2025年1月29日水曜日

手首の痛み

自宅近くの東京・立川に、浅田真央さんの名前を冠した「マオ・リンク(Mao Rink)」というのが出来たというんで、2ヶ月半前(11月下旬)、二十歳の娘とスケートしに行った。上の画像は、そのサブリンク。(公式競技も出来るメインリンクもある) 私は、二十歳ぐらいまで、遊びでアイススケートはときどきやってて、スイスイ滑ってたので、娘にも「教えてあげる」なんて言うぐらい、その調子で出来ると思っていた。昔、晴海でモーターショーがあったが、そこは元々スケートリンクで、友だちとよく行った。こけて服が濡れると炬燵で暖まった。懐かしい。さて、数十年の時を経て、いざ氷の上に立ってみると・・・・、全く動けない。

「えー、こんなはずじゃ・・・、嘘だろ・・・」

スゴいショック。それでも10分ぐらいして、何とかゆっくり滑り始めた。と、その途端に、派手に転倒。ほとんど、ひとりバックドロップで、後頭部を強打した。転んだ瞬間はほとんど記憶がなく、気がついたら、氷の上で倒れていた。氷に乗るまでは自信があったので、ヘルメットを被っていなかった。すかさず、係の人が寄ってきて「しばらく座って休んだ方がいいですよ」と声をかけて頂き、言われるまま、氷から降りて、ベンチに30分ぐらい座った。「年寄りの冷や水」とは、まさにこれ。(現63歳)

気を取り直して、備え付けのヘルメットを被ったのは当然のこととして、再び少しずつ滑り始めると、左手首が痛いのに気がついた。転倒時は、頭のことばかりが気になって、左手首は少しひねったかなぐらいの感覚だったが、徐々にその痛みは増していき、帰宅した頃には、左手は使えないぐらいの症状になっていた。(頭は、その2日後に、脳外科でMRIを撮ってもらい、問題なかった)

その一週間後、自宅から車で1〜2時間のところで、私の妹と同居しているお袋のところへ行った。歩くのもおぼつかなくなってきてたので、本格的に車椅子を使い始めたところだった。その日は、いい天気で風もない気持ちのいい小春日和。私は車椅子を押しながら、近くの公園を2時間程散歩した。とても穏やかな散歩だった。たまに「きょうは気持ちのいい陽気だね〜」、「そ〜だね〜」なんて言いながら、ほとんど会話はなく、二人ともその穏やかさを満喫しているかのようだった。

転倒から一週間たっても全く回復しない私の左手首。レントゲンは撮ってないが、「この痛さは骨折だな」と思った。お袋を車椅子に乗せたり降ろしたり、トイレやベッドに座らせたり立ち上がらせたりが、しんどかった。「ゴメン、今さ、手首が痛いんで、しっかり抱きかかえられないや」なんて言いながら、少々自分に苛立つ私。

その一週間後、お袋は亡くなった。(享年92歳)

死に顔を見て、「本当に死んじゃったんだ」と思った。そして、つい一週間前の穏やかな散歩を思い出した。実は7年前、親父が亡くなる一ヶ月ぐらい前の小春日和の12月に、親父と病院の眺めのいい部屋で、ほとんど会話なく、穏やかな時間を過ごしたことがあった。その「穏やかさ」は、ふたつとも酷似していて、何とも言い表せないとてもいい時間だった。特別、何を話すでもなく、時間が過ぎていった。

お袋が亡くなっても、左手首は痛かった。車椅子に乗せたときに感じた痛みが、死後も同じように痛いことを不思議に感じた。この痛みが、お袋の生前と死後にわたって地続きになっている。痛みは変わってないのに、お袋は生きていたし、死んでもいる。「何かがおかしいんじゃないか」と思った。

四十九日が終わり3週間たった今も(ひとりバックドロップから2ヶ月余り)、手首に力がかかると、まだ若干痛い。でも、この手首が完治すると、その不思議さもなくなるんだろうと思っている。お袋が死んで、私はショックに打ちひしがれているということもなく、日々を過ごせている。そんな風に死んでいったお袋と親父に、改めて感謝したい。
 

