2021年8月19日木曜日

睡蓮鉢の黒メダカ


 ここ何年か、我が家の庭先の睡蓮鉢で、黒メダカを飼っている。水生植物を寄せ植え、水でメダカを飼う。この箱庭のようなところを小さな生態系に見立てて、最近は「ビオトープ」とも呼ばれるらしい。生態系というといささか大げさだが、ボウフラは湧いたそばから、メダカに食われる。水草は光を浴びて光合成し、自分も大きくなりつつ、水中に酸素を供給し、メダカが呼吸する。また、睡蓮鉢の形は浅く広いので、外気に触れる面積が広い。空気中の酸素がある程度水に溶け込むようにも思う。

睡蓮鉢でメダカを飼う当初の理由は、ボウフラ防止のためだったが、生き物を飼うということは、そんな単純ではなかった。春から秋にかけて、メダカは産卵する。どんどん生まれてくる。そして生まれたての赤ちゃんメダカは、大人のメダカにどんどん食われる。卵も食われる。その様子を何度も観察したが、まるでサメが一瞬のうちに小魚をパクッと食べるように食べる。

一昨年、ならばと、生まれたての赤ちゃんメダカを屋外の別の大きな深い鉢に移していったら、どんどん増えて、一ヶ月もしないうちに100匹以上になった。(赤ちゃんメダカは、ボウフラを食べることは出来ないので、この鉢には、網を掛ける) どんどん増えていく小さなメダカを見ていて、「この100匹以上のメダカをこの後どうするか?」と思ったが、何と8月半ば頃には全滅していた。大人がやっと抱えられる程の大きな深い鉢の水量は多いので、水温が急激に高くならないだろうと思ってのことだったが、日陰に置かれていたものの、真夏の猛暑に耐えられなかったのか。

それならばと、去年は、3年前にもどって、睡蓮鉢の赤ちゃんメダカを移さないでおき、大人メダカに食べられるのなら、それはそれで仕方ないと腹をくくった。大人メダカに次々に食われる赤ちゃんメダカ。日陰に置かれているものの睡蓮鉢の浅く広い形ゆえに、猛暑に耐えられないメダカもいたと思う。こうした過酷な状況の中、秋になっても数匹の新生メダカが生き残った。別の大きな鉢に移しての全滅より生き残ったのは、水草が多い睡蓮鉢の居心地がよかったのだろうか。

そして、氷が張る冬を迎え、春になっても生き残っていたのは、1匹となった。今年は、この生き残った1匹に、新たに10匹のメダカを購入し、春を迎えた。

「今年は、どうしよう?」

高校生の娘に相談したら、「今年はしっかり、赤ちゃんメダカを育てよう」と言い出した。彼女曰く、

「(数年前のように)赤ちゃんメダカを、外の鉢に移すんじゃなくて、室内のブクブク(エアーポンプ)付きの水槽に移せば、暑さにやられることもなく酸素も十分よ」


産卵・孵化のピークである6月頃、11匹から8匹になった睡蓮鉢から、合計100匹以上の赤ちゃんメダカをその室内のブクブク水槽に移した。しかし、7月から8月になると、水槽のメダカはどんどん減って(死んで)いき、およそ20匹になってしまった。一昨年の屋外で大きな鉢の全滅よりはいくらか生き残ったものの、室内のブクブク水槽でも死んでいくメダカがほとんどだった。あわてて方針を変え、睡蓮鉢の新生メダカは移さないようにした。そして、睡蓮鉢の新生メダカも20匹ぐらい生きている。どうもここには私には計り知れないルールというか原理があるのだ。

自然界でのメダカは、長らく小川や池などに生息してきたはずで、小さい時分には、親を含んだ他者に食われず、天気・気温など変化する気候などのあらゆる環境に順応したメダカだけが長らく生きながらえる。そういうイメージを持った人間が、メダカを、他者に食われず、安定した天気・気温の環境に置いたからと言って、単純に多くのメダカが長らく生きながらえるようになる、ということにはならないのだ。

生存率が低く寿命も短い生物は、卵をたくさん産むことで、命を繋いでいる、という人間の理屈があるが、生存率が高く寿命も長い人間は、死をとても恐れるものだ。メダカに、その恐れの感覚はどれほどあるのだろうか? 毎朝、睡蓮鉢のメダカに餌をあげながら、その餌に飛びつくメダカや、悠々と泳いでいるメダカを5分ほど眺めるのが日課になっている。

2021年8月18日水曜日

オッサン化現象

テレビに映る、新垣結衣と吉岡里帆の区別がつかない。

松岡茉優と本田翼の区別もつかない。

そして、それにちっとも困らない。

これぞ、オッサン化現象だ。

2021年7月9日金曜日

赤じそ+梅シロップの「赤じそシロップ」

 

毎年梅干しを仕込んでいると、我が家では(梅干し以外の)副産物が出来てくる。その代表は、梅酢だろうが、梅酢以外にも、私の場合、下記2つがある。


梅シロップ(梅+ハチミツ)

