2023年9月12日火曜日

ぶどうの加熱


 先週末、東京の我が家に、岡山で前泊したという客人が、大量のぶどうをお土産に持って来てくれた。上の画像の左側がそのぶどうなのだけど、ネットで調べても品種が分からない。赤と緑が混ざった色で、何しろ房がデカイ。頂いた量は、そのデカイ房で6〜7つ。味は甘味の中に少し渋みがある。最近は、巨峰、ピオーネ、シャインマスカットなどがスーパーに並んでいることが多いが、この味は久しぶりな感じで、新鮮だった。

近所に配ってもデカイ4房が残った。このままだとどんどん傷みそう。ということで、ウチのカミさんの登場です。まずはジュースに。そのままミキサーにかけると思った私は、「赤ワインみたいに皮ごとでいいのかな?」ときいたら、「ネットで調べると、皮付きの粒ごと加熱するのがいいんだって」と言う。トマトを加熱してトマトジュースにすると、トマトの旨味が増すというのはあったが、「まさかぶどうは旨味とは違うよな」とブツブツ独り言を言いながら、出来上がりを待った。

その加熱直後が、上の画像右側の鍋。液体が染み出ていて、皮が剥けかけているが、ご覧のとおり、ぶどうの粒々感はまだまだある。加熱直後に液体(ジュース)を味見したら、大層うまかった。イケル。色はほんのり赤みがかっていたが、ほとんど透明。そして、粗熱が冷めるまで待ち、ザルで漉して、ボトルに詰め替えたのが下。

皮の色が出たらしく、「ほとんど透明」から、ロゼワインのような色になった。無論、冷やして飲む。すこぶるうまい。結構濃い味なのでウォッカと炭酸で割って飲んだり・・・・。

さて、ザルに残った粒々感のあるぶどう。いくつかはそのまま食べて、あとは日持ちのために少し砂糖を加えてジャムにすることになった。冷蔵庫で冷やすと、感じる甘味がやや少なくなるが、あんまり砂糖を加えると果実感が減るので、少しだけ。大量のジャムになったので、再び近所に配る。

それにしても、何故加熱するのだろうか? 彼女は「ネットにそうあった」と言うが、詳しくはハッキリしていない。発酵を抑えることにはなるだろう。味や香りも変わるのだろうか。画像のとおり、皮の色はよく移るようだ。加熱直後と冷やした後の味や香りの違いまでは感じ取れなかった。

おそらく、この疑問も、ネットよーく調べると分かるだろう、と思う。でも、今回はやめた。以前、下記のエントリでも書いたが、何でもすぐに分かればいいものじゃないと思うから。そのうち、「あー、きっとこういうことだー」と思いつく幸福感を味わえるかも知れないので。


2023年3月13日月曜日

梅が散るとき

昨日の朝、庭へ出ると、足下に白い破片が数枚落ちているのが目に付いた。一瞬「ん、何だ、これ?」と思ったが、梅の花びらと分かった。よくみると、数枚ではなく、数十枚だった。隣の庭の白梅が散り始めた。


梅が散るとき。


・・・・いいなと思った。

まだまだ寒い春先に咲き始める梅の花。散るときは、いかにも「春っぽくなってきた」と実感するときだ。梅は、まるで散ることで、何かを始めているよう。


インドのヒンズーの神々の中で、一番人気は、断トツでシバ神だ。破壊の神様。壊すことは新しいことの始まりだということを、インド・ヒンズー教徒の人たちは、よく知っている。または、新しいことをすることは、程度の差こそあれ、何かが壊れることを、よく知っている。


ちなみに私が、ヒンズーの神々の中で好きなのは、クリシュナ。ビシュヌの化身で、維持の神様。クリシュナが登場する絵は、だいたい川沿いで、綺麗な女性に囲まれながら、笛を吹いている。いいですね〜。何かとっても平和で穏やかな感じが好きだ。


