2009年7月27日月曜日

本当の紅生姜


始めて10年ぐらいか、私は毎年梅干しを仕込んでいる。今年も梅雨が明けたので、そろそろと土用干しのタイミングを見計らっているところだ。きょうもそうだが、最近は、東京にも熱帯のスコールのような雨が降ることが多く、このタイミングがなかなか難しい。

それはそれとしてです。毎年のことだが、梅干しの副産物として梅酢が出来る。この梅酢、私の場合、案外余る。「1年のうちに使えばいいや」と棚の奥にしまい込むと、1年たって半分以上残ってたりしてる。

考えてみると、使い道はたくさんある。サラダのドレッシング、餃子のタレ、青魚の煮付け(焼き青魚にかけても)、マリネ・漬物の液などなど。それでも、結構余る。それで「カンホアの塩」のサイトでは、「赤梅酢ご飯」というのを紹介している。これはかなりオススメだが、今年から紅生姜も作り始めた。

作り方という程のことなく、そのまま漬けてもそれなりに出来る。生姜の皮の汚れを洗って、薄くスライスし、梅酢に漬ける。1週間後ぐらいから(薄)紅生姜。それが上の写真。漬かったスライスをガリのようにそのまま使ってもいいし、さらに細切りにすれば、よくあるスタイルになる。

もっと色や味を濃くしたければ、(塩もみした)赤シソの葉を足したり、スライスした生姜を一度干して梅酢の染み込みをよくしたり、(ちょっともったいないけど)途中で梅酢を入れ替えたりするといいみたいだ。また、漬ける前の梅酢をあらかじめ天日に干しすなどして濃くしておいても当然色・味ともに濃くなる。まだ始めたばかりなので、これからいろいろやってみようと思っているところだが、「ただ漬けただけ」の上の写真のものでも、その価値は十分に感じられる。

普段、赤色○号の真っ赤な紅生姜を食べてる人がこれを食べると「紅生姜って本当はこういうものだったんだ」と驚くんじゃないかな。生姜自体の存在感がグッとあって、サッパリさ加減が何ともナチュラル。焼きそば、たこ焼き、お弁当のご飯の添え物。脇役ながら、一度食べると、「紅生姜はこうでなくちゃ」という気持ちになる。

でも、縁日の焼きそばに添えられたあの真っ赤な紅生姜。それを箸でどかすと出現する、赤く染まった茶褐色の焼きそば。コイツに特別なものを感じるのは私だけだろうか。最近はあまり見なくなったが、揚げ玉(関西では天かす)なんかも入ってコッテリの焼きそばの赤く染まったところなんかそそられるものがある。それはそれでたまらない。

でもね。歳を取ったせいかな。そんな「油ギットリに強烈なサッパリ」、というよりは、「程よい油や旨味に添えるサッパリ」って感じの方がおいしいく感じてしまう。そのために、この本当の紅生姜は名脇役として欠かせない。なかなか売ってもいないし。焼き魚、お好み焼き、たこ焼き、チャーハン、豚骨ラーメン・・・・。使い道は完全に梅酢単品を上回る。冷蔵庫にいつもあって欲しい。日持ちもするし。この紅生姜漬けがキッカケになって、「梅酢欲しさに梅干し作る」なんて日が来るかな。

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2009年7月17日金曜日

新型・冷却ミスト


写真は、一昨日(7/15)の夕刊(東京新聞)の一面の記事。
天井にはうパイプからミスト(霧)状になった水が噴霧されている。記事を一部引用すると、

「装置は微細な水の粒で人工的に霧を発生させ、気化熱を利用して噴霧エリア周辺の気温を2〜3度下げる効果がある。気温が28度以上、湿度が70%未満などの条件で自動的に噴霧。一般のエアコンの消費電力の20分の1のエネルギーで動き、環境にも優しい冷却システムだ。」

とある。また、

「(練馬)区によると、都内23区の自治体がこの装置を常設したのは初めて。」

ともある。
私の知る限り、東京では吉祥寺の某デパートのエントランスにも同様の装置がある。これのいいところは、エアコンと違い、閉ざした空間でなくても使えること。もちろん、この記事にもありとおり、エネルギーの消費量が少なく、冷えすぎる心配もないのもいい。

と、ここまでは普通の話。
だが、私はこの記事とその写真を見て個人的にほくそ笑んだ。

ジャーン! これはただの扇風機ではありませーん。写真では分かりにくいかも知れないが、ミストを噴霧している。分かりますか? この写真は、ベトナムのとあるレストランで、今年5月に携帯のカメラで撮ったもの。ベトナム式冷却ミストである。新しいから撮ったのではない。ベトナムではさほど珍しいものではなく、何年も前から普通にある。このときは「ベトナムっぽくておもしろいなぁ」と思って撮った。

黄色いチューブが水道に繋がっていて、途中にバルブのスイッチがある。チューブの先は扇風機の前面についてて、その先っちょにはスプレーの先のようなものが付いてて、水圧で噴霧するようになっている。そしてそのミストは、扇風機の風で2〜3メートル飛ばされている。扇風機の下にある水色のボードは、間違っても水滴がその下にあるお客さんの頭にたれないためのもの。おまけに付け加えると、ややアンティーク感漂った扇風機自体のデザインも悪くない。

