最近、編み込みにハマってる。8歳の娘の髪の編み込みだ。
仕事も学校もない昨日の日曜日の朝、天気も悪くシトシトと小雨が降っていた。これはチャンスとばかり、
「今朝は、時間あるから、編み込みしようぜー」
と、娘を誘ったら、快諾してくれた。天気がいいと彼女は外へ遊びに行く時間だし、学校も仕事もある平日は出来てもせいぜい1本だが、日曜日ということで、全体を4つのブロックに分けて、編み込み4本にした。最後の余った髪を普通の三つ編みにして4本の尻尾をシュシュで束ねている。ここまでやったことはなかったから、写真を撮らせてもらった。
今、彼女は2年生だが、小学校入学以来、だいたい毎朝、髪の毛をとかして束ねた後、ダンゴにしたり、三つ編みしたりをやってきた。こういうことを始めると、例えば、電車に乗ったとき、目の前にカッコいい髪の束ね方や編み方の女性が立ってると、こっそりその髪型を観察する。そして、「どーやって、こんなんなってんのかなぁ〜?」と想像する。以前は、気にしたことなどなかったが、興味を持ち始めると、世の中には様々な束ね方や編み方をした女性がいることが分かる。
この編み込みも、1年ぐらい前から興味があって何度か試みたものの、どうしてもうまくいかなかった。しかし、転機が訪れた。
先日、私の会社で、ある女性に短期でアルバイトに来てもらった。彼女は以前から知ってる人だったが、灯台もと暗し。彼女の髪、ほとんど毎日スゴい編み込みだった。そこで、教えを乞い、そのお陰で何とかここまでたどり着いた。
髪の毛の編み込みや三つ編みは、基本的に、毛糸やリリアンの編み物のようなものだ。同じようなことの繰り返しなので、やり方の説明自体はそんなに難しくない。そして、私の師匠、ヒロミ女史のように熟練した人の手に掛かると、まさに神業。鏡も見ずに自分の髪の編み込みまで自由自在にあっという間にやってしまう。
しかし、駆け出しの私の場合、指先の動きの正確さと、人一倍の集中力が必要だ。ちょっとでも集中が切れると、ワケ分からなくなったり、やり直しになったりする。だから、とても時間がかかる。
実は昨日の朝も大変だった。
特に編み込みの最後のあたり、襟足の産毛のような髪の毛を編み込むとき、とても痛いらしい。だから、頭や身体をクネクネする。私は、もうすぐ終わりだから「もうちょっとだけ我慢してね〜」などと言いながら、彼女のクネクネに合わせ自分の身体もクネクネさせながら、最後の集中力を途切れさせないよう必死だった。そんなあんなで、写真の4本の編み込みで、1時間もかかってしまった。
何でもそうだが、物事というのは、まだ自分が思うようには出来ない、こういう発展途上の間が一番面白い。しかし次回、彼女が私のヘボな編み込みに付き合ってくれるかどうかは、定かでない。
2012年10月17日水曜日
東京・昭和記念公園のコスモス
ここんとこちょうどいい陽気になってきた。天気もよさそうだったので、この前の日曜日、子供二人とカミさんとで、自宅から自転車で10分の昭和記念公園に行った。入口に着いたら、何と「きょうは、(ナントカ緑化週間のため)入園無料です」。知らなかったので、「ラッキー」とも思ったが、受付の女性にきいてみた。
「・・・・ってことは、きょうは混んでるってことですか〜?」
「ええ、いつもの何十パーセントかは多いですね」
「何十パーセント増し」ってどのくらいなんだろと思いながら、中に入ったら想像以上でビックリだった。
ちょうど今、この公園の名物のひとつ、コスモスが見頃ということも相まって、数え切れないほどの人また人。でも、花盛りのコスモスも数え切れないほどだった。主な目的は、子供たちを遊ばせることだったけど、「この時期ここに来たら、コレは見ないとね」とコスモス畑にも立ち寄った。相変わらずスゴイな。
秋の桜か。
春の桜と秋の桜。
