2018年10月23日火曜日

タンドールへの道・その3(施工#1)

 数年前のこと、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏が、蚊対策の研究を始めると宣言した小さな新聞記事が載っていた。それを思い出すニュースを、昨日ラジオで耳にした。日本の塗料メーカー、関西ペイントは、壁や天井に塗るだけで、蚊を退治できる「カンサイ・アンチモスキート・ペイント」なる商品をアフリカで販売開始したらしい。マラリアやデング熱対策として画期的。と思うと同時に、人間(特に小さな子供)が誤ってその壁をなめちゃったりしても大丈夫なのかな。とちょっと心配もした。こうしてニュースになるのだから、その国の安全基準に達した結果だとは思うのだが。

さて、先のエントリに続いて、タンドール作り。実況中継的に、エントリを書いてます。もしも、これからモバイル・タンドールを作ろうという人が、この実況中継を読んだら、

「そんなまどろっこしいことはどーでもいい。こーすりゃいいという結論だけ、書いてくりゃあいいんだ」

きっとこう思うことでしょう。でも、私は「こーすりゃいいという結論」まで究明するつもりはないし、その答えもきっと複数あると思ってます。そして私は今のところ、タンドールをひとつ作る予定なので、そのひとつが辿った道の痕跡から複数の「こーすりゃいい」を見つけてもらうことの方が、文字数は多くなるものの、より実り多いかと思っています。出来りゃあいいというより、いろいろ考えることや失敗が面白いものとということで、悪しからず。

さてさて、前置きはこのぐらいにして、きょうのエントリから施工が始まる。

先のエントリの最後にも書いたが、完成をイメージして、一番作るのが難しそうなのが、ロストルから空気孔のところだ。逆に言えば、簡単に作ってしまいたいと思っている人は、ロストルと空気孔を作らない方がいい。空気孔ナシだと、火力の調整は難しくなるだろうし、温度は上がりにくいだろうが、ナンやタンドリーチキンを焼けなくはないと思う。

まずは、植木鉢に穴を空けてみた。これが想像以上に大変だった。失敗すると鉢を買い直さないとならないので、慎重にもなったってこともある。グラインダーで削れるところは削ったが、結局はちょっとずつハツって、下のような穴になった。サイズは、6cm x 3cmほど。

鉢を逆さにして、穴の外側
鉢を正位置にして、穴の内側
 次に、外の囲い容器、ブリキ製の米びつの穴開け。横長の長方形に穴を開ける。サイズは、7cm x 3.5cm。(鉢の穴よりちょっと大きくした理由は、中に溜まる灰を外に出しやすそうだから)

真鍮板を切って作った扉が閉まってるところ
扉を開けたところ
(内部には、トンネル予定地の床のはんぺんレンガが見えてる)
 最初にこの長方形の左右のタテ辺の真ん中にドリルで穴を空け(計2箇所)、そこから金切りバサミで切ったのだが、ここには私の工夫がひとつある。穴の部分のブリキを切り取ってしまわずに、水平方向に真ん中を切った上下半分ずつを米びつ本体に付いたままにしておいて、それを折りたたんで、その穴の扉の枠にしたところだ。事前に、いくつか紙で試作した。その試作の最終形では、枠が外から見えない方がスッキリした見栄えになるという安易な理由で、ブリキの折りたたみを米びつの内側にした。そして実際にそうしてみたのだが、いざやってみると、2点の不都合があった。まず、内側に枠や(動く)扉があると、鉢の穴へのトンネルが作りにくいこと。気密性を保つのが難しい。もう一点は、工夫した枠を扉がスムーズに動くように作るのが難しかったこと。現実的には、開け閉めが渋くなったら、枠の形をちょこちょこ調整出来る方がいいと思った。内側になるといじれなくなるので、調整するためには、外側になきゃならない。したがって、一度内側に折り曲げた枠を外側に折り曲げ直した(汗)。写真の枠部分がやけにデコボコしているのは、反対側に曲げ直したせいもある。こんな粗い作りで、気密性も何もないか。後は、実際に焚いてみた後に考えるとする。

