2011年10月25日火曜日

ベトナム・ソンベー焼

先のエントリに引き続き、ベトナムの陶器のこと。今回はソンベー焼に絞って書いてみたーい。ただこれは私の想像または妄想混じりです。歴史的事実関係のウラまではとってないので、その点ご了承願います。

まずは下の写真。


後ろの大きめの2つはフォーなどのドンブリ。手前の2つは、ご飯茶碗兼スープ椀です。(ここまでは妄想ではなく事実です)。ソンベー焼の中では、大小、左の2つがよくある絵柄で、右の2つは中国の影響を受けているか、もしくは中国からの輸入物・・・・というのが私の想像です。

次に下の写真の平皿4枚。


もう見てお分かりと思いますが、左の2枚がソンベー焼。でも、この左側の上下の2つ、ちょっと違うんです。大きさ・形・絵柄という意味ではなく、私が買った年が10年ほど違うんです。奥の青色の小さいのが10年以上前に買ったやつ。そして手前の花柄の大きい方は、最近たぶん1〜2年ぐらい前に買ったやつです。写真だと伝わりにくいんですが、奥の青い方が堅くて形がしっかりしている。しっかりとは言うものの、だいたいが粗悪な作りのソンベー焼(その粗悪さがいいんですが)。あくまで最近のと比べてという意味です。どうも最近のソンベー焼は10年前のと似てはいるものの、微妙に形・輪郭に緊張感が薄れていると感じています。指の関節でコツコツ叩いても音の違いがあり、生地素材や作り、また焼きの温度も違うように感じてます。

そして問題は右側の2枚。

これが、な、な、何と、フランス製なんです。サイゴンの骨董屋さんで見つけたんですが、昔フランスで作られてたものなんです。2つとも皿のウラには「FRANCE」の文字が押されているので、輸出用だったかも知れません。右側の2つ、左側のソンベー焼と酷似してると思いませんか? 私はこいつを骨董屋さんで見たとき、思いを馳せてしまいました・・・・ベトナムの仏領インドシナ時代、きっとフランス人が陶器とその作り方をベトナムに伝え、それがベトナムなりに変わって今のソンベー焼があるんだ・・・・と。

昔のフランス製の方は、青い絵柄にしても花の絵にしてもキッチリと描かれていますが、ベトナム製・ソンベー焼の方は、ササッと描かれている感じ。こうした変化の中、ソンベー焼はベトナムでとても大衆的な陶器へと変遷していったという訳です・・・・と、これも想像。想像ではありますが、私はこうして大衆化させていったベトナム人の感性が好きです。

そして最後に写真をもうひとつ。


まず手前の小さめのは、前の写真の左上のと同じもの。ですが、上の2枚は昔の(50年ほど前の)ベトナム・ソンベー製のものなんです。昔のフランス製のものを見つけてから何年かした後に、やはりサイゴンの骨董屋さんで出会いました。昔のフランス製と比べるとやや粗悪感がありますが、最近のソンベー焼よりはしっかりと絵柄が描かれていて、形もしっかりしています。つまり、「昔のフランス製」→「昔のベトナム・ソンベー製」→「10年前のベトナム・ソンベー製」→「ここ1〜2年のベトナム・ソンベー製」と、場所と時代の変化とともに変化してきているのが分かります。この間およそ50年〜60年ぐらいだろうと思います。こう変化させながら、ベトナムの人たちは徐々に「自分たちのもの」にしていったと私は思っています。

ちなみに私の個人的な好みとすれば、昔のソンベー焼(上の写真の上の2つ、緑と水色のです)が一番かなぁ〜。50年ほど前のヨーロッパとアジアが溶け合った感じがたまらない。私は骨董として保存する趣味がないので、我が家ではこれらすべての陶器を現役として使っています(金継ぎが大変)。またはそうできないレベルの骨董は買わないことにしてます。値段は、昔のソンベー焼の皿で、US$10ぐらいだったか。

日本の陶器も、昔から主に中国や朝鮮半島から入ってきた陶器を真似て作られてきました。そのベトナム・フランス版がこれらの陶器ということになりましょう。これらの皿で数十年の歳月を感じることができます。

そんなソンベー焼だけど、先のエントリの最後にも書いたとおり、ベトナムではもうなくなってしまうかも知れない。単に私が懐古的なだけかも知れないけど、その存続のためにも、ベトナムへ旅行にでも行ったら、是非ローカルな市場に隣接する小さな食器店の片隅をチェックしてソンベー焼をお土産に買いましょうね〜。

2011年10月19日水曜日

ベトナムの陶器


上の写真は、俗にベトナムで「ソンベー焼」と呼ばれる陶器たち。ソンベーとはサイゴン近郊にある地名で、昔からの焼き物の生産地だ。すべて型に粘土を流し込んで成形してある。

