2016年2月12日金曜日

台湾の歴史と日本人

きょうも台湾。
同行してくれたガイドさんから聞いた話。

まず、このガイドさんは、台湾の原住民と外省人とのハーフだとのこと。現在の台湾を語るのに、台湾原住民、内省人(または本省人)、外省人という、いわば民族の違いやその歴史に触れずにはいられない。

こうした歴史や民族の認識については、立場の違いなどによって様々な見方があるので、決めつけては語れないものだが、原住民と外省人とのハーフであるガイドさんから聞いた話として直接話法的に、触れてみたいと思う。

彼女曰く、最初の台湾人、つまり原住民とは、元々台湾周辺の島々(ミクロネシアなど様々な島々)から渡って来た人たちだったとのこと。台湾の東側には太平洋が広がっている。なので共通の言葉はなかった。そこへ、台湾から最も近い中国本土(主に福建省から)渡って来た人たちがいた。その人たちの末裔は内省人(または本省人)と呼ばれる。そこに日本人が入り込み、いわゆる日本の統治時代になった。内省人を含み、当時言葉はバラバラだったが、日本人は日本語を教え、当時の日本的な教育をも行った。従って、その時点では、日本語が共通言語となった。そして日本統治時代が終わった後、蒋介石とともに渡って来た、福建省ではない中国本土の人たちがいた。(そのとき、中国本土から持ち出された品々が、故宮博物館の品々ということになる) その人たちの末裔は外省人と呼ばれる。新座者の外省人はえばって、元からいた原住民や内省人に対して差別的だったので、「日本統治時代の方がよかった」と思った原住民や内省人が多かったとのこと。ちなみに、現在は、混血が進み、純粋な原住民は山間部に住む数パーセントらしい。私はガイドさんにそれを質問したのだが、「数パーセント」と答えたガイドさんは少し寂しそうな表情を浮かべた。で、内省人(または本省人)が最多数派だ。ガイドさんは、腕まくりをし、肘の反対側の腕にある一本のシワを誇らしげに見せてくれた。これがその台湾原住民の血を引く証しなのだと言う。その原住民の民族名は忘れてしまった。ごめんなさい。

最初に断ったとおり、以上の説明は、あくまでガイドさんの話しです。歴史をどう認識するかは大事なことだが、この辺の「過程」は、台湾の人たちにとって非常に重要であり、個々のアイデンティティとしても重要なファクターだということが分かった。

こうした歴史の話しと一緒に、ガイドさんはエピソードとして、次のような話しもしてくれた。

まず、「台湾で最も有名な日本人は誰だか知ってますか?」という質問があった。その答えは、八田與一(はった よいち)という。私はサッパリ分からなかったが、日本統治時代に、台湾に大規模なダムを建設した土木技師らしい。日本統治時代は、ちょうど広く人類が電気を使い始めた頃と重なる。台湾の近代化は、この八田與一による功績が大きいということで、「台湾で最も有名な日本人」として、今でも八田與一は台湾で超有名とのことだ。初めて聞いた話だったので、私にとっては、「鳩が豆鉄砲をくらった」ような話だった。ガイドさん曰く、台湾が親日なのは、この八田の功績が大きいとのこと。見方を変えれば、「侵略した先のことだからなー」も思えなくもなかったが、今でも八田與一は台湾ではヒーロー扱いなのだ。

そして、次にガイドさんが取り上げたのは、ビビアン・スー。台湾原住民の祖母は、日本統治時代に当時共通語だった日本語を話し、彼女自身、その祖母との会話は主に日本語だったらしい。だから、彼女は日本語が上手なのだとのこと。

