2023年3月13日月曜日

梅が散るとき

昨日の朝、庭へ出ると、足下に白い破片が数枚落ちているのが目に付いた。一瞬「ん、何だ、これ?」と思ったが、梅の花びらと分かった。よくみると、数枚ではなく、数十枚だった。隣の庭の白梅が散り始めた。


梅が散るとき。


・・・・いいなと思った。

まだまだ寒い春先に咲き始める梅の花。散るときは、いかにも「春っぽくなってきた」と実感するときだ。梅は、まるで散ることで、何かを始めているよう。


インドのヒンズーの神々の中で、一番人気は、断トツでシバ神だ。破壊の神様。壊すことは新しいことの始まりだということを、インド・ヒンズー教徒の人たちは、よく知っている。または、新しいことをすることは、程度の差こそあれ、何かが壊れることを、よく知っている。


ちなみに私が、ヒンズーの神々の中で好きなのは、クリシュナ。ビシュヌの化身で、維持の神様。クリシュナが登場する絵は、だいたい川沿いで、綺麗な女性に囲まれながら、笛を吹いている。いいですね〜。何かとっても平和で穏やかな感じが好きだ。


梅が散る光景を見られるのは、梅の木にまだ花が残っている間。あと一週間もないだろう。花が散りきって、新芽が出る。そして3ヶ月後には、梅の実が付くなんて、今は信じられない。

2023年3月2日木曜日

今宮神社・あぶり餅


 半年ほど前のこと、かつてから知り合いの、和菓子の先生に、「じゃあ、一番お好きな和菓子は何ですか?」ときいてみた。ちなみに、私にとってのそれは、浅草・梅むらの「豆カン」なので、その前振りの後に、おききした。すると、彼女は 数秒考えた後、


「京都、今宮神社の、あぶり餅です」


と宣われた。そのうちに、私は大阪への出張が決まり、東京への帰り道に京都に泊まった。2月中旬。小雨がそぼ降るものの差ほど寒くなかった昼過ぎ。この空気のしっとり感は何とも京都らしいなと思いながら、今宮神社に着いた。お参りをした後、あぶり餅屋さんへ向かった。東西に走る参道を挟んで、南北に向かい合わせで二軒ある。冒頭の写真は、今宮神社の境内から東側に向かって撮ったもの。立派な門の向こうには、南側の「かざりや」が見えている。


北側に「一和(一文字屋)」、南側に「かざりや」。どちらも、軒下で串に刺した餅を炭で焼いている。(下の写真は、「かざりや」) どちらも似たその焼き方を見て、私はちょっとビックリ。数本の串を持って、先端の餅の部分を、最後は赤い炭に擦りつけるように焼いていた。餅は柔らかく水分多めながら、餅は焦げる。いや、焦がす。

知人と二人で、最初に北側の「一和(一文字屋)」でひと皿、後で南側の「かざりや」でひと皿食した。どちらもひと皿600円。どちらの「あぶり餅」も、酷似しているが、「かざりや」の方が白味噌のタレの甘さが若干強いように思われた。私の場合、甘さが気になったので、最初の「一和」の甘さの上に、後から食した「かざりや」の甘さが乗っかって、より甘く感じたのかも知れない。

一和(一文字屋)
かざりや
風情のある建物と立地の雰囲気の中で、食すあぶり餅。お茶がおいしく感じるほど、その味付けは甘いが、その甘さの中に、「香ばしさ」というより、餅の「焦げの苦味・酸味」がよく合う。「あー、このために餅を焦がして焼くんだな」と思った。この焦げをおいしく食べるための甘いタレなのだ。

あとやはり、参道を挟んで、二軒あるというのは、独特の雰囲気を醸し出している。「この二軒は、代々何百年もの付き合いがあるんだろうなー。いろいろあっただろうなー。値上げするときはきっと相談しあうんだろうなー」などと、自然と思いは馳せる。それに、ポツンと一軒あるより賑やかだ。

さて、あぶり餅を勧めてくれた和菓子の先生には、どう報告しようか。