2009年12月22日火曜日

お米の体験学習


今年の秋、家族でカミさんの実家を訪れた。そこは稲作もしている専業農家。私たちが食べるお米も送ってもらっている。今回はタイミングよく稲刈りの直前に行ったので、「真似ごとでいいので、是非稲刈りをさせて欲しい」とお願いした。

私たちは毎日その田んぼで出来たお米を食べている。その米が植物としてどんなものなのか、そしてどんなふうに食卓に並ぶまでになるのか、子供たちは知らないので、まずはちょっとでも稲刈りをさせたいと思った。また私自身、東京生まれの東京育ち。子供の頃、こういう経験がなかったせいか、「これはチャンス!」と迷うことがなかった。「子供たちに体験学習をさせよう」という、親父のちょっとしたプランだった。

コンバインが最初に入る田んぼの部分は、手で刈るとのことだったので、そこで3合分ぐらいの稲刈りをさせてもらい、東京の自宅へ送った。実家では、収穫が終わったら、町の協同組合のようなところへ納めて乾燥機で乾燥させる。自宅では、軒下で2ヶ月ほど、稲木にかけるようにかけておいた。

・・・・と、そこまではよかったが、「この後どーやって脱穀する?」

無知な私は、「脱穀(だっこく)」とは籾の殻をとって玄米にすることだと思っていたが、調べてみると、それは「籾摺り(もみすり)」で、「脱穀」とは、「籾摺り」の前に稲から籾を離すことだった。どうやら、一番の問題は、「籾摺り」のようだ。

稲を干しながら、ネットで「一般家庭で出来る籾摺りの方法は?」を調べてみた。東京・銀座の田んぼで収穫された稲の脱穀・籾摺りのイベントでは、すり鉢に入れた籾を野球のボール(イボイボ表面の軟球)でスリスリしていた。それをみた私は、「そんな(時間のかかりそうな)方法しかねぇのかなぁ〜」と正直不満だった。これだったら、「厚手のポリ袋に籾を入れて、ビンでたたいた方がいいんじゃないのかな」とも思った。


さて、十分に干されたところでまずは脱穀をやってみた。子供と遊びながらでおよそ3合分、1時間で出来た。ただ単純に手でしごいただけだ。(冒頭の写真はそのときのもの) 次はいよいよ「籾摺り」。「(機械のなかった)昔は、こんなふうにやってたものさ」みたいたな答えを期待しながら、カミさんの実家はもちろん、農家に育った私の親にもきいてみたが、全員、機械の方法以外知らないのだった。もう50〜60年も前から機械で籾摺りされていたということか。

「たぶん一升瓶に入れて棒でつついてみたら出来るんじゃない」。「それって精米の方法で、玄米をつつくんじゃないの?」と聞き返すと、「そうかもねぇ〜」と何とも頼りない反応。しかし他に思いつかず、やってみた。・・・・3合やるにはたぶん1日中つついてないと出来ない感じ。この方法は諦めて、次に以前思いついてた厚手のポリ袋に入れて一升瓶でたたく方法。・・・・棒でつつくのと五十歩百歩またはそれ以下か・・・・。

何しろ、籾殻は、思ったより玄米とくっついている。ポロッととれるイメージだったが、そんなことはなかった。機械を使う以前の「籾摺り」を調べてみる。・・・・木製の臼で挽かれていた。

そりゃ無理だ、情けない哉、現代人(五七五調)

失意の中、「すり鉢に軟球でスリスリ」をやってみた。「ありゃ〜、よく取れる!」それは他の方法に比べ、ブッチギリで素晴らしかった。もーこれしかない。ある程度時間はかかるけど、一升瓶や厚手のポリ袋に比べたら、雲泥の差だ。この方法を知った当初は確かに不満に感じたが、実際これは、とてもすばらしい方法だということを身をもって知った。

ただ、まだ3合全部籾摺り出来ていない。今年中にはやらないと、自分たちで刈ったせっかくの「新米」が「古米」になっちゃうー・・・・と焦っているのは私だけ。

この体験学習は、実は私のためだった、ということに最近気がついた。

2009年12月14日月曜日

塩ラーメンの旨味


写真は、東京駅八重洲南口の地下1階にある「ラーメン・ストリート」の中のラーメン屋さん、「ひるがお」の「塩らーめん(ひるがお盛り)」。1週間ほど前に食べに行った。長年「カンホアの塩」を使い続けてくれている。

このお店は元は新宿御苑にあったが、東京駅に引っ越して来た。新宿御苑の頃と味はやや変わっていた。新宿御苑の頃は、もっとスープの味に旨味の主張が強かったと思う。それが少し穏やかになったような気がした。

一般論としてだが、醤油や味噌といった調味料にはそれら自身にも旨味があるため、塩ラーメンになると、ラーメン屋さんはそれらにない旨味を補おうとして、旨味を強くする傾向があるんじゃないだろうか、と常々感じている。旨味が強いと、一口目からズッシリとその旨味を感じ始めるから、食べ終わる頃は舌がその旨味一色になって、なかなかつらいときがある。それは化学調味料を使わない旨味であってもあり得る。

だから、私にとって、一口目にスープの旨味を穏やかに感じることは、安心感に繋がっている。でも、この塩らーめんの旨味は、ただ「穏やか」になっただけではない。スープの中にいろいろな旨味を感じたが、中でも鰹の旨味がとても「抑えが効いた」大人なものだったことが印象深い。

私は15年か20年ぐらい前に、NHKの「きょうの料理」という番組で和食の出汁の取り方を、2人の板前さんが(もちろん別々の日に)教えてくれたのを観たことがある。ひとりは、道場六三郎さん。もうひとりは、野崎洋光さん。このおふた方の出汁の取り方は全く対照的だった。

道場さんは、昆布出汁を取った後、鰹節・鯖節を使ったが、それら魚を入れた後はグラグラ煮立たせて、魚の味をシッカリ取っていた。一方、野崎さんは、昆布に鰹節だけだったが、鰹節を入れる前に火を止めて冷水を足す。そして鰹節を入れた後も火にはかけず、再び冷水を足していた。野崎さんはその冷水の理由を「対流を抑える」と言っていた。私はどっちも自分でやってみた。想像つくとは思うが、道場さん流は、野趣あふれる旨味。鯖節のクセもしっかり「おいしさ」になる。野崎さん流は、フワーっとした浮遊感さえ感じる柔らかい旨味だ。どっちが「おいしい」の議論は意味がない。合わせる料理にもよるし、個人差もある。

ただ、ひるがおの塩らーめんは、野崎さん流の方だった。野崎さんは「対流を抑える」と言っていたが、私はそれは温度の違いでもあるような気がしている。今回ひるがおには11時の開店と同時に入った。つまり、朝一番のスープだった。寸胴に仕込まれたスープは、時間と共に保温され続け、夕方頃には多少味が変化しているかも知れない。

今や様々な食材が手に入り、いろいろな旨味を作り出すことが出来る。でも、ここでいう旨味は、あくまで味の部品であり、「おいしさ」とは別だ。いろんな味の部品で組み立てられた味が、「おいしい」かどうか? それが問題なのだ。例えば、先に「温度の違い」と簡単に書いたが、温度が低ければ当然時間はよりかかる。そうした細かいことの積み重ねで全体が組み立て上がる。

スープの旨味の穏やかさは、その分、麺の味、各トッピングの味、ひとつひとつの味がより印象に残るようになったとも言える。麺の「小麦を食べてる」実感をともなった味、青さのりの豊かな香りと微妙な味わい、トッピングの塩卵にもかすかに「カンホアの塩」の味がした。どれもきっとスープの穏やかさが背景ゆえに感じたもので、無理がない。「こういいうのでいいんだよな」と感じさせてくれる。そんな素直な「おいしさ」の塩らーめんだった。

2009年12月11日金曜日

猫が来る


この間、ある金曜日の夜、いつものように私たち家族の夕食が終わって、少しくつろいでいると、月見台(張り出し)への引き戸の外側から猫のような鳴き声がした。それは何かを求めているような急を要した声だったので、同時に気がついた幼い娘と一緒に、私たちは引き戸の上半分の透明なガラスから外を見た。紛れもない、猫だ。三毛猫だ。この辺りには、いわゆる「周り猫」と呼ばれる猫が2〜3匹いるが、この三毛猫は見たことがない。見上げてこちらを見ながら鳴いている。泣いているとさえ感じてしまった私は、直感的に「マズイなー」と思いつつ、つい引き戸を開けた。すると、トコトコ部屋に入って来て、足にまとわりつく。我が家は借家で、動物は飼ってはいけないことになっている。また大家さんちは、簡単な塀を隔てた隣なので、音が筒抜け。猫がいるだけでもすぐにバレる。

こんな人慣れした猫が、こんな見ず知らずの人の家に、それもこんな時間に来るなんて。「きっと、何か事情があるに違いない」と思ったが、同時に「ウチに来てもねぇ〜」と、とても複雑な心境。子供たちは突然の『愛くるしい』とも言える訪問者に大騒ぎ。フワフワの毛を撫でては、もう歓喜極まっている。こんなとき、オヤジはいかなる行動を取るべきか。短い時間にいろんなシナリオが頭の中を駆けめぐった。

とりあえず、いつものように家族は順番に風呂に入る。私は最後なので、しばしの間、部屋でサシで一緒に過ごした。猫はまるで自分の家のように、座布団の上でゴロゴロ。明らかにリラックスしている。それを見て、何となく「コイツにはかなわない」という感覚が私の心にグッサリと刺さった。風呂から上がっても興奮状態の子供たちは、とても寝付けそうにない。それでも、「もう寝よう」と電気を消した。「猫さんはどうするの?」と当然の質問。「この猫さんは、迷子になってるかも知れないから、きょう外に出してあげよう」と、大した抵抗なく私に抱きかかえられた猫は入ってきた引き戸の外に出た。しばらく引き戸の向こうで鳴いてはいたが、無視するしかない。だんだん鳴き声の間隔が長くなり、やがて声が聞こえなくなった後、私も布団に入った。

翌朝、引き戸の外を見るが、いない。「またどこかへ行ったかな」と思ったのもつかの間、玄関わきのポストに新聞を取りに行くと、隣の家の玄関の前に座っている。ポストを開ける音に気づいた猫は、私に向かって走ってくる。「あや〜」。幸か不幸かこの日は土曜日で私は一日中、家で仕事の予定だった。カミさんは外で仕事、子供を保育園に預けた後、私は一日一緒に過ごすこととなった。しかし、このままではいけない。

とりあえず2軒隣の友人に相談。その家はかつて猫を飼っていて、私たちより猫に詳しい。しかし、その家も同じタナゴ(共通の大家さんの借家)だから、「ウチも無理だけど、近所の○○さんちだったら、猫飼ってもいいな〜ってなこと言ってたよ」とすばらしい情報。早速、○○さんちに電話をかけると、悪くない反応。簡単に言えば、「猫による」のだろう。でも、この猫が受け入れられる自信はあったので、まずは我が家に来てもらった。案の定、OKが出て、翌日の日曜日、連れて行くことになった。ホッと一息。と同時に一抹の寂しさはあったけど・・・。