そして、プロ野球、日ハムの陽岱鋼(ようだいかん)。彼も台湾原住民の血を引く人で、日本語に馴染みがあり、それが日本での活躍に繋がっている。というガイドさんの話だ。

ガイドさんも台湾原住民の血を引く方。何しろ、私は聞いていてその誇りを言葉の端々に感じました。

さてさて、台湾では1月に総統選挙があり、(中国本土と距離を置く方向性の)民主進歩党の蔡英文氏が大差で当選した。私たちが行った12月はその直前だったので、台北の町中にはいたるところに、ときにはばかでかい選挙ポスターが貼ってあった。蔡英文氏は客家の出身、つまりは内省人(または本省人)。民族⇒政治という図式はあまりに短絡的だが、台湾という日本のお隣さんを知るためには、まずはその民族のことも知らないと、とは思う。

あと、これはリップサービスもあろうが、台湾の貿易収支で、唯一貿易赤字相手国が日本であることもニコニコとして強調していた。しかし、現実的に今の台湾の人たちにとって、最も重要な政治的関心事は、中国本土との関係だろう。次に、(中国とも関係する)米国との関係といったところか。しかし日本贔屓なガイドさんは、あまりそれらのことに触れようとはしていなかった。

もちろん食や言語など中国の文化がベースにあるのだから、昨今台湾にあるふれる日本モノは、台湾の人たちにとって、生活必需品というよりは、ひとつのファッションのようなものだと思う。言葉を変えれば「文化的なもの」とも言えるかも知れない。たった2〜3日の滞在だったが、私が台湾に「気楽さ」を感じたのは、台湾にとって日本人は、こうした庶民文化の対象という意味合いが強かったからのように思う。

台湾は日本と同じ島国。でも、日本と比べ、まるで大陸にある国ように人の入れ替わりが著しいのが台湾の近世の歴史だ。中国との微妙な関係も含めて。よく言えば、そこに日本にはない柔軟性が台湾では育まれてきたようにも感じる。ガイドさんが笑顔で話しをしてくれる姿と接していて、それは日本が見習わなくてはならないことがあるように、漠然と思えた。

2016年2月10日水曜日

台湾らしいと思った些細な事々

12月28日2月5日と続いた台湾旅行に関するエントリ。きょうは、延び延びになってた「台湾らしいと思った些細な事々」を書きます。ルーローファン(魯肉飯)や朝粥など屋台料理もいくつか食べたが、そんなフツーの台湾のことより、個人的に気になったニッチな事々。ツアー旅行ならではの、添乗してくれた現地ガイドさんから聞いたネタが多い。

細々とあるので、どんどん紹介しちゃおー。

その1.PONLAI RICE(蓬萊米) 

写真は、台北滞在時、近所のセブンイレブンで買った、缶ビール4つ。一番左のビールは、いろんなレストランなどでよく置いてあった銘柄。味は普通に軽く、バドワイザーみたいな感じで、ベトナムのビールにもよく似た味。きっと暑いところの人々は、クラフトビール系の味より、こうした軽い飲み口のビールが好みなんだなー、と思わされたビールだった。また、台湾は山間部を除き亜熱帯。クラフトビールの醸造には温度的に難しさもあろう。

そして、左から二番目の黄色い缶。“HONEY BEER”と表記もあるが、ハチミツフレイバーのビール。本当にハチミツの香りがする。どうも台湾の人たちは、フレーバードビールがお好きなようで、ハチミツの他にも、ライチやブドウの香りのもあったように思う。ベタな表現だけど、若い女性に受けるような感じ。

さらに、三番目の“CLASSIC”と表記のある缶。一口飲んだだけで、「ん?」と思わせる味。独特のクセがある。少し、東南アジアによくあるインディカ米のような香り・味がする。細かく表示を見ると、缶のオモテ面には“PONLAI RICE”、ウラ面の原材料表記には「蓬萊米」と書いてある。「きっとこれが独特のクセの元なんだな」と思い、ネットで調べてみると、この “PONLAI RICE(蓬萊米)”は、「日本統治下の台湾において品種改良に成功した米の品種」というから、驚きだ。このへんからも、日本との関係がにじみ出ていように感じる。

