2024年7月1日月曜日

インド料理店のサラダ

 

3月の先のエントリに続き、再びインド関係のエントリになった。

暑かったので、週末インド料理店へランチしに行った。今や日本ではありふれたとも言える大衆的なインド料理店だが、ずっと前から、どうにかならないものだろうかと思っていることがある。付け合わせに、必ずと言っていいほどついてくるベビーリーフ・ミックスみたいな葉物サラダとそのドレッシングだ。

私がインドに滞在していたのは、今から三十数年前だが、少なくとも当時、生の葉物野菜を食す習慣自体がインドにはなかった。(おそらく今でも変わらないと思うのだが) インド料理でサラダ的なものはというと、ライタが代表例だと思う。スパイス(クミンなど)に塩を利かせたヨーグルトソースに絡まった、野菜料理だ。カレーにとてもよく合う。そのときの野菜に葉物はなく、大概は、トマトや人参など根菜、瓜の類だったように思う。

だから、いくら日本だからとは言え、インド料理店という看板の店で、そもそもベビーリーフ・ミックスのサラダはおかしいだろーと思う。さらに、それにかかっている業務用っぽいドレッシング。私は、この手のドレッシングが苦手だ。でも、嫌々ながら、出されるとつい残すのがもったいなくて食べてしまう。先日行ったインド料理店は、数ある大衆的な店の中でも、料理はおいしいのだが、口の中に、このドレッシングの味が残って、残念だった。そして、これまでそれを何度となく繰り返してきた。

このサラダは、インド料理店が増え始めた20〜30年前から、日本にあるインド料理店では定番化している感があるが、おそらくそれは日本だけのことなのではないかと思う。

全くの想像だが、その昔、日本でインド料理店が増え始めた頃、メニューを考えていた人は、「日本人は、葉物の生野菜サラダが好きだ。ドレッシングはフツーの業務用のが日本ではポピュラーだ」と思い立ち、今やそれが定番化しているように思う。そもそも、日本で、生野菜を食べる習慣が始まったのは、戦後のことだと思う。そこにも一抹の疑問があるのだが。

スパイシーなインド料理の中で、あの葉物サラダとドレッシングは、箸休め的な意味で、元々は日本在住者の好みに合わせたという、いわば好意だったと思う。だがしかし、私からすると、それはその当初の思い込みであって、今やライタの方が、私以外の客もきっと喜ぶだろうし、何とかあの業務用ドレッシングはやめて欲しいと思う。でも、現状、特にランチプレートなんかの場合、これだけ定番化しているベビーリーフ・ミックスのサラダに替えてライタというのは、ややハードルが高そうなので、何か現実的な作戦を考えねばと思った。

「サラダには、ドレッシングなしで」

次の注文時には、さしあたり、こう注文しようと思っている。単純に「ドレッシング無し」なら、店側も難しくないだろう。塩味が足りなければ、シンプルに塩をかけた方がよっぽどいい。これまで何度も出てきたサラダを前にしてこう思ってきたのだが、不覚にも次の注文時(おそらく2〜3ヶ月後)につい言うのを忘れてしまってきた。よ〜し次回からは忘れないようにしよう。そう自戒の念を込めて、きょうのエントリを書いている。

念のため付け加えるが、ちゃんとした(?)インド料理店では、ライタは出ても、ベビーリーフミックスのサラダは決して出ない。しかし、これだけ大衆的なインド料理店がポピュラーになった今の日本だ。一見同じように見えるインド料理店を「選ぶ」時代になってきてる。その差別化の意味でも、ベビーリーフ・ミックスのサラダとそのドレッシングの代わりに、ライタが出てくる日は、来るのだろうか。

2024年3月13日水曜日

私の「インド人のこういうところ好き」

 インドの人口は、今や14億人とも言われ、近いうちに中国を抜くとも予想されている。そんな大国インドには、様々な人がいる。ただ、三十数年も前のことながら、私は今でも忘れられない、こんなインド人と接したことがあったという話。無論、インド人みんながこういう人な訳ではないし、日本では「たぶんなさそうなことかなー」と思うので。


インドではどこにでもある、露天のチャイ屋(ストール)。そこの長椅子に腰掛けてチャイを飲んでいたら、隣に同年代ぐらいのインド人男性が腰掛けた。面識はない。しばし、二人横並びでチャイをすすることとなった。少しして、彼は私に話しかけてきた。


