並べてみた。晩秋。
2024年11月19日火曜日
自家製・防虫剤いろいろ
春に冬物衣装ケースに仕込んだ防虫剤が出てきた。お茶パックの中に楠の葉が入っている。
5年ぐらい前、息子が通ってた小学校の前をたまたま通りかかったら、正門を入ってすぐの大きな楠の枝打ちをしていた。葉が付いた楠の枝が、たくさん散らばっているのを見て、私は「何かに使えそう」と思った。そこで、その造園屋さんから、自転車に乗りながら持てる枝一本をもらい、居間の隅に置いといた。その後、葉はカラカラになって床に落ちるようになり、どうにかしないとと思いついたのが、防虫剤。お茶パックに入れた。
その後、何度か冬物・夏物の入れ替えをしてきたが、冬物の衣装ケースの楠の葉は乾燥してはいるものの、改めて手でクシャクシャすると、再び楠(樟脳)の香りが立った。「これならまだ使えるな」と、何回か使い続けた。だが先週末、そのお茶パックをクシャクシャしても、もうほんの少ししか香りがしない。流石に5年も経つと・・・・。あの楠の枝打ちはいつの時期だったか、憶えていない。どうにかしないと。
と、困っていたら、庭先のローズマリーが目に入った。これでいい。ローズマリーは、結構茂る。たまには枝打ちしてあげないと思いつつも、面倒でしてこなかったが、この葉を、楠の代わりに使えばいいと思った。
という訳で、今回の衣替えから、我が家の防虫剤は、楠(樟脳)からローズマリーに変わった。昔のナフタリンと違って、最近の防虫剤は、「自然派」と称するものもときどき見かけるが、不要になった楠やローズマリーの葉があれば、断然これの方がいい。
また我が家は「アレッポの石鹸」という石鹸を使っているが、その原材料には月桂樹オイルが含まれるが故に、石鹸自体をタンスに入れれば防虫剤になると聞いたことがある。まあ石鹸でなくても、不要になった月桂樹の葉があれば、それも使えるだろう。スパイス売り場の月桂樹の葉を防虫剤に使う訳にもいかないし。
35年程前に住んでいたアパートの窓の外に月桂樹の木があった。窓から手が届く距離だったので、そのときは料理で月桂樹の葉を使うとき、窓を開けて葉を2-3枚むしって使っていた。そのときは気がつかなかったが、防虫剤にもなったんだなと、今ふと思う。
2024年9月13日金曜日
エスカレータの片側 〜 その2
上の写真は、東京駅の中央線のホームに通じるエスカレータ。つい先週末にこれを撮影した私は、左側の上りに乗っている。下りが右側にあって、電車を降りたばかりの人でビッシリ詰まってるが、私が乗ってる上りのエスカレータ内の右側は、見事にスッポリ空いている。ちょうど10年前、私は、下記のエントリを書いた。
そのエントリにもあるとおり、エスカレータの片側を、急ぐ人のために空けることを、いいアイデアだなと、若かりし私は思った。しかし、それは40年も前のこと。今は、ときどき「エスカレータでは、歩かない」と警告のシールが、エスカレータの側面にときどき貼ってある。つまり、この写真で言えば、「空いてる右側は(歩かずに)立ってなさい」ということ。しかし東京駅の中央線、スゴイ人にもかかわらず、上りエスカレータの右側は立ってる人なんかはいなくて、スッポリ空いている。
私は最近、92歳の母親の手を引きながらエスカレータに乗るときがある。そんなときは、横に並んで、つまり私は右側に立って、左に立つ彼女の腕を掴みながら乗りたくなる。しかし、そのスッポリ空いた右側に、ポツンと自分だけ立っていると、後ろから上ってくる人がいないか気になってしかたない。だから、左側に立っている母親の一段後ろの左側に立って、前の母親の腕を掴んで支える。
今の私に右側を「歩く」選択肢はないものの、かといって、(隣に母親がいようがいまいが)右側に堂々と「立つ」立つ勇気が出ない。こういう両方の現実を、きっと多くの人が感じている結果として、冒頭の写真のように、わんさか人がいる東京駅でさえ、右側はスッポリ空き、左側に立とうという人の列がエスカレータ下に長く出来るという、何とも奇妙な状況になってるのではないか。ただ、これも10年経たないうちに変わるんだろうな、きっと。
2024年9月9日月曜日
草の根元に土寄せ、の不思議
誰の仕業ですか?
蟻?
ミミズ?
