2014年8月29日金曜日

ロシア旅行no.2・ダーチャとバーニャ、そしてブリアート人

 ほとんどのロシア人は、ダーチャと呼ばれる別荘を郊外(町の自宅から30分〜60分の距離)に持っている。ほとんどの日本人は別荘を持ってないから、全く逆だ。それをロシア人に話すと、「なぜ別荘を持たないの?」と問われたりする。「まー、例えば東京の人は、別荘を持ってる人でも、車で2〜3時間ぐらいのところだね」とか言うと、「2〜3時間は遠すぎる。なんでもっと近くにしないのか?」、「日本はちっちゃいところにたくさんの人が住んでるからねー」なんて会話をした。

今回のロシア旅行中に、ダーチャを訪問した。日本の旅行代理店を通じてイルクーツクの旅行代理店に訪問させてもらえるダーチャを探してもらった。平たく言えば、オプショナルツアーだ。

訪問させてもらったダーチャの場所は、イルクーツクとバイカル湖の間ぐらいのところ。冒頭の写真は、その道すがら、イルクーツクからバイカル湖へ続く国道。ご覧のとおり、道の両側は深ーい森。数種類の松と白樺が主らしい。シベリア鉄道の車窓は、きっとこんな風かななどと思いながら、時速100キロで走る車から森を眺めていた。タイガと呼ばれるこの針葉樹林が、広大なシベリアを覆い尽くしていることを、想像してみた。

さてさて、ダーチャだ。この森に囲まれた国道だが、たまーに、横道がある。そのひとつを左に曲がって少し行ったところに、区画整理されたダーチャ地域があった。もう国道の車の音は聞こえない。30〜50世帯ぐらいあったろうか。それぞれのダーチャは塀で覆われている。下の写真が、訪問したダーチャの外塀。
 このダーチャは、この地域では一番ぐらいに広く立派だった。長い塀の一箇所に、小さめとも思えるドアがある。これがこのダーチャの入口だ。この前日に、バイカル湖への途中にあった昔の木造家屋の博物館に行っていて、そのときも感じたが、ロシア人は、ダーチャに限らず自分の敷地を塀で囲み、入口は小さく作る。
 博物館では、「野生動物から守るため」とのガイドさんの説明があったが、ここで忘れてはならないのが、この地域の先住民である(モンゴル系の)ブリヤート人だ。彼らは元々定住しない遊牧民で、モンゴルのパオのような可動式住居に住んでいた。だから自分の敷地もないので、無論塀もない。その博物館の次の日にこのダーチャを訪問したので、ついそれが気になった。

ちょ〜おっ〜と〜脱線気味になっちゃうが、昔ロシアは、この地域に国を広げ、定住しないブリヤート人を強制的に定住させた。ガイドさんの話では、「ロシア人は畑を持つ農耕民族で、ブリヤート人は畑を持たない狩猟民族でした。そこでロシアはブリヤート人にも畑を持ってもらい定住してもらった」とのこと。今回の旅行中には、ブリヤート人に会ってないが、十数年前、日本のNHKで「日本人のルーツはブリヤート人」という内容の番組があり、その直後の数年間は、イルクーツクを拠点にして、バイカル湖東側にあるブリヤート共和国を訪れる日本人旅行者がたくさんいたらしい。

さて、話しを戻して、ダーチャです。
上の写真のドアを入るとこんな感じ。
 この小径を進んで右を見るとこんな感じで手入れが行き届いている花壇。奥にビニールハウスが見えるけど、その左には家庭菜園としては広めの畑があり、そのまた奥には、3種のニワトリ、ガチョウ、鴨、ウサギなんかが柵の中で放し飼いになっていた。まー、豊かぁ〜な感じです。このダーチャの家族は、見ず知らずの私たちがリクエストした見学を受け入れてくれた。ある意味、自信もあるだろうから、このダーチャは特に立派なように思う。しかし、そんな私たちをとても暖かく迎えてくれたことは断言しておきたい。
 そんなわけで、まずはこの庭を管理している女将さんと記念撮影。
 ダーチャは別荘ながら、この女将さんは町の本宅には住まず、このダーチャに一年中お住まいとのことでした。お家の中に入れてもらうと、中央に鎮座しているのは、これ。
「燃えろよ、ペチカー♪」のペチカです。漆喰のようなのが塗られていて、形が主張していてキレイです。ペチカを含め何となく家の造りは、ヨーロッパの寒いところな感じ。ただ、このシベリアは、森また森なので、石造りではなく木造となる。30年ぐらい前だけど、スイスの山の方に行ったときも、似たようなものが家の中央にあったのを思い出す。スイスのは、外側が花柄などのタイル貼りのが多かったな。