しかし、この猫が単純に迷子になってる可能性がないわけではない。そこで、「迷い猫、預かってます。お心当たりの方はコチラまで(携帯番号)」という写真付きの紙を、近所の電信柱に貼りまくった。○○さんには「もし、飼い主が現れたら帰ってもらうから」は条件だ。そして夕方保育園のお迎え、間もなくカミさんも帰宅。ほとんど仕事にならなかった長い一日を説明した後、「(翌日の)お昼ぐらいまでこの猫と一緒に過ごそう。また会いたくなったら○○さんちへ行けばいい」と話した。半分自分に言い聞かせるように。冒頭の写真は、その日曜日に撮ったものである。

1ヶ月ほど連絡を待ったが、梨のツブテ。張り紙を全て撤去し、その三毛猫は○○さんちに住むことになった。どんな事情があったかは分からないが、猫も大変だ。

猫と言えば、もう10年以上前のことだが、我が家の縁側の下から、か細い子猫の声がしたので覗いてみると、母猫が子猫2匹を抱えて授乳していた。明らかに子猫たちは弱ってた。そぼ降る雨の中だった。私と目が合った母も弱っていたが懸命に私を威嚇する。「雨宿りぐらい全然OKよ」と言い残して1〜2日後、「どうしたかな」と見てみたら、子猫1匹だけが死体で残っていた。つい数十年前までの日本では、生まれてすぐに命を落とす人間の赤ちゃんが少なからずいたという。どんな事情があったかは分からないが、命がけで猫も大変だ。裏庭の土の中に遺体を埋め、手を合わしながら、そう思った。

2009年11月24日火曜日

森林伐採の棒


「抜けるような青空」とはこういう空だろう。その空の下、さっそうとオートバイが走っている。実にのどかな風景だ。ここは「カンホアの塩」の塩田へ向かう道。しかし、写真のピントは右側の赤と白のシマシマに数字が書いてある棒に合っている。きょうのブログのタイトルのとおり、これは、「森林伐採の棒」とも言えなくもない。これ、何だか分かります? 

塩田へはあと2〜3分といったところなので、海へももうすぐだ。この写真からは想像出来ないが、実はこの辺りは、毎年雨期になると水浸しになる。今(11月)、カンホアはちょうど雨期だ。この写真は今年の5月、乾期真っ盛りのときに撮ったもの。

少し前まで(15〜20年ぐらい前まで)ベトナムの田舎では、一般家庭用も含め燃料はみんな薪や炭を使っていた。(もちろん日本も昔はそうだった)ところが、経済も発展し人口が増えると、それまで続いていた薪や炭の循環による燃料だけでは足りなくなり、山に生えてる木を切り始めた。そして、しばらくして山はハゲ坊主になってしまった。10年ほど前、私はバスで山を走ったことがあったが、見事というかゾッとするぐらい木が切られた風景を思い出す。当然、山の保水力は衰え、やがてその山の下にあたる地域は雨期時の洪水の規模を増した。死者が出ることも決して珍しくないほどだ。

あわてたベトナム政府は、木の伐採の規制を強化し取り締まった。その結果、少しずつだが回復に向かっているという。いくら植物の成長が早い熱帯とはいえ、とても時間がかかることは言うまでもない。現在は、ちょっとした町ならガスが普及しているし、七輪を使っている田舎でも薪や炭の燃料は禁止され、すべて練炭になっている。

写真の赤白の棒、分かりましたか? こいつは、この辺りが水浸しになったとき、その水深を示す定規なのです。どんなに起伏のある道でも、水は平らにしてしまうから、上から見ただけで、その深さは分からない。例えば、水深20cmまでなら自分の乗ってるオートバイのエンジンに水が入らないとすれば、それ以上のところは通れない。それを確認するための定規である。

洪水は毎年あるので、こうしてコンクリートでしっかり作られている。もちろんこの辺りでも低い場所に立っている。ベトナムはメートル法が一般的なので、“2”は20cmを示すんだろうけど、“2”の上端に水面が来ると“2”が見えなくなっちゃうな。ん、まぁ細かいことは抜きにして、定規なんです。これが20cmならまだしも、120cmまで目盛りがある。120cmまでは来ないにしても、車が通れないぐらい(50cm)にはなることがあるらしい。私は雨期にもこのあたりに来たことはあるが、洪水の最中にはないので、実体験としては分からない。でも、これは決して飾りではないのです。

ところで、植樹活動はちゃんと行われているのか、気になるところだ。こうした森林伐採の話は、環境問題の課題としてしばしばあるが、そういう社会問題としてだけでなく、毎年の雨期には、塩田も塩田で働いている人たちの家も水浸しになる。私と直接関係ある人たちにも被害は及んでいる。

一度、カンホアの天日塩生産者に、「将来、少しでも出来る範囲で山に木を植えたいと思うが、どう思う?」と話したことがある。しかし、「そりゃ〜、喜ぶ人はいると思うけど・・・」とつれない反応。例えば、日本で言えばNGO組織などが植樹運動をしていれば、それに協力する形を比較的簡単にとれるだろうが、そういう雰囲気はまるでない。だから、もし現実的に行うとすれば、役所をからめてそのシステム作りから始めなくてはならないだろう。もちろんその際は、カンホアの天日塩生産者も巻き込んでのことになるだろう。それなりの覚悟は必要だ。

残念ながら、現在のところ、私にそこまでの余力はない。「カンホアの塩」は日本の人に喜んでもらいたい、また生産地もそれなりの技術的・経済的恩恵を受けてもらうことで、ひとつの循環がそこに生まれれば、という気持ちで作っている。最低限度、そこまでの循環がないと、このようなことは難しい。そういう意味で、余力がない。

しかし、一過性の経済優先で失われた環境は、結果的に社会全体としては不利益だという、(悪い意味での)経験値は日本の方が高い。せっかくだから、それは何とかして伝えたい。が、これがかなり難しいのだ。ただ、もしそこまで出来たらそれは絶対にすばらしいことだ。そんな夢もあるから、この仕事を続けられているのかも知れない。

2009年11月17日火曜日

「ズルズル」の文化


前のブログで、麺の「ズルズル」を書いた後、もう一歩踏み込んで、「ズルズル」を考えてみたくなった。「ズルズル」は世界的にとても特別なもの。考えてみる価値を感じてしまった。

まず、麺の食べ方のスタイルは大きく3種類に分かれると思う。

  1. 日本では、もり・せいろ・ざる・そうめんなど、つゆにつけて食べる麺(以下、「つゆ麺」と称す)

  2. ラーメンやフォーなどの「汁麺」、朝鮮の冷麺もこれに入る

  3. スパゲティーなど主に絡まったソースで食べる麺


上の3つの麺類で、私が最も「ズルズル」を必要と感じるのは、間違いなく1番のつゆ麺だ。2番の汁麺はケースバイケース。着てる物にもよったりしてね。3番は「ズルズル」しない。

汁麺をケースバイケースと思うのはなぜだろう。何となくのイメージでは、麺以外の具材がたくさん入っている汁麺は具材と共に食べることもあるから、「ズルズル」な印象は比較的薄いが、ちょっとトッピング程度のシンプルなラーメンやフォーは「ズルズル」する印象がややある。やはり、「ズルズル」は「麺と汁との絡み具合」がその骨子だろう。汁麺はあらかじめ汁に浸かっており、つゆ麺は自分で浸ける。もしかしたら、私にとって、汁麺の「ズルズル」はつゆ麺の「ズルズル」の延長線上にあるのかも知れない・・・・という仮説の下、つゆ麺の「ズルズル」を深ーく考察してみようと思う。

ちょっと話が面倒になってきた。ちょうど今蕎麦がうまい時だし、蕎麦に絞って進める。

まず、蕎麦(そば切り)を汁にドップリつけると、大概はつゆの香り・味が勝ち過ぎて、蕎麦の味・香りが消され過ぎてしまう。だから、箸でとった蕎麦の5cmぐらいは残して下の部分をつゆにつけるぐらいがちょうどいい。そして素早く「ズルズル」っとする。ちょうど落語家の人が扇子の箸で蕎麦を食べる感じだ(「時そば」は汁麺だったと思ったが)。それで思い出したが、蕎麦通と呼ばれる人が「死ぬまでに一度でいいから蕎麦をたっぷりつゆにつけて食べたかった」というオチの落語があったような気がする。やせ我慢はよくないが、やはり適度が一番いい。・・・・ちょっと話がそれたので、戻します。・・・・何しろ素早く「ズルズル」っとすると、口の中で蕎麦と適量の汁がうまく絡み、独特のハーモニーを醸し出す。これは蕎麦をつゆに適度に浸けてゆっくりハムハムするのとは違う。素早く「ズルズル」っとすることにより、蕎麦とつゆだけでなく、「空気」も口の中に一緒に入り、その3者の絡みで、蕎麦とつゆのハーモニーを感じるのだ。私にとって「ズルズル」の意味は、この「空気」をも一緒に食べることにある。

またオプションとして私の場合、最初の一口の前に、一度は蕎麦だけを2〜3本つゆに浸けずに口に運び、蕎麦の香り・甘さも含めた味を記憶にとどめ、つゆを浸ける量を調整しながら「ズルズル」する。蕎麦を食すとき、蕎麦の香り・味を感じたいと思う。これはうどんの小麦の味・香りも一緒だ。

こうしたことはスパゲティーではあり得ない。粘性のあるソースがあらかじめ平均的に麺に絡まっているので、「ズルズル」するとかえってそのバランスを崩しかねない。それにソースが飛び散るのもイヤだ。だから「ズルズルは御法度」なのも頷ける。

でも、蕎麦はね。うどんもそうめんも冷や麦も、つゆ麺はね・・・・
もー、世界の誰が「ズルズルは御法度」と言おうが、「ズルズル」は止められない。

きょうは、「ズルズル」の文化を考えてみようと臨んだが、気がつくと私の全く主観的な、単なる「ズルズル」の言い訳に過ぎないな。もーいいや、「ズルズル」のどこが悪い!