それで、この穴とさっきの先の鉢の穴をトンネルで繋げるのだが、その前に、上側の鉢の底の穴を空けた。コンクリートやレンガ切断用の刃がついたグラインダーがあれば簡単。


これでほぼ、2つ重ねた植木鉢製窯部分の正確なサイズが決まった。米びつ内部との高さの違いは、およ4cm。で、何となく、熱くなる鉢を米びつに直にのせるのは抵抗感があったので、米びつの底部に、はんぺんレンガ(厚さ3cm)を敷いて、その上に鉢を置くことにした。はんぺんレンガは中で動かない方がいいので、耐火モルタルで固定。トンネル部分の床になるはんぺんレンガは、灰が外に出やすいよう、鉢側から米びつ側へ5mm程の傾斜をつけた。この5mmは、鉢の底の厚みと同じ。後で鉢をレンガの上で固定する際、若干の耐火モルタルをつけるので、結果的に鉢の方が若干高くなるだろう。鉢の方が低くなっては、灰が出にくくなる。

トンネル予定地の床のレンガの手前側を5mm高くしている
上写真の5mmの段差は鉢の底部の高さと合わしているので
これでレンガと鉢の床の高さが揃う
 で、さっき書いたとおり、米びつと鉢の穴をトンネルで繋げるのだが、最初、下の写真のように、厚紙で作ったトンネル型を両穴に通して、その周りを耐火モルタルで固めて、乾燥したら、トンネル型を抜こうと思った。

米びつの外側から見た、トンネル型を通したところ
中の鉢の穴まで通したトンネル型
「カンホアの塩」の【石窯 焼き塩】用の石窯を作った経験上、耐火モルタルは高温(500℃など)になればカチカチに固まってくれるのだが、この部分はどのくらい温度が上がるか。この空気孔は、主に外の空気を中に入れるものなので、基本的にあまり熱くならないはずだが、空気孔の蓋を閉めて外の空気を遮断したときに、200〜300℃ぐらいになるぐらいか。だとすると、耐火モルタルのトンネルは、しっかり固まりそうにない。時間とともにボロボロ崩れてくる可能性がある。とすると、この厚紙の型で成形した耐火モルタル製トンネルは、考え直した方がいいと思い至った。やり直しだ。では、どーしよう。はんぺんレンガをトンネルの主構造にして、耐火モルタルで固定するのが確実なように思えてきた。タンドールにピッタリの鉢の曲線せいで、そこにくっつけるトンネルのはんぺんレンガを工作するのが面倒だ。でも、これはきっと、やりゃあ出来ることか・・・・。

遅々として進まない、タンドール作り。でも、これで施工作業の半分は終わっているように思う。次の週末が待ち遠しい。

2018年10月16日火曜日

タンドールへの道・その2(準備編)


先のエントリで、小さな家庭用のタンドール(窯)を作る気になった私。その後、構造を考えたり、ネットで実際に作った方のサイトを見たり、材料を見繕いにホームセンターへ行ったりの一週間を過ごした後、大まかな材料を入手した。それが上の写真。(写真をクリックすると拡大されます) きょうは、材料の準備編です。

主たる材料は、タンドール本体とその入れ物(ケース)。

まず、タンドール本体に選んだのは、下記。

テラコッタ鉢(カインズホーム・昭島店)
直径270mm・高さ180mm、1,080円/個(タイ製)

最初のイメージでは、この鉢の倍程の大きさで、肩のある壺のような形を逆さにして使うことを想像したのだが、その形のものがなかった。その後、ネットを見ると、普通の和風の植木鉢を2つ合わせて作っている方がいらした。そのアイデアを拝借し、2つ合わせることを想定して改めて探したところ、この鉢を見つけた。下は、2つ合わせたところ。これがホントの鉢合わせ。(ウソです)


普通の和風の鉢は斜めの側面が直線だが、ご覧のとおり、この鉢はややカーブしている。和風の鉢より値は張るが、このカーブがちょうどよさそうに思えて、これを選んだ。もちろん、この後の入れ物のサイズとも考え合わせて。

次に、タンドールの入れ物。

米びつ(ジョイフル本田・瑞穗店)
直径370mm・高さ(内側)390mm、5,950円

最初に思いついたのは、ペール缶だった。ジョイフル本田で、新品のペール缶が単品が売ってたので(1,350円)、ほとんどそれを買うつもりになっていたが、レジへ向かう途中で、この米びつを見つけてしまった。ペール缶よりずいぶん値が張るが、やや太い(直径が長い)形が気に入った。ペール缶の直径は、先のテラコッタ鉢がギリギリ入るか入らないかだったが(入らなければ鉢を削って入れようと思っていた)、この米びつなら、鉢の一番太いところで周囲に5cm程の余裕があった。値段の差もあり、さんざん悩んだが、熱を保つことを考えると、5cmぐらいあった方がいいと考え、こっちに切り替えた。冒頭の写真では蓋がないが、木製の取っ手が付いた蓋付き。