春の桜は、「散る」ことを連想するが、秋の桜は早くは散らない。そのせいか、コスモスはソメイヨシノほどは気持ち的にあせらず花を眺められる気がする。ワサワサする春と、シットリとする秋の、心持ちの違いもあろう。
春の桜は、「まだ寒い」感覚があるが、秋の桜は「温かい」感覚がある。春のお花見は燗酒がいいが、コスモスはビールが飲みたくなる。
春の桜が散るとグッと温かくなるし、秋の桜が散るとグッと涼しくなる。そんなひとときのいい陽気の中、春も秋も、桜に注ぐ柔らかい陽差しが何とも似つかわしい。
5歳と8歳の子供を思いっきり遊ばせて、私はビールでほろ酔い気分。子供たちが疲れ切る前に、そして私のほろ酔いが醒める前に、帰路についた。
2012年10月9日火曜日
果物の糖度
上の写真は、紅玉。先週末、初物として食べた。紅玉は、日本のリンゴの中で私が一番好きな品種だ。その理由は、適度な甘味にともなう酸味にある。私にとって、他のリンゴは甘過ぎる。糖度が高過ぎる。昔に比べ、日本のリンゴはどんどん甘くなってる。
私の子供の頃、最もポピュラーだったのは、「国光」という品種だった。他には、「スターキング」、「むつ」なんてのもあって、それぞれが個性を持っていた。しかしその後の「ふじ」の登場が、日本のリンゴの転換期だったように思う。「ふじ」は、「国光」よりも甘く、パリッとした食感が特徴で、独特の香りを放っていた。「ふじ」の出始めは、「何ておいしいリンゴなんだろう」と思って食べていた。最初は高価だったが、いつしか大衆品に変わっていった。そして、その頃から、どんどん品種改良されたリンゴが登場し、その度に糖度が増していった。
そんな中、なんとか残ったのがこの「紅玉」だ。私にとって、リンゴは、「甘酸っぱい」果物だ。「紅玉」の、甘さだけでなく、酸味もしっかり感じさせてもらえる味を味わうと、ホッとする。もう即虫歯になりそうなぐらい甘いリンゴを食べると、一切れ食べればもうそれでいいという気分になっちゃう。
なんで、リンゴはどんどん甘くなってしまうのか。
これはリンゴに限った話ではない。先のエントリ、勝沼「自然農法産」ぶどう狩り(8月28日)でも、ぶどうの糖度に触れたが、他にも、イチゴ、サクランボ、メロン、みかん、梨・・・・、挙げればキリがない。みんなどんどん甘くなってる。糖度至上主義にも感じるほど。果物じゃないけど、トマトやトウモロコシ、パブリカなどもどんどん甘くなってる。私の場合、甘いと一口目はいいんだけど、飽きるのが早い。そして、「この果物は、こんなに甘いだけじゃなかったハズだ」と思ってしまう。
少し大人なことも書いてみたい。人々は糖度が高いと「おいしい」と感じ、より甘い果物を求める。それで、果樹園の方々は、その「おいしい」のために日夜研究・努力され、高い糖度の果物が出来上がったのだ。そして、今や日本の甘い果物は海外でも人気が高く、重要な輸出品にもなっている。20年以上も前のこと、タイのバンコクの市場で、日本の柿や梨が山盛りになって売っていた。もちろん高い。あるタイの人に、「えー、こんなの買う人いるの?」ときいたら、「タイには果物好きな人がいるのよ。その人たちが買うのよ」とのことだった。
「甘さ」にはきっと魔力がある。
甘いリンゴを食べると「おいしい」と感じ、さらにより甘いリンゴを食べると「もっとおいしい」と感じる。そして、それより甘くないリンゴは「おいしくない」と感じる。
でもね。あえて言いたい。
酸っぱいリンゴもおいしいよ。青臭いトマトもおいしいよ。
「ふじ」が大衆化した中学生頃、私はすっかり甘い「ふじ」に傾倒していた。そのとき「リンゴ味」のガムを噛んで驚いた記憶がある。酸っぱかったのだ。そのとき、私は、「あれ、リンゴって酸っぱかったっけ」と「?」な気分になって驚いたのだった。それは「ふじ」の時代の前に食べた「青リンゴ」の味だった。そのとき、すでに「青リンゴ」の味を忘れかけていたのだった。
