2012年11月30日金曜日

銭湯と世間

 私は東京の下町育ちで、子供の頃、小学生ぐらいまでは自宅に風呂がなく、毎日銭湯へ通った。毎日通っているから、銭湯で会う人は、どの顔も皆見たことある顔ばかりで、お互いにだいたいの素性も知り合っていた。ヨーロッパで言えば、地元の広場や教会のような社交場みたいなものだったかも知れない。

さて、この間、子供を連れて銭湯へ行った。今自宅には風呂があるので、2〜3ヶ月に一度ぐらい、「たまにはでっかい湯船につかりたい」気分になったとき、家族を誘って行く。車で10分ほどのその銭湯(富士見湯/東京・昭島市)はいわゆるスーパー銭湯ではなく普通の銭湯なのだが、珍しく露天風呂もある。

5歳の息子とともに男湯に入った。早速、露天風呂へ行くと、年配のオジさんが先客でいた。大きな風呂に入ると、お湯を掛けたり泳いだりして遊びたい年頃の息子なので、小さな声で「今は、他のお客さんがいるから、静かにしててよ」と釘を刺した。彼は頷き、湯の中で手を動かしたりして、遊びたい衝動を紛らわせていた。そうこうするうち、その年配のオジさんは露天風呂を出て行った。

「おう、今ならいいよ」と息子に言うと、堰を切ったようにお湯の掛け合いが始まった。その後運良く他の客が来なかったので、しばらく遊んだ。多少のぼせてきたところで、二人でその露天を出た。息子の身体を先に洗い、私は自分の身体を洗い始めると、彼は「(一人で)外のお風呂に行ってていい?」。私は「いいよ。でも他にお客さんがいたら静かにして入る約束は守ってよ」と念を押した。

私は自分の身体を洗い終わると、露天風呂へと向かった。すると、息子はさっきいた同じ年配のオジさんにお湯を掛けてるではないか! 「何してんだ!」私はとっさに叱った。すると、そのオジさんはそそくさと露天風呂を出て行った。息子は、「だって、あのオジさんの方からお湯掛けてきたんだもん」と言った。意外な言葉だった。何となく事情を察した私は、「そっかー、それなら悪くないな。怒って悪かったな」と息子に謝った。

実は、この銭湯に来る1ヶ月ほど前、息子と息子の友だちを連れてあるスーパー銭湯に行った。私が身体を洗っているときに、湯船で子供同士で盛り上がり、混み合っている中お湯の掛け合いをしたらしく、客のオジさんから怒鳴られた。その怒鳴り声の相手が自分の連れの子供たちのことと分かると、私はそのオジサンに謝り、子供たちにも謝らさせた。そのオジさんは下を向いて無表情だった・・・・なんてことがあった。

まぁ、そんなことも影響して、私はとっさに露天風呂で「何してるんだ!」と叱ったと思う。しかしこれは完全に私の早合点だった。そそくさと出て行ったオジさんは「茶目っ気のあるやさしい大人」ということを私は全く考えもしてなかったし、息子も私との約束をちゃんと守りつつ、自分で正しい判断をしてお湯を掛けていたと想像がつかなかったのだ。そう思うと、スーパー銭湯で怒鳴ったオジさんも、単に怒っていたのではなく、その複雑な心境が「無表情さ」になって表れていただけだったかも知れないとふと思った。

帰り際、息子と遊んでくれたオジさんと脱衣所で再会した。

「いや〜、最近そうして遊んでくれる人がなかなかいないんですよ。つい叱ってしまいました。ありがとうございます」

と私は頭を下げた。すると、そのオジさんは、私には見向きもせず、隣にいる息子に向かって、お湯を掛けるポーズをしてニッコリと満面の笑顔を放ってくれた。その笑顔は私の脳裏に染みついた。

やっぱり、たまには銭湯もいいもんだ。

富士見湯の看板(料金表)2012年11月
富士見湯の看板


2012年11月27日火曜日

イタリア産ノンアルコールビール

先週末、東京・永福町のピザ屋、ラ・ピッコラ・ターヴォラへ行った。実は、その2ヶ月前には、そのすぐ近くのピザ屋、マッシモッタヴィオにも行った。感じた違いは生地の柔らかさぐらい。マッシモの方がやや柔らかめ。ラ・ピッコラの生地の方がややしっかりめ。どっちの店もすこぶるおいしいことに変わりはない。

以前、このブログでも、南イタリアの美味(2011年11月22日)で、ナポリで食べたピザのことに触れたが、この2店のピザはナポリで食べたのと同じと言っていいぐらいのもの。まー、それにはビックリするしかない。わざわざナポリまで行かなくてもいい、とも言える。いやホントに。

ところで、昨日のラ・ピッコラへは、私の運転の車で、家族で出掛けた。ゆえにワインが飲めず、ノンアルコールビールを注文した。いつもこういうとき少し悩む。ピザなどチーズを使った料理に水やビールを飲むと胃の中でチーズが固まるからよくない、とイタリアで言われた。フォンデュ食べたスイスでも同じことを言われた。そんなとき、車を運転する人はどうすればいいのか? 私はノンアルコールビールの味はあまり好きじゃなく、ガス入りの水の方が好きだ。でも水に比べたらまだノンアルコールビールの方が胃にはマシか、と思ってノンアルコールビールを注文するんだ。ん〜悩ましい。