下は、2つ合わせたテラコッタ鉢をこの入れ物に入れてみたところ。だいたいこんなのになる感じ。米びつの上端より鉢の上端の方が3cm程低い。


それで、この隙間を埋める材料として、

バーミキュライト(カインズホーム・昭島店)
18L、498円

あと、

フルイ(金網)中目(ジョイフル本田・瑞穗店)
直径20cm、198円

これは、下の写真ように置いて、ロストルに。華奢なところが気がかりだけど、網目のサイズのちょうどよさに惹かれた。また壊れても、200円なら交換しやすいと思って気軽に買ったのだが、よくよく考えると問題があった。


焼く材料を出し入れするタンドール上部の口を、鉢の底だけを抜いたサイズにすると、このフルイが入らなくなることだ。買って帰宅してから気がついた、マヌケな私。出し入れ可能な範囲で口はすぼんでいた方が熱効率がいい。壊れたフルイを取り出すには、折りたためばいいが、新しいフルイはそのままでは中に入らない。井伏鱒二「山椒魚」の逆状態。少し曲げて入れて、中で平らに直せるかなぁ。一方、しっかりした作りのものなら、ダッチオーブン用の底網(500円ぐらい)っていうのがあった。これは焼く材料をのせるためのものなので、炭をのせるには網目が広すぎと思った。太めの針金で網目を追加する必要がある。気軽に安い方のフルイを買ったが、どっちにするかは未だ懸案事項なり。

それと、

真鍮の板(ジョイフル本田・瑞穗店)
0.5mm x 200 x 300mm、1,100円

これは、タンドール自体の蓋とタンドール底部の空気孔の扉になる予定。

その他、冒頭の写真にないものとして、耐火モルタル。これは、以前ピザ窯を作ったときの余りが数キロあるので、それを使う。(数年前にジョイフル本田・瑞穗店で買ったものだが、1袋、20kgか25kgぐらいで3,500円ぐらいしたように思う)

これでほぼ材料は揃ったのだが、果たしてどうなることやら。具体的な材料を目の前にして、細かなところを詰めて考えないとならない。特に、タンドール底部のロストルから空気孔をどう作るか、かな。

2018年10月12日金曜日

タンドールへの道・その1


私が唯一録画予約して見ているテレビ番組が、タモリ倶楽部なのだが、先週の10月5日放送分を見ていたら、インド料理店でタンドリーチキンの真っ赤なソースに漬けた秋刀魚、レンコン、厚揚げなど和食の食材をタンドール(窯)で焼いて試食するという企画をやっていた。

私にとってタンドールとは、結構贅沢な調理器具だ。30年も前のことだが、インドを旅行中、タンドールで焼かれたナンを食べることはほとんどなかった。一年以上滞在した中で、3回あったかな。インドの主食は、大ざっぱに、北部が小麦で南部が米。つまり、インドでナンは主に北部のパンなのだが、大げさなタンドールがないと焼けないナンは、北インドとは言え、そんじょそこらにあるもんじゃない。また、南に比べ北インドの人たちは、あまり外食の習慣がない。家で食べるか、外で食べるときもお弁当を持って出ることが多い。私も、北インドを旅行中は、自炊が基本だった。

だから、大都市は別にして、北部にレストランは決して多いとは言えず、さらにその多くないレストランでタンドールを持っているレストランは一部。したがって、ナンを食べる機会も少なかった。(高価なレストランのことはよく知らない。念のため) 多くの北インドの人々はチャパティを主食としている。チャパティは、タンドールといった大がかりな調理器具は不要。日々各家庭で食べられている。私も自炊時によく食べた。

ただ、ナンではなくチャパティが主食となっているのは、タンドールの問題だけではないと思う。ちなみに、チャパティは、アタと呼ばれる細かく挽かれた中力の全粒粉、ナンは、マイダ(とかマエダ)と呼ばれるフスマを除いた白い小麦粉が使われる。日本で全粒粉はやや特別な感があるが、チャパティとナンを比べると、スパイスが効いた料理と一緒に日常的に食べるには、私はチャパティの方が好みだ。全粒粉のチャパティの味わいは奥深く、飽きない。ナンはたまに食べるにはいいのだけど、日常的にとなると、何となく物足りなく感じる。おそらく、多くの北インドの人たちも同じように感じていて、結果として、日常的にはチャパティということなんだと想像している。ちなみに、インドの人たちが、マイダ(白い小麦粉)をチャパティのように、鉄板で焼いたり、炭であぶったりして食べるところを私は見たことがない。