赤じそシロップ(赤じそ+クエン酸+ハチミツ)


どちらも、だいたい夏の間に、水や炭酸水と割って飲むことが多い。

梅の酸味は主にクエン酸なので、上記の梅シロップの(梅+ハチミツ)は、(クエン酸+ハチミツ)とも読める。そうなると、赤じそシロップの(赤じそ+クエン酸+ハチミツ)は、(赤じそ+梅シロップ)という三段論法が成り立つ。

さて、今年も梅干しを3kg仕込もうと思って梅を入手した直後、我が家の梅干しが多くダブついていることに気がついた。コロナのせいで、高校生の娘が弁当を持って学校へ行くことが極端に減ってしまい、我が家の梅干しが多く余っていたことに気が回っていなかった。2kg仕込めば十分だったので、1kgの梅が余ることになった。元々「梅シロップ」のために、別に1kgの梅を入手していた私は、余ったその1kgの梅も梅シロップにしたために、梅2kg分の梅シロップが出来上がることとなった。今度は、梅シロップがダブついた。

梅干し、梅シロップに続き、赤じそシロップを作ろうと思ったところで、上記の三段論法を思いついた。「赤じそシロップに使う、(クエン酸+ハチミツ)を、ダブついた梅シロップで代用したらどうなんだろう?」ということだ。いくら「梅の酸味はクエン酸」と言っても、同量のクエン酸を梅からとなると、とても高くつくので、少し迷ったが、こんなダブついたときこそ、上記の三段論法を試すチャンスと思い、試みた。

おいしいこと、おいしいこと。白い粉のクエン酸より梅の酸味の方が丸く飲みやすい。我が子たちの消費スピードもやたらと早い。無論、白い粉のクエン酸は安い。のだけど、せっかく梅の季節(梅雨)なんだから、これもアリだなと思った。ちょっと贅沢だけど、こっちの方がおいしいし、生レモン汁よりは安上がりだ。冒頭の写真は、瓶に作った梅シロップ(泡立ってる)と、冷蔵庫に入れる直前の赤じそシロップ。

2021年7月8日木曜日

家にあるもので、岩牡蠣を開く

先日、日本海側に住むカノウユミコさん(野菜料理研究家)から、岩牡蠣が送られてきた。生で食すことを思うのだが、「どうやって開けるの?」

ネットで調べたりしながら、やってみたら、思った以上にうまく開けられたので、きょうはその紹介。

まずは用意する道具からということなのだけど、魚屋さんや料理屋さんは、牡蠣開け用の、先が細くなったシンメトリーな形のナイフを使いますね。私は使ったことないですが、たぶん、あれが一番いいのだと思います。ただ、あれがなくても、家にあったもので、差ほど苦労することなく出来ました。その道具が下の写真。
右から、プライヤー(ペンチでも)、ペーパーナイフ、洋食器のナイフ。このぐらいだったら、多くの家庭にあるんではないかな。

さてさて、牡蠣を開けるというのは、ほとんど貝柱を切るということです。貝柱は、貝殻の上と下にひっついてるので、上と下を切ります。岩牡蠣はデカイので貝柱もデカイ。切りさえすれば、貝殻は開きますが、デカイ貝柱も食べるとなると、上下切ることになります。上の写真の一番左にある岩牡蠣君は、蝶番の位置が下になってます。そして貝柱はだいたい赤丸で示したあたり。なので、真っ直ぐなナイフがその位置に届くように、この写真で言うところの、赤丸の真上あたりの、薄くなった貝殻の上下が重なっている部分にナイフが入るようにプライヤーで貝殻を壊して穴を開けました。(下の写真)
ナイフが、薄手のペーパーナイフと、厚手の洋食器ナイフと2種類あるのは、ペーパーナイフの方が切れ味はよさそうで、洋食器ナイフの方が頑丈なので、その使い分けのためです。私は、最初、プライヤーでなく洋食器ナイフで、重なった貝殻をこじ開けようとしましたが、貝殻がピタッとついててナイフが入らず難しかった。(出来る人もいると思います) ネットには、貝殻で手を切らないように、「軍手着用」となってましたが、私はそれが面倒だったので、洋食器ナイフはすぐに諦めて、プライヤーで上下の貝殻を挟んで引きちぎるようにしたら、簡単に穴(ナイフが入るスペース)が開きました。
この穴が開いたところで、切れ味よさそうなペーパーナイフをその穴に突っ込み(上写真)、赤丸のあたりを切ってみると、少しですが、貝殻が動きました。切れたのです。もちろん、ペティナイフのようなものでも切れるでしょうが、貝殻で刃こぼれする可能性があるので、オススメ出来ません。

貝殻が動くようになれば、上下の貝殻に簡単に隙間が出来るので、そこに洋食器ナイフを突っ込んで、テコで貝殻をもっと開けます。この状態でも全開することは出来ますが、貝柱をもう片方も切ります。こうして半開きになって切りやすくなったところで、再びペーパーナイフで、もう片方の貝柱を切ります。そして全開し、片方の貝殻を取り外すと、冒頭の写真のように、片方の貝殻をお皿にして中身が乗っかった状態に。貝柱は両方切れてますから、このままツルッと口の中に滑っていきます。

