2021年8月19日木曜日

睡蓮鉢の黒メダカ


 ここ何年か、我が家の庭先の睡蓮鉢で、黒メダカを飼っている。水生植物を寄せ植え、水でメダカを飼う。この箱庭のようなところを小さな生態系に見立てて、最近は「ビオトープ」とも呼ばれるらしい。生態系というといささか大げさだが、ボウフラは湧いたそばから、メダカに食われる。水草は光を浴びて光合成し、自分も大きくなりつつ、水中に酸素を供給し、メダカが呼吸する。また、睡蓮鉢の形は浅く広いので、外気に触れる面積が広い。空気中の酸素がある程度水に溶け込むようにも思う。

睡蓮鉢でメダカを飼う当初の理由は、ボウフラ防止のためだったが、生き物を飼うということは、そんな単純ではなかった。春から秋にかけて、メダカは産卵する。どんどん生まれてくる。そして生まれたての赤ちゃんメダカは、大人のメダカにどんどん食われる。卵も食われる。その様子を何度も観察したが、まるでサメが一瞬のうちに小魚をパクッと食べるように食べる。

一昨年、ならばと、生まれたての赤ちゃんメダカを屋外の別の大きな深い鉢に移していったら、どんどん増えて、一ヶ月もしないうちに100匹以上になった。(赤ちゃんメダカは、ボウフラを食べることは出来ないので、この鉢には、網を掛ける) どんどん増えていく小さなメダカを見ていて、「この100匹以上のメダカをこの後どうするか?」と思ったが、何と8月半ば頃には全滅していた。大人がやっと抱えられる程の大きな深い鉢の水量は多いので、水温が急激に高くならないだろうと思ってのことだったが、日陰に置かれていたものの、真夏の猛暑に耐えられなかったのか。

それならばと、去年は、3年前にもどって、睡蓮鉢の赤ちゃんメダカを移さないでおき、大人メダカに食べられるのなら、それはそれで仕方ないと腹をくくった。大人メダカに次々に食われる赤ちゃんメダカ。日陰に置かれているものの睡蓮鉢の浅く広い形ゆえに、猛暑に耐えられないメダカもいたと思う。こうした過酷な状況の中、秋になっても数匹の新生メダカが生き残った。別の大きな鉢に移しての全滅より生き残ったのは、水草が多い睡蓮鉢の居心地がよかったのだろうか。

そして、氷が張る冬を迎え、春になっても生き残っていたのは、1匹となった。今年は、この生き残った1匹に、新たに10匹のメダカを購入し、春を迎えた。

「今年は、どうしよう?」

高校生の娘に相談したら、「今年はしっかり、赤ちゃんメダカを育てよう」と言い出した。彼女曰く、

「(数年前のように)赤ちゃんメダカを、外の鉢に移すんじゃなくて、室内のブクブク(エアーポンプ)付きの水槽に移せば、暑さにやられることもなく酸素も十分よ」


産卵・孵化のピークである6月頃、11匹から8匹になった睡蓮鉢から、合計100匹以上の赤ちゃんメダカをその室内のブクブク水槽に移した。しかし、7月から8月になると、水槽のメダカはどんどん減って(死んで)いき、およそ20匹になってしまった。一昨年の屋外で大きな鉢の全滅よりはいくらか生き残ったものの、室内のブクブク水槽でも死んでいくメダカがほとんどだった。あわてて方針を変え、睡蓮鉢の新生メダカは移さないようにした。そして、睡蓮鉢の新生メダカも20匹ぐらい生きている。どうもここには私には計り知れないルールというか原理があるのだ。

自然界でのメダカは、長らく小川や池などに生息してきたはずで、小さい時分には、親を含んだ他者に食われず、天気・気温など変化する気候などのあらゆる環境に順応したメダカだけが長らく生きながらえる。そういうイメージを持った人間が、メダカを、他者に食われず、安定した天気・気温の環境に置いたからと言って、単純に多くのメダカが長らく生きながらえるようになる、ということにはならないのだ。

生存率が低く寿命も短い生物は、卵をたくさん産むことで、命を繋いでいる、という人間の理屈があるが、生存率が高く寿命も長い人間は、死をとても恐れるものだ。メダカに、その恐れの感覚はどれほどあるのだろうか? 毎朝、睡蓮鉢のメダカに餌をあげながら、その餌に飛びつくメダカや、悠々と泳いでいるメダカを5分ほど眺めるのが日課になっている。

2021年8月18日水曜日

オッサン化現象

テレビに映る、新垣結衣と吉岡里帆の区別がつかない。

松岡茉優と本田翼の区別もつかない。

そして、それにちっとも困らない。

これぞ、オッサン化現象だ。