2009年11月10日火曜日

蕎麦屋のシンフォニー


昔、私が二十歳ぐらいのときのこと。スイス人の友だちが日本に遊びに来ていて、一緒に蕎麦屋に入った。もりだかせいろだかを頼んで、私はズルズルと普通に食べ始めた。それを見ていたスイス人の友だちは、目を見開いて驚愕している。最初、私は彼に何が起きたか理解できなかった。「どうしたの?」ときいても、興奮して「お前スゴイな〜」と言うだけ。似たような経験をお持ちの方もいらっしゃるだろう。

彼ら西洋の人たちにとって、「ズルズル音を立てて食べる」ということは御法度だ。幼い頃から、「音を立てて食べてはいけません」と躾けられている。日本も共通しているが、麺類だけは例外だ。その意識のなかった私はゆるーい感じで、「蕎麦はこうして食べた方がうまい。やってみな」と言った。でもこれがいくら頑張っても出来ない。「これも日本の文化」と彼は何度か仕切り直して頑張ってみるが、出来ない。それはまるで自転車に乗ったことのない人に「ペダルをこげばいいんだよ」と言うのと同じようだった。

彼は、ズルズル食べることを諦めると、今度は腹を抱えて笑い出した。彼曰く「(蕎麦屋が)スゴイことになってるー」。私はそれまで意識したことなかったが、意識してみると、あっちで「ズルズル」こっちでも「ズルズル」。その店のあちこちから「ズルズル」が、まるで田んぼの蛙のシンフォニーのように聞こえてくるのだ。彼にしてみれば、禁断の行為がまるで無法地帯のように行われているからおかしくてたまらない。

ところ変わってベトナムはサイゴン。今年、「カンホアの塩」の生産者の人(ベトナム人)と、日本料理店で一緒に食事をした。お造りだの天ぷらだのを肴に日本酒を飲んで、シメに蕎麦となった。そーしたら、出来ないんです。麺類が豊富なベトナムの人も。広くは東アジアは麺類が豊富だから、そこの人たちはみんな「ズルズルする」と私は勝手に思いこんでいたが、それは大きな間違いだった。

よく考えてみた。

ベトナムのフォーは汁麺(noodle soup)だが、ベトナムでもブンという麺は、ときどきつゆにつけても食べる。が、サーブされるブンは日本のもりやせいろのようにパラパラしてなくて、麺がくっついて固まりになっている。箸でその固まりを刺すように取る。固まりになってると食べにくいから、つゆにドップリつける。ドップリつけるとブンはつゆの中でほぐれて食べやすくなる。それに若干の違和感を感じたことを思い出した。しかし、もちろんそれは「そーいうもの」であり、それなりにおいしい。

何しろ、世界で(アジアも含め)「ズルズル」は特別なことなのだ。

・・・・と話が結論めいてきて、私は鏡の中の自分を見る。ベトナムで私がフォーやブンを食べるとき、「ズルズル」してなかったか? もう相当な回数食べているけど、どうしても思い出せない。あまりに日常的なことなので全く記憶に残っていないのだ。「ベトナムの普通のご飯」という見出しのブログでも少し触れたが、ベトナムで食べ方の流儀はいくらかあれど、無礼にあたるタブーのようなことはあまりない。だから「ズルズル」の受け取り方も西洋とは違うからやや安心。まぁ、単純に周りの視線に私が鈍感だっただけかも知れないが。

ん〜、でもやっぱりベトナムで麺類を食べるときも、個人的には人の視線を気にせず、ノビノビとズルズルしたいなと思う私がいる。

(冒頭写真は、東京・八王子の車屋さんの「鴨せいろ」)

2009年10月20日火曜日

人力山荘が語るもの


写真は、人力山荘名物、露天・五右衛門風呂に浸かる中山氏。1年前ぐらいの撮影。現在は、絶景はそのままに、屋根がついている。さて、きょうも前のブログ「人力山荘@東京・奥多摩」の続き。

私は、この人力山荘で2つのことを思った。

ひとつは、個人的な趣味趣向として。私にとって、自分や家族が住む家を建てたり古い家を改築したりするのは、最高の趣味または道楽だと思っている。その土地の事情に合わせながら、家の全てのディテールを自分たちの好きなようにして、その家に住む。最高の贅沢ではないか。価値基準はあくまで自分たちの住み心地だから、特に高価な建材は要らない。廃材を含め雰囲気のある建材は多少欲しい程度だ。高価で新しい建材ばかりの家は自分が落ち着かない。そういった自分の感覚が現実のフィルターにかけられ、リアルに形になって家が出来る。究極の道楽じゃ。

しかし残念ながら、今の私にはそれが出来ない。今の私の生活を支える諸般の事情では、それが出来ないからだ。「類は友を呼ぶ」のか、私の友人には自分でそれをやった者が、中山氏も含め数人いる。彼らは決してカネ持ちではないことが、私の諸般の事情がカネではないことをリアルに教えてくれる。語弊はあろうが、(土地を含め)変にカネが使われた家は魅力的ではなくなる。それは、変にカネが使われている生活が魅力的でないことと同じだ。そしてなぜか「自分の営むその生活を形にしたい」という欲が私にもあり、それを昇華することが家作りであり、その実現は最高の贅沢に感じるのだ。中山さん、いいな〜と素直に思う。時間がたっぷりあって、日々「ここはああしよう、あそこは・・・」と考えながらそんなことが出来たらと思うと、夢のようだ。

そして、人力山荘で思ったもうひとつのこと。それは、やや社会的なこと。景気が悪いとか、勝ち組/負け組(もー古いか)とかイヤな言葉が流布してるが、そんな今の日本で大事なのは、「幸せのあり方」だと思う。景気が悪くても負け組であっても、幸せなら何の問題もない。

高度経済成長期のように、多くの人々が同じような方向を向いてると、ある意味幸せ実現の効率がいい。例えば家なら、通勤1時間ぐらいの30坪の新築が幸せの形であるなら、不動産業者・建設業者・金融業者はそれを集中的・効率的に作って売ればいい。買う方もある程度その効率の恩恵を受けられるだろう。でも、本当は違うんだと思う。「多くの人々が向く同じような方向」は確かに効率的だが、それは仮想的でもある。元来、幸せとは自分自身で切り開かねばならないものだ。オーダーメイドなのだ。だから解決しなくてはいけない問題もオリジナル。よって例外なく大変なのだ。いくら人から幸せそうに見えても、本人が幸せと感じないと幸せではない。またいくら人から不幸そうに見えても、本人が幸せを感じていれば幸せだ。

私個人的に、自分の住み家を自分の好きなように作っている中山氏を羨ましいと思う。そしてそれは私の大きな参考にはなるが、私に同じようなことは出来ない。私は私なりの形を模索するしかない。それはきっと、人力山荘の他にも、有形無形のいろいろな縁といろいろなことを感じる私の経験によって少しずつ育まれるものと信じている。だから、大変なのだ。しかし、そんなもんだ。

中山氏を「変わり者」扱いするのは簡単だ。でも、人力山荘は、私に、そして社会に、「幸せのあり方」のヒントを示してくれているように思えてならない。各人の「幸せのあり方」を束ねると、「幸せの多様性」とも言えるかも知れない。しかし、「多様性」という言葉は使いたくない。なぜなら、元々幸せは多様なものだから。「多様性」とは、単一的だった高度経済成長期の価値観に対するアンチテーゼというだけで、本質的な具体性はない。さぁ、あなたの幸せは? そして私のは?

2009年10月19日月曜日

人力山荘@東京・奥多摩


最初に、前のブログ「奥多摩の柚子」の追加情報から。東京・奥多摩界隈は、やはり酒屋さんの言うとおり、柚子が多かったようだ。さらに「柚木」という姓が多かったり、「柚木町」という地名もあったりする。しかし「奥多摩・・・柚子」と連想する人はなぜか少ない。町(村)おこしの素材になるかな?

さて、「奥多摩の柚子」で、奥多摩・日原にある知人の別荘のことを書いた。その知人、名前を中山茂大(しげお)という。上記の柚子の情報も彼から。そしてその別荘の名は「人力山荘」。本人の承諾を得たので、こっからは実名です。「人力山荘」は、新聞・雑誌などですでに掲載されているので、気楽に、改めて「人力山荘」のことを書こうと思う。

さてさて、その人力山荘、「急勾配の土地に建ってる」と書いたが、急勾配のいいところもたくさんある。例えば、上の写真。私の娘がブランコにのってる。説明するまでもないが、急勾配のブランコは楽しい。彼女と町中の児童公園に行くと、ブランコを押すようせがまれる。大きく振れれば振れるほど楽しいから、「もっと、もっと」とせがまれる。コッチも調子に乗って、「お空に飛んでけー」と押す。で、この人力山荘のブランコでは、「お山に飛んでけー」ってな感じだ。もちろん私も乗ったが、一番前に振れたときの高さは4〜5mになるから、かなりの「飛んでる感」が味わえる。勝手に名付けて「マウンテン・スカイ」。

また、この人力山荘には、中山氏お手製の露天の五右衛門風呂もある。薪の熱で下から熱くなる五右衛門は身も心も暖まる。もちろん、絶景だ。「この辺りは植林だらけだろうな〜」と行く前は思ってたが、意外と雑木林が多かった。それを彼に尋ねると、「山火事があって、焼けたところはそのままにされて、雑木林になってる」とのこと。数十年前に植林したはいいけど、外国産材木の輸入や人手不足などで、日本全国で植林が問題になってることは周知のとおり。その植林が山火事になるとこうなるんだ、とやや複雑な心境になった。この写真で分かるかな? 子供の左手の背景部分は植林で、その左側の斜面が雑木林になってる。不謹慎だが、紅葉はキレイそう。

ところで、下世話な話だがリアルな話として、この人力山荘、一体いくらのカネがかかっているか。「新聞・雑誌に掲載されている」のはそれが切り口だ。古民家付きの土地100坪で200万円。古民家とはやや聞こえがいいが、そのままではちょっと住めない感じなので、中山氏はタタキ(土間)を作ったり、囲炉裏、風呂、(水洗の)トイレを作ったり、壁を塗り替えたりといろいろ手を加えている。まだ未完成ながら、その諸経費100万円で、現在しめて300万円使ったことになる。このへんの詳細は、「田舎暮らしの本」(宝島社)で連載中なので、興味のある方は見てみてください。

また、ブログ「人力山荘開発日記」はコチラ

そして、「アンデス6000kmをロバと縦断」なんてこともしてる、中山氏の仕事をかいま見られる人力社のサイトはコチラ

200万円だの300万円など、カネのことを書いたが、本質はもちろんカネじゃない。それをこの次書きたいと思う。

2009年10月13日火曜日

奥多摩の柚子


10日(土)は子供の運動会で、翌11日(日)は雨天順延時の予備日だった。先週は台風が来てたけど、私の住む東京はピークが木曜日だったので、その時点で10日(土)は降りそうにないことが分かった。つまり、とっておいた11日(日)がフリーな休日になった。こういう日は、プレゼントされた一日のようで気持ちにも余裕がある。

木曜日、「何をしようか」と思案してたら、以前から誘ってくれてた知人の奥多摩の別荘を思い出した。早速電話したら、家族での訪問を快諾してもらえて決定。奥多摩は東京の西端で、「東京都」とは言うものの、かなりの山の中だ。当日、そこへの道すがら、近所の酒屋さんへ手みやげのお酒を買いに行った。お店に入ってすぐに目に入ったのは、店頭に並んだ柚子酒。最近は、(焼酎でなく)日本酒(原酒)に梅を漬けた梅酒をよく見かけるようになったが、この柚子酒はその柚子版。私にとってお酒は、その中の酸味も重要なので、柚子酒はちょっと引く感じ。ごめんなさいね。でもお店の方と話してたら、「私も昔はよく奥多摩へ山歩きに行ったのよ。奥多摩には野生の柚子の木がたくさんあったものよ」とのお話。「へぇ〜、柚子って四国あたりのイメージがあるけど、奥多摩にも自生してたんですかぁ」とちょっと驚き、お酒(柚子酒ではなかったが)を1本携えて、再び車に乗った。