ポン酢+紅葉おろし、ぐらいが一般的かも知れませんが、私はレモン汁をちょっとだけ垂らして、牡蠣自体が持ってる海水の味とで食べるのが好みです。「海のミルク」と称す人がいますが、言い当て妙ですね。海の味と少しだけ感じるレモンの酸味に包まれた生クリームのような濃厚が口の中いっぱいに広がります。何とも美味。西洋のオイスター・バーの小ぶりな牡蠣もおいしいけれど、このでっかいサイズの食べごたえは、岩牡蠣ならではです。カノウユミコさん、 ご馳走さま。ということでした。

2021年6月10日木曜日

住む場所は何処

 


人間、どこに住むかは大きな問題だ。

現在私は、東京・昭島にある借家住まい。先週末、その庭を眺めていたら、トカゲが甲羅干ししているのが目に付いた。それを見て思った。

「あっ、せめてこのぐらいの自然は欲しいな」そして、「このぐらいの自然がある場所に住むのが、自分には合ってるのかな、ちょうどいいのかな」

とも思った。

この庭は、新しい。数年前に作ったばかりだ。この家に越してきたとき、今の庭がある場所は、ガラ石が敷き詰められていて駐車場のようになっていた。そこから庭作りをした模様は、何年か前にこのブログでも書いた。


華やかなガーデニングの裏側(2017年8月7日)


庭作りをしてすぐに(夏場だったせいもあるが)、たくさんのミミズが住み始め、そしてその1〜2年後にはそれを餌にするようなトカゲが住み始めている。ブロック壁に囲まれているこの新しい庭に、どこからトカゲは来たのだろうかと、本当に不思議に思う。このぐらいの自然なんて、そんな感心する程のことではないのかも知れないが、生来の私の自然環境のレベルは至って低い。生まれは、東京の下町で、二十代前半まで住んでいた。そこの土の地面と言えば、公園しかなかった。庭のない家がほとんどで、軒下に並んだたくさんの植木鉢は、その住人の自然を欲する溢れんばかりの気持ちの表れのようも映った。体験的にそこからしか比べられない私なので、このトカゲの小さな自然は、私にとって、「不思議に思う」ようなことなのです。

二十代後半からは、海外や日本各地を点々とし、一日中、車の音が聞こえない、タイの海辺に3ヶ月、インドの山奥に1ヶ月、日本の山奥にも半年ほど住んだことがある。そうして自然の力が強いところへ強いところへと惹かれていったのは、自分の中に人として本来あるべき自然との関わりの経験が不足(または欠如)しているのではないかというコンプレックスがあったからだ。その不足を補うように旅は数年続いた。

そして、再び東京に住み始めた。ただし今度は、下町ではなく、東京西部、いわゆる多摩地区の昭島だった。ここには、自然とニホントカゲが住み始めてくれるぐらいの自然がある。今は、高校生と中学生の子供もいるし、仕事場もこの地域なので、借家住まいとは言え、そう簡単には引っ越せない。しかし、近い将来、子供たちも独り立ちしていくことを思いながら、「自分はどこに住むのがいいのだろう?」と自問自答を繰り返している。カミさんは、仕事的には場所が自由なので、私より融通が効きそうだ。しかし、ずっと一緒に住むのだろうか、それとも一時的にでもそれぞれが別の場所に住むのもいいのだろうか? 彼女は海辺育ちなので、海の近くに住みたがるが、私は海よりは山派。今は、国木田独歩の「武蔵野」のような、野山が理想だな、などといろいろ考える。

この手の感覚は、自分の生い立ちとも深く関係すると思うが、自然体験レベルの低い私の場合、庭でトカゲが日向ぼっこしてるぐらいの、程よく自然が残っている場所がいいと思っている。果たして10年後、幸いにして生きているとすれば、私はいったいどこに住んでいるのだろう?

2021年5月28日金曜日

最近の日本のしっかり非常に辛い物

 


先週末、中学二年生の息子が、「こーれ、知ってるぅ〜? ホントに辛いらしいよ」と得意げに、新発売のペヤングのやきそばを買ってきた。やや見苦しけど、冒頭の写真は、その食べかけの写真。ちゃんとした商品名は、下記。

ペヤング、獄激辛、担々やきそば

メーカー希望小売価格:205円(税別)

しっかり非常に辛い。私は、その麺を2〜3本食べてみて、それ以上食べるのを止めた。息子は、最近流行りの「辛ラーメン」も好きだ。どうも、辛い物にハマリ始めているらしい。

