前のブログで、麺の「ズルズル」を書いた後、もう一歩踏み込んで、「ズルズル」を考えてみたくなった。「ズルズル」は世界的にとても特別なもの。考えてみる価値を感じてしまった。
まず、麺の食べ方のスタイルは大きく3種類に分かれると思う。
- 日本では、もり・せいろ・ざる・そうめんなど、つゆにつけて食べる麺(以下、「つゆ麺」と称す)
- ラーメンやフォーなどの「汁麺」、朝鮮の冷麺もこれに入る
- スパゲティーなど主に絡まったソースで食べる麺
上の3つの麺類で、私が最も「ズルズル」を必要と感じるのは、間違いなく1番のつゆ麺だ。2番の汁麺はケースバイケース。着てる物にもよったりしてね。3番は「ズルズル」しない。
汁麺をケースバイケースと思うのはなぜだろう。何となくのイメージでは、麺以外の具材がたくさん入っている汁麺は具材と共に食べることもあるから、「ズルズル」な印象は比較的薄いが、ちょっとトッピング程度のシンプルなラーメンやフォーは「ズルズル」する印象がややある。やはり、「ズルズル」は「麺と汁との絡み具合」がその骨子だろう。汁麺はあらかじめ汁に浸かっており、つゆ麺は自分で浸ける。もしかしたら、私にとって、汁麺の「ズルズル」はつゆ麺の「ズルズル」の延長線上にあるのかも知れない・・・・という仮説の下、つゆ麺の「ズルズル」を深ーく考察してみようと思う。
ちょっと話が面倒になってきた。ちょうど今蕎麦がうまい時だし、蕎麦に絞って進める。
まず、蕎麦(そば切り)を汁にドップリつけると、大概はつゆの香り・味が勝ち過ぎて、蕎麦の味・香りが消され過ぎてしまう。だから、箸でとった蕎麦の5cmぐらいは残して下の部分をつゆにつけるぐらいがちょうどいい。そして素早く「ズルズル」っとする。ちょうど落語家の人が扇子の箸で蕎麦を食べる感じだ(「時そば」は汁麺だったと思ったが)。それで思い出したが、蕎麦通と呼ばれる人が「死ぬまでに一度でいいから蕎麦をたっぷりつゆにつけて食べたかった」というオチの落語があったような気がする。やせ我慢はよくないが、やはり適度が一番いい。・・・・ちょっと話がそれたので、戻します。・・・・何しろ素早く「ズルズル」っとすると、口の中で蕎麦と適量の汁がうまく絡み、独特のハーモニーを醸し出す。これは蕎麦をつゆに適度に浸けてゆっくりハムハムするのとは違う。素早く「ズルズル」っとすることにより、蕎麦とつゆだけでなく、「空気」も口の中に一緒に入り、その3者の絡みで、蕎麦とつゆのハーモニーを感じるのだ。私にとって「ズルズル」の意味は、この「空気」をも一緒に食べることにある。
またオプションとして私の場合、最初の一口の前に、一度は蕎麦だけを2〜3本つゆに浸けずに口に運び、蕎麦の香り・甘さも含めた味を記憶にとどめ、つゆを浸ける量を調整しながら「ズルズル」する。蕎麦を食すとき、蕎麦の香り・味を感じたいと思う。これはうどんの小麦の味・香りも一緒だ。
こうしたことはスパゲティーではあり得ない。粘性のあるソースがあらかじめ平均的に麺に絡まっているので、「ズルズル」するとかえってそのバランスを崩しかねない。それにソースが飛び散るのもイヤだ。だから「ズルズルは御法度」なのも頷ける。
でも、蕎麦はね。うどんもそうめんも冷や麦も、つゆ麺はね・・・・
もー、世界の誰が「ズルズルは御法度」と言おうが、「ズルズル」は止められない。
きょうは、「ズルズル」の文化を考えてみようと臨んだが、気がつくと私の全く主観的な、単なる「ズルズル」の言い訳に過ぎないな。もーいいや、「ズルズル」のどこが悪い!
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