その別荘は、奥多摩の日原というところにある。有名な鍾乳洞の手前の狭く急な山道を車で5分ほどのぼると、10軒ほどの集落に着いた。どの家も急な勾配の土地に建ってるから、その集落を見渡すことは出来ない。たぶんほんの数人が住んでるぐらいの集落だが、車で通るとやたらと視線を感じた。何度も言うが、急斜面に家々や道があるので、どの家からも道が見下ろせる。見慣れない私の車が道を通ると、各家の窓がいっせいに開いて、みんな「誰だぁ〜」って感じで視線を送るのだ。さて、知人より早く到着した。私は車を停めて、送ってもらった地図を片手に、細い道を登る。「ここかな」という家の隣家の前には、さっきまで窓から見ていた人が仁王立ちしてコッチを見ている。「こんにちは〜。○○さんちはこのへんですか?」「あぁ、そこの家だよ。ウチでお茶でも飲んでいくかい?」。ん〜、ちょっと驚くも、「いや〜、もうすぐ待ち合わせした時間なので、(○○さんも)すぐ着くと思います。ありがとうございます」。社交辞令とは言うものの、なかなか強烈だ。

と、そうこうしているうちに、知人到着。手みやげのお酒を渡しつつ、酒屋さんの柚子の話をしたら、「柚子の木だったら、ウチの敷地内にも2本あります。よかったら持っていってください」と、有難いお言葉。それで持って帰ったのが、上の写真である。この家だけでなく、この集落には柚子の木が多いらしい。彼は1年半前にその家と土地を買ったばかりなので、昔のことはハッキリしないが、元々は自生していた柚子の木だったのかも知れない。だとすると、有名ではないが、奥多摩は、実は柚子の里だったことも考えられる。

この家(別荘)はいろいろな面で面白いので、この後、ご本人の承諾を得られたら、もっと具体的にその面白さを書こうと思う。

2009年9月24日木曜日

ニャチャンのフォー


写真は、ベトナムの代表的な麺、汁麺のフォー。ご存じの方も多いと思う。米粉の麺が塩味のスープに浸っている。でも、この写真を見て、「これはフォーじゃねぇーだろ」と言われる貴方。ん〜、ベトナム通ですね。でも、フォーなんです。きょうはちょっとマニアックなフォーの話。

ベトナムの麺のいろいろについては、詳しく説明してくれている本やサイトがあると思います。また、その食べ方にも多少の流儀はある。それはそれとして、「例外のない例はない」とはよく言ったもので、このフォーもそれが当てはまる。

まず、フォーはベトナム全土、「フォー・ガー(鶏)」か「フォー・ボー(牛)」の2種類と決まってる。なぜか豚のフォーはない。それをベトナム人に尋ねると、「昔からそーゆーものだ」とか言われる。だからと言って、豚の汁麺がないわけではない。例えば、ベトナム南部のサイゴンでは豚の汁麺となると、「フー・ティウ」という米粉の麺がある。ただし、この「フー・ティウ」はフォーと違い、半分乾燥させた半透明の麺で、朝鮮半島の冷麺の半分ぐらいのコシがある。フォーの麺は、白くてコシのない麺だ。つまりは、「フォーの麺には鶏か牛が、そしてフー・ティウの麺には豚が合う」ということだと思う。

しかーし

これがサイゴンから飛行機で1時間離れた、ベトナム中南部の海沿いの町、ニャチャンに行って、フォーを注文すると、サイゴンで「フー・ティウ」と呼ばれる米麺とそっくりの麺で出てくる。先に書いたとおり、フォーは「フォー・ガー(鶏)」か「フォー・ボー(牛)」の2種類と決まってることに変わりはないから、フー・ティウの麺で鶏か牛のフォーを食すことになる。上の写真は、「フォー・ガー(鶏)」だが、ニャチャンの「フォー・ガー」である。麺の様子が見えるように、あえて麺を汁の中から引っ張り出している。

まぁ、どうだっていいことか。そもそも日本にだって、生醤油で食べる「讃岐うどん」もあれば、肉汁に浸かった「武蔵野うどん」もあるし。

でもどうだってよくないことは、「ベトナムの麺=フォー」と言われる中、私はニャチャンのフォーまたはサイゴンのフー・ティウの麺の方が好きだということ。どーも、あのフニャフニャの麺をすすんで食べる気にあまりならない。

そろそろ話をまとめます。
ベトナムへ旅行へ行って、サイゴンでフォーがイマイチだと感じても、もしその後ニャチャンへ行ったら、もう一度フォーを頼んでみてください。そーゆーことです。そんな人がひとりでもいてくれたら、これを書いた意味があるかなぁ。

2009年9月8日火曜日

火炎樹とサルスベリ


写真は火炎樹。カンホアの塩田近くにある事務所の庭に植えられている。地面に花びらが落ちた様も素敵だ。南国では定番の木だが、ベトナムでその存在は、少しだけ日本の桜に似ている。

それは、ベトナムでは毎年学校の学年が終わる6月に咲くため、「卒業の花」とも言われるからだ。ちなみに6月、カンホアは一番暑い。暑さで頭がボォーっとしてても、この炎のような鮮烈な色の花を見ると目が覚める思いになる。桜は花だけで咲くが、ご覧のとおり火炎樹の花は緑の葉っぱとともに咲く。補色のコントラストがこの鮮やかさを増している。この下で卒業生同士が写真を撮ったりするんだろうな。そう言えば、ベトナムの小学生の制服で白いシャツに赤いスカーフ、ネイビーブルーのズボンまたはスカートっていうのがあった。火炎樹の赤は、あのスカーフの赤と似つかわしい。


ところで私の中で、日本で一番暑いときに咲く花と言えば、サルスベリだ。サルスベリの花は、白や淡いピンク、また紫がかったのもあるが、この写真のピンクが一番一般的だろう。サルスベリさんにはちょっと悪いが、どうもこのピンク色を見ると暑苦しく感じてしまう。いつも暑い中で見るから、単なる条件反射なのかも知れない。では、なぜ火炎樹を見て暑苦しく感じず「目が覚める思いになる」のだろう。サルスベリの花も緑の葉っぱと共に咲く。花の茂り具合や真っ赤とピンクの違いか。またカラッとしたベトナムの暑さと湿気のある日本の暑さの違いか。日本で真夏に咲く花は比較的珍しいから目に付きやすいのかな。写真は7月末に撮ったものだが、9月になった今は、ほとんど葉っぱだけになっている。

「美しさ」は「おいしさ」同様、主観的な問題だ。そしてあまりに見慣れたもの食べ慣れたものは、何となくその人の主観的な価値を下げがちな傾向がある。しかし、慣れたもの身近なものほど大事だったりする。桜は毎年咲くが「早く散るからいい」と言う。ベトナムの人がピンクのサルスベリを見たら、どう見えるだろう? 「涼しげだね〜」とか言われたら、私の主観も変わるかな。こういう主観はどんどんブレていい。

2009年9月1日火曜日

ブノワトン 高橋幸夫氏 逝去


(後記:写真は、9月28日行われた偲ぶ会のもの。麦の穂を捧げた。)

ブノワトンの高橋幸夫氏が8月1日に逝去されたことを、先週知った。彼はご家族とともに、日本におけるパンの新しい世界と可能性を見せてくれた。

それはおいしいパンというだけに留まらない。一見とてもパン屋さんとは見えない店構えのブノワトン(神奈川・伊勢原)の中に入ると、眺めているだけでもおいしさが伝わってくる様々なパンたち。「もー最初は大変でしたよ。バゲット切ったら中に穴が開いてるってクレームになってたんですから」というところから始まり、その後は東京から買いに来るお客さんも珍しくなくなった。次のお店は和の佇まい、足柄麦師をオープン。そして「神奈川でパンを作っているのだから、神奈川の小麦を使いたい」と、自分で粉屋まで始めた。その小麦は「湘南小麦」と名付けられた。功績はとても語り尽くせない。

去年の夏、高橋さんと話す機会があった。彼は家庭でパンを手軽に作れる「手作りパンキット」のようなものを考えていて、「そのキットの塩として100〜200gぐらいの小さいカンホアの塩【石臼挽き】を作らないか? また(小さい方が)お店でもお客さんは買いやすいですよ。パッケージのデザインは・・・・」と提案された。お店で使ってもらっているのは20kg、小さいのは500gしかなかった。それまで考えはしていても実行にちっとも移ってなかったが、その声で背中を押された私は実行に移り、今年の春、それが発売になった。だから、カンホアの塩【石臼挽き】の150gは私なりに思い出深い。

初めてお会いしたとき、「カンホアの塩、おいしいです。オッケーです」とニコッと微笑みながら言われたときは嬉しかった。私は「ブノワトンのパン、おいしいです」とは思っていても、とてもそれを言えるようなタマじゃない。いろいろな思いを胸にギュッと詰めて、私は私なりに進んでいくしかない。

ゆっくり休んでください。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌

2009年8月21日金曜日

梅干しが教えてくれるもの


やっと昨日、梅干しの土用干しが終わった。私は東京在住。今年の「梅雨明け宣言」はたしか7月末頃あったが、それは名ばかりだった。8月になってもどんよりとした曇り空の日が続き、ときには熱帯のスコールのような雨も降った。いつになったら「土用干し出来るのだろう」と心配し始めたお盆も過ぎた今週、やっと真夏らしくお天道様がギラギラした。このときとばかりに3日間土用干し。今、一安心したところです。

梅干しを仕込む人は多くはないと思うので、ざっとその工程を書いてみます。

  1. 梅を塩漬けにする・・・梅から出た汁(梅酢)が上がってくる

  2. 塩もみした赤シソを加える・・・汁と梅が赤く染まる

  3. 土用干しする・・・直射日光に当てて干す

  4. 取り込んで1年ぐらい寝かせる


梅が熟すのが6月中旬から末、赤ジソの収穫時が7月初旬、梅雨が明けるのが7月下旬。この自然のリズムをなぞるように次々と工程を踏んでいき、梅干しは出来上がる。自然と共に暮らしていた昔の人の知恵。すばらしいですね。

毎年梅干しを作り始めて10年ぐらいたった。塩は手前塩のカンホアの塩で同じだが、毎年違う梅、シソを使い、天気も毎年違う。「梅干し作り」というと、とてもシンプルに聞こえるかも知れないが、実は毎年いろいろ違い、いろいろなことがある。

今年の特徴は、現実的な梅雨明けが遅かったこと。土用干しするのが、いつもより3週間ぐらい遅くなった。なかなか土用干し出来なかったため、梅漬けの時間が長くなり、カビが生えた。「なかなか梅雨明けしない」ということは、同時にその間「高温多湿の日々を過ごす」ということ。よってカビが生えやすくなる。カビは梅から出た汁(梅酢)に浮き草ようにポツポツ生える。この10年で、カビが生えたことは1〜2度あったが、カビはほんのちょっとから始まるから、軽症なうちにスプーンですくえば問題ない。しかし、今年はお盆も過ぎたせいで、チェックを怠った。おかげで、カビは軽症とは言えなくなり、初めて梅酢を加熱した。その詳細は、新たに「正統派・梅干しレシピ」に載せた。梅酢の加熱は何となく抵抗があったが、思いの外うまくいった。つまりおいしい梅干しになりそうだ。

