2014年2月27日木曜日

プラネタリウムで寝る

こないだ、東京・八王子にあるサイエンスドームへ家族で行った。子供向けの体験型科学遊具もあったが、メインはプラネタリウム。

私は、むか〜し、渋谷の五島プラネタリウムに行って以来のプラネタリウムだった。むか〜し、たぶん40年ほど前のプラネタリウムは、ドーム型のスクリーンに星座などが映し出され、「これがオリオン座で、これが乙女座・・・・」みたいなナレーションで、星座や星にまつわる逸話を聞かせてもらうようなことだったが、今どきのはすごかった。

宇宙空間の景色がシンプルだからだろうか、CGとは分かっていても、もー、とってもリアル。例えば宇宙船に乗って、星の近くを通り過ぎるシーンなんかは、本当に宇宙船に乗っているかのようだった。ついこの間、ディズニー・シーで、メガネをかけての3D映像を見たが、あんなもんじゃない。プラネタリムはメガネは要らないし、空間を包むようなでっかいドーム型のスクリーンに映し出された映像は、圧巻だった。

冒頭の写真が、その映写機。球状で、穴がいくつも開いてる。これで、どんな風に投影してあんな映像になるんだろう?

それでね。

ここまでその映像を絶賛してきましたが、実際には全体の半分も観ていない。でもまