2017年2月17日金曜日

わさび漬けのタルタルソース

きょうの東京は春一番が吹き荒れている。
お昼時になったら、カレーが食べたくなって、近所のインドカレー屋さんへ行って、マトンカレーにナンのランチセットを食べた。額にうっすら汗をかく程度の辛さが心地よかった。

さて、この間、我が家の晩ご飯のおかずがカキフライだったときのこと。カキフライに、私はタルタルソースが好きなのだが、カミさんに「タルタルソースあるの?」とたずねると、「ないから、あるもので好きなようにして食べて」と言われた。その「あるもの」の意味は、中濃ソースや醤油、マヨネーズ、ケチャップなどのことだった。

ちょっと残念な気持ちを持ったものの、そのときたまたま、同じテーブルにのっていた、わさび漬けが目に入った。「これだ」と思った。小さなボウルにマヨネーズを絞って、わさび漬けをたっぷり加え、レモン汁を足して、フォークでかき混ぜる。少し感じるわさびと酒粕の香りがやや和風な、即席タルタルソースになった。

私のイメージとしては、刻んだピクルスが入ってるタルタルソース。あれを、このわさび漬けに変えたバージョンでございます。今回の私の場合は、既に揚げたてのカキフライが目の前にあったので、ソースはすぐに出来ないといけなかったのだけど、おいしかったので、今度は、前もって、ゆで卵やパセリなんかを刻んだのも混ぜてみたいなとも思った。

でも、これってワサビマヨネーズの延長みたいなもんかな?

2017年2月10日金曜日

ふるさとの不思議

冒頭の写真は、東京は江東区、深川は森下町にある「みの家」さんの立派な店構え。桜鍋(馬肉)の老舗です。通称「けとばし(蹴飛ばし)」。東京の下町らしい遊び心のある言い回しだ。で、この店に、先日、何と45年ぶりぐらいに行って、昼食を頂いた。

私は、この界隈に2歳ぐらいから23歳ぐらいまで、その間、多少の出入りはあったものの、住んでいた。なので、この森下が私の「ふるさと」ということになる。「ふるさと」というと、私なんかは、つい唱歌の「ふるさと」(♪兎追ひし彼の山・・・・)を思い起こしてしまうのだが、無論森下には野生の兎も小鮒もいない。また、大学生の頃、初めて地方出身者の知り合いが多数出来たのだが、彼ら彼女らは、「正月はクニへ帰るわ」などと言って帰省した。帰省先に兎が生息していたかどうかは知らないが、私が育った場所よりは自然は豊かであったろうし、無理矢理に自分の帰省先を考えてみても、それは何の変哲もない普段寝起きしている自分の家なのだから、笑えもしなかった。つまり当時、「私にはふるさとはない」と思っていて、「ふるさと」がある人は私が持っていない宝物を持っているようで、羨ましかった。

その後、私はこの町を離れ、30年もの間、遠ざかっていた。そうしてすっかり疎遠になってからこの町を久しぶりに歩くと、他の町では感じることの出来ない特別な感覚が湧いてきた。「帰ってきた」感覚だった。「ここは私のふるさとなんだ」と知らしめられた。おそらく今この町にいる人は、昔から9割方は変わっているだろうし、9割以上の商店も変わっている。それでもこう感じたのだ。

写真の「みの家」さんは、そんな1割にも満たない、「変わっていない」希少なお店だ。実は、「みの家」さんは私が住んでいた昔の時点でも既に老舗ながら、地元の人はあまり行ってなかった。当時私の家族で行ったのも一度きり。「桜鍋」という特別な料理で、普段使いのお店ではないからだ。

実は45年前の、そのたった一度、桜鍋を食べに家族で行って帰宅した直後、私だけが激しく嘔吐した。その姿を見て親父は、幼かった私に「タケシはもう馬肉はやめといた方がいいな」と言ったのを憶えている。「みの家」さんの名誉のためにも、断っておきたい。嘔吐した原因は不明だ。ここを誤解してもらっては困る。ただそうしたことがあった故に、とてもよく憶えている。

