最近の日本のしっかり非常に辛い物
先週末、中学二年生の息子が、「こーれ、知ってるぅ〜? ホントに辛いらしいよ」と得意げに、新発売のペヤングのやきそばを買ってきた。やや見苦しけど、冒頭の写真は、その食べかけの写真。ちゃんとした商品名は、下記。
ペヤング、獄激辛、担々やきそば
メーカー希望小売価格:205円(税別)
しっかり非常に辛い。私は、その麺を2〜3本食べてみて、それ以上食べるのを止めた。息子は、最近流行りの「辛ラーメン」も好きだ。どうも、辛い物にハマリ始めているらしい。
20〜30年前ぐらいか、「激辛」と称していても「そんなに辛くないじゃん」というものが多々あったが、時代は変わった。という訳で、きょうは「辛さ」の話。
もう30年以上前になるが、私は、インド・ネパール・バングラデシュ・タイを2年ぐらいかけて旅行していた。言わずもがな、それらの地域では辛い物が多いので、辛さには徐々に慣れていった。例えば、北インドでレストランに入ると、辛めの料理とともに、生の青唐辛子が2〜3本と、生の小ぶりな紫玉ねぎのスライス(これもツンと辛い)が、日本の定食のお新香のように付いてくる。最初は、どちらも辛くて食べる気がしなかったが、半年から一年ぐらいすると、追加の青唐辛子を店に頼むようになっていた。
4月から9月ぐらいの北インドは暑い。南インドより暑い。大きなインド半島は南に細長く北に幅広い。南は海に囲まれているような比較的安定した気候だが、北は内陸部が広く、乾期は極度に乾燥し、雨期直前の4-5月は連日40℃を軽く越える。人々は、明け方、家中の窓を全開し、気温が一番下がった空気を室内に入れる。そしてその空気を守るように、短い時間の後、全て窓を閉める。午前中とは言え、気温は一気に上がるのだ。そして、午後から夕方、室内の気温が外気と変わらなくなったところで、窓を開ける。ただし、その時間の道路や家屋のアスファルトやコンクリートは、しっかりと熱を保っているので、日が暮れてもしっかりと暑い。このとき、私は「この暑さからは逃げられない」と悟る。日本の昔ながらの家屋は風通しをよくして夏の暑さを凌ぐが、北インドの石造りの家屋は、冷めた空気を閉じ込めて、暑さを凌ぐ。だから、陽の高い間、家の中は真っ暗になる。
こういう暑さが続くところに慣れてない旅行者は、旅行だからと無謀にも炎天下をあちこち歩き回ったりする。数日もすると、身体はグッタリして、食欲がなくなる。こうして衰弱すると、すぐには回復しない。かく言う私も経験者だ。だから、そうならないように、40℃越えの間は外には出ず、規則的に食事を摂ることを心がける。唐辛子はそんな私の救世主だった。私の北インドでの食事は、自炊が主だったが、生の青唐辛子をかじりながらだと、食欲が刺激され、不思議と食べられる。辛さというのは、慣れる。最初は、一回の食事で青唐辛子ひとかじりでも、慣れるとそれでは十分な刺激にならず徐々に増える。そして、半年から一年後には、一回の食事で、青唐辛子が3本はないと、食が進まないようになる。私はその状態で、日本に帰国した。8月のことだった。
「全然辛くない」
「物足りない」
(このとき、仮に「ペヤング 獄激辛担々やきそば」を食べても辛いとは感じなかったと思う)
しかし、一ヶ月もすると、日本は涼しくなり、特別辛さの刺激がなくても、食欲は十分に湧いた。(何年かぶりに秋刀魚の塩焼きを食べておいしいと思った記憶がある) しばらくは(おそらく1年ぐらいは)、たまに食べるかなり辛い物にも抵抗感はなかったものの、辛い物を食べる習慣がなくなって2年もした頃には、もう青唐辛子をかじることがすっかり出来なくなっていた。辛さは慣れるものだが、その逆(辛さの無いこと)にも慣れるのだ。そして、私の場合、ちょうどその頃から、きっと日本を初めて訪れた外国人のように、改めて日本の味覚を新鮮に感じ始めた。熟れ鮨、山菜、豆腐などなど。身体の成長期もすっかり終わって好みが変わったという年齢的な面もあったと思う。その頃が、二十代後半だった。
場所はどこであれ、唐辛子の刺激のループに入ると、無意識のうちに、もっともっととなる。それはまるで人間の欲望のようだ。しかし、何かが原因して、そのループから外れると、まるで夢から醒めたように、何でもないことになる。『最近の日本のしっかり非常に辛い物』は、そのループに入っている人が多いことの表れのような気がする。それは、暑さという理由ではなさそうだが、一体どんな理由なんだろう? 一度、息子にきいてみないと。
ラベル: 食のこと