2025年1月17日金曜日

続く歯磨き粉の旅

 

2012年1月に、「手作り歯磨き粉と私
2017年12月に、「歯磨き粉の旅

というタイトルのエントリを書いた。私の幼少の頃からの、歯磨き粉(またはペースト)の遍歴を書いたのだが、幼少時のデンターライオンから始まって、20〜30年前ぐらいから手作りのナチュラル系歯磨き粉になっていった。その変化の一番の原動力は、気に入った味のものを使いたいということ。また出来たら添加物など不自然なものは使いたくない。特に夜寝る前に使う歯磨き粉は、口の中がその味で一日が終わる気がして、「一日を気持ちよく終われる味」を求めている。

そして、最近、私が使う歯磨き粉が、またまた変わった。

シュミテクト。

非常にポピュラーなものだが、私にとって決して「一日を気持ちよく終われる味」ではない。このミント味は、50年前のデンターライオンに戻ったかのようだ。変化のキッカケは、1年程前。歯痛が酷かった時期があり、私はてっきり虫歯かと思って歯医者へ行ったのだが、知覚過敏の診察を受けた。

それで思い出したのは30〜40年前ぐらいのこと。当時かかっていた歯科医から、「あなたは、夜中に歯ぎしりとかしてませんか?」ときかれた。その自覚はなかったので、「いや〜、心当たりはないですね」と答えてそれで終わった。だが、その歯科医の見立ては間違ってはいなかった。知覚過敏は、加齢による歯茎の後退もあるが、歯ぎしりなどで歯が削れることでも歯痛になることもあるようだから。歯ぎしりの自覚は今でもないのだが、上下の歯が当たっている箇所が極端に削れている画像を見ると、意識せずとも歯ぎしりまたは強く噛んでいるんだと思う。

知覚過敏の治療としては、歯のエナメル質を補う塗料のようなものを塗ったり、寝ている間の装着用として、マウスピースを作ったりということになった。知覚過敏による歯痛というのは、全く不思議なのだが、痛いときは強烈に痛いのだが、その治療をした後、あるときを境に、それまでの痛みが嘘のようにピタッと痛くなくなった。

その治療の最終日、歯科医は、シュミテクトを薦めた。(サンプルの小さなシュミテクトをもらった) 「これは研磨剤が、ほぼほぼ無しなので、知覚過敏が起こりにくい」とのこと。あの痛さは記憶に鮮明なので、その後は言われるままにシュミテクトを使い続けた。だがしかし、このミント味、うがいの後も口の中がミント味一色になってしまう。私が作ってきた手作りのナチュラル系歯磨き粉には、研磨剤になり得る重曹などが含まれていたので、いっそのことニームパウダーだけの歯磨き粉を使えばいい。そう思ってしばらくシュミテクトをいったん止めて、ニームパウダーだけを使っていたら、歯茎にでき物が出来た。その後シュミテクトに再び戻すと、そのでき物はなくなったので、結局シュミテクトを使い続けることになった。シュミテクトにはそれなりの洗浄力が備わっているんだと思う。そのでき物とニームとの因果関係はどのくらいあるのか。インドでは大勢の人たちが、ニームの枝の先をかじって歯磨きしているし、私自身シュミテクトの前は、10年以上ニームパウダー入りの歯磨き粉を使っていたのだから、ニームとは別の理由でのでき物だったのかも知れない。

何しろ、シュミテクトだとその強いミント味が好きになれず、ニームパウダーだとでき物が出来るかも知れないという板挟みになった。

ところで、たまたま娘が「ミント香料」のアレルギー持ちなので(ミントの葉を鼻の穴に突っ込んでも症状は出ない)、ミント味以外の歯磨きペーストを探したことがあるが、これがなかなかないのだ。世の中のほとんどの人々は、このミント味が好きなのか・・・・。私が探した範囲内では、ヴェレダのフェンネル(茴香)味というのとインドのマサラ系味の2つしかなかった。ヴェレダのフェンネル(茴香)味を購入し、私もたまに使ったが、苦いニームの方が私の好みだった。

