2017年2月9日木曜日

砥石と包丁を研いで想う

我が家の包丁の切れ味は、私の心のバロメーターだ。
心に余裕がなくなると、なかなか研げない。そして切れなくなる。

包丁は、日々徐々に切れなくなっていくから、研ぐ必要は徐々にやってくる。そして、あるときを境に、「あっ、包丁が切れなくなってる」と気づく。それでその次の週末なんかに研げると一番いいのだが、それを忘れて何週間も過ぎてしまうこともある。包丁はほぼ毎日使うから、その度ごとに気づいてもよさそうなもんだが、余裕がないと意識がそこに向かないのだ。だからそれは「(忙しくて)研げない」と言うよりは、「研がなくなっている(状態)」とも思える。そして、あるとき「あっ、切れなくなってたんだっけ」と気がつくと同時に、「あー、最近余裕がないな〜」と心が沈む思いをする。この沈む思いをすると、不思議と忙しい心が落ち着いて、その次の週末なんかに研ぐこととなる。

研ぐには、バケツに水を張って、その水が砥石に染み込むまでしばらく待たねばならないし、「どうせなら」と数本ある我が家の包丁を全部研ぐことにしている。だから、なかなか片手間には出来ないのだが、時間にして一時間足らずのことだ。

しかし、今回は、さらなるハードルがあった。中砥石の表面が凹んでしまっているため、包丁を研ぐ前に砥石を研がなくてはならなかった。この半年ぐらい、その必要性に気づきつつも、先送りにしていて、「もー、限界」と思っていたところだった。だから、今回は「包丁を研ぐ」だけでなく、「砥石を研ぐ」心の余裕がないといけなかった。

先日、我が家に来たお袋は、リンゴの皮を剥きながら、その包丁が切れないことを指摘した。そして「今は、シャーシャーと簡単に研げるもの(いわゆるシャープナー)があるから、あれ使えばいいのよ」とアドバイス。でも、どうも私はあのシャープナーを好きになれない。砥石で研ぐのと刃の付き方が違うので、シャープナーを使い始めると砥石で研ぎにくくなってしまいそうだからだ。それに、砥石で研ぎ終わったときの達成感、開放感はたまらないから、その機会を失いたくもない。

有り難くもお袋の指摘で「そぉいやぁ、切れなくなってたわ」と例によって心が沈み、ついこの間、「砥石を研いで、包丁を研ぐ」に至った。冒頭の写真は、中砥石を大方平らにしたところ。まだ真ん中が少し凹んでいる。結構な凹みだったので、真っ平らにするのに、休み休みで1時間かかって大変だった。

最初に、「研ぐ必要は徐々にやってくる」と書いたが、本当はあんまり切れなくなる前に研げば、いつも切れることになるし、研ぐのも楽だ。二十歳ぐらいの頃、バイト先の板前さんが、その日の仕事の終わりに毎日必ず包丁を研いでいた姿を思い出す。もう少し早めに研ぐことが出来るようになれるかな。そんな理想の大人になれるかな。他方で、こういうのって、程々がいいようにもようにも思えてしまうのだけど。少しずつ前進しようと思う。それが性に合っている。

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