2010年1月29日金曜日

冬はドブロク


夏は梅干し、冬はドブロク。

この2つが私の年間二大イベントだ。ふたつは、気候的に正反対。梅干し作りのクライマックスは、土用干し。・・・・よく干せるように梅雨明けの一番暑いときに行う。一方このドブロクのクライマックスは、アルコール発酵がジワジワと進んでいく2週間ぐらいで、毎日かき混ぜながら、味見をし、進み具合をチェックする。(それが上の写真)。・・・・これはなるべく一番寒いときに行う。あまり働いて欲しくない雑菌が一番穏やかでいてくれるからだ。

私は塩作りを生業としているので、意地悪な人からは「冬は味噌なんじゃない?」と言われたりする。ん〜たしかに味噌も一番寒いときに仕込むのがいい。理由はドブロクと同じ。でも二度、味噌とドブロク両方仕込んだ冬があるが、結構忙しいんだな、これが。気持ちに余裕がないと両方はなかなか大変だ。なので冬は好きなドブロク優先にしている。

さて、ドブロクの話に絞ろう。

5〜10年前の数年間、私はドブロク作りに凝ったことがある。キッカケは、ある酒蔵さんへ見学に行った際、その蔵で使っている(もちろん酒用の)麹を少し分けてもらったことだった。誰でも簡単に手に入る味噌用の麹は、米粒の外側に綿毛のようにフワフワっと出来た白いカビだが、その酒用の麹は、米粒の内側に入り込んでいる(と説明を受けた)うっすらと緑色がかったカビだった。20〜30gしかなかったので、自宅のホットカーペットで温度調整をして培養してみた。そしたらそれが思いの外うまくいって気をよくした私は、ドブロク作りにのめり込んでいった。

その麹を使った後の数年、麹だけでなく、他の原材料もいろいろ手に入らないものかと探した。時には山田錦を使ったこともあったし、何度か三段仕込みにしてみたこともあった。さすがに協会酵母は手に入らなかったが、酵母にしても、パン用の天然酵母を使ったり、自分で起こしてみたり、または酒粕から起こしてみたり(これは協会酵母入りになる)・・・・etc.。最近は、いろいろ試した経験の上で、比較的安易に手に入る原材料を使い、一発または二段仕込みぐらいになっている。

(後日談:このエントリは2010年のものだが、その後、三段仕込みになっていった。仕上がる味とアルコール度数が比較的高くなるのが主な理由だが、それだけでなく、三段にした方が、一度の蒸し米の量が少なくなるので、仕込みが楽になるということもあるからだ)

プロの酒蔵さんが使う原材料と家庭で作るドブロクの原材料は、通常、どれひとつとして同じものはない。無論、家庭には麹の室などないし仕込み中の温度調整も困難だ。私が山田錦を使えたのは、「山田錦を一度食べてみたい」という私のワガママなリクエストに、ある酒蔵さんに応えて頂いた特別なときだった。もちろん炊いて食べてもみたが、玄米でなら結構おいしい。白米では結構味気ない。しかしこの「味気なさ」が、酒では「雑味の少なさ」になり、「キレ」や「芳醇さ」に繋がる。

私のドブロクは、私の好きな日本酒にはとてもとてもかなわない。にもかかわらず、こうして何年もいろいろと作り続けている理由は、原材料や仕込み方を変えると、必ずそれに答えてくれるようにドブロクの出来も変わるからだ。それが面白い。そしてそれを仕込んでいる間、ちびちび味を見ながら、その進行具合の体験もできる。

こうして、まがいなりにも酒を作ることで、市販の酒への興味もグッと強くなり、好みの酒の銘柄も変わってきた。よりじっくり味わうようになったとも言える。

プロの酒蔵さんは、もちろん私のドブロクとは違う次元だけど、さらにもっともっといろいろな選択肢の中から「この原料でこの製法」と決めてお酒を仕込んでいる。私はドブロクを仕込んでいるとき、それを再認識するのだ。だから、私のドブロク作りは、私の勝手な酒蔵さんたちに対する敬意のつもりでもある。