そして、現在の日本との関係と言えば、冒頭の写真の一番右。「セブンイレブンSELECT」のサントリーのビール。日本のビールメーカーのビールは他にもあったように思うが、台湾まで来て買う気にはならず、このサントリーのだけ買ってみました。何しろ、これらのビールが台北の町中至る所にあるセブンイレブンで売っている。

ちなみに台北のセブンイレブンでは、おにぎりはもちろん、レジ脇におでんまであって、ぶったまげた。あまりにぶったまげて、おにぎりを試しに買うのを忘れてしまった。たしか、具は肉類が多かったようなうっすらとした記憶がある。八角きいてたのかなー。

その2.レシート

写真は、頂好(Wellcome)という店名のスーパーマーケットと故宮博物館内のお土産店で買い物したときのレシート。どちらも、レシート上部にアルファベット2文字と8桁の数字が印刷されてる。これをガイドさんに尋ねると、「お店がレシート発行を怠らないようにするための(台湾独特の)方法です」とのこと。つまり、この番号が宝くじのように連番になっていて、政府は一年だか半年に一度、番号の抽選を行い、当選すると大金がもらえるらしい。分かりますか? このシステム。各レシートは、そのまま抽選券を兼ねているので、何かを買った客に店がレシートを渡さないと、客は「レシートよこせ」と店に要求するというのだ。これで自動的に、店はレシート発行怠ることが出来なくなると。まぁ、懸賞金を費やして、店の売上のごまかしなどを防ぎ、しっかり徴税するという寸法だ。

それにしても、台湾の各家庭には、箱一杯のレシートが貯まるということか。当選番号を調べるのも大変だ。でも、そのガイドさん曰く、「私の友人で、本当に当選した人がいます」と決してハッタリではないのだと豪語していた。

その3.台北の歩道

日曜日だったので、シャッターが閉まっているが、この写真は、角にある郵便局。ここはたまたま郵便局だが、台北市内の商店が並ぶところでは、みんな同じ構造だ。

歩道が二重になっているの分かりますか? 車道側である左側にオートバイが並んでいて、右側のビルの軒下のようなところを人が歩いている。左側は、いわゆる公道の歩道で、右側がそのビルのオーナーが管理している歩道とのこと。公道に停めてあるオートバイが車道側を前にしてお行儀よく並んでいるが、違った向きで停めると罰金を取られるとの、ガイドさんのお話。思いも付かぬところに厳しい。また、右側の歩道の材質は、ビルによって異なるし、隣との段差も珍しくない。個々のビルのオーナー管理なのだからね。無論、軒があるのは、雨よけが目的。雨の多い台湾だから、こうした商店が並ぶ場所では、お客さんを呼ぶためにもなるらしい、というので、各ビルの管理となる訳だ。

ところで、このような説明をガイドさんから受けたのだが、私がこれを見て一番気になったのは、耐震性だ。軒下は歩きやすいよう柱がないことが結構多い。不幸にもつい最近、台湾南部の台南で地震があり、倒壊したビルがあった。一斗缶がコンクリ構造物の中から出てきて手抜き工事との話しもあるが、この柱のない軒下は大丈夫だろうか? ちょっと気になる。

その4.バスの降り方

今回の私たちの旅行は、貸切バスでのツアーだったので乗る機会はなかったが、台湾での路線バスの降り方。これもガイドさんから聞いたネタ。日本では、バスを降りるときは(安全上)「バスが完全に止まってから、出口に向かう」よう促されるが、台湾では違う。「バスが停留所に止まるまでに出口に着いてないとならない」らしい。ガイドさんは、「この習慣、日本と違うでしょ」と微笑んでいたが、思えば、日本の「止まってから出口に向かう」という習慣は、比較的最近のことのように思う。そして、この今の日本の習慣は、結構日本だけのような気もする。しかし、「台湾らしく感じたこと」として思うのは、台湾の人って効率や時間を無駄にしない感覚が強いと思った。それは次にも関連する。

