2011年1月25日火曜日

ニンテンドーDSのボタン


うちに6歳の娘がいる。下に弟がいる第一子だ。現在、彼女は保育園に通っている。4月からはピカピカの小学生1年生。それで彼女が描いた絵が上の写真。ゲーム機、ニンテンドーDSなのである。A4の紙が二つ折り。それを四つ折りにしてノートパソコンのようになっている。

これはねぇ〜、多くの親が考えさせられると思うけど、我が子も例外ではない。

保育園に通ってると、いろんなクラスメイトがいる。で、その子にお姉さんやお兄さんがいると、その上の子たちはゲーム機を持っている場合が多い。そして自分ちで兄弟で遊ぶことはいたって日常的なことで、6歳の子でもゲーム機の楽しさを知る。自然なことだ。

そして、その子は保育園に来てその楽しさを、ゲーム機をまだ知らない友だちに伝える。もちろん保育園にゲーム機を持ってきてはいけないから、その姿を絵で伝えながら、遊び方をも教える。

するとゲーム機を見たこともない子へも、その楽しさは伝わり、その子は真似してDSの絵を紙に描き、その絵のボタンを押しながら遊ぶ。そして家へ帰ってからも、そのボタンを懸命に押しながら、「ねぇ、DSの遊び方教えてあげようか? こうして遊ぶんだよー」と親に教えてくれる。その後は、当然、「ねぇ〜、DS買って〜」と懇願する。

この十字に描かれたボタンを一生懸命押しながら遊んでいる我が子の姿を見ると、「そんなの・・・・」と思いながらも、私としてはとても辛いものがあります。ちなみに、この裏はこんなになってて、ハートなんかが描いてある。
私は比較的、歳をとってから子供を授かっているので、同年代の私の友人はだいたいこのことは経験済みだ。そんな友人に、「どうしてた?」ときくと、買ってる場合が多い。少数派だけど、「買わなかった」という友人もいる。しかし「買わなかった」派の友人でさえ、「買わなくても、結局は友だちの借りたりして、実際はゲーム機で結構遊んでんだよね。だから買っても買わなくても大差ないよ」と口を揃えて言う。

自分が子供の側だったら・・・・と思うと、絶対に親にせがんでんだろうなーという確信もある。大げさに言えば、人生において通らなければならない道があるんだ。これもそのひとつなんだと思う。変に温室育ちになってもらいたくないという気持ちもある。俗にまみれるのも大事なことだ・・・・なんて自分に言い聞かせる。

やっぱ、せいぜい1日30分とか1時間とか時間を決めるのが精一杯で、「買うことになるんだろーなー」とつぶやく。

2011年1月19日水曜日

菜懐石「仙」の料理

この間の土曜日、東京・三宿にある、菜懐石(ナカイセキ)「仙」へ行ってきた。「カンホアの塩」のサイトでも塩料理のレシピを作ってもらっている、カノウユミコさんの料理屋だ。肉・魚・乳製品・砂糖は使われていない精進料理で、おまかせの懐石コースのみ。個室3部屋だけの完全予約制。隣の部屋の声も聞こえないから、次々に出てくる料理に集中出来る。内装はちょっと変わった和風な感じで、何せ居心地がよく、いつまでもいたい雰囲気でもある。

さて、彼女は、「誰でも作れる」ことを主眼として、料理教室や本なんかでは料理を紹介している。また今月と来月は、「キューピー・3分クッキング」(日テレ系)の毎週土曜日に出演してもいる。

でも、この「仙」では、「誰でも作れる」料理は出てこない。きっと彼女にしか作れないだろう料理が次々と出てくる。だから、見たこともないような珍しいものがあるので、きょうはそれらを紹介したいと思う。

トップバッターは下の写真。

食前酒:ガラリ酒
先付け1:落花生豆腐
お茶:ハマ茶


一番上の小さなグラスに入ったちょっと赤味を帯びたのが「ガラリ酒」。これ、実はもう半分以上飲んだ後。この日、私は全部の料理の写真を撮ろうと意気込んでいたんだけど、料理が出されて説明を受けると、もうその料理のことに気持ちが向かってしまい、ついつい写真撮らずに食べたり飲んだりしてしまった。そんな訳で料理の全景がなかなか撮れなかった。これもその1枚。3人で食べていたので、3人で「忘れないようにしようね」と念を押し合っていながらも、気がついたらもう食べ始めている・・・・。中には、気がついたらもう食べ終わってたのもあった。それは魔法にかけられていたかのようだった。その点、ややお見苦しいとは思いますが、ご勘弁を。