「夏は梅干し、冬はドブロク」

「クソ暑いな〜、何にもする気にならない」なんてときでも、「この暑さだからこそ梅干しが出来る」と思える。そして、「もーこんなに寒いのイヤだなー、早く春が来ないかな」なんてときでも、「この寒さだからこそドブロクが出来る」と思えもするのだ。

2010年1月19日火曜日

子なしシシャモ


上の写真は、「子なしシシャモ」。オスのシシャモだ。身もプックリ。白身の魚としてとてもおいしかったです。

ところで私の子供の頃、シシャモと言えば、「子持ち」が上等だった。でも、最近はこの「子なしシシャモ」が上等とされる。「子なし」の方が、子(卵)に養分をとられてないから、身がおいしい、というのがその理由。そのとおりだ。鮭などは昔からそう言われる。確かに「子持ち」は子を食べる感が強く、身はこっちの方がおいしい。

私はこのシシャモを食べると思い出すことがある。

その昔、今から40年近く前の年末のこと。私は小学校の4年生ぐらいで、東京の下町に住んでいた。「今年はアメ横にでも正月の買い出しに行くか〜」という父親の号令の下、年末家族で東京・上野のアメ横に買い物に行った。アメ横にはときどき出掛けてたが、年末の買い出しとしては初めてだった。両親は飲食店を営んでいたので、父親は築地にもしばしば足を運んでいたが、そのときは何となく「たまにはアメ横」な気分になったようだ。テレビの影響ぐらいの思いつきだったと思う。

年末のアメ横は、すごい人混み。今よりすごかったかも知れない。人混みに疲れながら、母親は「アメ横ったって、特別いいものとか安いものがある訳じゃないねぇ〜」とグチをこぼし始めるし、実際に大した収穫もなかった。

そして疲れ果てた私たちが、「じゃぁ、もう帰るか」というモードになってきたときだった。ある店の前の路上で、シシャモが30〜40尾ぐらい入った木箱を片手に持った魚屋のお兄さんが、例のシャガレた声で、私たちに声を掛けてきた。当時、シシャモは「子持ち」が上等品で、希少だった。

「お客さん、安いよー、安いよー。子持ちがこれで、○○円! 最後だから、もー特別。なくなったらオシマイよ!」

こんな内容だったと思う。両親は、「これで○○円は、安いなぁ〜」と、帰り際の収穫に喜び、買った。小学生の私も、普段そんなにありつけない「子持ち」をたくさん食べられる喜びを感じていた。

そして、帰宅後。

「え〜!」
と台所から母親の雄叫び。

木箱に入った30〜40尾のシシャモは4段ぐらいに重なっていた。そして一番上の表面に並んだシシャモだけが「子持ち」で、その下の3段は全て「子なし」だったのだ。

「やられた〜」と父親。「子なしで○○円は高いな〜」。

仕方なく数少ない「子持ち」を大事に食べたことは覚えている。ただガッカリした分、「子持ち」の嬉しさは半減した。しかし、何もこれで店にクレームすることではない。泣き寝入りというより、「だまされちゃったね〜」という感覚。または、一種の授業料って感じかな。年末のアメ横なんかには滅多に行かないし。または「こいつは一見の客」と見てだました店員さんは見事なものだった。

それで思い出したが、当時、東京・浅草には、「見せ物小屋」なるものがあった。「ろくろっ首」は覚えている。入口付近では、それはそれは見事な口上の語り口。そして壁面には見たことないような「ろくろっ首」の絵が大きく描かれている。興奮して中に入った私は子供ながらに愕然とする。えらいチャチな仕掛けに「そりゃイカサマだろ!」と思ったけど、それで「だましたなー」と文句は言わない。出口でも聞こえる見事な口上を改めて聞きながら、ワクワクして入っていく人たちの顔をチラッと見て、その場を後にする。営業妨害はいけない。