「お前さん、いい腕時計しているな」と、私の左腕の時計(一般的なもの)をのぞき込みながら言う。

「そーお、褒めてくれてうれしいよ」と軽く受け応える私。すると、

「それとても気に入ったんだ。俺にくれないか?」と彼。

私は少したじろぎながらも、「あなたが気に入ってくれていることは分かったが、私だって気に入ってるんだから、あげることは出来ないな〜」と、何とか応じる私。

「そっか」と、チャイを飲み干した彼は、何事もなかったかのように立ち去った。

私は、チラッと彼の後ろ姿を見て、残りのチャイを飲み干した。彼は振り向く素振りもない。


この会話だけだと、彼は何と図々しいヤツだな〜と思うかも知れない。しかし、そのとき、私は全くそうは感じなかった。不快というより、むしろ爽快に感じた。マナーや事の善悪云々とは別次元で、「人間は自由だ」ということを私は彼から感じたからだ。特別な感情もなく立ち去った彼の後ろ姿を見て、私は自分の身体が少し軽くなった気になった。


上記の会話を、私は今でも覚えているものの、その腕時計がどんなものだったかを実は思い出せない。そのときは、それなりに私も気に入ってたんだろうが、それは後になって忘れてしまう程度だったのだ。もしかすると、あのときの彼の方が、私より「気に入り度」が高かったかも知れない。さらに、彼との会話を、私はこうして三十数年経った今でも忘れられないでいるし、私が彼から受けた爽快感の方が、陳腐な私の「気に入り度」よりも価値があるようにも思える。


インドには喜捨(バクシーシ)という習慣がある。何かを「施す」ということは、ときに「喜び」にもなり得るのだ。あのとき私は彼に腕時計をあげるのが正解だったと、今は思う。そうしていたら、私の人生はその後、もっと自由になったかも知れないと。

2024年1月15日月曜日

「ムクドリの万両栽培説」の未練

 

上の写真は、我が家の庭の植え込み。すっかり冬になっているこの折、少しの草の上に敷いてある藁の間に、小さな赤い実が、いくつも落ちている。万両の実だ。万両は、右隣の家に植わっていて、しばしば数羽のムクドリがホバリングしながら、たわわになった実をついばんでいるのを見かけていた。この万両はきっと、その万両に違いないと思った。

また、最近、その万両の庭の反対側(左側)二軒先の家の二階の戸袋に、ムクドリの巣があることに、私は気がついていた。ムクドリはきっと、そのムクドリに違いないと思った。そのムクドリの巣と右隣の万両の木のちょうど間に、我が家の庭がある。

この2つのことを繋げると、左二軒先の戸袋に巣があるムクドリが、右隣の庭の万両の実を、うちの庭に落としていった、となる。「え〜、どうしてだろう?」とその理由を想った私は、もしかしたらムクドリが「故意に」ここに落としていったんじゃないかと思い至った。もしも、巣に持ち帰る途中で、誤って落としたとしたら、拾っていったはずだ。

植物は我が身をもって、鳥や昆虫に、食料を供給しつつも、その種や花粉を遠くに運んでもらうという共存の関係にある、なんてことがよく言われる。でも、ムクドリが、偶然ではなく「故意に」、万両の実をうちの庭に落としていったとしたら、それは「栽培」なんじゃないかとふと思い、ちょっと興奮した。

右隣の万両の木を覗き見ると、つい2週間ぐらいまで、タワワになっていた真っ赤な実がひとつもなくなっている。せっかくムクドリが種まきしただろう万両だが、我が家としては、借家のここに万両の木が根付くのはちょっとマズいという事情がある。ムクドリがこの実を欲しくなったときは、持っていくだろう。しばらくこのままにしておくことにした。そして、数日間、その状態は続いた。

その2〜3日後、カミさんが一週間の出張から帰宅した。私は、その「ムクドリの万両栽培説」を、「どうだ」とばかりに彼女に唱えた。すると、「その万両は、私が(飾りに)料理で使ったものよ。使い終わった実を庭に撒いておいただけ」とのお答え。一瞬にして、私の「ムクドリの万両栽培説」は否定された。そして、改めて庭の植え込みを見ると、藁の上にあった真っ赤な万両の実は、何事もなかったかのように、すっかりなくなっていた。彼女曰く「あ〜、落ちてるのに気がついて、持っていったのね〜」。

すっかり私の思い違いだったのだけど、「稀にでも、鳥って栽培しないのかな〜」と、私はまだ捨て切れないでいる。

2023年9月12日火曜日

ぶどうの加熱


 先週末、東京の我が家に、岡山で前泊したという客人が、大量のぶどうをお土産に持って来てくれた。上の画像の左側がそのぶどうなのだけど、ネットで調べても品種が分からない。赤と緑が混ざった色で、何しろ房がデカイ。頂いた量は、そのデカイ房で6〜7つ。味は甘味の中に少し渋みがある。最近は、巨峰、ピオーネ、シャインマスカットなどがスーパーに並んでいることが多いが、この味は久しぶりな感じで、新鮮だった。