さて、ペチカの次は、バーニャ。ロシア風サウナだ。大概のダーチャには広い庭があり、その庭にバーニャがある。訪問したこのダーチャにもあった。そこで、バーニャにも入らせてもらった。そのサウナ部屋内は段々になっていて、日本にもよくあるフィンランド風のサウナにもよく似た造りだった。そしてこの地方のバーニャの特徴は、葉のついた白樺の枝をバケツの水に浸して濡らし、それをうつ伏せに横たわった人の背中にヒタヒタ当てること。ウッディな香りとともに何か身体にいい感じ。サウナ状態の部屋だから、葉についた水は瞬時に蒸気になり、少し蒸し風呂な感じも。このヒタヒタは、このダーチャの息子さん(25歳ぐらい)にやってもらったが、何となく、神社で神主さんに榊の葉をパッパっと振ってもらった感覚になった。そして、彼曰く、「冬の時期、このバーニャで身体が十分熱くなったら、外の積もった雪に飛び込むんだ。それを5回繰り返す」とのこと。冬はマイナス30℃とのことだけど、「やってみたーい」とは言えなかった。

彼と話していて、興味を引いた話しがある。

「シベリアの開拓時代、ロシア人は、家を建てる前にバーニャを建てるんだ。まずバーニャを建てて、そのバーニャに住みながら、家を作る」

補足すると、バーニャは、サウナ部屋だけでなく、着替え部屋などもある。住居としては狭いが仮住まいとしては十分だ。何しろこの極寒地では、寒さ対策が最優先なのだ。開拓しながらこの土地に住み始めることの苦労と智恵といったところだろうか。しかし、その頃、先住民のブリアート人はどのようにして住んでいたのだろう、とも心の中で思った。先述の昔の木造家屋の博物館にあった、ブリアート人の住居には囲炉裏が切られていた。

開拓時代と聞くと、アメリカのことを連想するが、西部劇のように、ロシア人は先住民と闘った、ということは聞かなかった。ロシア人としか話しをしていないし、詳しい歴史は分からない。

シベリアは、第二次世界大戦後、日本人捕虜が多く抑留させられ強制労働を強いられた土地でもある。イルクーツクやこのバイカル湖周辺にもたくさんいた。それだけでなく、過去の歴史はいろいろある。ただ、こうして今、バーニャでロシアの若者と裸で話しをしていると、だんだんと親近感が湧いてくることも事実だ。

さて、次のエントリでは、ロシアの何を書こうか。

2014年8月25日月曜日

ロシア旅行no.1・まずはバイカル湖


世界で一番深い湖、バイカル湖。子供の頃、何となく眺めていた世界地図で、この湖を見つけ、「あ〜、こんな人の住んでなさそうなシベリアの真ん中に、こんなにでっかい湖があるんだなー」と思った記憶がある。バイカルという名の響きも、どこか神秘的に感じていた。

先週の土曜日、私はたしかにそのバイカル湖畔の町、リストヴィアンカにいたのだが、今は幻のような気がしてならない。上の写真はその水平線。ややモヤってたものの、向こう岸は見えない。この湖は南北に細長い。比較的距離の短い東西で、視界のいいとき対岸は山々だけが見えるらしい。何しろでかい。途方もなくでかい。

一週間ほど前、滞在は3日間だけだったが、ロシアはイルクーツクとバイカル湖を含むその周辺へ行ってきた。

まずはバイカル湖ということで、聞いて驚いてください。バイカル湖の水量。下の写真は、その湖畔にある、バイカル湖博物館でのものである。
水量23,000立方キロメートルと言われてもちっともピンとこないが、

“EQUAL TO 20% OF WORLD'S FRESH WATER”

マジか。「“FRESH WATER”って、もしかして淡水のことかぁ〜?」と我が目を疑った。地球上には、バイカル湖よりも広い湖、何千キロもの長さの河川などあるにもかかわらず、本当にここに20%もあるのか?

帰国後、wikiってみたら、「世界中の淡水の17-20%がここにあるとされる」とあるので、まんざらハッタリでもないらしい。そして世界一のその深さは、最大水深約1,700mという。まー、この深さでもって、その水量となる訳だ。地図で見ると分かるが、地殻変動で出来た高い山地のクラックのようなところにこの湖がある。

そして、下の写真が、バイカル湖の名物のピョン吉岩。本名は、シャーマンロック(なぜか英語)。ちょっと分かり にくいが、湖面に三角に突き出た岩がある。おそらくこれで高さ2メートルぐらい。ボートが2艘近寄っている。名物の岩なので、いつも何艘かのボートが近くにいて、岩だけを撮れなかった。
さて、何でピョン吉岩なのかを説明せねばならない。

バイカル湖に注ぐ川は数あれど、バイカル湖から流れ出る川はアンガラ川という川のみ。で、バイカル湖とアンガラ川の境はどこなのか? その答えが、この岩らしい。広ーい川幅の中央あたりにある。上の写真での川の流れは左から右。湖畔のこの町リストヴィアンカから見て、岩の左側がバイカル湖で、右側がアンガラ川となる。そもそもこうしてポツンと出ている岩があることが妙だ。水面下はどうなっているんだろう? と、ピョン吉岩のように想像してしまう。

