2012年12月26日水曜日

暮れの銀杏処理


先週末、久しぶりに銀杏の処理をした。20年ぶりぐらいだ。

私が住む「東京都の木」ってのはイチョウというだけあって、季節になると近所の公園には銀杏が山ほど落ちてる。風の強い日の翌日など、「あ〜、でっかいのがいっぱい落ちてるな〜」と横目で見ながら踏んづけないように通り過ぎることはあっても、拾うことはなかった、銀杏は好物にも関わらず・・・・。無論、処理が面倒だからだ。

ところが、先日、その公園に遊びに行ってた8歳の娘が、興奮気味に息を切らして家へ帰って来た。

「袋ちょうだい!」
「どうしたの?」
「銀杏拾ってるおばさんから、一緒に拾わない?って言われたの。いっぱいあるから私も拾おうと思って」
「そっかー、分かった」

この時点で、私が20年ぶりに銀杏の処理をすることが概ね決まったと言っていい。1時間後、彼女が抱えてきたレジ袋には、バケツ一杯ほどの銀杏がギッシリ。サイズも結構でっかい。「ん、これだけ粒ぞろいならやる価値あり」と、腹をくくった。

その2週間後の先週末、暮れの掃除や年賀状書きと気ぜわしい休日だったが、天気がよかったので、ふと空いた時間に意を決してゴム手袋を買いに走った。

ゴム手袋をした手で、外皮から種の銀杏をひとつずつプルッと出していく。大きなポリ袋をかぶせたバケツにぬるま湯を入れ、そこにひとつずつポチャン、ポチャン・・・・。いい天気とはいえ、その音が、北風の中で小さく響き、だんだんと寂しい気分に浸っていく。縁側から窓越しに暖かい部屋で子供たちが友だちを連れてきて遊んでいるのが見える。最初の30分は、「いつになったら終わるんだろう?」と不安になった。

ギッシリと銀杏が入ったレジ袋の上の方は確かにでっかいのばかりだったが、その下は小さいのが結構混じってた。一緒に拾ってたおばさんに、最後にでっかいのを入れてもらったらしい。せっかくのおばさんのご厚意だったが、上げ底みたいでちょっと騙された気分にもなった。2〜3度の小休止を入れ、黙々と2時間半。「銀杏去って、また銀杏だな」なんて言葉が出始めた頃、やっと種を全部出し終えた。バケツの湯を替えながらザバザバ洗い、ザルで干した。それが冒頭の写真。

どんなに忙しくたって、どんなに急いだって、どんなことでも、ひとつずつ。ステップ・バイ・ステップ。ワン・バイ・ワン。それでしか物事は進まない。

正月は銀杏食べよっと。

2012年12月18日火曜日

おでんの東西


昔、京都で暮らしていたとき、揚げた練り物を「天ぷら」と呼ぶのを初めて知った。そして関東で言う「おでん」のことを「関東煮(かんとうだき)」と呼ぶことも。当初、東京出身の私は、それらの意味が全く分からなかったし、意味を知ってからも違和感を持った記憶がある。

さて、うちのカミさんは、鳥取の出身。彼女の親御さんも鳥取。そして私は東京。私の親は、長野と秋田だ。まぁ、大きく分けて、カミさんは西日本の人間で、私は東日本の人間だ。こんな組み合わせの場合、おでんの鍋をつつきながらの話題は事欠かない。

まずはそのつゆ。

「最近は東京のおでん屋さんでも、こーゆー薄口醤油っぽくて昆布だしが効いた関西系のつゆの店が増えたよね。醤油の濃いのより、オレはこういう方が好きだよ」

「立ち食いのうどんもそうだけど、醤油の濃いつゆだと具に色が付いて汚れた感じじゃない? こっち(東京)の感覚って、全く理解出来ないわ」

「東京の立ち食い蕎麦屋のうどんのつゆはね、蕎麦のためのものなんだよ。蕎麦を頼む人の方が断然多いからね。限られたスペースで、2種類のつゆを仕込むのは大変なんだ。それにね。おでんはまた別だな。醤油の色が奥の方まで染み込んだ卵や大根を好むのさ。だからあの色は汚れというよりアメ色と表現して欲しいな。濃口醤油があんまり主張するのは確かにジャンクなところがあるけど、あの色には(煮込んだ)時間が表れているんだ。つまり『じっくり煮込まれた』時間を感じながら食べる。そーゆーこと」

おでんの東西の違いはつゆだけはない。

「だいたいアタシ東京来て初めて知ったけど、こっちで言うスジっていうのがあるでしょ? なんか練り物みたいの。これも信じられない。おでんでスジっていったら、牛スジに決まってるじゃない」

「んー、そーだな。スジ、最近ほんとんど見ないな。子供の頃、おでん屋さんでよく食べたんだけど。ちょっと魚の骨っぽさが残った練り物だったな。だいたい斜めにスライスされておでん種になってた。オレもあれを何でスジって呼ぶのか子供心に不思議に思ってた。でも言葉からして、東京のスジは、牛スジの代用品だったかも知れないな。つみれと似てるけど、つみれよりちょっと肉っぽさがあったような記憶があるから。牛スジじゃないけど、あれはあれでおいしかったよ」