思いの外うまくいったのは、同時進行で梅干しを仕込んでたうちのカミさんの助けがあったからだった。助けと言っても、作業を手伝ったくれた訳ではない。私に比べ、彼女は大ざっぱな性格なので、例えば、梅を仕込む前に容器などを熱湯消毒するが、容器はしても重石はしてなかったりする。「そんなんじゃ意味ねぇ〜じゃん」と言うと、「いいの、いいの、だいたい(消毒)したから」と言う。だから、私よりもずっと早くにカビが生え始める。いつもだと、土用干しまで私のはカビが生えず、生えても軽症で事なきに終わる。

でも、今年は違った。7月中旬に彼女の梅酢は早速カビ始めた。「それ言ったことか」と全くカビの生えてない自分の梅を誇らしげに言う私。しかし、彼女は涼しい顔をしてその翌日ぐらいに加熱消毒した。そして、梅雨の明けない日が続き、8月も1週間過ぎると私の梅もちょっとずつカビ始めた。最初は「軽症、軽症」とちっちゃなカビを取ってたが、お盆がらみでカビは増殖。立場は一気に逆転し、彼女のは全くカビなしなのに、私のはカビカビになってしまった。彼女のは、およそ1ヶ月も前の加熱にもかかわらず、カビは再発生していない。そこで彼女にご指南頂き、私は初めて梅酢の加熱を経験し、うまくいった。梅酢の加熱はひとつの非常手段なので、出来たらしたくないが、加熱しても思ったより梅干しの仕上がりに影響しないことが分かった。

カビがちょっと多めになったと思ったら、即思い切って加熱してしまった方がいい。そして、加熱すれば1ヶ月はカビが生えない。もう土用干しを終えた人も多いだろうから、来年の話になるけど、参考にしてください。そして、なかなかこの世に「正解」というものがないことも。

2009年8月10日月曜日

真夏の夜の酒


暑い。
こう暑い日が続くと、胃腸も疲れ気味になるのが分かる。ビールが進む、ということもあるが、どうもそれだけでは心身共に落ち着かない。そんな真夏の夜の、私の密かな楽しい時間は、就寝前の15分にある。家族が寝静まった、だいたい夜10時前後。洗濯機のタイマーを翌朝にセットし、歯も磨いた後だ。

築40年は楽に越えてる愛すべき我が文化住宅的借家には、自作の月見台がある。畳2枚弱の、板張りの小さなスペースにちゃぶ台を置き、60ワットの電球にスイッチを入れる。それまで意識の向かなかった虫の音が響き始め、遠音に電車の音がときどき聞こえる。その音源の多摩川にかかる鉄橋は2kmほど離れているが、この時間になると風向き次第で聞こえてくる。まさに静寂を演出する音だ。これに少しの風がそよぎ、風鈴がちょっと音を立ててくれば「とてもいい夜」になる。隣の家の夫婦喧嘩もご愛嬌、と思っていたら・・・おっと〜、蚊取り線香つけるの忘れてた。

さて、ここでの主役は、酒だ。肴は雰囲気だけでいい。冬場はここで酒を飲むことはないが、春秋は焼酎・ウィスキー・ブランデーなど蒸留酒を主にストレートで味わう。コテっと寝る前の一杯だ。しかし、この2〜3年の夏場は胃腸の疲れを考えて、日本酒を飲むことが多い。酒は秋から春までのお燗もいいが、こんな真夏の夜は、涼しめのときで常温、暑いときはロックにしたり(上の写真)、疲れているときはさらにソーダで割ったりする。

私は、普段から酒は純米酒しか飲まないが、特にこうして氷やソーダで薄まるときは味のシッカリした純米酒がいい。いや、そうでないとダメだ。上品な端麗タイプやいわゆる「きれいなお酒」は、たとえ純米酒であってもこの飲み方にはそぐわない。純米吟醸は芳しいが、食中はかえってただの純米酒かせいぜい特別純米止まりの方が、食べ物とのバランスがよく、食が進む。だから、普段純米吟醸はあまり買い置きしない。したがって、こうして一人静かに酒を楽しむときも特別純米止まりになる。純米酒だって香りがない訳じゃない。こういうときはかえってその微妙な香りがいとおしく思えたりもするものだ。

これを書いてて、「たまにはこの時間のために、純米吟醸を1本買ってみるか」と思い立った。あまり買わないので、酒屋さんで迷いそうだ。そんなこと思ってたら長い針が下を向いている。おやすみなさーい。

2009年8月5日水曜日

夜の訪問者


夕べのこと、網戸も開けてた我が家にカブトムシ(メス)が飛んできた。場所は、東京の西の方、昭島市。最初、カミさんが「何か飛んできた」とシャウトした。辺りを探しても何も見つからず、そのときは「?」。それから30分ぐらいした後、私のTシャツの中で何かがゴソゴソ動いているのに気がつき、シャツをまくってみると、あ〜らカブトムシさん。私は東京生まれの東京育ちだから、こんな経験は多くない。子供と一緒に喜びを分かち合った。意外とツルツルしてる背中をなでてみたり、お顔をよーく拝見してみたり、腕にはわせてみたり。最後は網戸にとまってもらって記念撮影。子供と「もういいな」と最終確認した後、外に投げたら飛んでいった。

・・・とここまでは、よくある話だと思う。

実は、このカブトムシさんの1時間ほど前、別の訪問者がいた。カミさんが「テンだ! イタチだ!」と庭を指さし、やはりシャウトした。スーパーマンでも来たかと思ったが、かなり慌てた声にあおられ、私も慌てて庭をみた。庭には部屋から4mぐらい離れたところに、昔からよくある高さ1.5mほどのコンクリートの塀がある。その塀の上を3匹繋がって、何とハクビシンが歩いていた。「小走り」の方が近いかな。外は真っ暗で、部屋の電球にうっすらと照らされたその鼻筋にハッキリと白い線が見えた。それは薄ら明かりに咲くドクダミの花のように真っ白に見えた。それを見た私は、瞬間的にハクビシンだと思った。それまで特にハクビシンに興味があった訳では全くない。ただ、発作的にハクビシンだと思ったから不思議だ。

その白い線の残像が脳裏に残っているうち、早速ネットで調べたら、紛れもなくハクビシンだった。漢字だと「白鼻芯」。ん〜、そのものだ。wikipediaには、「人家近くに生息して屋根裏でも繁殖する」とあった。何だそんなものか。また「植物食中心の雑食性で、果実、種子、小動物、鳥、鳥の卵などをたべる。なかでも果実を好む」。3匹は20〜30m先にある梨畑へと続く塀の上を立ち去って行った。そろそろ梨が実をつけ始める頃かぁ。

「いそうでいない」というより「いなそうでいる」夜の訪問者たち。残念ながら、夕べの最初の訪問者の写真を撮る余裕はなかった。

2009年7月27日月曜日

本当の紅生姜


始めて10年ぐらいか、私は毎年梅干しを仕込んでいる。今年も梅雨が明けたので、そろそろと土用干しのタイミングを見計らっているところだ。きょうもそうだが、最近は、東京にも熱帯のスコールのような雨が降ることが多く、このタイミングがなかなか難しい。

それはそれとしてです。毎年のことだが、梅干しの副産物として梅酢が出来る。この梅酢、私の場合、案外余る。「1年のうちに使えばいいや」と棚の奥にしまい込むと、1年たって半分以上残ってたりしてる。

考えてみると、使い道はたくさんある。サラダのドレッシング、餃子のタレ、青魚の煮付け(焼き青魚にかけても)、マリネ・漬物の液などなど。それでも、結構余る。それで「カンホアの塩」のサイトでは、「赤梅酢ご飯」というのを紹介している。これはかなりオススメだが、今年から紅生姜も作り始めた。

作り方という程のことなく、そのまま漬けてもそれなりに出来る。生姜の皮の汚れを洗って、薄くスライスし、梅酢に漬ける。1週間後ぐらいから(薄)紅生姜。それが上の写真。漬かったスライスをガリのようにそのまま使ってもいいし、さらに細切りにすれば、よくあるスタイルになる。

もっと色や味を濃くしたければ、(塩もみした)赤シソの葉を足したり、スライスした生姜を一度干して梅酢の染み込みをよくしたり、(ちょっともったいないけど)途中で梅酢を入れ替えたりするといいみたいだ。また、漬ける前の梅酢をあらかじめ天日に干しすなどして濃くしておいても当然色・味ともに濃くなる。まだ始めたばかりなので、これからいろいろやってみようと思っているところだが、「ただ漬けただけ」の上の写真のものでも、その価値は十分に感じられる。

普段、赤色○号の真っ赤な紅生姜を食べてる人がこれを食べると「紅生姜って本当はこういうものだったんだ」と驚くんじゃないかな。生姜自体の存在感がグッとあって、サッパリさ加減が何ともナチュラル。焼きそば、たこ焼き、お弁当のご飯の添え物。脇役ながら、一度食べると、「紅生姜はこうでなくちゃ」という気持ちになる。

でも、縁日の焼きそばに添えられたあの真っ赤な紅生姜。それを箸でどかすと出現する、赤く染まった茶褐色の焼きそば。コイツに特別なものを感じるのは私だけだろうか。最近はあまり見なくなったが、揚げ玉(関西では天かす)なんかも入ってコッテリの焼きそばの赤く染まったところなんかそそられるものがある。それはそれでたまらない。

でもね。歳を取ったせいかな。そんな「油ギットリに強烈なサッパリ」、というよりは、「程よい油や旨味に添えるサッパリ」って感じの方がおいしいく感じてしまう。そのために、この本当の紅生姜は名脇役として欠かせない。なかなか売ってもいないし。焼き魚、お好み焼き、たこ焼き、チャーハン、豚骨ラーメン・・・・。使い道は完全に梅酢単品を上回る。冷蔵庫にいつもあって欲しい。日持ちもするし。この紅生姜漬けがキッカケになって、「梅酢欲しさに梅干し作る」なんて日が来るかな。

2009年7月17日金曜日

新型・冷却ミスト


写真は、一昨日(7/15)の夕刊(東京新聞)の一面の記事。
天井にはうパイプからミスト(霧)状になった水が噴霧されている。記事を一部引用すると、

「装置は微細な水の粒で人工的に霧を発生させ、気化熱を利用して噴霧エリア周辺の気温を2〜3度下げる効果がある。気温が28度以上、湿度が70%未満などの条件で自動的に噴霧。一般のエアコンの消費電力の20分の1のエネルギーで動き、環境にも優しい冷却システムだ。」

とある。また、

「(練馬)区によると、都内23区の自治体がこの装置を常設したのは初めて。」

ともある。
私の知る限り、東京では吉祥寺の某デパートのエントランスにも同様の装置がある。これのいいところは、エアコンと違い、閉ざした空間でなくても使えること。もちろん、この記事にもありとおり、エネルギーの消費量が少なく、冷えすぎる心配もないのもいい。

と、ここまでは普通の話。
だが、私はこの記事とその写真を見て個人的にほくそ笑んだ。

ジャーン! これはただの扇風機ではありませーん。写真では分かりにくいかも知れないが、ミストを噴霧している。分かりますか? この写真は、ベトナムのとあるレストランで、今年5月に携帯のカメラで撮ったもの。ベトナム式冷却ミストである。新しいから撮ったのではない。ベトナムではさほど珍しいものではなく、何年も前から普通にある。このときは「ベトナムっぽくておもしろいなぁ」と思って撮った。

黄色いチューブが水道に繋がっていて、途中にバルブのスイッチがある。チューブの先は扇風機の前面についてて、その先っちょにはスプレーの先のようなものが付いてて、水圧で噴霧するようになっている。そしてそのミストは、扇風機の風で2〜3メートル飛ばされている。扇風機の下にある水色のボードは、間違っても水滴がその下にあるお客さんの頭にたれないためのもの。おまけに付け加えると、ややアンティーク感漂った扇風機自体のデザインも悪くない。

日本のようにこれは、「気温何℃・湿度何%で」と自動制御はもちろんされてはおらず、扇風機とともに手動でオン・オフ。でも、「水の蒸発による気化熱を使った冷却器」という点は練馬駅前のと同じだ。これが意外と涼しい。このレストランは、客席の3分の1ぐらいは風通しのいい半屋外(横壁なし)にあり、その各テーブルの上にこれが設置されている。

このベトナム式旧型冷却ミストなら、扇風機に毛が生えたようなもの。大げさなことはない。夏場は暑すぎるオープンカフェなんかにちょうどいいと思うし、個人でも買えるに違いない。どっかの日本の電機メーカーさん、商品化しないかな?