ソンベー焼は、10〜20年ぐらい前まではベトナムで最もポピュラーな陶器だった。私が初めてベトナムを訪れた1998年にはどこでも見かけた。当時は、「こんな器が普通に使われているんだ〜」と驚いたものだが、それがここ10年ぐらいの間に、つまりはベトナムの急速な経済発展にちょうど反比例するように激減している。

現在ベトナムの巷で最も使われているのは、世界中どこにでもあるような洋食器風のものがほとんでなので、このソンベー焼は、すでに普通の食器店には並んでいない。あるとすれば、ローカルな市場に隣接した古くからの食器店の片隅で、そのほとんどはたっぷりとホコリをかぶっている。きっと今の多くのベトナム人にとって、ソンベー焼は「古くさい」印象に映っていると思う。

ところで、ベトナムへ旅行に来る人たちの間で最もポピュラーなのは、「バッチャン焼」だろう。バッチャンとはハノイ近郊にある地名で、こちらも古くからの焼き物の生産地。千利休が愛したと伝えられる安南焼も「今のベトナム北部」が生産地だったと言われているから、この地域で作られたものだと思う。

ただ現在のバッチャン焼は、例えば外国人旅行者向けのお土産屋さんにはどこにでも置いてあり、ソンベー焼と違い、作りがしっかりしている。ハノイからはバッチャンへの日帰りバスツアーなんかもある。そして、このお土産屋さんに置いてあるバッチャン焼がソンベー焼と決定的に違うのは、それを使うベトナム人がいないことだ。激減したソンベー焼とはいえ、まだソンベー焼を使っている人はいれど、ベトナム人でその手のバッチャン焼を使っている人を見たことがない。興味のある方は、「バッチャン焼 画像」で検索してみてください。

一方、ソンベー焼は、バッチャン焼同様型で成形されているとは言え、作りが粗悪。微妙にゆがんだりしていてひとつひとつ形が違う。平らなところに置くと、カタカタと不安定なこともしばしばだ。しかし、それを嫌がるベトナム人はいなかったから、10〜20年ぐらい前までは最もポピュラーな陶器だったのだ。そして私はそんなソンベー焼が好きだ。ベトナム土産には、本当はこっちのソンベー焼の方がよりベトナムらしいと個人的には思う。何となく醸し出される素朴な生活の臭いがあるし(それも一昔前の臭いになりつつあるが)、その粗悪さは私にとっては暖かみや味。ベトナムへ行く度にそんなソンベー焼をちまちま買っては、我が家の食器棚に入れてきた。うちのカミさんからは「まーた買ってきたのー」と毎回小言を言われながらなんだけど。上の写真はそれらを引っ張り出して並べたもの。

さて、もう少しバッチャン焼の方の話を。

これは私の想像だが、外国人旅行者向けのバッチャン焼はおそらくどっかの西洋人がベトナムへの外国人旅行者向けに企画制作されたのが発端だと思う。なぜなら、15年ぐらい前は、西洋人経営のお土産屋さんを中心にバッチャン焼が置かれていたからだ。その後、ベトナム人経営のお土産屋さんにも並ぶようになった。それが10年ぐらい前のこと。そうなると、西洋人経営のお土産屋さんは、今度はどんどん新作を並べるようになった。しかしそれら新作は1〜2年もすると、ベトナム人経営のお土産屋さんにも並び始める。こんな追っかけっこが数年続く間、その「1〜2年」のサイクルはどんどん短くなった。そして、西洋人経営のお土産屋さんからバッチャン焼は消えた。新作もなくなり、今はベトナム人経営のお土産屋さんの隅っこに、「前はこういうのが流行ってたよな〜」ってな感じで置いてある。

そんなバッチャン焼の攻防とは無縁に、ここ10〜20年の間、ソンベー焼はベトナムの経済発展と逆行しながら、激減していった。ちょうど私がベトナムに関わり始めてからのことのようにも思えるので、そんなソンベー焼には思い入れがある。だから、妄想を含め、私が個人的に感じるソンベー焼のことを書いてみたいと思った。

冒頭の写真のソンベー焼は、実はここ10年ぐらいのものだ。もちろんソンベー焼はそれ以前からあった・・・・長くなりそうなので、詳しくはまた改めて。(→2011年10月25日 ベトナム・ソンベー焼

ちなみに最近聞いた話だが、ソンベーは区画整理のため、近いうちになくなるとの噂もある。時代の流れはそう簡単には変わらない。消えゆくソンベー焼なのかも知れない。そう思うと、私の思い入れはますます強くなるばかりだ。