冒頭のリンク「手作り歯磨き粉と私」のエントリでも書いてるが、私の歯磨き粉・ペースト遍歴は以下。

●幼少の頃●
○デンターライオン
○田舎の歯磨き粉

●20代の頃●
○シヴァナンダの歯磨き粉
○ニームの木の枝

●30代の頃●
○ナス黒の歯磨き粉
○ねんどのハミガキ

●40代以降●
○自分で作る歯磨き粉(ニームパウダー・重曹・塩・ねんどの粉入り)

デンターライオン、田舎の歯磨き粉、そしてシュミテクト以外は、界面活性剤は使われていない。歯磨き粉、つまり水を含まない粉モノに変わってきたのは、(水分があると含まれる)防腐剤を避ける意識があるから。

味として、私が好きなニームパウダーは、口に入れた瞬間は苦いが、うがいをすると苦くなくなり、口の中が何事もなかったかのようにスッキリする。そして、慣れてくると、口に入れた瞬間も差ほど苦いとは感じなくなる。一方、ミント味は、うがいの後も、口の中にその味がしっかり残る。それが好きな人はそれでいいのだが、「何事もなかったかのようにスッキリ」とは、スッキリさが全く異なる。

さて、先述のとおり、しばらくシュミテクトを使い続けたものの、そのミント味一色に耐えられず、今はシュミテクトに、ニームパウダーと塩(カンホアの塩【石窯 焼き塩】)の合わせ技で歯磨きしている。いわばハイブリッド型。いったん歯ブラシにシュミテクトを少量絞って乗せ、その上に、「ニームパウダー」+「塩」のミックスパウダーを付ける。ニームパウダーと塩の割合は、概ね3対1。これだと、ミント味がグッと抑えられ、抵抗感が少なくなった。冒頭の画像は、そのシュミテクトと「ニームパウダー」+「塩」のミックスパウダー。下の画像が歯ブラシにのった、シュミテクトと「ニームパウダー」+「塩」。

私の「歯磨き粉の旅」はまだまだ続きそうだ。


 

2024年11月28日木曜日

ロケットストーブ

 

並べてみた。晩秋。

2024年11月19日火曜日

自家製・防虫剤いろいろ

先週末、夏物衣類を仕舞って、冬物を出した。つい一ヶ月前の東京は、30℃の日もあったような気がする。どうも最近は春秋が短くなって、衣替えのタイミングが難しくなってきた。

春に冬物衣装ケースに仕込んだ防虫剤が出てきた。お茶パックの中に楠の葉が入っている。

5年ぐらい前、息子が通ってた小学校の前をたまたま通りかかったら、正門を入ってすぐの大きな楠の枝打ちをしていた。葉が付いた楠の枝が、たくさん散らばっているのを見て、私は「何かに使えそう」と思った。そこで、その造園屋さんから、自転車に乗りながら持てる枝一本をもらい、居間の隅に置いといた。その後、葉はカラカラになって床に落ちるようになり、どうにかしないとと思いついたのが、防虫剤。お茶パックに入れた。

その後、何度か冬物・夏物の入れ替えをしてきたが、冬物の衣装ケースの楠の葉は乾燥してはいるものの、改めて手でクシャクシャすると、再び楠(樟脳)の香りが立った。「これならまだ使えるな」と、何回か使い続けた。だが先週末、そのお茶パックをクシャクシャしても、もうほんの少ししか香りがしない。流石に5年も経つと・・・・。あの楠の枝打ちはいつの時期だったか、憶えていない。どうにかしないと。

と、困っていたら、庭先のローズマリーが目に入った。これでいい。ローズマリーは、結構茂る。たまには枝打ちしてあげないと思いつつも、面倒でしてこなかったが、この葉を、楠の代わりに使えばいいと思った。