2009年7月2日木曜日

ベトナムの銀行で


きょうは食べ物の話ではない。銭の話、大げさには経済の話。

先月のベトナムでのこと。手持ちの米ドルを現地通貨であるベトナム・ドン(VND)に両替しようと銀行に行った。待たないで済むようにと、(外国人など)両替をする人はいなそうな銀行に入った。そこの両替の窓口へ行ったら、思いの外、混んでいた。5〜6人待ってたか。ただ外国人らしき人は一人もいなくて、みんな地元らしき人々。番号札もなく、列を作るでもない。その人たちは手に何枚かの札(さつ)を握りしめて片ひじをカウンターについたりして、ややイライラしながら順番を待っている。私のような両替が目的ではなさそうだった。馬券を買う窓口ってこんな雰囲気かなぁ〜、とも思った。

その人たちに混じり、何となく順番を待っていた私。「いつになったら自分の番が来るのかな〜」と思っていたら、窓口のお姉さんはその5〜6人の順番をちゃんと覚えていて、正しい順番で声を掛けられた。ん〜、さすがベトナム・・・と、今回はそういう話ではない。

待ってた間、この人たちは何をしにこの窓口に来てるのか、ここは(両替の他)何の窓口なのかと、当然気になった。そして窓口の脇にあった小さな張り紙を見て分かった。それが上の写真。定期預金の金利表である。2009年4月17日の13時の日付が見える。このレートの開始日だろう。

縦に数字が4列並んでいるが、左からベトナム・ドン(VND)の年利と月利、3列目がUSD(米ドル)、4列目がEUR(ユーロ)だ。外貨預金が出来る。そして、横列は、“1 TUAN”が1週間、“12 THANG”が12ヶ月。そして驚くべきは、その数字。一番低いユーロで、1年ものの年利0.9%、米ドルで2.00%、そしてVNDに至っては何と8.00%。私はこの手の話題に疎いが、1年預けての8%がメチャクチャ高いことぐらいは分かる。(ちなみに日本はと、ちょっとネットで調べてみると、今の都市銀行の定期は、年利0.2%から0.3%ぐらいのようだ) もちろん米ドルやユーロと比べ、VNDが著しく高いのは、そのインフレ度合いが反映されているのだろう。疎いので詳しくは分からないが、米ドルとユーロでも倍以上違う。何しろ一番低いユーロだって、日本での日本円の4倍近いのだ。これをある税理士に話したら、「金の借り手が多いのでは」とのこと。なるほど。そしてもちろん現地通貨であるVNDは、8%なのだから、預金するのは当然とも言える。それでこの窓口で順番を待ってる人たちは、「小銭が貯まると預金」を繰り返しているという訳だ。後でこのことをベトナムの知人に話したら、「あ〜、最近はそういう(セコい)ヤツもいるな〜」と言っていた。でも、何となくそのセコさが憎めない。

ここはニャチャンという町で、ベトナムでも南部に属する。南部の人はよく言えば、おおらか。例えば、友達同士10人でカフェにコーヒーを飲みに行ったとする。払いはだいたい一人がする。割り勘はあり得ない。必ず同じメンバーで再びコーヒーを飲む保証はもちろんないが、何となく「きょうは私が」となり、それが続く。ルールがあるようなないような。しかし例えば「最近アイツの子供は病気で金がかかってる」とかは暗黙のうちに配慮されるだろう。この習慣は、私のような比較的金を持っていそうな人間が混じっていても変わらない。だから、私も様子をみながら、たまに払う。他の国・地域と同じように、ところ変われば経済感覚も変わる。

ベトナムは今、景気がとてもいい。さっきの高い金利の話でも、金の借り手と預け手の両方が多く、金がどんどん動いているのかも知れない。町を歩いていても、建設中の建物がいっぱいなのは誰でも分かる。人件費・物価もバンバン上がっている。「バブルがはじける前だからね」と言う人も少なくないが、これがもう10年続いてる。ベトナムは、タイ国に追いつこうとしている。バンコクへ買い物に行くのは、ちょうど日本人が30〜40年前にハワイに買い物に行くような、ひとつの「憧れ」だ。見ていて「憧れ」を持つことはいいことだし、羨ましいとさえ思う。それは謙虚さなしには持てない気がするから。そんな人たちの経済は今後どうなっていくんだろうと、銀行を後にしながら考えた。

2009年6月11日木曜日

ブラッディーマリーのソルティードッグ

ヘンテコで長いタイトルだ。「ブラッディーマリーなのかソルティードッグなのかハッキリせい!」と怒られそう。

「カンホアの塩」のサイトで、「カノウユミコ・塩料理レシピ」というのをやっている。季節ごとぐらいに新しいレシピをアップしているが、昨日、この夏に向けて3品アップした。その中に、「スイカのソルティードッグ」というのがある。こーれが、なーかなかイイ。

ちょっとしたことだけど、ウォッカベースで、グレープフルーツジュースの替わりにスイカのジュースで割る。そしてスノースタイル・・・塩をグラスの縁(フチ)に飾る。もちろん塩は単なる飾りではなく、舌でチョイチョイなめながら飲む。だから塩の個性もしっかり感じ取れる。グレープフルーツは独特の苦味があるでしょ。それが瓜っぽいスイカのクセに替わって、甘さがやや増した感じです。元々、スイカと塩は幼馴染みな組み合わせなので、普通に記憶にある味だ。それにウォッカで大人な夏のカクテルになっている。こんなちょっとしたことと言えばちょっとしたことだけど、よく思いつくな〜、と感心しきりです、カノウユミコさん。

「カノウユミコ・塩料理レシピ」はコチラ

さて、この「スイカのソルティードッグ」。これはこれで完成された形です。ただ、ヴィジュアル的には、「ソルティードッグ」と言うより、どー見ても「ブラッディーマリー」でしょ。「ブラッディーマリー」がスノースタイルでサーブされてる風に見える。ちなみに、「カノウユミコ・塩料理レシピ」の写真は、自前(私がカメラ担当)なので、試食(試飲)もしてます。で、それならいっそのこと、「ブラッディーマリーをスノースタイルにしてみたらどんなだろう?」と思い立つのは、私としては当然の成り行きで、先日実際にやってみた。それが上の写真です。

もー、イケる、と思うよー。「トマトジュースと塩」だって「スイカと塩」と同じぐらい「普通に記憶にある味」だ。ウォッカの替わりにジンでもいいだろう。もちろん、これには「無塩」のトマトジュースが必要だ。私は、それを手っ取り早く求めるため、一番近所の赤と緑と橙色のコンビニへ走った。

ところが、意外や意外、トマトジュースという、かつてかなりメジャーだったはずの定番商品が、お店の冷蔵庫の一番上の一番ハジッコに追いやられていて、「無塩」のなんかは問題外。「そ、そんなハズはー」と、店内の「無塩」をくまなくチェックしてみると、トマトとにんじんとパブリカ(赤ピーマン)の混合ジュースがあった。「黄金比」と銘打たれたその商品を手にした私はしばしの間考え、買うことに決めた。一種の妥協だった。「オレは『ブラッディーマリー』を作りたいんだよ、無塩のトマトジュースで」との思惑が少し邪魔したが、乗り越えた。妥協から、新境地を開拓する気持ちにスイッチし、帰路についた。

で、ですね。まぁ、その「黄金比」による「ブラッディーマリーのソルティードッグ」。「黄金比」だから、上の写真をよーく見ると、色がトマトジュースよりやや黄みがかっているの、分かります? それで飲んでみて思ったのは、この世界もアリだろうけど、やっぱりトマトジュースだけで飲んでみたくなったというのが正直なところ。またはこの場合、スノースタイルにしない方がいい。トマトと塩はいいんだけど、にんじんと塩の組み合わせがややカクテルの趣から外れてしまう感がある。カクテルってやつは、いろいろ混ざってるからカクテルなんだろう。その混ざり具合の意外な組み合わせは、カクテルの「自由さ」を感じさせてくれる。だからって、何でもいいわけはない。例えばブラッディーマリーのように、世界的に長らく定番張ってるやつは、それなりに支持される理由があるのだ、と改めて思った。やっぱりブラッディーマリーはトマトジュースだけで。今度はちゃんとやってみよう。

ところで、ちょうどそんなことに思いを巡らせていたとき、村上春樹氏のエッセイを読んでたら、「飛行機の中で飲むのは、ブラッディーマリーがいい」という下りがあった。ん〜、そう言われると、とても不健康な空気に満ちている密室の機内は、トマトジュースの健康的な感じがいいように思える。今度飛行機に乗ったら、「ブラッディーマリーを、スノースタイルで」と頼んでみようかな。

2009年6月5日金曜日

ベトナムの普通の市場

左が果物屋で、右が魚屋
左が買い物が終わった客で、オートバイのハンドルに鴨などを引っかけてる。そしてその右2つが八百屋さん。
写真はどれも「カンホアの塩」の専用塩田の近くにある市場で撮ったもの。ベトナムのどこにでもある普通の市場である。では、「普通ではない」市場はと言うと、大きな町にある大きな市場、例えばサイゴンではベンタイン市場など。確かに大きな市場は品揃えが豊富だし、高級品や季節外れの果物などすぐに見つかる。でも、私はあえて、このドップリとローカルな市場のことを伝えたい。

前のブログ(6月3日「ベトナムの普通のご飯」)で、こう書いた。

『日本よりベトナムの方が断然暑いし、冷蔵庫・冷凍庫も普及していない。しかし皮肉にも、より涼しく冷蔵庫・冷凍庫が普及している日本の方が食材の鮮度が劣るのだ。この大いなる矛盾をどう見よう。それはベトナムの市場に行くと分かる』

