全く異なる。

どうも、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」の「アカシア」も、「ニセアカシア」らしい。人間にとって、言葉の影響は大きい。ニセと付くだけで、どこか悪者の雰囲気が漂う。また、この外来種は、繁殖力が強いため(在来種の繁殖を妨げるため)、しばしば駆除の対象になる。刺さると痛いトゲもある。バラは「美しいものにはトゲがある」と例えられるのだが。

さて、一週間前、そんなニセアカシアが咲き乱れた多摩川の河川敷で、たまたま待ちぼうけをくらった私は、その花を集めてみようと思い立った。最初は「天ぷらかお浸しか」などと思ったのだが、待ちぼうけの勢いで、ひと抱えの花の付いた枝を車に積んだ。車の中はスゴイ香り。あまりの香りなので、帰路、家の隅に置いておくだけで、アロマな感じになりはしないかと思った。トイレなんかもいいんじゃないか、とかね。

帰宅後、枝から花の房だけを取った後、カミさんに相談したら、「それだけあるとアカシア酒がオススメ」とのこと。また、少しだけ、水で溶いた小麦粉を絡ませたものを、油をひいたフライパンで焼いてくれた。天ぷらにすると、「デレッとなっちゃうから」。なるほど。これまで何度か天ぷらを食べたことがあったが、たしかにデレッとなってた。何しろ、甘い香りが強烈なので、食べると、半分お菓子のような感じ。ひとかけ食べた中二の娘は「ポン酢がうまいと思う」と提案。甘さが中和される感じで、たしかにうまい。
それで。本命のアカシア酒。カミさんは35度の玄米焼酎がいいと言うのだが、そんな準備はないので、近くの酒屋さんで、25度の麦焼酎を買ってきた。彼女が持ってる果実酒の本によると、漬けるのは一週間がいいらしい。その後は、苦味が出てくるとのこと。
 一升の麦焼酎に浸り切れないほどのニセアカシアの花。その浸かり切れてない部分が気になって、一日2〜3度、天地をひっくり返して、一週間経ったのが、昨日。
花のガクの緑色がしみ出たのか、やや黄色を帯びた。ここから花を取り出す。
これで完成と思いきや、ここから3ヶ月寝かせて、完成らしい。とは言え、ちょっと飲んで見たが、ほのかに甘い香りがついている程度。

在来種の繁殖を妨げる外来種のニセアカシア。どうやって駆除しようか日々腐心されてる人たちもいる。ただ、その繁殖力の強さゆえに、我が家で「アカシア酒」になってもいる。3ヶ月後、この酒はどんな味を醸し出していることだろうか。