では、料理の説明に戻ります。

「ガラリ酒」は、「ガラリ」という名前の奄美大島のプラムを玄米焼酎に漬け、メープルシロップで甘味をつけたもの。もちろん自家製。ほんのり甘く、滋養がある感じで、「さー食うぞー」という気分になる。左の白いのが落花生豆腐。生の落花生を絞った汁を葛で固めたもの。ねっとりした食感の中に、落花生が持つ甘味と香りが口の中に広がる。そして添えてあるワサビが引き締めてバランスが取られている。素直においしい。そして右のお茶は、ハマ茶。マメ科の植物「カワラケツメイ」を焙じたお茶とのこと。「カワラケツメイ」は、その昔、お茶の木がうまく育たない地方に弘法大師が「替わりにこれを育てて飲みなさい」と広めたものという。このお茶の「カワラケツメイ」はカノウユミコさんの出身地、山陰地方の砂地に生えてるものらしい。砂地じゃお茶は育ちそうにない。いわば裏のお茶だけど、豆の仲間だから身体には良さそうだし、その素朴な香ばしさが落花生豆腐とマッチしている。

そして次。

先付け2:栗のすり流し

栗と豆乳のスープ、やや昆布だしが利いている。栗の風味がたまらない。和な栗のポタージュだ。これも半分以上食べちゃった後の写真。「この時点で写真のこと思い出しました」とも言える。

へこたれず、次、行きます。

前菜:春菊の生姜和え、切り干し大根と京人参の酢の物、干し柿の酒粕和え、豆腐の味噌漬け、小さな椎茸の煮物

春菊のほろ苦さ、酢の物の微妙な酸味、干し柿と酒粕のほのかな甘さ、味噌漬けの非常に淡い塩辛さ、ドンコの子供みたいな椎茸から染み出る柔らかい旨み。これら五味の訴えが柔らかく、人の優しさのように感じられ、どれを食べてもしみじみとします。

さらに、

蒸し物:聖護院かぶらの蒸し物

これも半分以上食べちゃった写真(魔法ですから)。おろした聖護院かぶらの中に、百合根、蓬の生麩、白しめじ、銀杏が入っている。これもザ根菜・聖護院かぶらをしみじみと味わいながら、百合根などのいろんな具が楽しい一品です。

続いて、

焼き物:精進のうなぎモドキ

これは珍しく食べる前に撮れました。3枚あるうち一番右のは、うなぎの皮(?)が見えるようにひっくり返しました。「これがウナギじゃないなんて・・・・」と思いますが、ウナギじゃないんです。タレは、醤油とみりんとお酒かな?のようだったけど、舌にシルキータッチな上品な味。下に敷いてあるのは、紅芯の大根(甘ーい)、隠元に手前がムカゴ。いろんな味を楽しめます。

次は、

お造り:生湯葉など、おぼろ昆布を巻いた青のり生こんにゃく、イギス、アロエ、ソルティーナ

残念ながら、この料理は、全部食べた後、写真忘れたのに気がついたので、写真はない。器は織部だったことは覚えているんだけど。「イギス」は、海藻を練って固めたもの。主に日本海側で採れる海藻です。信州では「エゴ」、福岡では「オキュウト」なんて呼ばれているものの仲間ですね。アロエはほとんど苦くなく、そのへんのアロエではない。身体が元気になる感じ。ソルティーナは、若干の塩気を感じるやや肉厚な葉物野菜。シャキシャキした歯ごたえがこのお造り全体のアクセントになっている。ソルティーナはたぶん「ソルティー菜」。料理を運んでくれた女性に「スベラーズみたいですね」と言ったら笑ってた。同年代らしい。

さて、次行きます。

揚げ物:アピオス、オレンジ薩摩芋、葉付き京人参、ふきのとう、柿の木茸ときく芋のかき揚げ

これは珍しく、食べる前に撮れました。一番手前の2つのコロコロがアピオス。北米インディアンが好んで食べている、滋養たっぷりの芋というお話。ホクホク感がありサツマイモと栗の間ぐらいな味。まー、そのへんじゃ見かけませんが、精のつきそうな感じです。京人参は小さく、葉っぱの方をたっぷり食べるような天ぷら。そんで、「鳥取の雪の下から取り出した」というこのふきのとう、味が濃かったなー。大寒の前にも雪の下で芽生えている生命力とでも言うんでしょうか。オレンジ薩摩芋は甘かったし、きく芋は私の好物なので、嬉しさひとしお。これらをシンプルに塩だけで食す。塩は、カンホアの塩の【石窯焼き塩】。