その「市場」とは有名なベンタイン市場ではなく、上の写真のような、ベトナムの地方にはどこにでもある普通の市場のことだ。ご覧のとおり、この市場には冷蔵庫なんてありゃーしない。しかし、肉屋もあれば魚屋もある。そしてこの市場周辺で、つまりこの市場の客の家で、冷蔵庫のあるところは半分ないだろう。たとえあったにしても、ときどき停電があるので、日本のように信用のある存在ではない。そしてこのあたりは一年中暑い。一番寒く(?)ても20℃ぐらいで、最高は40℃以上にもなる。つまり一年中日本の夏のようなもの。だから、生鮮品が悪くなるのも早い。

しかしだ。

「だから、生鮮品が悪くなるのも早い」は全くもって「冷蔵庫があって当たり前」が染みこんだ私のような人間の言葉で、ここで暮らしている人たちは、それで不自由はしていない。朝は市場のお店にたくさんの生鮮品が並ぶが、昼近くになると肉屋・魚屋の並んだあたりはすっかり静まりかえって誰もいなくなる。八百屋も残り物を売ってるところがちらほらぐらいだ。つまり、基本的に生鮮品は「その日のうちに売り切る」のだ。買う方も「その日に使う」食材を買う。ベトナムは暑い。暑いからこそ、この循環が続く。それがここでは当たり前なのだ。したがって、私がこの辺りに滞在している間は、いつも新鮮な食材を食べさせてもらうことになる。上の写真の店はどれもオママゴトのように小さく見えるかも知れない。確かに冷蔵庫がたくさんある大きな町の市場の店はもっと大きい。しかし、「1日分」だからこそ、この小回りの利く循環があるのだ。

上の写真に、鴨を買った女性客がいる。鴨は生きてるまんま買い、「料理する前にしめる」。毎朝、豚肉や牛肉の大きな固まりを忙しく小売用にさばいているのが肉屋さん。またここは海、漁村が近い。朝あがった魚がこの市場に運ばれ、写真の魚屋になっている。

また「暑い」ことは、生ものを腐らせるスピードとともに植物を育てるスピードをも促す。どんどん出来てくる農作物を小出しにどんどん流通させる。例えば、米の二毛作は当たり前。三毛作だってある。一年中暑いから、農作物は小刻みに育てられ、小刻みに収穫・出荷される。フォー屋(ベトナムの米粉の麺の汁そば)のテーブルに盛られるハーブ類は、その日の朝に採れたものでも夕方になるとしおれてくるが(ときどき水をかけたりして頑張らせているが)、それと冷蔵庫に1週間眠ってもまだ黄色くなってないホウレン草とどっちがおいしいんだろう。新鮮な野菜を間違えなく食べたいのなら、畑の近くか、暑くて冷蔵庫のないところへ行こう。

2009年6月3日水曜日

ベトナムの普通のご飯


きょうは、ベトナムのご飯の話。それもごくごく普通のご飯。ベトナムでも食事をすることを「ご飯を食べる(an com)」と言う。もちろん米が主食だ。

私は仕事でベトナムへ行くから、食事も仕事がらみが多く、ときには有難くもてなされもし、宴会料理など特別な料理を食べることが多い。それはそれで楽しみだが、普通の食事を普通に食べるときが一番リラックスしていて、「あ〜、おいしいなぁ〜」としみじみ思うのも事実だ。

私の仕事場である「カンホアの塩」専用塩田で食事をするとき、「仕事がらみ」以外のときは、現地天日塩生産者のところで普通のいわゆるマカナイ料理を頂く。それが上の写真。お昼ご飯だった。写真では分かりにくいので少し解説しよう。

主菜:「焼き魚 〜 鯵(のような魚)」
焼き魚と言っても網じゃなく、フライパンに油をひいて両面焼いている。味はついてないので、箸で身を取った後、その後ろにある白い椀に入っているヌクマム(魚醤)に唐辛子を入れたタレを、各自でつけて食べる。

副菜:「豚のモツとインゲンの油炒め」
あっさり塩コショウ味。

スープ:「ヘチマとフクロ茸のスープ」
これも塩味。生姜か何か他にハーブ類が入っていたかも。ベトナムでヘチマは立派な食材だ。

デザート:マンゴ
この時期ちょうど旬だった。

これで3人分。あとは見てのとおりの白いご飯。インディカ米でタイ米と同様やや香りがある(土佐高知では「香り米」と呼ばれるらしい)。左にはデザートのマンゴ、赤い字で“Phu Sen”のラベルのビンは炭酸水だ。炭酸水はビールと同様、かち割り氷の入ったジョッキに注いで飲む。そう、ビールも氷を入れて飲むのがベトナム流。最初は私も戸惑ったが、今はジョッキの氷が溶けて小さくなると「氷をください」と普通に言う。料理が大きなお盆にのってるのは、単に片付けやすいから。これは食事する者同士がとてもカジュアルな関係にあることも示す。

食べ方にルールはない。でも、その人ごとに食べ方は何となくあるものだ。例えばこの日の私の場合はこんな感じだったと思う。

炒め物を少々食べた後、自分の箸でほぐした魚の身の端をちょんちょんとヌクマムのタレにつけ、左手で持ったお茶碗のご飯の上にのせる。それをタレでやや染まった白いご飯と一緒に口に運ぶ。そしてたまにスープの具のヘチマやフクロ茸をご飯の上にのせて、ややスープが浸みたご飯と食す。こうして2杯のご飯を平らげた後、3杯目はいきなりスープを具ごとご飯の上にかける。雑炊状態のご飯をお茶漬けのようにサラサラ食べる。そのお茶碗が空になったところで、今度はスープだけを注ぎ満腹感の余韻に浸りながらゆっくりとスープを食す。その頃になると、すでにマカナイのお姉さんがマンゴをむいてくれてて、マンゴもたっぷり食べて、ごちそうさま。

よく「ベトナム料理はおいしい」と言われる。私もそう思う。かつてジャーナリストの本多勝一氏は、「ベトナム料理は世界一おいしい」と言った。日本の料理もおいしいが、ベトナムから日本に帰って来るとある違いを痛感する。それは決定的に日本で食べる料理は食材の鮮度において劣ることだ。そして日本は加工品や半加工品が多い。(この場合の加工品とは自家製の漬物や納豆などではなく、冷凍・レトルト食品などのこと) 日本よりベトナムの方が断然暑いし、冷蔵庫・冷凍庫も普及していない。しかし皮肉にも、より涼しく冷蔵庫・冷凍庫が普及している日本の方が食材の鮮度が劣るのだ。この大いなる矛盾をどう見よう。それはベトナムの市場に行くと分かる。このことはまた改めて。

・・・追記・・・
巷のベトナム料理に関しては、知人の写真家・福井隆也氏がベトナム料理研究家の伊藤忍さんと共著で本を出版している。「よくぞここまで取材したな」と思う。

「ベトナムめし楽食大図鑑」(情報センター出版局)

2009年5月11日月曜日

10年パスポート


今、ベトナムにいるハズだった。

5月10日の朝、成田発の便で、「カンホアの塩」の生産地、ベトナム・カンホアへの出張を予定していた。その出発の4日前、連休最後の6日夜、そろそろ旅支度でも始めようかと、まずは引き出しにしまってあったパスポートを出して、何気にペラペラとページをめくってて驚いた。

有効期限が過ぎている。何度見ても過ぎている。もう完全に過ぎている。

航空券は翌日会社に届くようになっている。当然、現地のアポを始め出張中の予定は全て決まっている。参ったな。とりあえず、パスポートの申請をネットでチェック。やはり1週間かかる。昔に比べたらずいぶん早くなったけど、やはり1週間。1〜2日のハズはない。即、ベトナムに電話をかけた。「パスポートが切れてたのに今気がついた。ごめんなさい。悪いけど全てのアポをキャンセル、出張は延期、新しいスケジュールなど詳細は1〜2日中に連絡します」と伝えた。事が事だけに、どうあがいても、もうどーにもならない。“04 FEB 2009”、切れて3ヶ月たっている日付を見ながら、気持ちを切り替える。それしかない。

言い訳をしよう。

前回パスポートを使ったのは、去年の6月。そのときもカンホアへの出張。その時点で8ヶ月残っていた。この8ヶ月って期間が微妙だった。もしかしたら、その数ヶ月後に出張するかも知れなかったし、しないかも知れなかった。その時点では。今となってみれば、去年の6月の時点で更新しておかなきゃならなかった。また、この「10年」という長さが油断を促している。(申請時、5年も選択できます) 「10年」は、「当分、切れないなー」の気持ちにさせる。「次の10年後はどうやって気をつけよう?」と今考えたりもするが、妙案はない。今から10年後のことなんかメモしても意味はない。近づいたら気をつける。これしかねぇーだろーなー。でも、今回のことは、10年たっても深く記憶にとどまるだろう。それだけが救いか。

翌日、パスポートの申請はもちろん、飛行機のキャンセルと取り直し、アポの取り直しなどなど、バタバタと追われた。アポの相手に何とか予定を変更してもらったりと、周りの人たちに大変な迷惑をかけた。その方々、これを読んでいたら、重ねて「ごめんなさい」。

ところで、このバタバタの最中、「規定の1週間より早くパスポートを受け取れるかも知れない」という情報を2箇所から得た。この一分の望みを持って航空券持参で、申請の窓口で嘆願した。まぁ、今回のケースは、申請の3日後の朝出発で、2日後が土曜日(窓口が完全休業日)。だから申請の翌日受け取れないと間に合わない。「つまり明日受領したい」ということ。「もう翌日というのは、人道的理由など(余程の)理由がないと無理です」とキッパリ言われた。ちなみに「人道的理由」とは、家族が海外でテロに巻き込まれ、すぐにでも渡航しなくてはならないなどのこと。たかが出張ぐらいでは・・・、もっともなことだ。でも、この際だからと、よくよくきいてみると、(出張ぐらいでも)3日後(営業日)ぐらいで受領できることもあるみたいだ。ただ、無論これは例外的なことだから、公に「3日後」とは言ってくれない。ちゃんと規定の1週間以上の余裕を持つのは当然のこととして、万が一、1週間を切ってても、4日間後ぐらいなら間に合う可能性はあるみたいだ。

何しろ「自分だけは・・・」という思いは危険だ。

と偉そうに言ってみるものの、私は実は特別かも。それは5〜6年前のこと。何を隠そう、パスポート忘れて成田へ行ったことがあった。空港行きのバスの車中、到着直前の検問で、「パスポートを拝見」と言われて、ないのに気がついた。朝の便だったので、カウンターでその日の夕方の便に無理矢理変えてもらって、その間にパスポートを取りに家に帰った。今回のはやや趣は違えど、2度目の【うっかりポカ〜パスポート編】。私はきっと人一倍抜けてる。でもこういうことを人に話すと「お前らしくないな」と言われる。でも、私からすると「常に何かにおびえながら生きている」。例えば、パスポートの更新のように「何か大事なことを忘れてやしないか」と。そのボンヤリした「何か」がハッキリすれば怖くなくなるのだが、だいたい「何か」は突然やってくるから、すぐには分からない。だから、いつもおびえている。