「おっとー、きょうも里芋かー。おでんの芋つったらやっぱジャガイモでしょ〜。メークインじゃなくて、男爵系ね。」

「何言ってんのよ。おでんで芋と言えば、絶対里芋よー。この食感がいいじゃないのー」

「オレ、里芋は好物だよ。ただ、おでんの里芋はオレにとって新感覚よ。ジャガイモとは違うもの。ジャガイモに箸入れて切ると、ふわっ〜とジャガイモの香りが立ち上るのさ。それから煮崩れたジャガイモの破片がつゆに溶けかけたところにカラシを少し溶かして、一緒にズルズル吸うのもまたオツなものさ」

「きょうはチクワブ入れたから。でも、なんでちくわという立派なおでん種があるのに、わざわざニセモノ使うんだろうね。ちくわの麩という意味だろうけど、麩じゃなくてうどん粉の固まりじゃないの」

「え〜、それはチクワブに対して失礼だなー。チクワブはちくわのニセモノではないんだよ。落語の『時蕎麦』では、そんな風に語る噺家さんもいるけど、このちくわに似せた形には意味があるのさ。穴開けたり周りを波打たせたりしてその表面積を稼いでいるんだ。そうしてつゆの味を染みこみやすくしているのさ。あとこの形にはちょっとした洒落っ気もあると思うけどね。だからオレはさ、チクワブをこうして円柱状に輪切りにするんじゃなくて、斜(ハス)に切ってもらいたいんだよなー。そうすると、先っちょが薄くて段々厚くなるでしょ。つまり、ちょっと反り返った先っちょにはしっかりつゆが染み込んでて、厚くなるにつれて段々すいとんのようなモッチリした小麦のおいしさにグラデーションで変わっていくのだよー。分かるかなー」

「あれー、はんぺんないじゃん」

「あーあの、白くてフワフワしてるやつね。東京では入れるみたいねぇ〜」

こうして私は批判を受けると文句を交えながら言い訳もする。「ガタガタ言わずに黙って食え」と言われればそれまでだが、これらの違いは面白い。そんなあんなで、おでんの鍋をつつきながら、「まっ、文化が違うんだなー」ということになるのだけど、大事なことは、異文化を交えながら、「より旨い」と思う方向へ進むことだ。おいしさに決まり事はない。

2012年12月14日金曜日

親ガニの幸せ


あ〜、この人と結婚してよかったなとつくづく思うとき。
それは、このカニを食べてるときだ。

この時期になると毎年、彼女の郷里(鳥取)の親御さんが送ってくれる。上の写真、ズワイガニだが、子持ちのメス。鳥取では親ガニと呼ばれている。毎年11月頃解禁になる。親ガニは子持ちだから、あんまり捕りすぎちゃいけない。だから、捕っていい時期がオス以上に限られている。

高級なズワイガニはだいたいがオス。オスはデカいから、食べるところがたくさんあるし、何せ身がおいしい。高価で人気者だから全国に出荷される。一方、小さく身が少ないメスは主に地元で食べられるというわけだ。上の写真の親ガニは、甲羅の幅約10センチぐらい。これでも大きな方だ。身のボリューム・おいしさはオスに劣るものの、この親ガニの卵がとても旨い。酢におろし生姜を加えたタレで食します。

上の写真だとおいしさが伝わらない・・・・というワケで、下の写真。


この卵。たまんない。下手な上海蟹より旨い。下手でない(おいしい)上海蟹、エガニのような泥ガニ系に比べ、濃厚さではやや劣るが、何て言うか、うま味の濃厚さがちょうどよく、心地よいおいしさなのだ。

うちのカミさんは子供の頃、この時期、親ガニをおやつで食べてたというから、驚かされる。おやつなんてものは、例えばドーナツだと、「え〜、まーたおやつドーナツなの〜」「そんなこと言うなら、おやつなしにするわよ」なんて会話があるが、「え〜、まーた親ガニなの〜」なんて言ってたのだろうか。ところ変われば感覚もずいぶん変わる。そんなワケだから、足も含め殻を剥きながら食べる早さといったら、まるで精密機械だ。その点、私はペーペーなので、写真にも映っている、いわゆる「蟹スプーン」を駆使する。これを使うとカミさんにバカにされるが、なんのその。ただ黙々と食す。

でも最近は、ときどき「セイコガニ」「コウバコガニ」などとも呼ばれ、東京でも売られているのを見かけるようになった。鳥取でも徐々に買いにくくなってるみたいだ。こうなっちゃうと、おやつには難しいかも知れない。ただでさえ漁が限られてるズワイガニ。さらに限られている親ガニだからね。こうしてブログに書くこと自体がよくないのかも知れない。