ここでやっと、

ご飯:湯葉山椒のせご飯
椀:なめこと菜の花の赤だし
香物:白菜漬け・梅干し・赤カブの漬物


ここまで結構食べてるんで大丈夫かなと思いきや、食べられるんですねぇ〜。湯葉山椒も白いので写真では分かりにくいですが、ご飯の上にちゃんとのってます。この湯葉山椒でご飯が進み、お代わりしちゃいました。個室のせいでしょうね。お代わり用のおしつがありました。もちろんおしつのご飯にも湯葉山椒がのってまーす。赤だしは、そのスルッと喉を通る優しさ軽さがが精進のいいところって感じます。香の物は全部シンプルに塩漬け。自信のほどがうかがえます。写真はもちろん少し食べちゃった後のもの。毎度毎度ですみません。

さぁー、ついに最後です。

デザート:サツマイモの寒天ケーキに無糖の苺ジャム添え
抹茶:無農薬の抹茶


最後となって安心したせいか、写真がありません。もちろん砂糖が使われてないので、ケーキは芋と苺が持っている甘さです。長かったようですが、写真を撮り忘れるぐらい次から次へという感じで、終わってみたらあっという間でした。ごちそうさまー。

季節柄、根菜類のオンパレードでしたが、これが季節が変わるとまたいろいろあるんだろうなー。最後に気になるお値段ですが、懐石のおまかせコースのみで、9,240円/1人(税・サービス料込み)。ちょっと高めだけど、しょっちゅう行く訳でもないし、ご覧のとおり、その価値は十分にあるでしょ。

菜懐石「仙」は、「カンホアの塩」のサイトでも紹介している。
菜懐石「仙」のご案内

2011年1月13日木曜日

ダウンシフターズ

きょうは読書感想文です。その本のタイトルは、「減速して生きる」。サブタイトルは「ダウンシフターズ」となっています。

まずこの本の著者、髙坂勝氏は、「たまにはTSUKIでも眺めましょ」という屋号の小さなオーガニック・バーを東京・池袋で営んでおり、私は2度行ってるので、少しだけど直接髙坂氏を知っています。ちなみに「髙坂」は、「こうさか」と読みます。私は、最初に「タカサカさん」と呼んで訂正された後1年ぐらいたって再び「タカサカさん」と呼んでしまったことがありました。そんな無礼な私にも、嫌みなくかつ丁寧に最初と同じ声の響きで訂正して頂きました。そんなことからも髙坂さんのお人柄がうかがえます。

それにしても、「たまにはTSUKIでも眺めましょ」。

やけに長い屋号です。この屋号を読むだけでも減速してしまいそう。そして、「子供の頃と比べ、月を眺めなくなったな〜」と私自身思います。私は東京の下町育ちなので、その頃もそんなに空気はきれいじゃなかったけど、ひとり屋根の上で夜空を眺めるのが好きな少年でした。当時、下町の多くの家の屋根の上には木製の物干し台があって、その物干し台から降りるともうそこは瓦屋根だったんです。(あ〜、懐かしい) そして月を「TSUKI」と表記しているところが印象に残り、「たまには」には、やさしさのようなものを感じます。

名前が長いので、著書の中では「たまTSUKI」と省略されています。ビリヤード好きな私としては、「玉突き」みたいに感じます。まっ、そんなことはどーでもいいとして、本について書かなきゃ。

最初に時代背景として、戦後、経済の勢いのあった日本はバブル崩壊後どんどん減速している。勢いのあった経済は、それなりの経済システムや人の感覚などを作り出し、それなりに機能していた。でも、右肩上がりの経済を前提または当たり前とした経済システムや人の感覚は、勢いがなくなったからと言ってすぐに呼応して変われるものではない。従って、そこには歪み(ひずみ)が生まれる。

その歪みを修正出来ないのは「政治が悪い」という人もいようが、著者は決してそうは言わない。自分自身が変わればいいんだよ、と言っている。彼は、大手百貨店に勤め「仕事が出来る」社員であった。でも仕事上しなくてはならないことと自分自身の価値観に違いを感じ始めると、もうそのままその仕事を続けられなくなり、ダウンシフトした。ダウンシフト、例えば年収600万円から350万円にダウン。無論、それは年収だけの話じゃないが、その分、時間と心の余裕を持てるようになり、幸せ感は逆に何倍にもなった。

