2019年4月17日水曜日

10年パスポート 第2章


また、やってしまった。
こんな愚かな人って、他にいるのだろうか。

ちょうど10年前、ベトナム出張出発の直前(4日前)に、パスポートが切れてることに気がついた。それを書いたエントリが下。

10年パスポート(2009年5月11日)

今回は、出発の2日前に、一ヶ月しか残ってないことに気がついたということだが、同じこと。(ベトナム入国の場合、6ヶ月以上残ってないとならない)

10年前のエントリでは、

今回のことは、10年たっても深く記憶にとどまるだろう。それだけが救いか。

と書いたが、今回は、その「救い」さえない。しかし、改めて、この失態を考えてみる。考えてみないと私が消えて無くなってしまいそうだから。

10年前のエントリでも書いたとおり、10年という時間が、私に「切れる」ことを忘れさせる。それは事実だ。しかし、その経験がありながらも、再び同じ失態を繰り返すのだから、10年という理由だけでなく、もう一歩踏み込んで、他の要因も考える必要があると思った。無論、10年後のために。

まずは、一ヶ月を残したパスポートをペラペラめくり、この10年の間の出入国のスタンプを集計してみた。パスポートを使ったのは全部で15回の渡航。そのうち、13回が出張のベトナム。残りはロシアと台湾が1回ずつの観光。見慣れたベトナムの出入国スタンプがいくつも並んでいるのを見ていて思った。至って事務的で、何の特別さを感じない。ロシアや台湾のスタンプを見て、私の気分はやや特別な感じになったが、同じパスポートを使うんでも、ベトナムの出入国は私にとって、全く特別な気分になってない。改めて自問自答してみると、沖縄のちょっと先へ行くぐらいの感覚。車で2時間の温泉へ行くぐらいの感覚と言ってもいい。ベトナムは、いつもだいたい同じ場所(「カンホアの塩」の専用塩田)へ行くのだから、初めて行く温泉よりずっと慣れている。

また、20年ぐらい前は必要だったビザは、十数年前から要らなくなっているし、勝手知ったるベトナムへは、航空券さえあれば行ける。そんな感覚にすっかりなってしまっている。航空券より、宿の予約より、どんなに大事な仕事の段取りより、パスポート。残り6ヶ月以上あるパスポートだ。その意識が私に欠如していた。無論、これは無意識の欠如なのだが、その無意識さは、「本来パスポートなんぞは必要のないものだ」と、心の底で思っている私の気持ちをあぶり出しているようにも思えた。しかし、実生活において、それは必要だ。きっとこれは私の中の、一種の社会性の欠如なのだ。

昔、観た寺山修司の映画(たぶん「さらば箱船」)のワンシーンを思い出す。40年近く前に観た映画なのにも関わらず。山崎努が物の名前を憶えることが出来なくなって、妻役の小川真由美に命じて、部屋の全ての物という物にその名前を書いた紙を貼っていったシーンだ。例えば、やかんには「やかん」と書いた紙を貼り、壁には「壁」と書いた紙を貼る。その紙が部屋中に貼りめぐらされ、神社のお札のようにヒラヒラしている。そのシーンを観て、名前、記憶、そしてその社会性とはどういうことか? を問いかけていたように感じた、私の記憶がある。

今の私の場合、「パスポートに期限あり」と書いた紙を10年間、部屋に貼り続けることにしよう。この社会性欠如の私が、そして何よりそんな私に振り回される関係者が三度困ることのないように。

2019年4月12日金曜日

9年もの梅干し


私は、毎年梅干しを仕込んでいる。だいたい「一年寝かせて食べる」を毎年繰り返しているから、一番長く寝かせた梅干しでも、だいたい二年ものということになる。しかし、「ひょんなこと」というのはあるものだ。こないだは、9年ものの梅干しを食すことが出来た。これまでで、そしておそらく将来を含めても、これが一番長く寝かせた梅干しということになると思う。

「カンホアの塩」の、かつてのユーザーに、紀州の梅農家さんがいた。毎年梅干しを作ってくれていたが、高齢のため、9年前を最後に引退された。紀州なので、無論梅は南高梅。皮は薄く、しっかり干されていながらも、ジューシーな仕上がりで香りがとてもよかった。塩気と酸味のバランスも私の好み。私が梅干しに使う梅は、こんな南高梅ではないので、同じようにはならない。でも、その梅農家さんの梅干しは、私の中のひとつの理想(お手本)だった。

それで、つい2〜3週間前、会社の棚の整理をしていたら、小箱に入った9年前のその最後の梅干しが出てきた。その梅農家さんが引退すると聞いて、多めに購入していたうちの一箱だけが残っていたのだ。

ポリ袋に入っていたので、水分はほぼ保たれていた。真っ赤だった赤ジソの色は茶色に、そして、塩辛さが減っていた。俗に「塩角(しおかど)が取れる」と言われるが、まさにこれがそうなんだと思う。また、梅干しを粒ごと食べて残った種。この種に梅干しの味がしっかり染み込んでいて、30分しゃぶっていても味が続いて、おいしい。梅の果肉の味が、この種に移ったせいで、果肉の酸味・塩辛味が柔らかくなった、なんてことがあるんだろうか?

慌ただしく過ぎていく日々の時間の中で、ひょんなことから9年前の梅干しを頬張ることになった。当然ながら、9年前に思いを馳せる。そして9年前からして今自分は、少しは何かが良くなっているだろうか、なんて考える。その「何か」はハッキリとは分からないけど、9年の間に少しずつ変化しているようには感じる。そしてこれからも変化していくと思うと、たまには、立ち止まって過去の自分の感覚を思い起こしてみるのも悪くないと思った。