2014年12月25日木曜日

ミカンの贈り物

 もう一ヶ月以上も前のことになってしまったが、11月の初め頃、愛媛の知人から、ミカンが1箱送られて来た。それが冒頭の写真。無農薬・無肥料・ノーワックス。お礼の電話をした際、そのミカンの事情をいろいろ聞かせてもらった。

まず、日本のミカンの消費量は年々減ってきているらしい。(私見ながら、日本の居間にコタツが減ってきているのが原因ではないか。半分冗談だけど、半分マジ。ちなみに我が家はホットカーペットのコタツ) また、その愛媛の知人が言うには、「何年か前まで、愛媛はミカンの出荷量日本一だったが、今は第二位(・・・残念)」とのことだった。農業関係の仕事の人なので、そのへんが気になってるらしい。

しかし、そんなことより、ミカンの需要が減ってると同時に、愛媛でも生産者の高齢化が進み、後継者不足が問題になっている。で、送ったこのミカンは、愛媛でも離島にある畑のもので、そこの生産者は高齢になって、十数年前に松山の老人施設に入ってしまい、その後ずうっと「放ったらかし」状態にあったらしい。

その知人は、「それではもったいない」と、そのミカン収穫し、無農薬・無肥料・ノーワックスの付加価値のある商品として販売しようとした。しかし、十数年前から「放ったらかし」(農薬をやってない)ながらも、検査をすると極微量ながら、農薬の成分が検出されるらしい。その知人曰く、「農薬の成分には、元々土壌に含まれている成分と同じものもあって、おそらくそれが検出されているんだと思う」とのこと。いくら無農薬・無肥料・ノーワックスでも、こうなると「無農薬」とは謳えないらしい。また、写真でお分かりだろうか。やや外皮にキズがある。「無農薬」でもないのに、キズありとなると、商品価値がずいぶん下がるらしい。しっかり農薬使ってワックスかけたミカンよりもよっぽどいいのだが・・・・。

で、問題の味だ。

11月初め頃ということもあってか、イマイチ味がのってない。薄い味という印象。頂いておきながら失礼とは知りつつも、お礼の電話の際、私なりにやんわりとそのことも伝えた。

すると、その3週間後、再びその知人からミカンが1箱着いた。今度のは、すこぶるおいしい。私の好みのミカンは、「甘味7:酸味3」ぐらいのバランスの濃い味。多くは皮が薄くて小ぶりのもの。早生の緑がかったミカンから徐々に黄色くなり、オレンジ色になったばかりのタイミングにこの味のミカンが出回る。ほんの一ヶ月ぐらいの間だと思う。この2度目に送ってくれたミカンがまさにこれだった。それが下の写真。冒頭写真のミカンより小ぶりで外皮も中の皮も薄いのだが、写真じゃ分からないね。
で、再びお礼の電話をすると、知人は第一声、「今度のはおいしいでしょ」と誇らしげ。「これが一番味がのってるミカンだからね。愛媛の人は、クリスマス過ぎてのミカンを、『味の抜けたミカン』と言って、食べなくなるのよ。甘いばっかりになるからね。これも十年無農薬・無肥料でノーワックスなんだけど、先に送ったミカンと違って、土壌から農薬の成分が検出されないから、某著名百貨店(M)の食品売り場に並んでいるのよ」と言う。

「それって、いわゆるブランド・ミカンってやつ?」と私がきくと、
「そういうことになるわ」と答えた。

知人の「そういうことになるわ」という言葉には、同じミカン、しかもどっちも無農薬・無肥料・ノーワックスながら、扱いが全く別物になることへの不満が感じられた。でも、こっちの方がおいしいからね。先のミカンの収穫時期を3週間遅らせるとどうなるのか? そこまでは突っ込まなかった。

そして、知人は続けて言った。

「ミカンは、他の果物と同じように、隔年で収穫量が変わるもの。ブランド・ミカンになれば、扱いが変わるけど、先に送った無農薬・無肥料・ノーワックスのミカンだと、一般の扱いになって、販売するにも『何キロ』と毎年の決まった納入量が確定しないとスーパーは買ってくれないのよ」

「じゃあ、(欠品しないように)少ない年の量を基準に『何キロ』が決まるわけ?」と私はきく。

「そのとおり」

「じゃあ、多い年に余るミカンはどうなるのよ?」

「・・・・それは廃棄してるのよ」

「えー」

とんでもない話しだけど、あるのかも知れない。私は、ポンジュースを思い出した。単に私の想像だけど、ポンジュースは、そういった廃棄されそうなミカンを原料に作られているのかも知れないと思った。グッド・アイデア。

曲がったキュウリが、箱に入りにくいからとの理由で選別されるという有名な話しがあるが、どうも日本の多くの農産物は、かなりとんでもないことになっていると想像できる。隔年の収穫量の差も、地域でまとまればある程度緩和できないものか? など、私なりの想像はあるが、それが難しい想像も出来なくもない。

欠品のないお店、期待する商品がいつもあるお店にはこうした背景もきっとあるのだ。一般の消費者はそれを知らな過ぎるんじゃないか。または麻痺しているのか、させられているのか。いくら廃棄したって、農家は食っていかなくちゃならない。つまり、廃棄も生産コストの中に入ってることも考えられる。そうだとすると、結局そのしわ寄せは消費者に及んでいることになる。

ある種の効率や便利さを求めるあまり、同時にその裏側にも変化が生じる。考えれば当たり前のことながら、現実的に消費者はそこまで思いを馳せないことが多い。全体にとって、一番いいことはどういうことなんだろう。あくまで現実的に。唐突ながら、鈴木大拙の「総合的に考える」という言葉を、思い出した。それにしても、「総合的に考える」は難しい。現実的には、「総合的なことを感じる」なんではなかろうか・・・・などと、ホットカーペットのコタツで頂き物のミカンを頬張りながら、思った。