20〜30年前ぐらいか、「激辛」と称していても「そんなに辛くないじゃん」というものが多々あったが、時代は変わった。という訳で、きょうは「辛さ」の話。

もう30年以上前になるが、私は、インド・ネパール・バングラデシュ・タイを2年ぐらいかけて旅行していた。言わずもがな、それらの地域では辛い物が多いので、辛さには徐々に慣れていった。例えば、北インドでレストランに入ると、辛めの料理とともに、生の青唐辛子が2〜3本と、生の小ぶりな紫玉ねぎのスライス(これもツンと辛い)が、日本の定食のお新香のように付いてくる。最初は、どちらも辛くて食べる気がしなかったが、半年から一年ぐらいすると、追加の青唐辛子を店に頼むようになっていた。

4月から9月ぐらいの北インドは暑い。南インドより暑い。大きなインド半島は南に細長く北に幅広い。南は海に囲まれているような比較的安定した気候だが、北は内陸部が広く、乾期は極度に乾燥し、雨期直前の4-5月は連日40℃を軽く越える。人々は、明け方、家中の窓を全開し、気温が一番下がった空気を室内に入れる。そしてその空気を守るように、短い時間の後、全て窓を閉める。午前中とは言え、気温は一気に上がるのだ。そして、午後から夕方、室内の気温が外気と変わらなくなったところで、窓を開ける。ただし、その時間の道路や家屋のアスファルトやコンクリートは、しっかりと熱を保っているので、日が暮れてもしっかりと暑い。このとき、私は「この暑さからは逃げられない」と悟る。日本の昔ながらの家屋は風通しをよくして夏の暑さを凌ぐが、北インドの石造りの家屋は、冷めた空気を閉じ込めて、暑さを凌ぐ。だから、陽の高い間、家の中は真っ暗になる。

こういう暑さが続くところに慣れてない旅行者は、旅行だからと無謀にも炎天下をあちこち歩き回ったりする。数日もすると、身体はグッタリして、食欲がなくなる。こうして衰弱すると、すぐには回復しない。かく言う私も経験者だ。だから、そうならないように、40℃越えの間は外には出ず、規則的に食事を摂ることを心がける。唐辛子はそんな私の救世主だった。私の北インドでの食事は、自炊が主だったが、生の青唐辛子をかじりながらだと、食欲が刺激され、不思議と食べられる。辛さというのは、慣れる。最初は、一回の食事で青唐辛子ひとかじりでも、慣れるとそれでは十分な刺激にならず徐々に増える。そして、半年から一年後には、一回の食事で、青唐辛子が3本はないと、食が進まないようになる。私はその状態で、日本に帰国した。8月のことだった。

「全然辛くない」

「物足りない」

(このとき、仮に「ペヤング 獄激辛担々やきそば」を食べても辛いとは感じなかったと思う)

しかし、一ヶ月もすると、日本は涼しくなり、特別辛さの刺激がなくても、食欲は十分に湧いた。(何年かぶりに秋刀魚の塩焼きを食べておいしいと思った記憶がある) しばらくは(おそらく1年ぐらいは)、たまに食べるかなり辛い物にも抵抗感はなかったものの、辛い物を食べる習慣がなくなって2年もした頃には、もう青唐辛子をかじることがすっかり出来なくなっていた。辛さは慣れるものだが、その逆(辛さの無いこと)にも慣れるのだ。そして、私の場合、ちょうどその頃から、きっと日本を初めて訪れた外国人のように、改めて日本の味覚を新鮮に感じ始めた。熟れ鮨、山菜、豆腐などなど。身体の成長期もすっかり終わって好みが変わったという年齢的な面もあったと思う。その頃が、二十代後半だった。

場所はどこであれ、唐辛子の刺激のループに入ると、無意識のうちに、もっともっととなる。それはまるで人間の欲望のようだ。しかし、何かが原因して、そのループから外れると、まるで夢から醒めたように、何でもないことになる。『最近の日本のしっかり非常に辛い物』は、そのループに入っている人が多いことの表れのような気がする。それは、暑さという理由ではなさそうだが、一体どんな理由なんだろう? 一度、息子にきいてみないと。

2021年4月28日水曜日

続・生ホタルイカのワタ

もう10年以上前の、このブログに下記のエントリを書きました。10年越しに、きょうはその続きとあいなります。


生ホタルイカのワタ(2010年5月13日)


つい一週間ぐらい前のこと。うちの近所にある、「魚屋路(ととやみち)」という、すかいらーく系の回転寿司屋さんへ行ったら、何と、「生ほたるいか軍艦」なんてメニューが目に飛び込んできた。


冒頭の写真は、その現物。そして、下の写真は、写真付きのそのメニュー部分。(ラミネートされた写真が光っちゃってて、軍艦の海苔が見にくいです)


 いやいやいや、11年前に食べるの止めといた生ホタルイカのワタを、こうして食べる日がやって来るとは、思いもしませんでした。事前にその情報を得て「魚屋路」さんへ行った訳ではありません。いやはや、こういうことって、突然やって来るんですね。


ワタ、しっかり入ってました。トロッとした甘いアオリイカ、白イカのお刺身もおいしいが、ワタと一緒に食べるイカは、やっぱりおいしい。塩辛がその典型だが、ホタルイカのように、コンパクトにまとまってるのは、そこに一つの宇宙があるようで、また格別だ。また、この軍艦の他に、シャリのない、「おつまみ(刺身)」というメニューもあったのだが、やや興奮気味だった私は、最初に目に入った軍艦のメニューを見て、即注文してしまいました。もっと冷静だったら、「おつまみ」の方を注文したと思います。


