住む場所は何処
人間、どこに住むかは大きな問題だ。
現在私は、東京・昭島にある借家住まい。先週末、その庭を眺めていたら、トカゲが甲羅干ししているのが目に付いた。それを見て思った。
「あっ、せめてこのぐらいの自然は欲しいな」そして、「このぐらいの自然がある場所に住むのが、自分には合ってるのかな、ちょうどいいのかな」
とも思った。
この庭は、新しい。数年前に作ったばかりだ。この家に越してきたとき、今の庭がある場所は、ガラ石が敷き詰められていて駐車場のようになっていた。そこから庭作りをした模様は、何年か前にこのブログでも書いた。
庭作りをしてすぐに(夏場だったせいもあるが)、たくさんのミミズが住み始め、そしてその1〜2年後にはそれを餌にするようなトカゲが住み始めている。ブロック壁に囲まれているこの新しい庭に、どこからトカゲは来たのだろうかと、本当に不思議に思う。このぐらいの自然なんて、そんな感心する程のことではないのかも知れないが、生来の私の自然環境のレベルは至って低い。生まれは、東京の下町で、二十代前半まで住んでいた。そこの土の地面と言えば、公園しかなかった。庭のない家がほとんどで、軒下に並んだたくさんの植木鉢は、その住人の自然を欲する溢れんばかりの気持ちの表れのようも映った。体験的にそこからしか比べられない私なので、このトカゲの小さな自然は、私にとって、「不思議に思う」ようなことなのです。
二十代後半からは、海外や日本各地を点々とし、一日中、車の音が聞こえない、タイの海辺に3ヶ月、インドの山奥に1ヶ月、日本の山奥にも半年ほど住んだことがある。そうして自然の力が強いところへ強いところへと惹かれていったのは、自分の中に人として本来あるべき自然との関わりの経験が不足(または欠如)しているのではないかというコンプレックスがあったからだ。その不足を補うように旅は数年続いた。
そして、再び東京に住み始めた。ただし今度は、下町ではなく、東京西部、いわゆる多摩地区の昭島だった。ここには、自然とニホントカゲが住み始めてくれるぐらいの自然がある。今は、高校生と中学生の子供もいるし、仕事場もこの地域なので、借家住まいとは言え、そう簡単には引っ越せない。しかし、近い将来、子供たちも独り立ちしていくことを思いながら、「自分はどこに住むのがいいのだろう?」と自問自答を繰り返している。カミさんは、仕事的には場所が自由なので、私より融通が効きそうだ。しかし、ずっと一緒に住むのだろうか、それとも一時的にでもそれぞれが別の場所に住むのもいいのだろうか? 彼女は海辺育ちなので、海の近くに住みたがるが、私は海よりは山派。今は、国木田独歩の「武蔵野」のような、野山が理想だな、などといろいろ考える。
この手の感覚は、自分の生い立ちとも深く関係すると思うが、自然体験レベルの低い私の場合、庭でトカゲが日向ぼっこしてるぐらいの、程よく自然が残っている場所がいいと思っている。果たして10年後、幸いにして生きているとすれば、私はいったいどこに住んでいるのだろう?
ラベル: 食に非ずこと