2009年11月10日火曜日
蕎麦屋のシンフォニー
昔、私が二十歳ぐらいのときのこと。スイス人の友だちが日本に遊びに来ていて、一緒に蕎麦屋に入った。もりだかせいろだかを頼んで、私はズルズルと普通に食べ始めた。それを見ていたスイス人の友だちは、目を見開いて驚愕している。最初、私は彼に何が起きたか理解できなかった。「どうしたの?」ときいても、興奮して「お前スゴイな〜」と言うだけ。似たような経験をお持ちの方もいらっしゃるだろう。
彼ら西洋の人たちにとって、「ズルズル音を立てて食べる」ということは御法度だ。幼い頃から、「音を立てて食べてはいけません」と躾けられている。日本も共通しているが、麺類だけは例外だ。その意識のなかった私はゆるーい感じで、「蕎麦はこうして食べた方がうまい。やってみな」と言った。でもこれがいくら頑張っても出来ない。「これも日本の文化」と彼は何度か仕切り直して頑張ってみるが、出来ない。それはまるで自転車に乗ったことのない人に「ペダルをこげばいいんだよ」と言うのと同じようだった。
彼は、ズルズル食べることを諦めると、今度は腹を抱えて笑い出した。彼曰く「(蕎麦屋が)スゴイことになってるー」。私はそれまで意識したことなかったが、意識してみると、あっちで「ズルズル」こっちでも「ズルズル」。その店のあちこちから「ズルズル」が、まるで田んぼの蛙のシンフォニーのように聞こえてくるのだ。彼にしてみれば、禁断の行為がまるで無法地帯のように行われているからおかしくてたまらない。
ところ変わってベトナムはサイゴン。今年、「カンホアの塩」の生産者の人(ベトナム人)と、日本料理店で一緒に食事をした。お造りだの天ぷらだのを肴に日本酒を飲んで、シメに蕎麦となった。そーしたら、出来ないんです。麺類が豊富なベトナムの人も。広くは東アジアは麺類が豊富だから、そこの人たちはみんな「ズルズルする」と私は勝手に思いこんでいたが、それは大きな間違いだった。
よく考えてみた。
ベトナムのフォーは汁麺(noodle soup)だが、ベトナムでもブンという麺は、ときどきつゆにつけても食べる。が、サーブされるブンは日本のもりやせいろのようにパラパラしてなくて、麺がくっついて固まりになっている。箸でその固まりを刺すように取る。固まりになってると食べにくいから、つゆにドップリつける。ドップリつけるとブンはつゆの中でほぐれて食べやすくなる。それに若干の違和感を感じたことを思い出した。しかし、もちろんそれは「そーいうもの」であり、それなりにおいしい。
何しろ、世界で(アジアも含め)「ズルズル」は特別なことなのだ。
・・・・と話が結論めいてきて、私は鏡の中の自分を見る。ベトナムで私がフォーやブンを食べるとき、「ズルズル」してなかったか? もう相当な回数食べているけど、どうしても思い出せない。あまりに日常的なことなので全く記憶に残っていないのだ。「ベトナムの普通のご飯」という見出しのブログでも少し触れたが、ベトナムで食べ方の流儀はいくらかあれど、無礼にあたるタブーのようなことはあまりない。だから「ズルズル」の受け取り方も西洋とは違うからやや安心。まぁ、単純に周りの視線に私が鈍感だっただけかも知れないが。
ん〜、でもやっぱりベトナムで麺類を食べるときも、個人的には人の視線を気にせず、ノビノビとズルズルしたいなと思う私がいる。
(冒頭写真は、東京・八王子の車屋さんの「鴨せいろ」)
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