2012年2月22日水曜日

静かな春を

上の写真は、我が家の隣家の敷地のムクロジという木。大きな木で、高さは15メートルぐらい。昔は石鹸にも使われたという小さな丸い実がたわわになったまま、葉が落ちてスカスカになっている。この実は垣根を越えて、うちの庭にもいっぱい落ちてくる。上の写真、落ちたてのムクロジの黄色い実。と、そのとなりには、秋に落ちて朽ちた2つの実もある。

スカスカの枝振りを眺めていると寒々感じるが、秋に落ちた実も、いつのまにか朽ちているように、春は我が家の庭に訪れ始めている。例えば、つぼみを持った水仙。白く色づいているのもある。そして、「木」へんに「春」と書く「椿」。これは今満開。これは侘助だが、1月から咲き始め、上奥に見える花はすでに枯れ始めている。枯れ始めて春を感じる花もなかなかない。
そして、去年初めて植えたクロッカスの黄色い花。木苺の新芽は、すでに緑の葉をつけ始めた。
今朝も我が家の睡蓮鉢には1センチの氷が張っている。ここ東京・昭島はまだまだ寒い。ヒートテックのパッチと肌着は離せない。でも、心の中では少しずつだけど春への感覚が湧いてきている。それを外の世界にも確かめてみたくなって、3日前の日曜日、庭を見て回り、写真を撮った。

そして人の会話も春めいてきている。
「いつまでこんな寒いんだろうね〜」
「早く暖かくなんないかな〜」

自分の中で湧いてきているこの感覚を自分自身が感じとることで、自分が自然の一部であることを感じる。

月曜日は、二十四節気の雨水だった。「農耕の準備を始める目安」らしい。

急に「春だー」と感じると、浮き足立ってしまう。でも、植物や空の色を通して感じる春や自分の中の感覚としての春は、少しずつ訪れているのだから、それらを少しずつ感じることで、この春を静かにしっかりと受け止められたらと願っている。

日曜日から3日経ったきょう水曜日の朝。つぼみだった水仙が花開いていた。やっぱ、これ見ちゃうと、浮き足立つなー。

2012年2月16日木曜日

唐辛子とコショウ


この2つは全くもって紛らわしい。上の写真は、南イタリアで撮った“peperoni"、赤唐辛子だ。

30年ほど前、私はサンフランシスコの郊外にあるサウサリートという小さな町のピザ屋にいた。当時私は、1ヶ月の英語のサーマースクールで、サンフランシスコにある語学学校に来ていて、その滞在中のことだった。

クラスで仲良くなったイタリア人とスイス人(ドイツ語圏)の友人と一緒に、3人でそのピザ屋に入った。昼時だった。テーブルにつき、メニューを見ながら「さぁ、何を注文しようか?」。ピザ屋のメニューだから、トッピングを何にするか、ということだ。

私は、メニューの“peperoni(ペペローニ)"というのが気になって、二人にきいた。「この“peperoni"って何よ?」。一人は何てったってビザの本場のイタリア人だし、もう一人のスイス人は3人の中で一番年上で、「オレに任しとけ」って感じだった。

すると、二人は口を揃えて、「“pepper”、つまり唐辛子のようなものだ。辛くない場合も多い」と答えてくれた。私の中の日本的感覚では、「シシトウまたはピーマン。もしかしたら青唐辛子」という理解になって、「じゃオレ、それにする。1枚はそれでいい?」となり、“peperoni"を注文した。

しばらくして、テーブルに運ばれた“peperoni"のピザは、唐辛子のようなものは全くのってなくて、サラミのスライスがたくさんのっていた。私は、「あれ、これが“peperoni"なの? 唐辛子らしきものが全然のってないじゃん」と、ちょっと不満顔をみせると、イタリア人とスイス人の二人は、ピザ屋のお姉さんにクレームした。

