2024年1月15日月曜日

「ムクドリの万両栽培説」の未練

 

上の写真は、我が家の庭の植え込み。すっかり冬になっているこの折、少しの草の上に敷いてある藁の間に、小さな赤い実が、いくつも落ちている。万両の実だ。万両は、右隣の家に植わっていて、しばしば数羽のムクドリがホバリングしながら、たわわになった実をついばんでいるのを見かけていた。この万両はきっと、その万両に違いないと思った。

また、最近、その万両の庭の反対側(左側)二軒先の家の二階の戸袋に、ムクドリの巣があることに、私は気がついていた。ムクドリはきっと、そのムクドリに違いないと思った。そのムクドリの巣と右隣の万両の木のちょうど間に、我が家の庭がある。

この2つのことを繋げると、左二軒先の戸袋に巣があるムクドリが、右隣の庭の万両の実を、うちの庭に落としていった、となる。「え〜、どうしてだろう?」とその理由を想った私は、もしかしたらムクドリが「故意に」ここに落としていったんじゃないかと思い至った。もしも、巣に持ち帰る途中で、誤って落としたとしたら、拾っていったはずだ。

植物は我が身をもって、鳥や昆虫に、食料を供給しつつも、その種や花粉を遠くに運んでもらうという共存の関係にある、なんてことがよく言われる。でも、ムクドリが、偶然ではなく「故意に」、万両の実をうちの庭に落としていったとしたら、それは「栽培」なんじゃないかとふと思い、ちょっと興奮した。

右隣の万両の木を覗き見ると、つい2週間ぐらいまで、タワワになっていた真っ赤な実がひとつもなくなっている。せっかくムクドリが種まきしただろう万両だが、我が家としては、借家のここに万両の木が根付くのはちょっとマズいという事情がある。ムクドリがこの実を欲しくなったときは、持っていくだろう。しばらくこのままにしておくことにした。そして、数日間、その状態は続いた。

その2〜3日後、カミさんが一週間の出張から帰宅した。私は、その「ムクドリの万両栽培説」を、「どうだ」とばかりに彼女に唱えた。すると、「その万両は、私が(飾りに)料理で使ったものよ。使い終わった実を庭に撒いておいただけ」とのお答え。一瞬にして、私の「ムクドリの万両栽培説」は否定された。そして、改めて庭の植え込みを見ると、藁の上にあった真っ赤な万両の実は、何事もなかったかのように、すっかりなくなっていた。彼女曰く「あ〜、落ちてるのに気がついて、持っていったのね〜」。

すっかり私の思い違いだったのだけど、「稀にでも、鳥って栽培しないのかな〜」と、私はまだ捨て切れないでいる。