その5.滅法早いレジ、特に故宮博物館のお土産店

台北の町中のコンビニでも若干感じてはいたが、それが顕著だったのは、故宮博物館内のお土産店のレジだった。あらかじめガイドさんからは、「故宮博物館のお土産店のレジは待つ時間が長いので、早めに会計して、集合時間に遅れないようにしてくださいね」とアドバイスされていたが、現実は違った。

実際にレジに行くと、並んでいるのは1〜2人。「よかった、慌てることはないな」と思いながら、買った品々をレジ前に置くと、そのレジの若い女性の動きの速いこと速いこと。まるでギネス記録に挑戦しているかのよう。

日本でもありますね。お店のレジで、例えば1万円札なんかでお代を払うと、「まずは大きい方から」と、千円札を渡される。それを財布にしまおうとしている間に、レジの人は、(小さい方の)コインのおつりとレシートを持って待っているなんてこと。そんなとき、少しのプレッシャーを感じつつも、滞りなく千円札を財布にしまってホッとする間もなく、コインとレシートを受け取る。でも受け取ったコインとレシートを悠長に財布にしまうことが出来ないので鷲づかみにして、(レジの人が次の人にかかれるよう)そそくさと買い物カゴとともにレジを離れる、なんてこと。「あー何とも日本的」と思うが、この場合、レジ打つ人は、少々ながら「待ってくれる」間がある。しかーし、故宮博物館のお土産店のレジは、この間が全くない。従って、何が何だか分からないうちにレジが済み、買った品々はもちろん、札もコインも最低限落とさないことだけに集中し、何とかしてレジを離れなければならない。まー、言ってみれば、この速さがあるからこそ、この世界に名だたる故宮博物館のお土産店での超スピーディーな「並ばないレジ」になっている訳だ。概して暖かい地域に住む人々は比較的のんびりしていることが多いというイメージを持っていた私だったが、見事にぶっ飛んだ。

それでふと思うこともある。

「その1.PONLAI RICE(蓬萊米)」でも少し触れたが、台湾は日本統治下の時代があった。当時、台湾に来た(侵略した)日本人は、台湾に勤勉さなどの重要性を教育した(または押しつけた)と、しばしば言われる。もしかすると、このバスの降り方や故宮博物館のレジの速さは、その名残りなのかも知れない。しかし今は、バスもレジも、両国はやや異なる道を歩んでいる。

この次も台湾ネタの続きとしたい。

2016年2月5日金曜日

台湾らしいと思った些細な事々、の前に

12月28日のエントリ「日本モノにあふれる台北」で書いたように、12月に2泊3日で台湾へツアーで旅行に行った。

たった2泊3日。またどこへ行くにも貸し切りバスに乗って、ガイドさんにドアトゥードアで連れてってもらうツアー旅行では、皮膚感覚的には、その土地のことはよく分からない。だが、付いてくれたその台湾人のガイドさんの話しはとても勉強になった。彼女は、台湾の原住民と外省人のハーフ。もうこの原住民、内省人、外省人という説明を聞いただけでも、台湾の歴史がひしひしと伝わってくる。ガイドさん付きツアー旅行のよさは、2〜3日であっても、それなりに仲良くなるので、その場で気がついたことを質問しても、答えてもらえることだ。

お茶飲んで、素食料理を食べるツアーだったのだが、それ以外にも私なりに気になった些細な事がいくつかあったので、それを書いてみようと思う・・・・と、12月28日のエントリの末尾を書きながら思ったのだが、そんな些細な事々の前に、ひとつ思うことがある。