梅が散る光景を見られるのは、梅の木にまだ花が残っている間。あと一週間もないだろう。花が散りきって、新芽が出る。そして3ヶ月後には、梅の実が付くなんて、今は信じられない。

2023年3月2日木曜日

今宮神社・あぶり餅


 半年ほど前のこと、かつてから知り合いの、和菓子の先生に、「じゃあ、一番お好きな和菓子は何ですか?」ときいてみた。ちなみに、私にとってのそれは、浅草・梅むらの「豆カン」なので、その前振りの後に、おききした。すると、彼女は 数秒考えた後、


「京都、今宮神社の、あぶり餅です」


と宣われた。そのうちに、私は大阪への出張が決まり、東京への帰り道に京都に泊まった。2月中旬。小雨がそぼ降るものの差ほど寒くなかった昼過ぎ。この空気のしっとり感は何とも京都らしいなと思いながら、今宮神社に着いた。お参りをした後、あぶり餅屋さんへ向かった。東西に走る参道を挟んで、南北に向かい合わせで二軒ある。冒頭の写真は、今宮神社の境内から東側に向かって撮ったもの。立派な門の向こうには、南側の「かざりや」が見えている。


北側に「一和(一文字屋)」、南側に「かざりや」。どちらも、軒下で串に刺した餅を炭で焼いている。(下の写真は、「かざりや」) どちらも似たその焼き方を見て、私はちょっとビックリ。数本の串を持って、先端の餅の部分を、最後は赤い炭に擦りつけるように焼いていた。餅は柔らかく水分多めながら、餅は焦げる。いや、焦がす。

知人と二人で、最初に北側の「一和(一文字屋)」でひと皿、後で南側の「かざりや」でひと皿食した。どちらもひと皿600円。どちらの「あぶり餅」も、酷似しているが、「かざりや」の方が白味噌のタレの甘さが若干強いように思われた。私の場合、甘さが気になったので、最初の「一和」の甘さの上に、後から食した「かざりや」の甘さが乗っかって、より甘く感じたのかも知れない。

一和(一文字屋)
かざりや
風情のある建物と立地の雰囲気の中で、食すあぶり餅。お茶がおいしく感じるほど、その味付けは甘いが、その甘さの中に、「香ばしさ」というより、餅の「焦げの苦味・酸味」がよく合う。「あー、このために餅を焦がして焼くんだな」と思った。この焦げをおいしく食べるための甘いタレなのだ。

あとやはり、参道を挟んで、二軒あるというのは、独特の雰囲気を醸し出している。「この二軒は、代々何百年もの付き合いがあるんだろうなー。いろいろあっただろうなー。値上げするときはきっと相談しあうんだろうなー」などと、自然と思いは馳せる。それに、ポツンと一軒あるより賑やかだ。

さて、あぶり餅を勧めてくれた和菓子の先生には、どう報告しようか。

2023年1月18日水曜日

ドブロク、泡切り装置からカサ上げへ

 毎年仕込んでいるドブロク。今年は、元旦に仕込みを始めて、先週末に三段仕込みの留添えが終わった。モロミの水位が仕込んでいる瓶の8割方までになっている。ここから発酵が進むと、その泡で瓶からあふれ出ることを考慮しないとならない。

2019年の仕込み時、プロの酒蔵さんが使っている泡切り装置を真似て、自作で作ってみたのが下の動画。直径30cmぐらい。ちょっとやってみたかったというぐらいのことではあったのだけど。


そんなに泡が立たない頃はちゃんと泡を切ってくれていたのだけど、泡の勢いが増してくると、泡に引っかかって回転する羽が止まってしまった。回転させてたモーターは、ホームセンターで入手したものだったが、鉄道模型などを走らせるジオラマに、メリーゴーランドなど回転するものを回すためのものだった。それが、トルクというかパワー不足だった。仕方なく、その泡切り装置を諦めて、一つの瓶のモロミを、ふた瓶に分けて、溢れるのを防いだ。ふた瓶にすると、瓶によって味が変わった。モロミをちょうどよく分けるのが難しいからだった。