日本のようにこれは、「気温何℃・湿度何%で」と自動制御はもちろんされてはおらず、扇風機とともに手動でオン・オフ。でも、「水の蒸発による気化熱を使った冷却器」という点は練馬駅前のと同じだ。これが意外と涼しい。このレストランは、客席の3分の1ぐらいは風通しのいい半屋外(横壁なし)にあり、その各テーブルの上にこれが設置されている。

このベトナム式旧型冷却ミストなら、扇風機に毛が生えたようなもの。大げさなことはない。夏場は暑すぎるオープンカフェなんかにちょうどいいと思うし、個人でも買えるに違いない。どっかの日本の電機メーカーさん、商品化しないかな?

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2009年7月2日木曜日

ベトナムの銀行で


きょうは食べ物の話ではない。銭の話、大げさには経済の話。

先月のベトナムでのこと。手持ちの米ドルを現地通貨であるベトナム・ドン(VND)に両替しようと銀行に行った。待たないで済むようにと、(外国人など)両替をする人はいなそうな銀行に入った。そこの両替の窓口へ行ったら、思いの外、混んでいた。5〜6人待ってたか。ただ外国人らしき人は一人もいなくて、みんな地元らしき人々。番号札もなく、列を作るでもない。その人たちは手に何枚かの札(さつ)を握りしめて片ひじをカウンターについたりして、ややイライラしながら順番を待っている。私のような両替が目的ではなさそうだった。馬券を買う窓口ってこんな雰囲気かなぁ〜、とも思った。

その人たちに混じり、何となく順番を待っていた私。「いつになったら自分の番が来るのかな〜」と思っていたら、窓口のお姉さんはその5〜6人の順番をちゃんと覚えていて、正しい順番で声を掛けられた。ん〜、さすがベトナム・・・と、今回はそういう話ではない。

待ってた間、この人たちは何をしにこの窓口に来てるのか、ここは(両替の他)何の窓口なのかと、当然気になった。そして窓口の脇にあった小さな張り紙を見て分かった。それが上の写真。定期預金の金利表である。2009年4月17日の13時の日付が見える。このレートの開始日だろう。

縦に数字が4列並んでいるが、左からベトナム・ドン(VND)の年利と月利、3列目がUSD(米ドル)、4列目がEUR(ユーロ)だ。外貨預金が出来る。そして、横列は、“1 TUAN”が1週間、“12 THANG”が12ヶ月。そして驚くべきは、その数字。一番低いユーロで、1年ものの年利0.9%、米ドルで2.00%、そしてVNDに至っては何と8.00%。私はこの手の話題に疎いが、1年預けての8%がメチャクチャ高いことぐらいは分かる。(ちなみに日本はと、ちょっとネットで調べてみると、今の都市銀行の定期は、年利0.2%から0.3%ぐらいのようだ) もちろん米ドルやユーロと比べ、VNDが著しく高いのは、そのインフレ度合いが反映されているのだろう。疎いので詳しくは分からないが、米ドルとユーロでも倍以上違う。何しろ一番低いユーロだって、日本での日本円の4倍近いのだ。これをある税理士に話したら、「金の借り手が多いのでは」とのこと。なるほど。そしてもちろん現地通貨であるVNDは、8%なのだから、預金するのは当然とも言える。それでこの窓口で順番を待ってる人たちは、「小銭が貯まると預金」を繰り返しているという訳だ。後でこのことをベトナムの知人に話したら、「あ〜、最近はそういう(セコい)ヤツもいるな〜」と言っていた。でも、何となくそのセコさが憎めない。

ここはニャチャンという町で、ベトナムでも南部に属する。南部の人はよく言えば、おおらか。例えば、友達同士10人でカフェにコーヒーを飲みに行ったとする。払いはだいたい一人がする。割り勘はあり得ない。必ず同じメンバーで再びコーヒーを飲む保証はもちろんないが、何となく「きょうは私が」となり、それが続く。ルールがあるようなないような。しかし例えば「最近アイツの子供は病気で金がかかってる」とかは暗黙のうちに配慮されるだろう。この習慣は、私のような比較的金を持っていそうな人間が混じっていても変わらない。だから、私も様子をみながら、たまに払う。他の国・地域と同じように、ところ変われば経済感覚も変わる。

ベトナムは今、景気がとてもいい。さっきの高い金利の話でも、金の借り手と預け手の両方が多く、金がどんどん動いているのかも知れない。町を歩いていても、建設中の建物がいっぱいなのは誰でも分かる。人件費・物価もバンバン上がっている。「バブルがはじける前だからね」と言う人も少なくないが、これがもう10年続いてる。ベトナムは、タイ国に追いつこうとしている。バンコクへ買い物に行くのは、ちょうど日本人が30〜40年前にハワイに買い物に行くような、ひとつの「憧れ」だ。見ていて「憧れ」を持つことはいいことだし、羨ましいとさえ思う。それは謙虚さなしには持てない気がするから。そんな人たちの経済は今後どうなっていくんだろうと、銀行を後にしながら考えた。

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