右肩上がりから不景気という日本の経済の変遷と、百貨店勤務から年収350万円の小さなバーの経営への髙坂氏の変遷が私にはダブって見える。そしてこの本の中で、彼自身が自分の変遷の中で感じてきたことを、個人史のように語っている。

実は私自身も、大学を卒業後、(大手じゃないけど)会社勤務を3年余りしたが、辛くなって退社。その直後から、5年ほど旅をした。会社を辞めるときはかなり慰留されたので、会社への貢献はあったと思う。5年の旅は、当時かなり「尋常ではない」と言われたが、それはその会社勤めの3年余りの辛さが私自身にとって「尋常ではない」ことだったからだと思っている。その辛さが引き金になって、5年の旅になった。

当時、これは「ドロップアウト(落ちこぼれ)」と呼ばれていた。ドロップアウトとは、あくまで受動的だ。一般社会という本体からボタッとこぼれ落ちるということ。自分はそれを能動的・意識的にしたのではなく、「そうなっちゃった」ということ。一般的にはあまりいい印象はない言葉でもある。

それに比べ、「ダウンシフト」はあくまで能動的だ。そこには「そうしよう」という本人の意志がある。意志と言うと硬そうだが、悩んでいる人たちに対して著者はその意志を固めることより、あえて「軽く」それを薦める。その「軽さ」は、矛盾や苦悩、歪みで苦しむことの「重さ」から比べれば「軽い」という著者の経験から発せられていることだと私は思う。その点、私自身の経験からも同じことを感じるからだ。そして、「ダウンシフト」はただ年収が下がるだけじゃない。裏返せば、自分に無理して年収を多く得ることが問題だったのであり、年収が減った分、逆に社会的に自分がやりたいことを核に生活を組み立て直すことの提案だ。さらに、「ダウンシフト」してそうした幸せ感とともに生きる「ダウンシフターズ」がもっともっと増えることを社会に訴えながらこの本は結ばれている。

私が大学卒業後、勤めた会社時代は、毎日夜遅くまで仕事して・・・・そんなことしてると当然ストレスが溜まるので、会社を出た後は酒を飲みに行き・・・・電車は当然ないので、タクシーで帰宅する、という生活をしていた。(ま、若さゆえ出来たとも言えるけど)ただ、それは当時私の周りではそれほど特別なことじゃなかったので、「そんなもんだ」と思っていた。上司からも「まだまだだな」なんて言われてね。ただその上司も楽ではない。ストレス溜まる中、机の引出にはいつも胃薬があり、おまけに接待などで暴飲暴食を繰り返し、挙げ句の果ては入院。そしてその入院が「勲章」とまで言われていた。当時のそんな話はキリがない。だからときどき、政治家が「バブル以前の日本を復活させたい」なんて言ってるのを聞くと私はガッカリする。もうこりごりだ。

ドロップアウトとダウンシフト。やっぱダウンシフトの方が将来があっていいな。ドロップアウトや落ちこぼれはその言葉の中に救いがないから。私がドロップアウトした頃、ダウンシフトという言葉だけでも知っていたら、5年の旅はもっと短かったと思う。

国税庁の統計によると、この10年でサラリーマン(男性)の平均年収は1割以上下落しているという。女性は非正社員の立場が多いという理由で大きく変わってないらしい。もちろん政治・政策の問題もあろうが、政治家だって私たちの投票で選ばれているのだから、私たちの責任でもある。あまり政治任せにしないで、まずは自分の足下から変えるところは変えていかないとならない。収入が減ったなら、減ったなりの生活をしなくてはならないのも事実だ。しかし言うは易しで、人間はそれがなかなかできないものだ。でも、もしも収入が減ったなりの生活が、多いときよりもいいものだったら・・・・。この本はその変化の体験談であり、ガイドブックでもある。

興味あるけどまだ行ったことのない場所があるとします。そしていつかそこを旅行したいな〜と思うと、ガイドブックを見たりしますね。もしも、「そこ」が「ダウンシフトした世界」だったら、是非読んでみてください。

【書評】朝日新聞:減速して生きる—ダウンシフターズ [著]高坂勝

【ブログ】たまにはTSUKIでも眺めましょ

【amazon】『減速して生きる ダウンシフターズ』