今、日本にたくさんあるインド料理店には、ほとんどと言っていいほど、タンドールが据え付けてあるが、昔と違って今ではインドでもそうなっているのだろうか、私には分からない。ただ、私は今でもタンドールと聞くと、贅沢というか敷居が高いと反射的に感じてしまう。

そんな私は、そのタモリ倶楽部の録画をカミさんと昼前に見た。すると彼女は「なんだか、インド料理が食べたくなっちゃった」とのたもうた。今やインド料理店はうちの近所のあちこちにあるものの、どーも、「おいしい」と素直に言える店がなかなかない。ネットでまだ行ったことのない店を探していたら、パキスタン料理の店が目に留まった。私にとって、パキスタン料理と言えば、まずはビリヤーニである。「よし、ビリヤーニ食べに行こ」と早速なり、向かった。東京・立川、ムガルキッチン。

そこで食べたビリヤーニが冒頭の写真。(食べかけ&ピンボケでごめんなさい) 祝日の月曜日だった。いざ行ってみたら、(チキン)ビリヤーニは毎週月曜日のみとのことで、ラッキーにもビリヤーニにありつけた。そして、おいしかった。ビリヤーニは、やはりこのバスマティライスでないと。スパイスの配合・味付けに感じるシェフのデリカシー。付け合わせのライタ(ヨーグルトとスパイス・塩が効いたサラダ)もスパイスのレシピをききたくなるほどおいしく、食後のチャイのスパイスはカルダモンのみ。私の好みだ。それにしても、多くのインド料理店でついてくる、市販のフレンチドレッシングがかかってるキャベツの千切りサラダは頂けない。インド界隈ではこんなの絶対にないのに、何故日本にあるインド料理店の多くがこれを付け合わせにしているのだろう。あまりに安易なんじゃないか。インドなら、アッチャール(レモンや青いマンゴの辛い漬物)か、紫タマネギのスライスと青唐辛子2〜3本といったところだが、日本じゃ難しいということか。

あと、ボヤキついでに加えると、日本にある多くのインド料理店のナンは甘過ぎ。砂糖多過ぎ。インドではあんなに砂糖入れない。砂糖を多くした方が発酵しやすいというせいもあるのだろうか。このムガルキッチンでは、ビリヤーニを食べたので、ナンはどんな味だったか不明なのだが、何しろあの多くの甘過ぎナンは頂けない。

さてさて、ボヤキはこのぐらいにして、タンドール。この店にも当たり前のように据え付けてあった。

食後のチャイを頂いた後、客は私たち二人だけだったので、パキスタン人のシェフに、タンドールを見せてくれないか頼んだ。快諾を得て、厨房に入らせてもらい、一通り使い方・掃除の仕方などを教えてもらった。それにしても、何とシンプルな窯だろう。間近に見てみて、しみじみそう思った。一口に言って、熱が上に向かう性質をそのまま使った素直な構造だ。そのせいで、目の前のタンドールは思っていたほど、燃料(炭)を使いそうにないと感じた。敷居が高いと思っていたタンドールがグッと身近に迫って来た。

先述のとおり、インドでは、一般の家庭にタンドールはまずない。あってもレストランだ。レストランには、次から次へと注文が入るから、無論大きなタンドールがある。しかしだ。こんな大きなものじゃなくて、家庭用に小さく、さらに言えば、持ち運びも出来るぐらいのタンドールは作れないものか。大きい方が温度は安定するのは当たり前。でも小さいなりに・・・・。そんなタンドールを私はインドで見たこともなかったし考えたこともなかった。が、初めてそう思った。

ところで、数年前、ピザ窯を庭に作ったことがあった。そのエントリは下記。

ピザ窯、完成(2011年12月27日)