さて、11年前のエントリでも書いてるが、こうしてワタも生で食べるにあたっては、大事なことがあります。上のメニューの方の写真の右下あたりに、小さな文字で書いてある但し書きが読めるでしょうか。(画像をクリックすると拡大します)


「※生ほたるいかは凍結処理済みです」


このメニューを見た際、私はこの但し書きを探しました。(すぐ見つけたけど)

11年前のエントリでも記したとおり、「マイナス30℃以下で四日間以上の冷凍」が必要なのだ。その意味で、この但し書きがなければ、食べなかったかも知れない。お店の人に、「ちゃんと冷凍してますか?」ともききにくいし。ワタ入りの生ホタルイカをこの時期のメニューに加えることはもちろん、この但し書きまで配慮してくれている「魚屋路」さんは偉いです。


生ホタルイカをワタごと食したい人は、いざ「魚屋路」へ。

5月中旬頃までだろうか。(未確認)

2021年3月22日月曜日

塩の保存方法と容器(その2)


 「塩の保存方法と容器」というタイトルのエントリを、去年2020年11月2日付けで書きました。きょうは、それにまつわる最新情報をと思って書きます。


去年11月のそのエントリでは、我が家で使っている容器を2つ紹介していますが、それを書いた後、気がかりだったのは、「今も、その容器を(苦労なく)入手出来るものなのか?」ということでした。2つとも、決して高価なものではないものの、10年ぐらい前に、ネットではなく結構ローカルな実店舗で入手したものだったからです。


それでつい昨日のこと。我が家の近所(東京・昭島市)にあるダイソーへ行ったら、「これは塩の容器にピッタリだ」というものがあったので、最新情報として紹介したいと思います。それが、冒頭の写真。そのダイソーには、1〜2ヶ月に一度ぐらいは行ってて、初めて見たので、おそらく新製品なんではないかと思います。


透けるガラス製品を店舗の棚で撮ったので、ちょっと見にくいですが、4つのサイズがあります。私は真ん中の2つを買いました。つまり、4つのうち二番目に小さいのを【石窯 焼き塩】用として。サイズは、約65mm(直径)×約75mm(高さ)。また、二番目に大きいのを【石臼挽き】用として。サイズは、約100mm(直径)×約80mm。価格は、4つのうち大きい方の2つが各200円、小さい方の2つが各100円。塩の容器として、これらが優れている点は、下記の3点です。


1.金属が使われていないこと。(フタは竹製)

2.フタが適度に気密性があること。(緩めのパッキン付き)

3.大きさが手頃なこと。


詳しくは、去年のエントリを読んで頂くとして、上記のうち、3の大きさについては、使う人の都合になるのだが、1と2、特に2の「適度な気密性」というのがなかなかないのです。しっかりした気密性のある容器は数あれど、それらは大概、開け閉めがしにくいというジレンマがあるので、「適度」という点は重要です。フタの開け閉めがしやすく(ストレスなく)、かつある程度の気密性が期待出来るという線です。それがこれらの容器はちょうどいいということです。


塩の容器でお悩みの方は、近日中にダイソーへ行くと、見つかるかも知れません。

2021年2月16日火曜日

今年の「素人なりのベストなドブロク」


毎年作っているドブロクで、中心になる材料は、無論、米(掛け米)だ。その米は、ここ数年、知人が栽培しているイセヒカリにしている。一般的に酒用の米は、粒内部のデンプン質が多めの米が適しているのだが、食用米の中でイセヒカリは若干酒用の米に近いと感じていること。そしてそのイセヒカリは直接知っている人が無農薬で作っているということがそれを使う理由だ。そこで昨年秋、その知人に「今年もよろしくね〜」と連絡を取ると、何と「今年は、イノシシにやられてほとんど全滅。自分ちで食べる程度しか残ってない」とのことで、そのイセヒカリはボツになってしまった。

そうして意気消沈しているところに、このCovid-19。人様に上げることも考えていたので、何となく、(自分のためだけなら)「今年はやめとこうか」という気分になってしまった。いつもは、だいたい年明けから仕込みを始めて、2月初めに完成というスケジュール。それが一番安定した低温の一ヶ月という意味でベストと思っていたが、年が明けてもやる気が起こらず時間が過ぎた。でも、毎年やっていることを、いざやらなくなってみると、何とも言えぬ寂しさのようなものがフツフツと湧いてきた。


ん〜、どーしよー・・・・、ん、やっぱりやろう。


となったのが、1月も半ばを過ぎた頃。そこから、材料を手配し始め、今月初旬から仕込みスタート。三段仕込みの留め添えを終えた。あとは、三週間の発酵を待つ。


冒頭の動画は、その一昨日の日曜日、仕込みが終わって、自作の泡切り器をセットしたところ。いつもは仕込みが終わって一週間後ぐらいから、様子を見ながら泡切り器をセットしていたが、今年は一ヶ月遅れの仕込みなので、すぐにでも気温が高くなる日がやってくるかも知れない。そんな日は一気に発酵が進んで、ボコボコとモロミが瓶からあふれ出るから、いつも以上に気を使う。