「おい、これは間違ってるぞ。私たちは“peperoni"を注文したんだ。pepperがのってないじゃないか」。

しかし、お姉さんはいたって毅然とした態度で私たちに向かって言った。「これは“peperoni"です」。おいおい冗談じゃないよーと、やや笑みを浮かべながら私の友人二人は、「いや、違う。違うってばー」。

すると、お姉さんは、キッチンに消えたかと思うと、ポリ袋を手にして戻ってきた。そして、私たちにそのポリ袋のラベルを見せながら、言った。「ここにちゃんと“peperoni"と書いてあるでしょ」。そう言いながら、彼女は袋の中に入ったサラミのスライスを見せてくれた。たしかにそのラベルには、“peperoni"と印字されていて、袋の中には目の前のピザにトッピングされたのと同じサラミのスライスが入っている。

「だからこれは間違いなく“peperoni"であって、私は決して間違っていない」と、彼女はダメを押すように主張した。(余談:こういう裁判のような主張の仕方に、当時まだ若かった私は世界を感じたものでした)

そこまでされては、さすがに私たちもそれ以上文句は言えず、サラミがたくさんのったピザを食べた。元々は、私が「“peperoni"って何?」ときいたのがキッカケだったということもあるから、私は二人に「まぁ、これだって旨いじゃん」などとなだめたが、二人はサラミのピザを頬張りながら、ブツブツ「これは違う・・・」と納得していない。

翌朝、学校に着くなり、二人は(英語の)先生(イギリス人)にまくしたてるように前の日の出来事を話した。そして「“peperoni"とは、pepperでしょ?」と質問。するとそのイギリス人の先生は、「いや違う、“peperoni"とは、ソーセージのようなもの。サラミって分かる? そんなようなものだよ」。すると、二人は、「あっ、昨日のピザ屋のお姉さんと同じこと言ってる。まったく英語圏の人間は分かってないなー」。当然二人は、「スイスでは・・・・」、「イタリアでは・・・・」と主張した。

“peperoni"は、その音からして明らかにイタリア語だから、私としてはイタリア人の友人の主張を認めたい。それもピザ屋での話だし。でも、ここアメリカでピザ屋に入って、好きなものを注文して食べたいという観点からは、「郷に入れば、郷に従え」と言えなくもない。たとえ意味は間違っていても、英語の「外来語」として。

イギリス人の先生は、「実は、あのサラミの中には“black pepper"が入っている。それが“peperoni"という名前の由来だと思う」と、その理由まで説明してくれ、一応話は落ち着いた。

閑話休題。

これは30年前の出来事だが、こういう風に、同じ言葉でも場所が変わると違う意味になることはしばしばある。特にこの唐辛子とコショウは、世界中で紛らわしい。世界とまで言わずもがな、この狭い日本国内だって、例えば長野では、唐辛子のことを「コショウ」と呼ぶ。ついでに「黒・白コショウ」のことも「コショウ」と呼ぶ。九州の「柚子こしょう」の「こしょう」にしたって、青唐辛子のことである。ってことは、ヨーロッパぐらい広いと、ドーバー海峡を境に意味が変わっても、ちっともおかしくないとも言える。

ちょっと、wikiってみた。

唐辛子の原産地は、中南米。ナス科トウガラシ属。
コショウの原産地は、インド。コショウ科コショウ属。

このように植物学的には全く違うものだ。しかし、英語では、例えば赤唐辛子のことは、“red pepper"で、黒コショウのことは、“black pepper"だ。私はインドに1年ほどいたが、ヒンディー語で、赤唐辛子は、“ラル・ミルチー"、黒コショウは、“カロ・ミルチー"。ラルは赤、カロは黒だから、英語のpepperとミルチーは同義語になる。ということは、コショウの原産地であるインドに唐辛子が伝来しても、インド人たちは唐辛子をコショウと同じミルチー(pepper)と呼んだことになる。それともイギリスの植民地時代にこの言葉がインドに広まったのか・・・・。謎は深まるばかり。