2〜3年前、この泡切り装置のことを、どぶろくを仕込んでいる友人に話すと、「瓶には背の高いやつもあるから、瓶のカサを上げりゃ〜いいんだよ」とアドバイスを受けた。彼の家には、その背の高い瓶の現物もあり、説得力もあったが、どうも無駄に背が高いような気がして、そのアドバイスをそのまま採用する気にならずにいた。

そして今年。

カサ上げが必要になったら、オプション的に、段ボールなんかを筒状にすることでカサ上げして、その内側にラップを貼ればいいんじゃないかと思いついた。仕込みの初期は瓶のまま。モロミの水位が上がって泡に勢いがついてくる頃、この筒を設置し、その後発酵が収まってくれば、その筒を取っちゃえばいい。これなら、背の高い瓶を調達する必要もない。

で、やってみたら、段ボールの筒の内側のラップがなかなか思うように貼り付かない。どうしても、ラップとラップの隙間が出来てしまう。泡が上がってくると、毛細血管現象で外に漏れ出てくるような気がした。悩んでいた私を見ていたうちのカミさん曰く、「そんなのモロミ全部を、一枚の大きなポリ袋で包んじゃえばいいのよ」。なるほど。

で、やってみたのが、下の写真。大きなポリ袋を瓶に突っ込んでモロミを移し、カサ上げした段ボールの内側に同じポリ袋をはわしていって、上端で折り返してある。カサ上げの高さは40cmぐらいか。


これで、いくら泡が勢いを増しても大丈夫だろう。ひと安心。
結局は、いろんな人のアイデアにお世話になって、改良されている。
2月上旬の完成が楽しみだ。

2022年9月30日金曜日

アシダカグモとタランチュラ


 一ヶ月ほど前の朝一番で、我が借家の一階にある客間に泊まっていた義姉が、「夕べ、でっかいクモがいてビックリした」と、やや慌て気味に言った。10cm以上は優にあったらしく、彼女は自分でネットで調べ、「おそらくだけど、アシダカグモではないか?」ということだった。アシダカグモは、しばしば家の中に住み、ゴキブリなど家の中の虫を食べるらしい。益虫と言える。ただ、10センチ以上となると、存在感が結構あって、単純に益虫と思うのも、人によっては難しいかも知れない。


そして、その1〜2週間後の早朝5時頃、高3の娘が「でっかいクモがいるよ。起きてよ」と熟睡中の私を起こした。普段、彼女はゴキブリを発見すると、すぐに私に知らせる。つまり私は退治役なのだが、「こんな時間に退治かよ」と思った私は、これくらいで起きたくなかったので、「んー」と気のない返事をして、再び眠りに落ちた。


そして本格的な起床後、彼女にそのクモの話を詳しくきいた。二階に寝ていた彼女は、朝方トイレに起きたついでに、喉が渇いたからと、一階のキッチンの冷蔵庫へ向かったらしい。すると、キッチンの床に、そのでっかいクモ。もちろん、一ヶ月前の義姉が見たアシダカグモらしきクモの話を思い返していたが、義姉の話より、足が太く身体はモコモコしていたらしい。そこで、このチャンスを逃したら次はいつになるか分からないので、(退治して欲しいということではなく)まずは私に見せたいということだった。


「ん? 足が太くて、身体がモコモコ?」


私はタランチュラを思い起こした。タランチュラとなると、私が真っ先に思い起こすのは、昔観た映画のワンシーンだ。映画の名前や内容は覚えてないのだが、1分間ぐらいのそのシーンだけが忘れられない。たぶん西部劇だったと思う。