2011年10月14日金曜日

バジル・ペーストへの思い


もー、限界・・・・。
今やらねば今年のチャンスはもうないだろう。

庭のバジルのことだ。毎年この時期になると、バジルの葉を収穫し、バジル・ペーストをこしらえてスパゲティを食す。ジェノバ・ペーストとも言うんだっけか。バジルの葉、松の実、オリーブオイル、ニンニク、塩のペースト。毎年、庭のバジルでスパゲティを食して十数年になる。

初めてバジル・ペーストを作って食べたのは、20年以上も前になるが、陶芸家の小野哲平さんと服作家の早川ユミさんの家に2ヶ月ほど居候させてもらってたときのこと。当時は常滑だった。

ユミちゃんが「松の実買ってきたよ。これでバジルのペースト作るとおいしいんだって。それでスパゲティ食べようよ」と進言した。そのとき私たちはみんな初めてのバジル・ペースト。早速彼女と私は、その庭のバジルを収穫しに向かった。そのときもちょうど今時分だった。「もう枯れてきちゃうところだね〜」なんて話しながらの収穫。「もー、限界」だった。

収穫後、どっさりザルに盛られたバジル。一般的には、こいつをフードプロセッサーかミキサーにかけるのだけど、当時彼らの家にはそれがなかった。でも、でっかいすり鉢がある。だからバジルは最初に包丁で粗く刻む。ニンニクを摺り下ろす、順序として最初に松の実を当たってから、バジル。でもスリコギでゴリゴリ始めたときは、「こんなたくさんのバジルがペーストになるまでどのくらい時間かかるんだろう?」と不安になったものだが、5〜10分も当たってると思いの外、ペースト状になってきた。

それは旨かった。その後、何度もこのペーストを作ったけど、必ずフードプロセッサーかミキサーを使った。初体験ってこともあったと思うが、金属の刃の高速回転で一気に砕くよりも、スリコギとすり鉢でちまちま当たったのがよかったのかも知れないと今でも思う。

しかし、このバジル・ペーストで最も大事なことは、バジルの葉の状態だ。マルゲリータなど、バジルが添え物または飾りで使われるのとは大きく違い、バジル・ペーストの場合、バジルは完全に主役だ。鮮度はもちろん、春から夏にかけてお日様をたっぷり浴びていること。これが肝要だ。茎や葉がたくましく育ってないとペーストになって、香り・味が劣る。当時の小野哲平・早川ユミ宅のバジルは南向きの庭の畑のド真ん中にあって、秋とはいえ、茂りすぎているぐらい元気に育っていた。

東京の我が家でも、陽当たりのいい南向きの庭で育ったバジルのペーストは旨かった。でもその翌年、その庭の南側に新たに家が建ち、陽当たりが十分でなくなったことがあった。バジルの発育が劣ったとたんに、ペーストの風味はガクンと落ちた。

また、10年以上もやってると、いろいろなバリエーションを試すことにもなった。場所に余裕があれば、バジルは放っておくだけで種が落ちて何年かは毎年同じところに生えてくるが、我が家にその余裕はない。だからバジルの育て方も、種植えだったり、苗植えだったり。背丈が20cmぐらいになってからは、芽かきをして葉っぱの成長を促したり、またはそんな余裕もなかったり・・・・。松の実の代わりにカシューナッツやクルミを使ったり混ぜたりしたこともあるが、やっぱり松の実だけが一番旨いな。ニンニクを擦ってみたりみじん切りにしてみたり。ちなみに今年の新たな試みは、ペペロンチーノのように、ニンニクのみじん切りをオリーブオイルに入れてゆっくり加熱して抽出してみたこと。子供も食べやすい味になった。刺激を欲する方は、ニンニクの玉をそのままフードプロセッサーがいいでしょう。

第一にバジルの状態。これが一番なのは自信がある。次には、「出来たてを食すこと」もあろう。そしてすり鉢も・・・・と言いたいところだが、すり鉢を使ったのは先の話の1回だけだから自信はない。ジェノバの人たちにもきいてみたいものだ。バジル・ペーストの歴史からしたら、フードプロセッサーなんて極最近のものだしね。

「ガーガー」轟かせながらフードプロセッサー回してるとき、心の中ではいつも、すり鉢で静かにゴリゴリ当たってたときのことを思い出す。フードプロセッサーにはない、すり鉢の豊かさがそこにあるのだ。私はフードプロセッサーの便利さにかまけて、すり鉢の利点を見逃しているかも知れない。豊かさとは心の豊かさ、余裕に他ならないなぁ、との思いをかみしめる秋の日だった。

冒頭の写真、今年のバジル・ペーストのスパゲティを盛った皿はいつかと同じ、小野哲平作のものである。ペーストはフードプロセッサー製だけど・・・・。