先のエントリでも書いたように、あふれる日本モノに驚いたことが台北で一番印象に残ったことだったのだが、あふれる日本モノは、香港でも似たような状況らしい。最近たまたま読んだ新聞の香港駐在員によるコラムにそうあった。そして、台湾だけでなく香港も、とても親日的らしい。あえて付け加えるが、どっちもかつて日本が侵略した土地であるにも関わらずだ。しかし考えてみると、米国に対して、終戦直後から親米なこの国もあるのだから、それ程意外に思う必要もないのか。

それで思い出すのは、一昨年に訪れたロシアのイルクーツクでのこと。ロシア人の姉御肌なガイドさんからの忠告だ。「日本は最近、中国や韓国と仲が悪いらしいじゃない。アメリカなんかと仲良くしないで、(ロシアを含む)もっと近くの国と仲良くしなさいよ。太平洋の向こうのアメリカなんか、いざとなったら何もしてくれないよ」といった内容のものだった。(2014年10月2日のエントリ「ロシア旅行no.7・ロシア、イルクーツクの人」参照) 今回、2〜3日とは言え、台湾の人たちの親日的な感覚を直に感じると、中国や韓国・北朝鮮の人たちと仲良くならないことが不思議に思える。無論、事情は国々によって違うし、たった2〜3日の滞在だけだったのだが。

近隣の国・地域で仲が悪い話しは、世界中で珍しくない。私のイタリアの友人は、ヨーロッパ北部、特にイギリス人のことを「センスがない」だの「面白くない」だの言うし、米国の東海岸の人は、西海岸の人のことを「脳天気だ」とからかう。ベトナムでも、南部の人は、北部の人を妙に真面目すぎて冗談も通じないなどと揶揄する。京都人は大阪人を「せわしいわー」などと言ったりね。無論、反対方向も似たようなものだ。まぁ、近すぎてかえって仲が悪くなることというのはよくある話しだが、変にエスカレートしてしまうと、冗談では済まなくなることもある。

日本へ伝わった多くの文化は、中国や朝鮮半島、台湾など近隣の国々から渡ってきた。今回の台湾旅行で訪れた故宮博物館の展示物を観ても(2時間という超特急だったが)、ほとんど日本に来た文化そのものではないかと、正直、唖然とした。以前は、中国の造形物はもっとゴージャスに荒々しくて、日本に渡って繊細になったという大ざっぱなイメージを持っていたが、それはある種のステレオタイプのイメージで、全くそんなことはない(私が感じる限り)。シンプルな形に込められた繊細な線と色。惚れ惚れとする造形美。無論、撮影禁止なので、その画像をここでお見せできないのが残念ではあるが、あー、もっとゆっくり観たかった。

外国へ行って、変な日本庭園や日本料理に遭遇すると、「日本のこと分かってないなー」と思わず笑ってしまうことがあるが、私だってどれだけ中国のことを分かっているかというと、ほとんど分かってないのだ。故宮博物館だけでも、「分かってないことが分かった」と強がり言うのが関の山だ。細かく研究した訳ではないが、日本の造形物は概ね中国を模倣しただけのようにも感じてしまった。庶民モノではなく特別な博物館の展示物とは言え、これらを産みだした中国はスゴイ。

日常的に反日のテレビ番組が放映されているという中国からは、爆買いする旅行者がたくさんいるという。何ともヘンテコな世の中じゃありませんか。多くの人が思ってることだろうが、全体的にもっといい方向にいかないものだろうか。商売では、これらの国々の往来は盛んだろう。でも、「いい方向」のためには、それだけじゃなく、もっとプライベートな個々の繋がりを持たなきゃいけない。短い時間ながら、街を歩いたり、原住民と外省人のハーフのガイドさんと接していてそう思いました。はい。中学生の意見のようだけどね。

さてさて、3日間の台湾滞在で私が感じた些細な事々。まーた次に持ち越だ。冒頭の写真は、故宮博物館のお土産屋さんで買った携帯ストラップ。ミーハーながら、名物の白菜とキリギリスでした。本物は、「ここまでやるかー」という、想像を遙かに超えたものでした。