何者かによって作られたいくつもの円錐状の土が並んだ様子を見ていると、今の季節、千葉・八街のボッチ(落花生の草を積んで乾燥させてる山)を思い起こす。大げさに言えば、ストーンヘンジのような不思議さがある。一体、誰がどんな目的でこんなことしたんだろうか? 分かる方がいらしたら、教えて欲しい。
2024年7月1日月曜日
インド料理店のサラダ
3月の先のエントリに続き、再びインド関係のエントリになった。
暑かったので、週末インド料理店へランチしに行った。今や日本ではありふれたとも言える大衆的なインド料理店だが、ずっと前から、どうにかならないものだろうかと思っていることがある。付け合わせに、必ずと言っていいほどついてくるベビーリーフ・ミックスみたいな葉物サラダとそのドレッシングだ。
私がインドに滞在していたのは、今から三十数年前だが、少なくとも当時、生の葉物野菜を食す習慣自体がインドにはなかった。(おそらく今でも変わらないと思うのだが) インド料理でサラダ的なものはというと、ライタが代表例だと思う。スパイス(クミンなど)に塩を利かせたヨーグルトソースに絡まった、野菜料理だ。カレーにとてもよく合う。そのときの野菜に葉物はなく、大概は、トマトや人参など根菜、瓜の類だったように思う。
だから、いくら日本だからとは言え、インド料理店という看板の店で、そもそもベビーリーフ・ミックスのサラダはおかしいだろーと思う。さらに、それにかかっている業務用っぽいドレッシング。私は、この手のドレッシングが苦手だ。でも、嫌々ながら、出されるとつい残すのがもったいなくて食べてしまう。先日行ったインド料理店は、数ある大衆的な店の中でも、料理はおいしいのだが、口の中に、このドレッシングの味が残って、残念だった。そして、これまでそれを何度となく繰り返してきた。
このサラダは、インド料理店が増え始めた20〜30年前から、日本にあるインド料理店では定番化している感があるが、おそらくそれは日本だけのことなのではないかと思う。
全くの想像だが、その昔、日本でインド料理店が増え始めた頃、メニューを考えていた人は、「日本人は、葉物の生野菜サラダが好きだ。ドレッシングはフツーの業務用のが日本ではポピュラーだ」と思い立ち、今やそれが定番化しているように思う。そもそも、日本で、生野菜を食べる習慣が始まったのは、戦後のことだと思う。そこにも一抹の疑問があるのだが。
スパイシーなインド料理の中で、あの葉物サラダとドレッシングは、箸休め的な意味で、元々は日本在住者の好みに合わせたという、いわば好意だったと思う。だがしかし、私からすると、それはその当初の思い込みであって、今やライタの方が、私以外の客もきっと喜ぶだろうし、何とかあの業務用ドレッシングはやめて欲しいと思う。でも、現状、特にランチプレートなんかの場合、これだけ定番化しているベビーリーフ・ミックスのサラダに替えてライタというのは、ややハードルが高そうなので、何か現実的な作戦を考えねばと思った。
「サラダには、ドレッシングなしで」
次の注文時には、さしあたり、こう注文しようと思っている。単純に「ドレッシング無し」なら、店側も難しくないだろう。塩味が足りなければ、シンプルに塩をかけた方がよっぽどいい。これまで何度も出てきたサラダを前にしてこう思ってきたのだが、不覚にも次の注文時(おそらく2〜3ヶ月後)につい言うのを忘れてしまってきた。よ〜し次回からは忘れないようにしよう。そう自戒の念を込めて、きょうのエントリを書いている。
念のため付け加えるが、ちゃんとした(?)インド料理店では、ライタは出ても、ベビーリーフミックスのサラダは決して出ない。しかし、これだけ大衆的なインド料理店がポピュラーになった今の日本だ。一見同じように見えるインド料理店を「選ぶ」時代になってきてる。その差別化の意味でも、ベビーリーフ・ミックスのサラダとそのドレッシングの代わりに、ライタが出てくる日は、来るのだろうか。
2024年3月13日水曜日
私の「インド人のこういうところ好き」
インドの人口は、今や14億人とも言われ、近いうちに中国を抜くとも予想されている。そんな大国インドには、様々な人がいる。ただ、三十数年も前のことながら、私は今でも忘れられない、こんなインド人と接したことがあったという話。無論、インド人みんながこういう人な訳ではないし、日本では「たぶんなさそうなことかなー」と思うので。