靴を履いたまま仰向けにベッドに横たわっている屈強なガンマン。はたと気づくと、タランチュラが彼のスネに乗ろうとしている。彼は金縛りにあったように、身体を微動だに出来なくなる。額には玉の汗が吹き出し、タラリとしたたる。タランチュラは至ってゆっくりとしか動かない。無音の時間がやたらとゆっくり流れ、30秒が1時間のようだ。すると、タランチュラは、スネの上からベッドのシーツの上へとゆっくり降りる。と、その瞬間。彼はベッドのサイドテーブルにあった拳銃を素早く掴み、そのタランチュラを撃つ。もちろん一発で命中。彼は大きく息をひとつつき、額の汗を拭う。


この話を家族にすると、みんな怖がり始めた。最近は、日本にいない爬虫類や虫など、近所には内緒でペットとして飼ってる人がいるから、そのクモがタランチュラである可能性も100%否定することは出来なかった。益虫のアシダカグモか? それとも、もしかしたら猛毒のタランチュラか?


しかーし、今どきだからネットで検索。すると、そのイメージに反して、タランチュラはたいした毒ではないらしいことが分かった。「死亡例はない」という記述も。


ということは、たとえ逃げ出したペットのタランチュラであっても恐れることはなく、無論、アシダカグモの可能性の方がよっぽど高いが、アシダカグモはゴキブリを食べてくれる。という結論に至った。カミさんからは「事実無根の脅かす話をするあなたが悪い」と怒られるし、普段ゴキブリを恐れている娘も、「いくらでかくても、ゴキブリ食べてくれるんなら、全然オッケーじゃん。むしろ、ウチに住んでて欲しい」と言い出し、これからはそのクモ様を守っていこうということになった。


こうしてすっかり風向きが変わった2〜3日前、カミさんが洗面台のすぐ横で、でっかいクモ様を見つけた。それが冒頭の写真。大きさは、だいたい広げた足の先から先までが15センチぐらいか。私はこのとき就寝前の歯磨きをこの洗面台でしたかったのだけど、どういう訳か、クモ様は動かない。しびれを切らした私は、20センチぐらいしか離れてないところに立って、歯を磨きながら、「頼むから、オレのスネの上に乗ってくるなよ」と心の中で呟いた。

2022年8月23日火曜日

食えると食えないのあいだ

上の画像は、ドリアンの房。7月にベトナムへ行った際、あるご家庭でご馳走になったもの。濃厚なドリアンを満喫すると、表れ出るでっかい種が下の画像。種の方がカサあるんじゃないかと思うほど。
「ドリアンの種ってでっかいよなー」と私が呟くと、「それ、食べられるよ」とその家の方に言われた。湯がくと、芋のようらしい。日本帰国直前だったので、この種を数個持ち帰って、東京の自宅で湯がいてみたのが下の画像。
塩を少し振って食べてみると、たしかに芋のような、はたまた栗のような・・・・。ん、昔食べた菱(ひし)の実が一番似ているか。断面からも察しがつくと思うが、ベニハルカのようなネットリ感はほとんどなく、サッパリとした食感と味。まー、オッケー。ところで、私はそれ程ではないが、「ドリアン好きな人」という人がいる。やや依存症気味に「ドリアンを食べる幸せ」が止められないという人だ。でも、この種を特別好きな人はほとんどいないだろう、と思った。

話は変わります。

昔、35年ぐらい前、関西の山の中に住んでいて、ヤマゴボウと呼ばれる植物が目に付いた。都会育ちの私は、当時、まだ名前も知らなかったヤマゴボウの垂れ下がった紫色の実が、ベリー系の実のようにも感じ、「これ食べられるんじゃないか(うまいんじゃないか)」と思った。そして、やや心躍りながらその実を集め、ザルで粗く漉し、ボウルに集めた紫色の汁をやや慎重に口に含んだ。舌の上に広がった汁は、ちっとも旨くなく、少し後にはピリピリする感覚もあり、すぐに吐き出した。何日かして、地元の知人にその話をすると、「あれは毒だっていうよ。あなた大丈夫だった?」と驚かれた。幸い飲み込んではいなかったが、危なかった。今なら、まずはネットで調べて・・・・、というところだろうが、それもない時代だったし。