しかしその後、主に外国で食べたリンゴはみんなしっかりと酸味があり、それを「おいしい」と思うようになっていった。その後、日本の甘いリンゴを食べると、最初はおいしいんだけど、後から「くどい味」と感じるようになってしまった。
だから現在、何とか残っている「紅玉」が、私の一番好きな日本のリンゴになっている。あー、またあの酸っぱい青リンゴも食べたいなー。
私の子供の頃、最もポピュラーだったのは、「国光」という品種だった。他には、「スターキング」、「むつ」なんてのもあって、それぞれが個性を持っていた。しかしその後の「ふじ」の登場が、日本のリンゴの転換期だったように思う。「ふじ」は、「国光」よりも甘く、パリッとした食感が特徴で、独特の香りを放っていた。「ふじ」の出始めは、「何ておいしいリンゴなんだろう」と思って食べていた。最初は高価だったが、いつしか大衆品に変わっていった。そして、その頃から、どんどん品種改良されたリンゴが登場し、その度に糖度が増していった。
そんな中、なんとか残ったのがこの「紅玉」だ。私にとって、リンゴは、「甘酸っぱい」果物だ。「紅玉」の、甘さだけでなく、酸味もしっかり感じさせてもらえる味を味わうと、ホッとする。もう即虫歯になりそうなぐらい甘いリンゴを食べると、一切れ食べればもうそれでいいという気分になっちゃう。
なんで、リンゴはどんどん甘くなってしまうのか。
これはリンゴに限った話ではない。先のエントリ、勝沼「自然農法産」ぶどう狩り(8月28日)でも、ぶどうの糖度に触れたが、他にも、イチゴ、サクランボ、メロン、みかん、梨・・・・、挙げればキリがない。みんなどんどん甘くなってる。糖度至上主義にも感じるほど。果物じゃないけど、トマトやトウモロコシ、パブリカなどもどんどん甘くなってる。私の場合、甘いと一口目はいいんだけど、飽きるのが早い。そして、「この果物は、こんなに甘いだけじゃなかったハズだ」と思ってしまう。
少し大人なことも書いてみたい。人々は糖度が高いと「おいしい」と感じ、より甘い果物を求める。それで、果樹園の方々は、その「おいしい」のために日夜研究・努力され、高い糖度の果物が出来上がったのだ。そして、今や日本の甘い果物は海外でも人気が高く、重要な輸出品にもなっている。20年以上も前のこと、タイのバンコクの市場で、日本の柿や梨が山盛りになって売っていた。もちろん高い。あるタイの人に、「えー、こんなの買う人いるの?」ときいたら、「タイには果物好きな人がいるのよ。その人たちが買うのよ」とのことだった。
「甘さ」にはきっと魔力がある。
甘いリンゴを食べると「おいしい」と感じ、さらにより甘いリンゴを食べると「もっとおいしい」と感じる。そして、それより甘くないリンゴは「おいしくない」と感じる。
でもね。あえて言いたい。
酸っぱいリンゴもおいしいよ。青臭いトマトもおいしいよ。
「ふじ」が大衆化した中学生頃、私はすっかり甘い「ふじ」に傾倒していた。そのとき「リンゴ味」のガムを噛んで驚いた記憶がある。酸っぱかったのだ。そのとき、私は、「あれ、リンゴって酸っぱかったっけ」と「?」な気分になって驚いたのだった。それは「ふじ」の時代の前に食べた「青リンゴ」の味だった。そのとき、すでに「青リンゴ」の味を忘れかけていたのだった。
しかしその後、主に外国で食べたリンゴはみんなしっかりと酸味があり、それを「おいしい」と思うようになっていった。その後、日本の甘いリンゴを食べると、最初はおいしいんだけど、後から「くどい味」と感じるようになってしまった。
だから現在、何とか残っている「紅玉」が、私の一番好きな日本のリンゴになっている。あー、またあの酸っぱい青リンゴも食べたいなー。
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