きょうは読書感想文です。その本のタイトルは、「減速して生きる」。サブタイトルは「ダウンシフターズ」となっています。
まずこの本の著者、髙坂勝氏は、「たまにはTSUKIでも眺めましょ」という屋号の小さなオーガニック・バーを東京・池袋で営んでおり、私は2度行ってるので、少しだけど直接髙坂氏を知っています。ちなみに「髙坂」は、「こうさか」と読みます。私は、最初に「タカサカさん」と呼んで訂正された後1年ぐらいたって再び「タカサカさん」と呼んでしまったことがありました。そんな無礼な私にも、嫌みなくかつ丁寧に最初と同じ声の響きで訂正して頂きました。そんなことからも髙坂さんのお人柄がうかがえます。
それにしても、「たまにはTSUKIでも眺めましょ」。
やけに長い屋号です。この屋号を読むだけでも減速してしまいそう。そして、「子供の頃と比べ、月を眺めなくなったな〜」と私自身思います。私は東京の下町育ちなので、その頃もそんなに空気はきれいじゃなかったけど、ひとり屋根の上で夜空を眺めるのが好きな少年でした。当時、下町の多くの家の屋根の上には木製の物干し台があって、その物干し台から降りるともうそこは瓦屋根だったんです。(あ〜、懐かしい) そして月を「TSUKI」と表記しているところが印象に残り、「たまには」には、やさしさのようなものを感じます。
名前が長いので、著書の中では「たまTSUKI」と省略されています。ビリヤード好きな私としては、「玉突き」みたいに感じます。まっ、そんなことはどーでもいいとして、本について書かなきゃ。
最初に時代背景として、戦後、経済の勢いのあった日本はバブル崩壊後どんどん減速している。勢いのあった経済は、それなりの経済システムや人の感覚などを作り出し、それなりに機能していた。でも、右肩上がりの経済を前提または当たり前とした経済システムや人の感覚は、勢いがなくなったからと言ってすぐに呼応して変われるものではない。従って、そこには歪み(ひずみ)が生まれる。
その歪みを修正出来ないのは「政治が悪い」という人もいようが、著者は決してそうは言わない。自分自身が変わればいいんだよ、と言っている。彼は、大手百貨店に勤め「仕事が出来る」社員であった。でも仕事上しなくてはならないことと自分自身の価値観に違いを感じ始めると、もうそのままその仕事を続けられなくなり、ダウンシフトした。ダウンシフト、例えば年収600万円から350万円にダウン。無論、それは年収だけの話じゃないが、その分、時間と心の余裕を持てるようになり、幸せ感は逆に何倍にもなった。
右肩上がりから不景気という日本の経済の変遷と、百貨店勤務から年収350万円の小さなバーの経営への髙坂氏の変遷が私にはダブって見える。そしてこの本の中で、彼自身が自分の変遷の中で感じてきたことを、個人史のように語っている。
実は私自身も、大学を卒業後、(大手じゃないけど)会社勤務を3年余りしたが、辛くなって退社。その直後から、5年ほど旅をした。会社を辞めるときはかなり慰留されたので、会社への貢献はあったと思う。5年の旅は、当時かなり「尋常ではない」と言われたが、それはその会社勤めの3年余りの辛さが私自身にとって「尋常ではない」ことだったからだと思っている。その辛さが引き金になって、5年の旅になった。
当時、これは「ドロップアウト(落ちこぼれ)」と呼ばれていた。ドロップアウトとは、あくまで受動的だ。一般社会という本体からボタッとこぼれ落ちるということ。自分はそれを能動的・意識的にしたのではなく、「そうなっちゃった」ということ。一般的にはあまりいい印象はない言葉でもある。
それに比べ、「ダウンシフト」はあくまで能動的だ。そこには「そうしよう」という本人の意志がある。意志と言うと硬そうだが、悩んでいる人たちに対して著者はその意志を固めることより、あえて「軽く」それを薦める。その「軽さ」は、矛盾や苦悩、歪みで苦しむことの「重さ」から比べれば「軽い」という著者の経験から発せられていることだと私は思う。その点、私自身の経験からも同じことを感じるからだ。そして、「ダウンシフト」はただ年収が下がるだけじゃない。裏返せば、自分に無理して年収を多く得ることが問題だったのであり、年収が減った分、逆に社会的に自分がやりたいことを核に生活を組み立て直すことの提案だ。さらに、「ダウンシフト」してそうした幸せ感とともに生きる「ダウンシフターズ」がもっともっと増えることを社会に訴えながらこの本は結ばれている。
私が大学卒業後、勤めた会社時代は、毎日夜遅くまで仕事して・・・・そんなことしてると当然ストレスが溜まるので、会社を出た後は酒を飲みに行き・・・・電車は当然ないので、タクシーで帰宅する、という生活をしていた。(ま、若さゆえ出来たとも言えるけど)ただ、それは当時私の周りではそれほど特別なことじゃなかったので、「そんなもんだ」と思っていた。上司からも「まだまだだな」なんて言われてね。ただその上司も楽ではない。ストレス溜まる中、机の引出にはいつも胃薬があり、おまけに接待などで暴飲暴食を繰り返し、挙げ句の果ては入院。そしてその入院が「勲章」とまで言われていた。当時のそんな話はキリがない。だからときどき、政治家が「バブル以前の日本を復活させたい」なんて言ってるのを聞くと私はガッカリする。もうこりごりだ。
ドロップアウトとダウンシフト。やっぱダウンシフトの方が将来があっていいな。ドロップアウトや落ちこぼれはその言葉の中に救いがないから。私がドロップアウトした頃、ダウンシフトという言葉だけでも知っていたら、5年の旅はもっと短かったと思う。
国税庁の統計によると、この10年でサラリーマン(男性)の平均年収は1割以上下落しているという。女性は非正社員の立場が多いという理由で大きく変わってないらしい。もちろん政治・政策の問題もあろうが、政治家だって私たちの投票で選ばれているのだから、私たちの責任でもある。あまり政治任せにしないで、まずは自分の足下から変えるところは変えていかないとならない。収入が減ったなら、減ったなりの生活をしなくてはならないのも事実だ。しかし言うは易しで、人間はそれがなかなかできないものだ。でも、もしも収入が減ったなりの生活が、多いときよりもいいものだったら・・・・。この本はその変化の体験談であり、ガイドブックでもある。
興味あるけどまだ行ったことのない場所があるとします。そしていつかそこを旅行したいな〜と思うと、ガイドブックを見たりしますね。もしも、「そこ」が「ダウンシフトした世界」だったら、是非読んでみてください。
【書評】朝日新聞:減速して生きる—ダウンシフターズ [著]高坂勝
【ブログ】たまにはTSUKIでも眺めましょ
【amazon】『減速して生きる ダウンシフターズ』
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