何でもベストでなくても、「人間万事塞翁が馬」と言うし、これでどうなるのかの経験になる。(=新しいデータになる)


このブログで再三、ドブロクに触れてきたので、何度も書いているが、私が目指すところは、「素人なりのベストなドブロク」だ。材料は、米(掛け米)・米麹・酵母・水(プラス乳酸菌)と表向きはプロの酒蔵さんと変わりないが、素人は、酒蔵さんが使う材料と同じものを何一つ使えない。


酒米は通常手に入らないだろう。ただし一度だけ(15年ぐらい前)、とある酒蔵さんから山田錦を送ってもらって作ったことがあるが、雑味がグッと減った記憶がある。


酒用の麹はもちろん、その種菌(黄麹)も、通常は手に入らないし、我が家に麹室もない。ときどき段ボール箱で簡易的な室(ムロ)をこしらえて麹を培養する人がいるが、面倒と感じてしまう。一度だけ、(上記とは別の)とある酒蔵さんから酒用黄麹の種菌をもらったことがあり、ホットカーペットを使って自分で培養して使ったことがあった。もう20年ぐらい前のことなので記憶が曖昧だが、何とかそれなりに出来上がったものの、えらい大変だった記憶がある。


酵母菌は、通常、酒蔵さんは、協会酵母(7号、9号等々)と言われるアンプルなどに入った純水培養された酵母菌を使うが、酒税法上、素人は入手出来ない。


水は省略するが、乳酸菌は、お酒の原材料名に載ってないが、使うことが多いと聞いたことがある。これも酒用があるのだと思う。発酵の初期段階で、雑菌の繁殖を防ぐのが目的だ。


材料だけでなく、当然ながら、設備も一般家庭にある程度のものしか使わない。麹室や空調、タンクはもちろん、搾り器などの設備もない。


ここでね。「ない、ない、ない」と、嘆くのではなく、「じゃあ、普通に誰でも(合法的に)入手出来る材料だけで、家庭にある設備だけで、その条件の下でのベストを試行錯誤してみようじゃないか」というのが私のドブロク作りだ。だから、毎年少しずつ、材料、配合、工程などを変えている。(販売は致しません、念のため)


今年使用の原材料は下記。


米(掛け米):キヌムスメ(鳥取産)コシヒカリの孫かひ孫ぐらいの品種。

麹米:有機白米麹(マルカワ味噌)珍しい蔵付きの麹菌。

酵母:十二六(武重本家酒造)非加熱の濁り酒。ここに生きてる酵母菌を使わせてもらう。

水:東京都昭島市の水道水(一日放置後に使用)100%地下水、最低限の塩素。

乳酸菌:自然発酵乳酸菌(ウエダ家)とマイグルト生酛造り(片山)を併用


前にもこのブログで書いたような記憶があるが、市販のおいしいお酒よりおいしくないと思う。(当たり前ですが) しかし、市販のおいしくないお酒よりはおいしいと思う。

こうして年に一度きりだが、自分なりにドブロクを仕込むことで、「あー、酒蔵さんはいろんなことを意図し、様々なことを考えながら作っているんだなー。スゴいなー」ということを肌で感じることが出来る。つまりは、市販のおいしいお酒を呑んだとき、それを作った酒蔵さんへの敬意の念を、心から向けることが出来るのです。それが私の「素人なりのベストなドブロク」の目的であります。


さー、今年はどんなふうになるかなー。完成予定の3月初め頃まで、何とか最高気温20℃以下が続いてくれるといいのだけど・・・・。いやいや、20℃以上になったらなったで「人間万事塞翁が馬」だった。

自家製・紅はるかの干し芋

 

うちのカミさんのお母さん(鳥取在住)が作る、干し芋がすこぶるうまい。「今年はこれが最後」とつい先日送られて来たのの昨日食べた分が冒頭の写真です。品種は紅はるか。干し芋の場合、安納芋より濃厚でおいしいらしい。私は、焼き芋やふかした芋はあまり得意ではないのだが、不思議と干し芋になると好物になる。例えば、焼き芋を酒の肴にしたいとは思わないが、干し芋だと、かなりイケる。


昔、私が子供の頃(およそ50年前)、干し芋はお袋の好物だったせいで、お菓子代わりによく食べた。外見は真っ白に粉吹いていて、スルメのように硬かった。だから、ストーブなんかで軽く炙って柔らかくして、熱いうちに食べたものだ。たしかほとんどが茨城産だったと記憶している。