このピザ窯の設計で一番考えたのは、上へ向かう熱気をいかに下に引っ張るかだった。最近増えたナポリ・ピザの店のピザ窯は結構現代的で、電動の換気扇が付いているのを見たことがある。そうして窯内の熱が上部ばかりに溜まらないようにして窯の床にあるピザを熱していた。ピザ(パンも同様)は、どうしても窯の床に置かねばならない。熱は上方に向かうのだから、それを下へ引っ張るなどの工夫が必要になる。しかし、タンドールの場合、ナンは窯の上部に貼り付けるし、チキンなどは長い鉄串の中半に刺して窯の中空で焼く。窯の底部にある炭の熱が上方へ向かい熱する。タンドールでピザは焼けないのであるが、タンドールの単純さがだんだん愛おしくなってきた。

今は、そのピザ窯を作った借家から引っ越してしまったため、そのピザ窯のレンガはバラして今の借家の庭の敷石になっている。今の家は建て込んで建っているため、焚き始めに煙がモクモク出るピザ窯を置けなかった。でも、小さなタンドールならそんなに煙も出ないし、さらにモバイルならば、どっかへ持って行っても使える。

タモリ倶楽部から始まったタンドールへの道。
まずは、ネットでいろいろ見始めた。
そして、適当な材料を見繕いに、ホームセンターをうろつき始めた。
出来そうな気がしてきた。(このぐらいのときが一番楽しい)

ここからは、準備や作業を進めながら、実況中継的にエントリーを書こうと思う。

2018年10月11日木曜日

ホワイトアスパラとグリンピース、そしてマメ(赤エンドウマメ)

きょう、知人が「ホワイトアスパラの缶詰が食べたい」とfacebookで書いていた。率直に言って、実のところ、私は缶詰のホワイトアスパラが苦手だ。短くしか書けないfacdbookの書き込みをすると、単純な否定になってしまうので、このブログに書こうと思う。

以前に一度、関連したことをこのブログのエントリで書いた。

ホワイトアスパラとグリンピース(2013年4月19日)

私の幼少時代(50年も前のこと)、ホワイトアスパラとグリンピースと言ったら缶詰しかなかったのだが、苦手な食べ物だった。また当時、それらは「そういうもの」と思っていた。しかし、それから20年も経った頃か、初めて生から調理したものを食べたときは、そのおいしさに身震いした。ゼロからプラス10へは10の差だが、マイナス10からプラス10へは20もの差があるということのように思える。何しろ、私の中で、ホワイトアスパラとグリンピースは、生から調理したものに限る。

しかし、先のエントリにも書いたとおり、幼少の私が缶詰のホワイトアスパラを食したのは、おじいちゃんが好物だったからだ。おじいちゃんの思いが私と違っていたように、それぞれ人の思いは違っていて(例えば、それぞれの状況や経験は違っていて)、その人の好みが出来上がっていくのだ。

そんなことを考えていたら、きょうもう一つ、私にとって、缶詰とのギャップが大きく、感動した食べ物を思い出した。それは、浅草の「梅むら」の豆カンだ。豆カンまたはあんみつの缶詰のマメ(赤エンドウマメ)は、子供の頃からどうしても好きになれなかった。

大人になったある日に、知人に連れられ浅草の「梅むら」へ入った際、「ここのマメは特別だよ」と薦められ食べた豆カンは、全くの別物だった。プックリと炊かれ、はち切れそうな皮。クリームの様な滑らかな赤エンドウマメの餡のおいしさがジンワリと口の中に広がった。そしてちょうどいい甘さ。酒飲みの大人になった私は、普段あまり甘い物を食べないのだが、このときばかりはそんなの吹き飛んでいた。

食べ終わってしばらくして、缶詰のマメのことを思い出すが、どうしても同じマメとは思えない。その後、他の甘味屋さんに何度か入る機会があり、「梅むら」の幸せをうっすらと期待しつつ豆カンを注文したが、期待どおりの豆カンに出会ったことがない。

ホワイトアスパラとグリンピースの場合は、缶詰と生から調理したもののギャップだが、豆カンについては、今のところ、「缶詰プラス一般のマメ」と「梅むらのマメ」のギャップということになる。

「そういうもの」と思うことは、無意識に思い込んでしまうことだ。しかし、そういう思い込みの陰に、未知の幸せが潜んでいることがある。それを、ホワイトアスパラとグリンピース、そしてマメ(赤エンドウマメ、そして梅むらさん)が教えてくれた。だから、今度はそれを意識する。さて、他に思い込んでることは何だろう。食べ物の他にだってあるはずだ。