近所に配ってもデカイ4房が残った。このままだとどんどん傷みそう。ということで、ウチのカミさんの登場です。まずはジュースに。そのままミキサーにかけると思った私は、「赤ワインみたいに皮ごとでいいのかな?」ときいたら、「ネットで調べると、皮付きの粒ごと加熱するのがいいんだって」と言う。トマトを加熱してトマトジュースにすると、トマトの旨味が増すというのはあったが、「まさかぶどうは旨味とは違うよな」とブツブツ独り言を言いながら、出来上がりを待った。

その加熱直後が、上の画像右側の鍋。液体が染み出ていて、皮が剥けかけているが、ご覧のとおり、ぶどうの粒々感はまだまだある。加熱直後に液体(ジュース)を味見したら、大層うまかった。イケル。色はほんのり赤みがかっていたが、ほとんど透明。そして、粗熱が冷めるまで待ち、ザルで漉して、ボトルに詰め替えたのが下。

皮の色が出たらしく、「ほとんど透明」から、ロゼワインのような色になった。無論、冷やして飲む。すこぶるうまい。結構濃い味なのでウォッカと炭酸で割って飲んだり・・・・。

さて、ザルに残った粒々感のあるぶどう。いくつかはそのまま食べて、あとは日持ちのために少し砂糖を加えてジャムにすることになった。冷蔵庫で冷やすと、感じる甘味がやや少なくなるが、あんまり砂糖を加えると果実感が減るので、少しだけ。大量のジャムになったので、再び近所に配る。

それにしても、何故加熱するのだろうか? 彼女は「ネットにそうあった」と言うが、詳しくはハッキリしていない。発酵を抑えることにはなるだろう。味や香りも変わるのだろうか。画像のとおり、皮の色はよく移るようだ。加熱直後と冷やした後の味や香りの違いまでは感じ取れなかった。

おそらく、この疑問も、ネットよーく調べると分かるだろう、と思う。でも、今回はやめた。以前、下記のエントリでも書いたが、何でもすぐに分かればいいものじゃないと思うから。そのうち、「あー、きっとこういうことだー」と思いつく幸福感を味わえるかも知れないので。


2023年3月13日月曜日

梅が散るとき

昨日の朝、庭へ出ると、足下に白い破片が数枚落ちているのが目に付いた。一瞬「ん、何だ、これ?」と思ったが、梅の花びらと分かった。よくみると、数枚ではなく、数十枚だった。隣の庭の白梅が散り始めた。


梅が散るとき。


・・・・いいなと思った。

まだまだ寒い春先に咲き始める梅の花。散るときは、いかにも「春っぽくなってきた」と実感するときだ。梅は、まるで散ることで、何かを始めているよう。


インドのヒンズーの神々の中で、一番人気は、断トツでシバ神だ。破壊の神様。壊すことは新しいことの始まりだということを、インド・ヒンズー教徒の人たちは、よく知っている。または、新しいことをすることは、程度の差こそあれ、何かが壊れることを、よく知っている。


ちなみに私が、ヒンズーの神々の中で好きなのは、クリシュナ。ビシュヌの化身で、維持の神様。クリシュナが登場する絵は、だいたい川沿いで、綺麗な女性に囲まれながら、笛を吹いている。いいですね〜。何かとっても平和で穏やかな感じが好きだ。


梅が散る光景を見られるのは、梅の木にまだ花が残っている間。あと一週間もないだろう。花が散りきって、新芽が出る。そして3ヶ月後には、梅の実が付くなんて、今は信じられない。

2023年3月2日木曜日

今宮神社・あぶり餅


 半年ほど前のこと、かつてから知り合いの、和菓子の先生に、「じゃあ、一番お好きな和菓子は何ですか?」ときいてみた。ちなみに、私にとってのそれは、浅草・梅むらの「豆カン」なので、その前振りの後に、おききした。すると、彼女は 数秒考えた後、


「京都、今宮神社の、あぶり餅です」


と宣われた。そのうちに、私は大阪への出張が決まり、東京への帰り道に京都に泊まった。2月中旬。小雨がそぼ降るものの差ほど寒くなかった昼過ぎ。この空気のしっとり感は何とも京都らしいなと思いながら、今宮神社に着いた。お参りをした後、あぶり餅屋さんへ向かった。東西に走る参道を挟んで、南北に向かい合わせで二軒ある。冒頭の写真は、今宮神社の境内から東側に向かって撮ったもの。立派な門の向こうには、南側の「かざりや」が見えている。