しかし、そんな干し芋はすっかり姿を消した。最近の干し芋は、すっかりネットリ系に変わっている。その中心にいるのが、紅はるかではないかと思う。


ところでこの冬、仕事場で、焼き芋が流行っている。無水鍋のようなもので、弱火で紅はるかを焼くのだが、先述のとおり、私は焼き芋をあまり得意としてないので、お印程度に頂く。それでもあまりにしばしば焼き芋が登場するので、よくきいたら、紅はるかを箱買いしているという。「それなら、その一部を、たまには干し芋にしてみない?」と誘うと、のってきてくれた。


早速カミさんのお母さんに秘伝の作り方をきいた。お母さんは、無論、干し芋好き。しかし、ただの干し芋好きではない。農家ということもあり、自分の畑で紅はるか育て、さらにいかにおいしい干し芋するかを試行錯誤して今に至るのだから、スゴイの一言です。


さて、コツが2つある。

ひとつは、時間をかけて蒸すこと。その時間、およそ60分。

もうひとつは、日陰に干すこと。


早ければ、20分程度で食べられるぐらいに蒸されるが、そこをあえて60分蒸し続ける。だから水分が多めになって蒸し上がる。また、日陰に干すと、ゆっくり干し上がる。日なたに干すと早く干せるが、表面の乾燥が早くなり、内部との差が生じるのだ。つまり長めに蒸して水分が多めになってるネットリ系の紅はるかを、日陰でゆっくり干すことで、表面と内部の乾燥度にあまり差を生じさせない。すると、全体的にちょうどいい固さ(柔らかさ)に仕上がり、濃縮された旨味がたまらないという寸法だ。干す時間は、無論天候(湿度・温度・風)によるが、早くて4日、遅くて一週間程度。自分がちょうどいいと思う程度に干せたところで、ジップロックやタッパーに入れて乾燥を止める。


あと、ちなみに、皮は蒸す前の生芋の状態のときに、ピーラーで剥く。蒸し上がってから薄皮を剥いてもいいが、薄皮の下が(食パンの耳のように)やや固くなる。それも悪くないが、そこはお好みで。蒸した芋を切る際は、やや厚めに。乾燥すると半分近くに薄くなる。干すのは、下の写真のような、最近よく見かける、干しネットが便利だ。


また試しに一度仕事場で、紅はるかの焼き芋を切って干し芋にしてみたが、焼いたときの酸味が残るのがやや気になった。焼き芋は焼き芋のままがきっといい。やはり蒸した芋の方が干し芋に適していると思う。

もうそろそろ、紅はるかの季節も終わってしまうが、同じ芋でも、干し芋は、焼き芋・蒸し芋とは別世界。市販品もあるが、自分で作った方が安いし、干してる途中でちょいちょいつまみ食いしながら、自分好みの干し加減を味わうこともできますよー。

2021年2月8日月曜日

Oceanrichとダイソーの手挽きミル


冒頭の写真は、現在私が使っているコーヒーミル。なぜか名前が、oceanrich。
Amazonで、だいたい6,000円。東急ハンズ(東京・立川)でも売っていた。

うまいコーヒーを自宅で飲みたいとなると、コーヒーミルが一番の問題ではないだろうか。好き者の方々は焙煎まで自分でするが、それは自家焙煎屋さんに任すとすれば、ドリッパーは、そんなに高くもないし、場所もとらないので、不自由ない。私の基準では、焙煎後、一ヶ月以内の豆を、挽いたその日のうちに落としたいと思っている。そのためには、ミルが必要になる。

一番いいのは、よくコーヒー屋さんが使ってる、金属のカッター式だ。これは明らかに均一性が高い。しかし、デカくてガサ張る。やや小さいのもあるが、狭い我が家に鎮座する場所はない。そうなると、大概は、コンパクトなセラミックまたは金属のコニカル臼式ということなんだと思うが、ほとんどが手動だ。「手動が一番」という人もいるが、私にはあまりに面倒だ。

そういった諸々の事情で、セラミックのコニカル臼式で電動、そして500mlのペットボトルサイズというコンパクトさの、このコーヒーミルに至っている。

最初に、このミルを褒めよう。

臼はセラミック製なので、臼ごと水洗い出来て、お手入れ簡単。電動(USB充電式)なので、スイッチオンの後は、放っておけるから、朝の忙しい時間も楽チン。センサーがついていて、全ての豆を挽き終わると自動でストップする点も実に便利(しばしば豆が3粒ぐらい残ったままストップするが)。また、コーヒー挽く音はうるさいものだが、充電式のペットボトルサイズだから、うるさくてもいい場所に持って行けば解決しちゃう。細かさ(粗さ)の調整は、(やや細かい方に寄り気味ながら)5段階あって、一応エスプレッソからフレンチプレスまで対応。一度に挽けるMAX量は、およそ20g。我が家では十分な量。電動だから、2回挽くのも苦にならない。

次に、悪口。

最も気になる難点は、挽き上がりの均一性だ。
まあまあとも言えるが、もう少し均一にならないものか、と思う。
そのための要素は2つと思っている。
ひとつは、臼の材質の問題。
もう一つは臼の形や隙間など、作りの精度の問題。
6,000円という値段からして、材質は高望み出来ないのだが、このoceanrichのコニカル型の臼の隙間が気になる。(下の写真)