という訳で、今回の衣替えから、我が家の防虫剤は、楠(樟脳)からローズマリーに変わった。昔のナフタリンと違って、最近の防虫剤は、「自然派」と称するものもときどき見かけるが、不要になった楠やローズマリーの葉があれば、断然これの方がいい。

また我が家は「アレッポの石鹸」という石鹸を使っているが、その原材料には月桂樹オイルが含まれるが故に、石鹸自体をタンスに入れれば防虫剤になると聞いたことがある。まあ石鹸でなくても、不要になった月桂樹の葉があれば、それも使えるだろう。スパイス売り場の月桂樹の葉を防虫剤に使う訳にもいかないし。

35年程前に住んでいたアパートの窓の外に月桂樹の木があった。窓から手が届く距離だったので、そのときは料理で月桂樹の葉を使うとき、窓を開けて葉を2-3枚むしって使っていた。そのときは気がつかなかったが、防虫剤にもなったんだなと、今ふと思う。

この月桂樹の葉にしても、ローズマリーにしても、いくら身の回りで余っていても、気がついてないと、自分の中では「無いもの」も同然。必要なモノ・欲しいモノは「買う」習慣が身についてしまうと、その便利さと引換にずいぶんと損もしてるんだなと思う。
 

2024年9月13日金曜日

エスカレータの片側 〜 その2


 上の写真は、東京駅の中央線のホームに通じるエスカレータ。つい先週末にこれを撮影した私は、左側の上りに乗っている。下りが右側にあって、電車を降りたばかりの人でビッシリ詰まってるが、私が乗ってる上りのエスカレータ内の右側は、見事にスッポリ空いている。ちょうど10年前、私は、下記のエントリを書いた。

エスカレータの片側(2014年10月15日)

そのエントリにもあるとおり、エスカレータの片側を、急ぐ人のために空けることを、いいアイデアだなと、若かりし私は思った。しかし、それは40年も前のこと。今は、ときどき「エスカレータでは、歩かない」と警告のシールが、エスカレータの側面にときどき貼ってある。つまり、この写真で言えば、「空いてる右側は(歩かずに)立ってなさい」ということ。しかし東京駅の中央線、スゴイ人にもかかわらず、上りエスカレータの右側は立ってる人なんかはいなくて、スッポリ空いている。

私は最近、92歳の母親の手を引きながらエスカレータに乗るときがある。そんなときは、横に並んで、つまり私は右側に立って、左に立つ彼女の腕を掴みながら乗りたくなる。しかし、そのスッポリ空いた右側に、ポツンと自分だけ立っていると、後ろから上ってくる人がいないか気になってしかたない。だから、左側に立っている母親の一段後ろの左側に立って、前の母親の腕を掴んで支える。

今の私に右側を「歩く」選択肢はないものの、かといって、(隣に母親がいようがいまいが)右側に堂々と「立つ」立つ勇気が出ない。こういう両方の現実を、きっと多くの人が感じている結果として、冒頭の写真のように、わんさか人がいる東京駅でさえ、右側はスッポリ空き、左側に立とうという人の列がエスカレータ下に長く出来るという、何とも奇妙な状況になってるのではないか。ただ、これも10年経たないうちに変わるんだろうな、きっと。

2024年9月9日月曜日

草の根元に土寄せ、の不思議

つい先週のこと。我が家の庭に敷いてあるレンガの隙間から生えてる草の根元に、こんもりと土が円錐状に寄せられていた。ひとつだけでなく、その辺りの4〜5本もの草の根元に同じように、草の元を覆うように寄せられた円錐状の土。不思議でならない。ひとつをもっとアップした写真が下。高さは7〜8cm。雨上がりだったように思う。

誰の仕業ですか?

蟻?

ミミズ?