インドではどこにでもある、露天のチャイ屋(ストール)。そこの長椅子に腰掛けてチャイを飲んでいたら、隣に同年代ぐらいのインド人男性が腰掛けた。面識はない。しばし、二人横並びでチャイをすすることとなった。少しして、彼は私に話しかけてきた。
「お前さん、いい腕時計しているな」と、私の左腕の時計(一般的なもの)をのぞき込みながら言う。
「そーお、褒めてくれてうれしいよ」と軽く受け応える私。すると、
「それとても気に入ったんだ。俺にくれないか?」と彼。
私は少したじろぎながらも、「あなたが気に入ってくれていることは分かったが、私だって気に入ってるんだから、あげることは出来ないな〜」と、何とか応じる私。
「そっか」と、チャイを飲み干した彼は、何事もなかったかのように立ち去った。
私は、チラッと彼の後ろ姿を見て、残りのチャイを飲み干した。彼は振り向く素振りもない。
この会話だけだと、彼は何と図々しいヤツだな〜と思うかも知れない。しかし、そのとき、私は全くそうは感じなかった。不快というより、むしろ爽快に感じた。マナーや事の善悪云々とは別次元で、「人間は自由だ」ということを私は彼から感じたからだ。特別な感情もなく立ち去った彼の後ろ姿を見て、私は自分の身体が少し軽くなった気になった。
上記の会話を、私は今でも覚えているものの、その腕時計がどんなものだったかを実は思い出せない。そのときは、それなりに私も気に入ってたんだろうが、それは後になって忘れてしまう程度だったのだ。もしかすると、あのときの彼の方が、私より「気に入り度」が高かったかも知れない。さらに、彼との会話を、私はこうして三十数年経った今でも忘れられないでいるし、私が彼から受けた爽快感の方が、陳腐な私の「気に入り度」よりも価値があるようにも思える。
インドには喜捨(バクシーシ)という習慣がある。何かを「施す」ということは、ときに「喜び」にもなり得るのだ。あのとき私は彼に腕時計をあげるのが正解だったと、今は思う。そうしていたら、私の人生はその後、もっと自由になったかも知れないと。
2024年1月15日月曜日
「ムクドリの万両栽培説」の未練
上の写真は、我が家の庭の植え込み。すっかり冬になっているこの折、少しの草の上に敷いてある藁の間に、小さな赤い実が、いくつも落ちている。万両の実だ。万両は、右隣の家に植わっていて、しばしば数羽のムクドリがホバリングしながら、たわわになった実をついばんでいるのを見かけていた。この万両はきっと、その万両に違いないと思った。
また、最近、その万両の庭の反対側(左側)二軒先の家の二階の戸袋に、ムクドリの巣があることに、私は気がついていた。ムクドリはきっと、そのムクドリに違いないと思った。そのムクドリの巣と右隣の万両の木のちょうど間に、我が家の庭がある。
この2つのことを繋げると、左二軒先の戸袋に巣があるムクドリが、右隣の庭の万両の実を、うちの庭に落としていった、となる。「え〜、どうしてだろう?」とその理由を想った私は、もしかしたらムクドリが「故意に」ここに落としていったんじゃないかと思い至った。もしも、巣に持ち帰る途中で、誤って落としたとしたら、拾っていったはずだ。
植物は我が身をもって、鳥や昆虫に、食料を供給しつつも、その種や花粉を遠くに運んでもらうという共存の関係にある、なんてことがよく言われる。でも、ムクドリが、偶然ではなく「故意に」、万両の実をうちの庭に落としていったとしたら、それは「栽培」なんじゃないかとふと思い、ちょっと興奮した。
右隣の万両の木を覗き見ると、つい2週間ぐらいまで、タワワになっていた真っ赤な実がひとつもなくなっている。せっかくムクドリが種まきしただろう万両だが、我が家としては、借家のここに万両の木が根付くのはちょっとマズいという事情がある。ムクドリがこの実を欲しくなったときは、持っていくだろう。しばらくこのままにしておくことにした。そして、数日間、その状態は続いた。
その2〜3日後、カミさんが一週間の出張から帰宅した。私は、その「ムクドリの万両栽培説」を、「どうだ」とばかりに彼女に唱えた。すると、「その万両は、私が(飾りに)料理で使ったものよ。使い終わった実を庭に撒いておいただけ」とのお答え。一瞬にして、私の「ムクドリの万両栽培説」は否定された。そして、改めて庭の植え込みを見ると、藁の上にあった真っ赤な万両の実は、何事もなかったかのように、すっかりなくなっていた。彼女曰く「あ〜、落ちてるのに気がついて、持っていったのね〜」。
すっかり私の思い違いだったのだけど、「稀にでも、鳥って栽培しないのかな〜」と、私はまだ捨て切れないでいる。