5段階で、この隙間が広がったり狭くなったりするのだが、臼が回ると、隙間が広めのところと狭めのところがあって、気になる。0.1-0.2mmぐらいの差なのだが、もっとこの隙間を厳密に一定にしてもらいたかった。そういった精度の問題も値段のうちと言えばそれまでだが・・・・。6,000円なので、これ以上文句は言えない。

さて、このエントリーを書こうと思ったのは、こっから先の話を書きたかったからだ。

実は、半年か一年前、amazonでこのoceanrichを買う際、レビューのひとつに「この臼は、ダイソーの手挽きコーヒーミルと共通」という話があった。「へぇ〜」と思いながら早速近所のダイソーへ行ったら、売ってなかった。店員さんにきいても分からない。

そして、今から2週間ぐらい前、たまたま同じダイソーへ行ったら、手動式のコーヒーミルが目に付いた。「あ、あった。これだ」。(下の写真)
2つを並べてみよう。
両方とも大ざっぱには3つのパーツから出来ている。右の電動oceanrichは、上から、モーター部分→臼部分→挽いたコーヒー受け容器(ガラス製)部分。左のダイソーの手動ミルは、手回し部分→臼部分→挽いたコーヒーの受け容器(ガラス製)部分。それらの真ん中の「臼部分」が全く同じものだった。

楽観的な私は、想像した。

臼の隙間は製造の精度の問題なので、バラツキがあるハズだ。例えば、10個に1個は偶発的に隙間が一定のものがある可能性があると。棚に2つあったこの手動ミルの外箱を、店員さんに頼んで開けてもらい、臼の隙間をチェックした後、1つを買った。税込み550円。この値段ならその可能性を試せる。

元々は電動のoceanrichの臼部分(右側)と、ダイソーの手動ミルの臼部分(左側)をひっくり返して並べてみる。

全く同じ工業製品なのだが、やはり2つの臼の隙間は微妙に異なるように見えた。さあ、実際に挽いてみよう。2つの臼で挽き比べ。その差は若干ながら、元々のoceanrichの臼の方が、均一性が高かった。ダイソーで550円で買ったのは失敗だったということと同時に、バラツキ(個体差)があることも分かった。

もうひとつ、ダイソーで買ってみるかな。面倒くさがらずに、手動のコンパクトなミルを買うかな。はたまた、今の借家を引っ越して、カッター式の電動ミルが置けるような家に住み替えるかな。

コーヒーミルには悩みが尽きない。

2021年1月18日月曜日

フランス・クリダと玉三郎

 私は、エリック・サティが好きだが、そのピアノは、フランス・クリダのが好きだ。他のピアニストの録音を聞くと違和感を覚えるほど、私の中では、断然フランス・クリダ。全体的にメローで控えめな演奏に聞こえるが、「ココ」というところで「強さ」がキラッと光ると感じる。つまり私の中では、彼女が最もエリック・サティを理解しているように感じるということだ。


もう35年から40年ぐらい前の話だが、歌舞伎座へ坂東玉三郎の舞だけの幕を一幕見したことがあった。狂言の名は覚えていない。今もそうだが、当時も歌舞伎に詳しい訳でもなく、「坂東玉三郎の舞」というだけで、「一回、見てみたい」と思い、30分ぐらいのその一幕を観た。・・・・感動した。「こんな世界があるのか」と度肝を抜かれた。玉三郎が黒地に部分的に派手な柄が入った着物を着て、花道の半分辺りのところでずっと舞っていた。ただただ一人で舞い続けた。一幕見だから舞台まで遠いのだが、花道の半分ぐらいだと、本舞台よりずっと見やすい。私は若い頃、歌舞伎を10回ぐらい観に行ったが、全て一幕見。だから、舞台や花道を観る角度も一幕見席からの角度しかなかったはずなのだが、どういう訳か、その舞は、その花道のすぐ下から見上げた角度の記憶になっていて、指先の細かな動きまで含めたものだ。どー考えても間違った記憶なのだけど。何しろ、当時二十歳そこそこの私が、「女性の美しさとはこういうものなんだ」と、目を奪われ、心を鷲づかみにされた記憶が残っている。


つい先日、フランス・クリダのピアノのエリック・サティを聞いていたとき、ふとあのときの玉三郎の舞を思い出した。何でだろう? と自分に問いかけた。おそらく、両者は、性別を跨いで、その繊細さを表現しているところが共通しているんだと思った。


エリック・サティという男性の繊細さを、女性のフランス・クリダがピアノで表現する。

男性の坂東玉三郎が、女性の繊細さを舞で表現する。


「性別を跨ぐ」という言葉を使ったが、それはどこかぎこちなく、跨いではいない。女性の中の男性性(だんせいせい)、そして男性の中の女性性(じょせいせい)という気もしなくもないが、生物としての性別と人間の性質は異なるのだ。その繊細さは性別がない世界なのだろう。私にはそんな表現をすることは難しいが、何となくそれを感じることは出来る。そして、それは目映いほどに美しい。