何者かによって作られたいくつもの円錐状の土が並んだ様子を見ていると、今の季節、千葉・八街のボッチ(落花生の草を積んで乾燥させてる山)を思い起こす。大げさに言えば、ストーンヘンジのような不思議さがある。一体、誰がどんな目的でこんなことしたんだろうか? 分かる方がいらしたら、教えて欲しい。

2024年7月1日月曜日

インド料理店のサラダ

 

3月の先のエントリに続き、再びインド関係のエントリになった。

暑かったので、週末インド料理店へランチしに行った。今や日本ではありふれたとも言える大衆的なインド料理店だが、ずっと前から、どうにかならないものだろうかと思っていることがある。付け合わせに、必ずと言っていいほどついてくるベビーリーフ・ミックスみたいな葉物サラダとそのドレッシングだ。

私がインドに滞在していたのは、今から三十数年前だが、少なくとも当時、生の葉物野菜を食す習慣自体がインドにはなかった。(おそらく今でも変わらないと思うのだが) インド料理でサラダ的なものはというと、ライタが代表例だと思う。スパイス(クミンなど)に塩を利かせたヨーグルトソースに絡まった、野菜料理だ。カレーにとてもよく合う。そのときの野菜に葉物はなく、大概は、トマトや人参など根菜、瓜の類だったように思う。

だから、いくら日本だからとは言え、インド料理店という看板の店で、そもそもベビーリーフ・ミックスのサラダはおかしいだろーと思う。さらに、それにかかっている業務用っぽいドレッシング。私は、この手のドレッシングが苦手だ。でも、嫌々ながら、出されるとつい残すのがもったいなくて食べてしまう。先日行ったインド料理店は、数ある大衆的な店の中でも、料理はおいしいのだが、口の中に、このドレッシングの味が残って、残念だった。そして、これまでそれを何度となく繰り返してきた。

このサラダは、インド料理店が増え始めた20〜30年前から、日本にあるインド料理店では定番化している感があるが、おそらくそれは日本だけのことなのではないかと思う。

全くの想像だが、その昔、日本でインド料理店が増え始めた頃、メニューを考えていた人は、「日本人は、葉物の生野菜サラダが好きだ。ドレッシングはフツーの業務用のが日本ではポピュラーだ」と思い立ち、今やそれが定番化しているように思う。そもそも、日本で、生野菜を食べる習慣が始まったのは、戦後のことだと思う。そこにも一抹の疑問があるのだが。

スパイシーなインド料理の中で、あの葉物サラダとドレッシングは、箸休め的な意味で、元々は日本在住者の好みに合わせたという、いわば好意だったと思う。だがしかし、私からすると、それはその当初の思い込みであって、今やライタの方が、私以外の客もきっと喜ぶだろうし、何とかあの業務用ドレッシングはやめて欲しいと思う。でも、現状、特にランチプレートなんかの場合、これだけ定番化しているベビーリーフ・ミックスのサラダに替えてライタというのは、ややハードルが高そうなので、何か現実的な作戦を考えねばと思った。

「サラダには、ドレッシングなしで」

次の注文時には、さしあたり、こう注文しようと思っている。単純に「ドレッシング無し」なら、店側も難しくないだろう。塩味が足りなければ、シンプルに塩をかけた方がよっぽどいい。これまで何度も出てきたサラダを前にしてこう思ってきたのだが、不覚にも次の注文時(おそらく2〜3ヶ月後)につい言うのを忘れてしまってきた。よ〜し次回からは忘れないようにしよう。そう自戒の念を込めて、きょうのエントリを書いている。

念のため付け加えるが、ちゃんとした(?)インド料理店では、ライタは出ても、ベビーリーフミックスのサラダは決して出ない。しかし、これだけ大衆的なインド料理店がポピュラーになった今の日本だ。一見同じように見えるインド料理店を「選ぶ」時代になってきてる。その差別化の意味でも、ベビーリーフ・ミックスのサラダとそのドレッシングの代わりに、ライタが出てくる日は、来るのだろうか。