さて、ラ・ピッコラのメニューのノンアルコールビールはイタリア産だった。イタリアも変わったんだなぁと思った。

もう30年も前になるが、私はローマの友だちの家に10日ぐらい居候していたことがある。日中友だちとそのお父さんは勤めに出ていて、お母さんは家で家事をしていた。簡単な朝食をバタバタととった後、友だちはオートバイ(でっかいモトグッチ)、お父さんは車(かっこいいアルファロメオ)で出勤。私は観光を兼ねてローマの町をウロウロするために地下鉄の駅へ向かう。

そして12時頃になると、その二人と私は帰宅する。お母さんが支度してくれた昼食をみんなでとるためだ。グラス3杯ぐらいは必ずワインを飲む。パスタが前菜のたっぷりの昼食をゆっくりとって2時頃になると、当然のようにオートバイと車でそれぞれ仕事に戻る。また、このときは夏場だったのだが、この家の冷蔵庫に白ワインを水で半分に割ってガラスの容器に入れたものが常に入っていた。ちょうど日本の麦茶のような存在だった。喉が渇いたら、朝でもこれをグラスに注いでグイッと飲む。無くなりそうになると、気が付いた人がすぐに新しいのを作って冷蔵庫にしまっていた。

話を戻そう。
そんなイタリアでノンアルコールビールがあるなんて、とふと思ったので、ラ・ピッコラで、注文取りに来た女性の店員さんにきいてみた。

「イタリアでノンアルコールビール飲む人っているの?」

「そうですよね。昼間っからグラッパ飲んで運転している人もいますからね。でも最近は一応ダメってことになってるみたいですけど・・・・」

飲酒運転は超不謹慎であり御法度だけど、こういう現実もある。もちろんイタリアにもアルコールを飲めない人はいるし、アルコール飲んだら絶対に車の運転をしない人だっているのさ。

2012年11月5日月曜日

時代と喫茶店

先日、東京の経堂で、駅前の喫茶店に入った。常連客らしいオジさんたちが新聞広げて読んでたりの、昭和にあったような喫茶店。カウンター席に座った。窓に面したカウンターではない。カウンター越しのすぐ目の前で、次々とサイフォンでコーヒーを入れるのをじぃーっと見ることが出来るカウンターだ。5〜6個並んだサイフォン。湯が沸き上がっていくゆっくりとした様、そして同時に、サイフォンにコーヒーの粉を入れたり洗ったりカップに注いだりの手際よさの様が好対照。あ〜、こーゆーのはいつまでも眺めてられる。

さて、そのサイフォンから目を離すと、ちょうど私の正面にある棚が目に留まった。

DOUTOR COFFEE

と印刷された缶。どこにでもあるドトールコーヒーとロゴが違うなー。それに明らかに使い込まれている。座っているのはカウンター、目の前にコーヒー入れてる人がいる。コーヒー入れるのが一段落したところで、声をかけてみた。

「ねぇ、あのドトールって書いてある缶、そのへんのドトールと違うね。古そうにも見えるけど、何なの?」

「あっ、あれはですねー、最初にドトールが日本に来た頃の缶らしいです。30年ぐらい前は、あの缶を使ってたみたいで・・・・」

30歳ぐらいの若い彼は続けた。

「ドトールが最初に日本に来た頃から、この(喫茶店経営の)会社はドトールと関係があったみたいで。そこにもあるとおり、普通のドトールも経営しているんですよ」

と、私の手元にある、数店舗の喫茶店の名前が印刷された伝票の裏面を指さした。2軒ほど普通のドトールのロゴがあった。つまりこの喫茶店を経営している会社は、数店舗の喫茶店を経営しており、その中の2つはドトールコーヒーだった。

「でもまぁ、こうしてこんな話をお店の人と、普通のドトールじゃとても出来ないね」

「ええ、ドトールでは、(コーヒー入れる)カウンターには席を作らない決まりがあるみたいで・・・・」

つまり、ドトールの店の作りは、客とコーヒーを入れる店員が話をするようになっていない。最後に、棚の缶の写真を撮る許可を得て、携帯で撮らせてもらった。

大きく見れば、ドトール上陸以来、お店の人と気さくに話せる喫茶店は激減した。ドトールの波に呑まれ、昔ながらの喫茶店がどんどん潰れていったと単純に思っていた。もちろんそれは否めないが、細かく見れば、喫茶店経営の会社の中には、フランチャイズのドトールの衣を借りながら、昔ながらの喫茶店を続けている人たちもいる。勝手な想像だけど、自分のやりたい喫茶店を続けるために、ドトールの衣を借りているような気がした。

だからまた時代が変われば、衣替えをしながら喫茶店、カフェ、茶屋の文化は続いていくんだろうなーと、ちょっと安心した。