北側に「一和(一文字屋)」、南側に「かざりや」。どちらも、軒下で串に刺した餅を炭で焼いている。(下の写真は、「かざりや」) どちらも似たその焼き方を見て、私はちょっとビックリ。数本の串を持って、先端の餅の部分を、最後は赤い炭に擦りつけるように焼いていた。餅は柔らかく水分多めながら、餅は焦げる。いや、焦がす。

知人と二人で、最初に北側の「一和(一文字屋)」でひと皿、後で南側の「かざりや」でひと皿食した。どちらもひと皿600円。どちらの「あぶり餅」も、酷似しているが、「かざりや」の方が白味噌のタレの甘さが若干強いように思われた。私の場合、甘さが気になったので、最初の「一和」の甘さの上に、後から食した「かざりや」の甘さが乗っかって、より甘く感じたのかも知れない。

一和(一文字屋)
かざりや
風情のある建物と立地の雰囲気の中で、食すあぶり餅。お茶がおいしく感じるほど、その味付けは甘いが、その甘さの中に、「香ばしさ」というより、餅の「焦げの苦味・酸味」がよく合う。「あー、このために餅を焦がして焼くんだな」と思った。この焦げをおいしく食べるための甘いタレなのだ。

あとやはり、参道を挟んで、二軒あるというのは、独特の雰囲気を醸し出している。「この二軒は、代々何百年もの付き合いがあるんだろうなー。いろいろあっただろうなー。値上げするときはきっと相談しあうんだろうなー」などと、自然と思いは馳せる。それに、ポツンと一軒あるより賑やかだ。

さて、あぶり餅を勧めてくれた和菓子の先生には、どう報告しようか。

2023年1月18日水曜日

ドブロク、泡切り装置からカサ上げへ

 毎年仕込んでいるドブロク。今年は、元旦に仕込みを始めて、先週末に三段仕込みの留添えが終わった。モロミの水位が仕込んでいる瓶の8割方までになっている。ここから発酵が進むと、その泡で瓶からあふれ出ることを考慮しないとならない。

2019年の仕込み時、プロの酒蔵さんが使っている泡切り装置を真似て、自作で作ってみたのが下の動画。直径30cmぐらい。ちょっとやってみたかったというぐらいのことではあったのだけど。


そんなに泡が立たない頃はちゃんと泡を切ってくれていたのだけど、泡の勢いが増してくると、泡に引っかかって回転する羽が止まってしまった。回転させてたモーターは、ホームセンターで入手したものだったが、鉄道模型などを走らせるジオラマに、メリーゴーランドなど回転するものを回すためのものだった。それが、トルクというかパワー不足だった。仕方なく、その泡切り装置を諦めて、一つの瓶のモロミを、ふた瓶に分けて、溢れるのを防いだ。ふた瓶にすると、瓶によって味が変わった。モロミをちょうどよく分けるのが難しいからだった。

2〜3年前、この泡切り装置のことを、どぶろくを仕込んでいる友人に話すと、「瓶には背の高いやつもあるから、瓶のカサを上げりゃ〜いいんだよ」とアドバイスを受けた。彼の家には、その背の高い瓶の現物もあり、説得力もあったが、どうも無駄に背が高いような気がして、そのアドバイスをそのまま採用する気にならずにいた。

そして今年。

カサ上げが必要になったら、オプション的に、段ボールなんかを筒状にすることでカサ上げして、その内側にラップを貼ればいいんじゃないかと思いついた。仕込みの初期は瓶のまま。モロミの水位が上がって泡に勢いがついてくる頃、この筒を設置し、その後発酵が収まってくれば、その筒を取っちゃえばいい。これなら、背の高い瓶を調達する必要もない。

で、やってみたら、段ボールの筒の内側のラップがなかなか思うように貼り付かない。どうしても、ラップとラップの隙間が出来てしまう。泡が上がってくると、毛細血管現象で外に漏れ出てくるような気がした。悩んでいた私を見ていたうちのカミさん曰く、「そんなのモロミ全部を、一枚の大きなポリ袋で包んじゃえばいいのよ」。なるほど。

で、やってみたのが、下の写真。大きなポリ袋を瓶に突っ込んでモロミを移し、カサ上げした段ボールの内側に同じポリ袋をはわしていって、上端で折り返してある。カサ上げの高さは40cmぐらいか。


これで、いくら泡が勢いを増しても大丈夫だろう。ひと安心。
結局は、いろんな人のアイデアにお世話になって、改良されている。
2月上旬の完成が楽しみだ。