森林伐採の棒
「抜けるような青空」とはこういう空だろう。その空の下、さっそうとオートバイが走っている。実にのどかな風景だ。ここは「カンホアの塩」の塩田へ向かう道。しかし、写真のピントは右側の赤と白のシマシマに数字が書いてある棒に合っている。きょうのブログのタイトルのとおり、これは、「森林伐採の棒」とも言えなくもない。これ、何だか分かります?
塩田へはあと2〜3分といったところなので、海へももうすぐだ。この写真からは想像出来ないが、実はこの辺りは、毎年雨期になると水浸しになる。今(11月)、カンホアはちょうど雨期だ。この写真は今年の5月、乾期真っ盛りのときに撮ったもの。
少し前まで(15〜20年ぐらい前まで)ベトナムの田舎では、一般家庭用も含め燃料はみんな薪や炭を使っていた。(もちろん日本も昔はそうだった)ところが、経済も発展し人口が増えると、それまで続いていた薪や炭の循環による燃料だけでは足りなくなり、山に生えてる木を切り始めた。そして、しばらくして山はハゲ坊主になってしまった。10年ほど前、私はバスで山を走ったことがあったが、見事というかゾッとするぐらい木が切られた風景を思い出す。当然、山の保水力は衰え、やがてその山の下にあたる地域は雨期時の洪水の規模を増した。死者が出ることも決して珍しくないほどだ。
あわてたベトナム政府は、木の伐採の規制を強化し取り締まった。その結果、少しずつだが回復に向かっているという。いくら植物の成長が早い熱帯とはいえ、とても時間がかかることは言うまでもない。現在は、ちょっとした町ならガスが普及しているし、七輪を使っている田舎でも薪や炭の燃料は禁止され、すべて練炭になっている。
写真の赤白の棒、分かりましたか? こいつは、この辺りが水浸しになったとき、その水深を示す定規なのです。どんなに起伏のある道でも、水は平らにしてしまうから、上から見ただけで、その深さは分からない。例えば、水深20cmまでなら自分の乗ってるオートバイのエンジンに水が入らないとすれば、それ以上のところは通れない。それを確認するための定規である。
洪水は毎年あるので、こうしてコンクリートでしっかり作られている。もちろんこの辺りでも低い場所に立っている。ベトナムはメートル法が一般的なので、“2”は20cmを示すんだろうけど、“2”の上端に水面が来ると“2”が見えなくなっちゃうな。ん、まぁ細かいことは抜きにして、定規なんです。これが20cmならまだしも、120cmまで目盛りがある。120cmまでは来ないにしても、車が通れないぐらい(50cm)にはなることがあるらしい。私は雨期にもこのあたりに来たことはあるが、洪水の最中にはないので、実体験としては分からない。でも、これは決して飾りではないのです。
ところで、植樹活動はちゃんと行われているのか、気になるところだ。こうした森林伐採の話は、環境問題の課題としてしばしばあるが、そういう社会問題としてだけでなく、毎年の雨期には、塩田も塩田で働いている人たちの家も水浸しになる。私と直接関係ある人たちにも被害は及んでいる。
一度、カンホアの天日塩生産者に、「将来、少しでも出来る範囲で山に木を植えたいと思うが、どう思う?」と話したことがある。しかし、「そりゃ〜、喜ぶ人はいると思うけど・・・」とつれない反応。例えば、日本で言えばNGO組織などが植樹運動をしていれば、それに協力する形を比較的簡単にとれるだろうが、そういう雰囲気はまるでない。だから、もし現実的に行うとすれば、役所をからめてそのシステム作りから始めなくてはならないだろう。もちろんその際は、カンホアの天日塩生産者も巻き込んでのことになるだろう。それなりの覚悟は必要だ。
残念ながら、現在のところ、私にそこまでの余力はない。「カンホアの塩」は日本の人に喜んでもらいたい、また生産地もそれなりの技術的・経済的恩恵を受けてもらうことで、ひとつの循環がそこに生まれれば、という気持ちで作っている。最低限度、そこまでの循環がないと、このようなことは難しい。そういう意味で、余力がない。
しかし、一過性の経済優先で失われた環境は、結果的に社会全体としては不利益だという、(悪い意味での)経験値は日本の方が高い。せっかくだから、それは何とかして伝えたい。が、これがかなり難しいのだ。ただ、もしそこまで出来たらそれは絶対にすばらしいことだ。そんな夢もあるから、この仕事を続けられているのかも知れない。