先日、久しぶりに晩飯をすき焼きにした。牛肉を食わないカミさんは出張中。彼女は出張前に、「私のいない間にどうぞ」と、牛肉、春菊、しらたき、白い長ネギ、シメジ、木綿豆腐を冷蔵庫に用意してくれた。鳥取出身のカミさんと東京出身の私では、食の感覚が微妙に異なる。今回のすき焼きの材料はほぼ十分だが、私だったら、シメジじゃなく(汁が絡みやすく、味にややあるクセがいい)エノキ、豆腐は焼き豆腐だ。あと焼麩だが、今回は省略。
エノキはシメジで代用。そして、豆腐を手に取りながらふと考えた。
「豆腐を焼きゃあいいじゃないか」
菜種油を薄らと敷いたフッ素樹脂加工のフライパンで熱した。(冒頭の写真) 中〜弱火で熱していると、湯気を上げて水分がどんどん抜けていく。水分が一定以上残っているうちは焦げ目はつかない。何度か豆腐の面を変えながら、焼き続けること10分ぐらいだったろうか、表面が黄色くなってきた。私は、すき焼きの焼き豆腐は、煮崩れにくくするために表面に焦げ目を付けてるんだろうとずっと思っていたが、水分が抜けたその豆腐を目の前にして、「あー、こうして水分を抜くのもの目的なんじゃないか」とふと思った。今回焼麩は省略したが、あそこまで染み込ませないまでも、ある程度染み込むぐらいが、またうまいんじゃないかと。そして、焦げ目はそこそこに、豆腐を焼き終えた。
私は、東京・深川出身だが、その界隈に昔からある、蹴飛ばし(桜鍋屋さん)や山鯨(イノシシ鍋屋さん)の割り下ベースの鍋の豆腐は焼き豆腐なことを思い出していた。浅草の有名なすき焼き屋さんには行ったことはないが、豆腐はきっと焼き豆腐だろう。
そんなことを思い巡らせながら、二人の子供と一緒に、すき焼きの鍋をつつく。子供たちは、牛肉をつつき、私はその牛肉と他の具材からの味が染み込んだフライパン焼き豆腐を味わう。歳(還暦)のせいだろうか、このぐらいがしみじみおいしい。日本橋のおでん屋さんの豆腐の丼も思い出す。あれは焼き豆腐じゃないが、しっかりおでんの出汁が染み込んでいる。ある麻婆豆腐専門店に行ったとき、カウンター越しの厨房で、大量の豆腐を大きな鍋で水煮していたなぁ。あれも水切りが目的だろう。湯豆腐や冷や奴のように、上品に豆腐自体のうまさを味わうのが豆腐の王道かも知れないが、こうして豆腐に味を染み込ませた食べ方もまた乙なもの。
「すき焼きの豆腐は(煮崩れにくい)焼き豆腐」と判を押したように思っていた自分を、情けなく感じた。でもまあ、ひとつひとつが「是、経験」と思いながら、皿を洗った。