次は、ちょっとだけ観光地っぽい写真。リストヴィアンカの岸。岸で水を触った感じでは、水温は20℃なかったと思う。この写真にはいないが、夏の時期は、水浴びする人もいるらしい。
私の中では、お堅いイメージのロシア人だったが、この岸辺では、こんなお茶目な風景も。

帰国後、「やっぱり、バイカル湖って透明度高かった?」と何人からかきかれた。遊覧船などの船には乗ってないけど、この岸辺の水はこんな感じ。小石がきれいだった。とても日本では見ないような小石たちだった。

 まー、そんな訳で、一週間前、たった3日間ながら、シベリアの中心の町、イルクーツクとバイカル湖に行ってきた。いろいろおもしろかったので、マニアックなことを含め、いろいろ書いてみようと思う。きょうは、その序編として、バイカル湖。何しろ、桁外れにでかい。

2014年8月11日月曜日

ソーラーシステムの現実

7月26日のエントリ、オフグリッド・ソーラーシステムで、小さな、でも独立したソーラーシステムをDIY感覚で作るワークショップに参加した模様を書いた。上の写真のソーラーパネルは、そのとき購入したソーラーパネル(20W)で、サイズは30センチ×45センチぐらいです。

次世代のエネルギーとして、「ソーラーなんていいな」と思うときがある。でも、なかなか現実は大変だ。最近、一般の家の屋根にソーラーパネルがついているのを見かけることがありますね。あのシステム一式で、だいたい200万円ぐらいするらしい。で、だいたいあれが20年ぐらい使えるらしい。耐久性というか寿命と考えた方がいい年数です。

200万円÷20年=10万円
10万円÷12ヶ月=8,333円

つまり、年間にして10万円ぐらい、月にして8,333円ぐらいの電気を作ってくれる。ということはです。普段、電力会社から月々8,333円の電気を買ってる生活でトントン。月々8,333円以下の電気しか使わない家庭では、ソーラーシステムを導入すると、金銭的には損になるという計算になります。つまり、200万円のソーラーシステム導入とは、先行投資みたいなものとも言えます。もちろん、銭勘定だけではないが、「広く普及すること」に直結するかという点では、「現実はなかなか大変だ」と言えると思います。

先物取引のように、今後、電気代が急騰するようなことがあれば、先行投資も有意義に映るけど、逆に安くなるようなことがあると、損する計算が高まります。

次に大事なゴミの問題。

ソーラーパネルはそもそもでっかいし、有害なレアメタルを含むらしいので、そのまま捨てるという訳にはいきません。業者に引き取ってもらうなどしないとならない。(またカネの話だが)捨てるにもカネはかかるし、なかなかやっかいな部類のゴミになる。ドイツなんかでは、分解して各々の部品を分別して捨てられるような設計のソーラーパネルがすでにあるらしいのですが、今の日本では、まだまだのよう。

こうして考えてみると、何故ソーラーシステムがなかなか普及しないかがよく分かります。私なんかは、「借家住まいだし、カネもないし・・・・」と何となく漠然とした負い目を感じながら、電力会社から電気を買ってるような感じもあるのですが、それはあくまで個人的な事情であって、社会的には他の理由で、普及していないのです。

ところで、私は自分が作っている「カンホアの塩」の生産地で、天日塩だけでなく、天日電気も作れないものかと考えています。素人な私としては、

「あれだけカンカンに陽が照ってるんだから、電気もいっぱい出来るだろう」

と、思ってました。でも、先日のワークショップの先生にきいてみると、それはそうとも限らない。これがちょっとショックだった。こたえましねぇ〜。陽差しがあんまり強すぎると、ソーラーパネルが熱くなり過ぎて、発電効率が落ちると言うのです。また、ソーラーパネルの寿命も短くなる。「えー」って感じでした。

だから、よく屋根にのっかるようにして設置してあるソーラーパネルがありますが、あれよりは、平らな場所に鉄枠のようなフレームで角度をつけて設置する方がいいらしい。なぜなら、その方が風通しがいい分、ソーラーパネルが熱くならないからとのことでした。私は、「カンホアの塩」の塩田の脇にある「あの倉庫の屋根にソーラーパネルだぁ」と勝手に想像していたのですが、それだとあまりよくないみたい・・・・。

あー、毎日暑いですね。でも、この暑さを何とかエネルギーに変えられないものかと思いますよね? ベトナム・カンホアはもっともっと暑いんです。だから、電気も・・・・。という単純な発想は安易でした。

でも、まぁ、ソーラーシステムについては、まだ勉強を始めたばかり。現実的なことをもっともっと掘り下げていくうちに、光が見えてくることを祈りながら、まだまだ考えていこうと思っています。