さて、「ヤマゴボウ」と聞いて、本来私が連想するのは、その味噌(または醤油)漬けだ。

碓氷峠の名物で「おぎのや」の釜飯がある。子供の頃、東京から親父の実家がある長野へときどき連れてってもらったが、その途中、横川駅で必ずその釜飯(弁当)を買った。当時の急行・特急列車は、横川駅で乗客が釜飯を買う時間のために、通常の停車時間より長く停まった。10分ぐらいだったか。そのぐらい人気の釜飯だったのだが、蓋を開けたときに立ち上る香りを私はあまり好きになれなかった。しかし、その釜飯に必ず付いていた、「香の物」の薄い木の小箱に入ったヤマゴボウの味噌漬けは、大好きだった。

紛らわしいが、私が35年前、山の中で口にした毒のあるヤマゴボウとそれは別物だ。それから10年か20年か後になって、そのおいしい方のヤマゴボウは、ゴボウ(牛蒡)ではなく、「モリアザミの根」であると知った。

時が飛んで、今年の春。

我が家の庭に、どこからか飛んで来た種で、突然アザミが芽を出した。「もしかすると、モリアザミかも知れない」と、味噌漬けのイメージも湧いていた私は、成長を見守った。ある程度大きくなると、トゲが痛かった。今だからネットで検索だ。「モリアザミ」ではなく「ノアザミ」だった。それでも諦めきれなかった私は、花も咲き大きくなったそのノアザミの根を掘り起こした。それが下の画像。
実は、このノアザミさん、庭の敷石の隙間から生えていたこともあり、引っこ抜くのに苦労した。味噌漬けのイメージ故に、自然薯のように何とか根っこを切らずにそのまま掘り出したかったからだ。・・・さあ掘り出した。触ってみると、かなり固い。「こりゃ味噌漬けは無理だな、やっぱりモリアザミでないとダメか・・・・」、と落胆していたら、カミさんが、繊維を短く刻んでキンピラはどうかとの進言。しかし、残念ながら、ノアザミの根は、繊維が太くひたすら固い。味も旨いとは言えず、ほとんど食べられなかった。

言うまでもなく、現在の食は、先人たちが、いろんなものを試食し、料理法も考えてきた結果の集大成だ。私を含めた現代人は、その事実をすっかり忘れてしまっていないかと、ふと思った。その綿々と続いてきた過程では、具合が悪くなったり、ときには命を落とした人もいただろうとさえ思う。また、飢え故に未知のものを食べたということもあったかも知れない。それ故に、味覚は現代の私たちよりも鋭かったに違いないし、その試食の経験は自分のためだけでなく、周り(社会)の人のためにもなった。そして、今に至る。現代では、山菜採りやキノコ狩りで、たまに事故があるが、それは試みたというより、(トリカブトとモミジガサのように)単に見間違えが多いのではなかろうか。もしかすると命がけになったかも知れない状況の下での未知のものの試食。それを思うと、「あー、旨い」、「不味い」と気軽に言う私たちの味覚は、ただの「お遊び」に思えてくる。

私のように(毒のある)ヤマゴボウの実を試食した人は必ずいたと思うし、ノアザミの根を、試食した人がいて、紆余曲折の末、それを味噌漬けにした人がいたからこそ、私の好物のヤマゴボウの味噌漬けがある。未知のものの試食にはリスクを伴いもするが、数多の中から「これはいけそうだな」と感じたものを選んだだろうから、私が毒のあるヤマゴボウを試食したときのようなワクワク感もあったはずだ。