それにしても、切れてるパスポート持って、カウンターでチェックイン。航空会社のお姉さんに「切れてますね、パスポート」と笑顔で言われたら・・・と思うとゾッとする。最悪のシナリオではなっかった、というだけだけど。

2009年4月27日月曜日

花山椒


猫の額のような我が家の庭に2本の山椒の木がある。1本は、隣の家が引っ越ししたとき、垣根をまたいで譲り受けたもの。「雄(オス)だから、実はならないけど、木の芽は使えるよ」と言われ、「それなら(うちには1本もないから)」と頂いた。それはそれでよかったんだけど、そのうち、「実も欲しいなぁ」と思い始め、山へ行ったときに、小さな苗をポリ袋に入れて持ち帰った。小さいうちは雄だか雌だか分からない。「確率半分かな」と思いながら、いざ大きくなったら雄だった。それで家には2本の雄の山椒の木がある。2本もあるのに、実が採れない歯がゆさはあるが、毎年この時期(4月の中旬から下旬)には、この花で楽しませてくれる。線香花火のようないとおしさがある。

花はホントにこの時期だけ。咲いてるのは、長くて2週間。それも大量に咲くので、毎年この花を見るたびに、これをうまく使えないものか、と考える。木の芽の代わりに・・・、常套手段だろうが、香りの立ち方は木の芽の方が上。それで、あるとき某高級スーパーに行ったとき、「花山椒」という商品名で、小さなガラス瓶に入ったものを見つけた。原材料の表示を見ると、醤油・みりん・酒とある(順序は不確か)。2,000円ぐらいしたかな。やたらと高いのでそれは買わずに、今年は、自分で炊いてみた。醤油は薄口か白醤油がいいと思う。

ちょっと変わった山椒の楽しみ方だ。最初、口に含んだときは、柔らかい花の房の食感で山椒の味や香りはあんまりしない。「ん〜、かじると香りが広がるかな」と思いきや、ちりめん山椒の実のような刺激ではなく、ほのかな味と香り。そして「ソフトな刺激なんだ」と思いきや、なぜか飲み込んだ後から舌に残る刺激が思いの外強い。結果的に口の中には山椒の味と香りが結構残る。完全に酒の肴だ。

木の芽は最初に立つ香り。実(み)はかじったあとの刺激。とすれば、花は、刺激は柔らかだが、後効き(アトギキ)の味と香り。だから、最初効かないと思って多めに口にすると後で大変です。でも、ちびちび食べながら、お酒を飲むには乙(オツ)なもの。

そして、もちろん生のまんまでも。ハーブのノリで楽しめます。サラダにパラパラなど。細かく刻むと、アトギキの時間差が縮まります。でもこの使い方は、木の芽と変わらないから、イマイチか。

今はもうすっかり花の落ちた山椒の木。来年までにまた何か考えておこう。これを読んで、「こんな使い方があるよ」という方、是非書き込んでくださーい。

2009年3月30日月曜日

サイゴンの靴屋


1998年2月、私は初めてベトナムを訪れた。そのとき、強烈に印象に残っていることがある。それは今でも私の心に刻まれていて、私にとって、ひとつの「ベトナム人観」にもなっている。

日本からの直行便でサイゴン(今は正式には「ホーチミン」というが、私には「サイゴン」の方が町の名前らしくて親しみがある)に着き、宿に荷物を置いて、まずは町をぶらついた。何の気なしに歩いていると、路上に古着ならぬ古靴が並べられた革靴屋があった。路上とは言え、その数は200足ぐらいはあり、壮観でさえあった。程度のいいものはそのままだが、ざっと半分は靴底を張り替えられたり縫われたりと修繕してあった。また古靴だから、商品はすべて「一点物」。だからいくら「いいな」と思ってもサイズが合わないとダメ。服に比べ、靴はサイズが多様な分、やや難しい。

普段、私が買い物のとき(特に服や靴)一番大切にしているのは第一印象だ。最初にパッと目に飛び込んできたモノを大事にしている。「パッと目に飛び込んでくる」ことに、まだ自分が意識さえしていない「何かしらの理由」があるはずだと思ってしまうのだ。しかしそんなことはそう滅多にない。

で、そのサイゴンの路上ではそうだった。上の写真の靴だけが、光っているというか、私に何かを訴えているように感じた。でも、サイズの問題があるので、並んだ靴の間を注意深く進み、その靴を店の最前列まで持ってきて、履いてみた。ん〜文句なしにちょうどいい。「こりゃ欲しいな〜、でも困ったな〜」。2週間のベトナム旅行に来て初日に革靴なんか買うのは荷物になるし、私はまだベトナムの多くを知らない。つまり、もっといいものがたくさんあるかもという欲もあった。

サイズのピッタリさは店員さんも気づいたらしく、「いいじゃないか〜」という視線で私を見つめ、すすめる。気に入っているだけに、ここで値段を聞いてしまっては「買う方向」に進んでしまうし、「いや〜、きょう着いたばっかりなんで・・・・。また来るから」なんてベトナム語はとても話せやしない。英語は全く通じなかったが、それが観光客相手に商売をしていない証だし、何しろとても誠実そうな男だった。仕方なく、冷やかし客のようにその場を立ち去った。店員さんは他の客の相手を始めた。

2週間後、帰国のためサイゴンに戻った私は、同じ靴屋に向かった。路上だったし、「きょうも出してるかなぁ」と一抹の不安を抱えていたから、遠目に見えたときは嬉しかった。店に着いて「まだあるかな?」と見回し始めたそのとき、2週間前と同じ店員さんが、スッと私の足下に「その靴」を丁寧に揃えて置いた。私は感動した。全身の力が抜けた。彼と目が合ったが、笑顔はない。強い日差しが彼の額の汗を光らせる。呆然として無言のままの私を見て、彼はすぐに他の客の相手を始めた。私はその客の相手を終えるのを待ち、買った。いくらだったか忘れた。ただ、2週間ベトナムで過ごした私には、妥当に感じられた値段だった。しかし、それ以上にもう完全に心を奪われていた私は、値切る気持ちも奪われていた。なかなかこんなに気持ちのいい買い物はない。「彼はこの2週間、一体何人の客と接しただろう?」そして「何足の靴を並べ仕舞い、何足の靴を売っただろう?」、「客へのサービス、商売って、何なんだろう?」 その店を後にして、いろいろ思った。

もちろん、ベトナムの人たちがみんな彼のようではない。
しかし、今もこの靴を履く度に、その思い出が頭をかすめ、「彼は今どんな仕事をしてるだろうなぁ」と考えたりもする。

2009年2月17日火曜日

塩たまご


 『殻をむくと塩味のついたゆで卵。どうすればうまく作れますか?』

去年の夏頃、ある新聞に載ってた読者投書の質問だ。その問いに鶏卵の性質に詳しい大学の教授が答えている。その切り抜きをしたことを今頃思い出し、実際にやってみた。これが思いの外、非常にうまい。

ポイントは、「温度差」を使うこと。

卵の殻は大理石と同じ炭酸カルシウムが主成分で、冷えてもあまり縮まない。一方、中身の卵白は約9割が水分なのでよく縮む。そして卵の殻には小さな気孔があるので、卵白が縮むとスポイトのように塩水(飽和食塩水)が吸い込まれるということだ。

飽和食塩水。塩を専門とする私からこの部分について説明すると、塩の主成分であるNaClは濃度25%まで水に溶ける。ただしこれは理論上なので、実際には20%なら楽に溶けるぐらい。だから、例えば800ccの水だったら、最初は200gぐらいの塩を溶かし、塩が溶け残っていなかったら少しずつ塩を足して、少し塩が溶け残るぐらいまでにすれば、飽和食塩水の出来上がりだ。またこの塩水(飽和食塩水)は、この後冷やす。だから、湯ではなく冷たいままの水に塩を溶かすようにした方がいい。塩は性質上、温度を上げてもほとんど溶けやすさは変わらない。

さて、実際にやってみる。上記のように塩水(飽和食塩水)を作り、冷蔵庫で冷やしておく。塩水の量は、卵の数と容器による。容器は、卵がすっぽり入る形だと、塩水は少なめで済む。例えば、卵1個で容器がコーヒーカップならば、塩水の量は100cc(概ね水75cc+塩25g)もあれば十分だろう。無論、卵は全体が塩水に浸からないといけない。卵を水からゆでて、沸騰後5分。素早く、冷やしておいた飽和食塩水に浸し、10分ほど置く。殻をむいて出来上がり。(上の写真、これでレア気味な半熟状態です)

飽和食塩水は相当塩辛い。(ちなみに海水の塩分濃度で約3.4%、人間がおいしいと感じる塩分は約0.9%) だから最初は「しょっぱ過ぎないかな?」と思ったが、実際に食してみると、これで「ほんのり」のとてもジャストな塩加減だ。ゆで卵に塩を振るのとは違い、卵との一体感がある塩気なところが、その絶妙さを後押ししている感がある。だからまずはこの「塩たまご」だけで食べて欲しい気がする。ラーメン屋さんには、味付け卵があるが、それはその「味付け」にウエイトがあるが、この「塩たまご」は、卵と塩だけ。つまり、卵の味もよく感じ、塩の味もよく感じる。そしてそのハーモニーとバランス。ん〜。だから、卵も塩もこだわって、究極の「塩たまご」を簡単に作りましょう。

2009年1月5日月曜日

ホットプレート・パエリア


きょうはパエリア。ただある意味、日本風のパエリア。具材や調味が日本風なのではない。パエリア・パンじゃなく、日本の多くの家庭にあるホットプレートで作るパエリアだ。その薄く広い形は向いている。熱の調節は簡単だし、蓋もできる。3〜4人分以上が適量だけど、来客時などはちょうどいい。

写真は、先日自宅でパーティーをしたときのもの。「熱の調整は簡単だし」と書いたが、最後の仕上げでちょっとお焦げを作る火(熱)加減はやや難しい。焚き火やガスコンロで作るときは、そろそろ食べ頃になったところで、最後に一気に強火にできるが、ホットプレートでそうはいかない。しかしそれは、お焦げが出来ないのではない。この写真のでも、むしろお焦げができ過ぎてしまった。要は、「そろそろお焦げができてきたかな〜」と思いつつ、同時に心の中では「ホットプレートだからそう簡単にお焦げはできないだろう」と高をくっていたということ。このへんが難しい。つまり、ホットプレートはなかなかお焦げにならないが、なり始めると結構早い。この点がホットプレート・パエリアのポイントだ。

ホットプレートのことばっかりで、パエリア自体のことを書いてない。でも、パエリアの具材や味付けに決まりはない。何でもいい。昔、スペイン人の友だちが言ってたのを思い出す。「スペインでは黒いパエリアが好まれる。海の人たちはイカスミを使い、山の人たちはウサギの血を使い、黒いパエリアになる」。

写真のは、ムール貝も使ってるけど、「おいしそうなイカが特売だったから」ぐらいで、ホットプレート・パエリアはいかが? お好み焼きみたいに。