「唐辛子」をwikiると、「名称」の欄に下記のような記述がある。

英語では「レッド・ペッパー (red pepper)」と言う。胡椒とは関係が無いにも関わらず「ペッパー」と呼ばれている理由は、ヨーロッパに唐辛子を伝来させたクリストファー・コロンブスがインドと勘違いしてアメリカ大陸に到達した際、唐辛子をインドで栽培されている胡椒の一種と見なしたためである。それ以来、トウガラシ属の実は全て「ペッパー」と呼ばれるようになった。

ヘンテコなオチだけど、こうして私が思い悩んでいるのは、どうやらコロンブスの勘違いがキッカケで、その勘違いが訂正されずそのまま今日に至っていると。んー、そう聞いても、私はまだまだ釈然としない。ホンマかいなー。

2012年2月13日月曜日

「ウルトラ・ゾーン」のスゴさ


【はじめに、お断り】
上の画像、許可無く載せてしまった。その理由は、この画像で少しでもこの番組のことが伝わらないかと思ったからで、著作権を侵すつもりは毛頭ありません。したがって、困る方がいらしたら、すぐに撤去いたします。ご連絡は、左下、「“natural salt cafe”店長」をクリック後、「メール」からお願いします。

さて、ご存じですか?
ウルトラ・ゾーン。

去年の秋からテレビ放映されている、円谷プロと民放ローカル5局(テレビ神奈川・千葉テレビ・テレビ埼玉・サンテレビ・名古屋テレビ)の共同制作番組。まっ、「ウルトラQ」のリメイクまたはパロディ版と言えなくもない。放映時間は局によって違うが、私がみてるテレビ神奈川は、毎週日曜日の23時から30分という遅ーい時間。

ちなみに、「ウルトラ・ゾーン」と聞いて、「あっ、トワイライト・ゾーンの日本版ね」というオールドファンの方もいようが、違う。

まぁ、何しろ「こんなにくだらない番組はないだろう」。この言葉がこの番組に対する最高の賛辞になる・・・・とそんな番組。全国ネットのゴールデンで放映されてるバラエティ番組は本当の意味で「くだらない」と思うが、この「ウルトラ・ゾーン」は、「そもそもテレビ番組なんてものはくだらないものだ」ともとれる制作コンセプトも感じるから、その点「潔さ(いさぎよさ)」さえ感じる。

この「ウルトラ・ゾーン」を、未だ知らぬ人たちに何と説明したらいいかは悩むところ。「大人向けのウルトラQ」、「タモリ倶楽部的ウルトラQ」・・・・。これじゃ具体性がないな〜。何しろウルトラマンは出てこない。ナレーターは、板尾創路・・・・と聞くと、ちょっと反応のある方もいるかも知れない。

で、私は「くだらねぇ〜、くだらねぇ〜」とブツブツ言いながら、この番組を1ヶ月ほど前から録画してみている。そしてたまに「クスッ」と笑わされている。「クスッ」と笑わされると、ちょっとくやしい。

キッカケは、カミさんがテレビ番組表を眺めていて息子のために録画したことだった。当初は彼女もこんな番組だとは露知らず。とは言いながらうちの4歳の息子はこの番組を気に入っていて、一緒にみてるのだ。ときどき4歳には難しいセリフもありはするが、だいたいがくだらないし、ドタバタもあるから、4歳でもゲラゲラ笑える。ウルトラマン関係だと、毎週水曜日に「ウルトラマン列伝」という、本来のウルトラマン・シリーズが放映されているが、4歳なりに、それとは別に楽しいらしい。

テレビ番組や映画ってやつは、4歳の子供と、いい歳こいた私とでは、なかなか共通して楽しめるのものはない。だが、この「ウルトラゾーン」は、ツボは違いながらも、共通の楽しみがある類い希なるテレビ番組なのだ。そこがスゴーい。

近々、DVDが発売になるらしい。私は、テレビ局とは一切関係ない。しかし心の隅っこで、このDVD、売れないかな〜と密かに期待している。