今回私は、モリアザミと同類だからと理屈っぽくノアザミの根を試食しただけだけど、少しだけ、先人たちの心意気と味覚を想像した。

2022年6月30日木曜日

神保町 天ぷら いもや


 40年ぐらい前(高校生から二十歳過ぎぐらいまで)、神保町界隈をよく歩いた。当時このあたりは、本屋はもちろん、楽器店、スキー用具店、登山用具店(今で言うところの、キャンプ・トレッキング用具店)などが軒を並べていたためだ。また隣町の秋葉原には、大小のオーディオ店がたくさんあって、レコードは、石丸電気2号館(または本館)が、当時日本で一番の品揃えだったと思う。本やレコードはたまに買ったが、それら以外は高価なのでほとんどが下見。買う場合は、数回の下見は欠かさず、結局、買わないことさえあった。そんな神保町界隈を私は楽しんだ。そして、歩いていれば腹は減る。元々学生街だったから、多くの「安くてしっかり食べられる飲食店」があった。そしてそれらは今でもある。


昨日は、たまたま昼頃に飯田橋での用事が終わって、さて昼飯と思った際、ふと神保町の「いもや」に行きたくなった。ほとんど40年ぶり。昔のおぼろげな記憶だと、神保町の交差点を水道橋方面に向かって左側の路地を入ったところにあったと思ったのだけど、検索してみると、右側の路地を入ったところだった。ちょっと気になったので、ネットで調べてみると、「いもや」は、創業者の店からのれん分けで、天丼・天ぷら・とんかつと、数店舗あったらしく、その後それらの店は次々となくなっていき、今は、「天ぷら いもや(神保町)」と「とんかつ いもや(馬喰町)」の2店舗だけらしい。当時の私は、そういったことはほとんど気にしておらず、ただ「おいしいものを腹一杯食べたい〜」というモチベーションの下、あちこちで食べていた。


さて、40年越しの再訪。厳密には当時と違っていたかも知れないが、店の雰囲気は変わってない。寿司屋のような白木のカウンターの中で、年配のご夫婦が中心となって、次から次へと入ってくる客に対応していた。天ぷら定食、750円也。猛暑の中、ミョウガを欲し、オプションで付けてもらってプラス100円。もうボリュームたっぷりなことは分かりきっていたので、「ご飯は軽く」。ちなみに、ここは食事のための天ぷらなので、アルコール類は置いていない。


最小限の言葉で、黙々と天ぷらを揚げ続けるご主人。そのタイミングに合わせて、お茶、ご飯、味噌汁、天つゆなどを出し続ける奥さん(と思われる方)。(透明のポリシートの奥のバックヤードで、もうひとかたいらっしゃった) 何て言うかな〜。このご夫婦の所作に迷いが全くないのです。カウンター越しに見ていて感じる、何とも言えぬ安心感。胃袋だけでなく、心まで満たされる。この日の東京は、35℃を越える猛暑。直径50〜60-cmはある、揚げ油(カドヤのごま油)がたっぷり入った銅の大鍋。その前に立ってひたすら天ぷらを揚げ続けるご主人。奥さん担当の味噌汁は、ぐつぐつ煮たて続けてるから、味噌の香りなんかぶっ飛んでるが、汁よりもサイの目の絹ごし豆腐の方が多い味噌汁は、「本だし(らしき)」の鰹の味がビシッと利いている。その大衆さを、またよく感じてしまうという、魔法のような味噌汁。


「この仕事をしていることが、私たちの天職」

このお二人が働く姿そのものが、そう語っている。


なっくなってしまった他の「いもや」もそうだが、近年、こういったお店が、後継者不足で閉店することが多い。かといって、私が継げる訳ではないのだけど、「こんな魅力的な仕事なのに・・・・」と、甚だ勝手に、残念がる私がいる。天ぷらは、江戸時代に屋台で始まったと聞く。にぎり寿司も蕎麦もそうだ。元々は決して高級なものではなく、誰もが食す大衆的なものだった。太白のごま油を使って、難しそうな顔して揚げている、高級天ぷらもおいしいが、「原点はこっちだよな」と思う。