そんな思い出のある「みの家」さん。先日、用事があって森下を訪れた際、もう一度食べねばと思い、入店した。老舗のどじょう鍋屋さんなんかと共通した、低めの長〜くのびた座卓。古い木造の建物も魅力だが、お店の方々が醸し出すこの軽やかな雰囲気にタイムトリップした。適度な丁寧さの接客、用があるときの小気味いい対応、そして放っておいてもくれる安心感。(当時の私にはそれが普通のことで、特別ではなかったのだが・・・・) 私の中で、この軽やかな雰囲気が、昭和40年から50年頃の東京の一番の思い出だ。懐かしくも感じるし、こういう居心地のよさの価値を改めて思った。そして、大人になった自分がここで桜鍋をつついている。それが何やら不思議に感じた。甘い味噌だれの甘さは懐かしかった。鍋の火を一番小さくして、ゆっくり箸をすすめ、小一時間をまったりと過ごした。ときどき聞こえてくる話し声からして、周りの客は、明らかに地元の人たちではない。そういう意味でも「変わっていない」。そして今や、私だって地元の人ではない。

「ふるさと」っていうのは、「生まれ育った場所の人間」ではなくなって初めて感じるものなんじゃなかろうか。「私にはふるさとはない」と思っていた学生の頃は、まだ生まれ育った場所に属していたというだけだったのだろう。そう思うと、その頃の自分に耳打ちしてあげたくなった。ずっと「生まれ育った場所の人間」である人たちに「ふるさと」はないのだよ。「ふるさと」が欲しけりゃ、そこから離れなさい、と。

さてさて、おいしく頂いた45年ぶりの「みの家」さんの桜鍋。次は森下界隈のどの店に行こうかと計画を練っている。まるで京都や外国のおいしいものを探すように。

2017年2月9日木曜日

砥石と包丁を研いで想う

我が家の包丁の切れ味は、私の心のバロメーターだ。
心に余裕がなくなると、なかなか研げない。そして切れなくなる。

包丁は、日々徐々に切れなくなっていくから、研ぐ必要は徐々にやってくる。そして、あるときを境に、「あっ、包丁が切れなくなってる」と気づく。それでその次の週末なんかに研げると一番いいのだが、それを忘れて何週間も過ぎてしまうこともある。包丁はほぼ毎日使うから、その度ごとに気づいてもよさそうなもんだが、余裕がないと意識がそこに向かないのだ。だからそれは「(忙しくて)研げない」と言うよりは、「研がなくなっている(状態)」とも思える。そして、あるとき「あっ、切れなくなってたんだっけ」と気がつくと同時に、「あー、最近余裕がないな〜」と心が沈む思いをする。この沈む思いをすると、不思議と忙しい心が落ち着いて、その次の週末なんかに研ぐこととなる。

研ぐには、バケツに水を張って、その水が砥石に染み込むまでしばらく待たねばならないし、「どうせなら」と数本ある我が家の包丁を全部研ぐことにしている。だから、なかなか片手間には出来ないのだが、時間にして一時間足らずのことだ。

しかし、今回は、さらなるハードルがあった。中砥石の表面が凹んでしまっているため、包丁を研ぐ前に砥石を研がなくてはならなかった。この半年ぐらい、その必要性に気づきつつも、先送りにしていて、「もー、限界」と思っていたところだった。だから、今回は「包丁を研ぐ」だけでなく、「砥石を研ぐ」心の余裕がないといけなかった。

先日、我が家に来たお袋は、リンゴの皮を剥きながら、その包丁が切れないことを指摘した。そして「今は、シャーシャーと簡単に研げるもの(いわゆるシャープナー)があるから、あれ使えばいいのよ」とアドバイス。でも、どうも私はあのシャープナーを好きになれない。砥石で研ぐのと刃の付き方が違うので、シャープナーを使い始めると砥石で研ぎにくくなってしまいそうだからだ。それに、砥石で研ぎ終わったときの達成感、開放感はたまらないから、その機会を失いたくもない。

有り難くもお袋の指摘で「そぉいやぁ、切れなくなってたわ」と例によって心が沈み、ついこの間、「砥石を研いで、包丁を研ぐ」に至った。冒頭の写真は、中砥石を大方平らにしたところ。まだ真ん中が少し凹んでいる。結構な凹みだったので、真っ平らにするのに、休み休みで1時間かかって大変だった。

最初に、「研ぐ必要は徐々にやってくる」と書いたが、本当はあんまり切れなくなる前に研げば、いつも切れることになるし、研ぐのも楽だ。二十歳ぐらいの頃、バイト先の板前さんが、その日の仕事の終わりに毎日必ず包丁を研いでいた姿を思い出す。もう少し早めに研ぐことが出来るようになれるかな。そんな理想の大人になれるかな。他方で、こういうのって、程々がいいようにもようにも思えてしまうのだけど。少しずつ前進しようと思う。それが性に合っている。