「え〜、ろくろっ首ぃ〜、見たいな〜」という好奇心が刺激され、親にねだって入場料を出してもらい、その入口を入って行く。その瞬間の最高の気分の高まりのために入場料を払うんだと思う。親もよく付き合ってくれたものだ。今さらながらに感謝している。

アメ横のシシャモも同じだ。「え〜、それで子持ちが○○円!」と思わされ、「得したな〜」と喜びを感じることに代金を払ったのだ。同じ「見せ物小屋」に2度入るヤツは絶対いないし、同じ魚屋でシシャモを買うヤツもいない。一見とはそういうものだ。当時は今ほどモノが豊かじゃなかったけど、こんな風に感じられる余裕はあったなぁ〜と、今にしてだけど、しみじみ思う。

今でも、シシャモを目の前にすると40年前の出来事を思い出す。それも今は、「子なし」が上等なんだから・・・・。カミさんから「きょうは上等な子なしシシャモだよ」と言われると、苦笑いしながら、おいしく頂く。どっちもどっちなりにおいしいんだけど。

2010年1月12日火曜日

オッパイ・フルーツ


この年末年始、ベトナム・カンホアへ出張した。2月頃から始まる塩作りシーズン到来に向け、「カンホアの塩」の塩田整備に行ってきた。まぁ、仕事の話はともかくとして、ベトナムでちょうどこの時期が旬のフルーツがある。それが写真の「ヴー・スア(vu sua)」。ベトナム語で、“vu”は「胸」、“sua”は「ミルク」の意。つまり「オッパイ」という意味だ。私はベトナム以外でこれを見かけたことがない。だから、英語を含め他の呼び方は分からないが、ベトナム語以外だと、私は「オッパイ・フルーツ」とか「ミルク・フルーツ」などと呼んでいる。

マンゴやドリアンなど暑い盛りが旬なフルーツが多い中、この「ヴー・スア」は比較的涼しい時期が旬。私が初めてベトナムを訪れたのも2月だったので、ちょうどこれが出回っていた。だから余計に目立っててとても印象に残っている。

外側は緑色の皮(紫がかったものもある)、果肉は柔らかくジューシーで白色の果実。大きさは直径7〜8センチほどの球形。縦方向に柿ぐらいの大きさの種があるので、多くの場合、写真のように縦に切って食べる。半割りしたものはスプーンでも食べられよう。

最初は、ただ市場で買って自分でナイフで切って食べて、「あ〜、おいしいなぁ。それにしても珍しいフルーツだなぁ」ぐらいだったが、何回かベトナムに足を運んでいるうちに、「ヴー・スアとは、どういう意味だか知っているか?」などとベトナムの人にきかれ、その意味を知った。

親しくなると、私をからかって、その食べ方を教えてくれる。

最初によーく両手で揉む。すると最初はやや硬かった果実にだんだん弾力が出てきて、それはまるで人間の女性の乳房のようになる・・・・いわゆる「お乳が張った」感じ。そうなったら、上のヘタの部分を取って(またはナイフでその部分を直径1〜2センチ切り取って)、開いた穴に口を密着させて汁をチューチュー吸う。汁が出なくなったら、再びモミモミしてチューチューする。

その汁も半透明の乳白色。またミルキーで適度に甘いその味は、牛のミルクというより、人間の母乳のよう。私は教えられるままにこの「ヴー・スア」を食べる。周りのベトナム人は「そうだ、そうだ、そうして食べるものだ」などと微笑みながら妙に納得している。そしてチューチューが限界に来たら、ナイフで切って食べる。

乳製品アレルギーの人もそうでない人も、男性も女性も、日本が寒い時期にベトナムへ行ったら是非食べてみてください。もちろん、モミモミ&チューチューしてね。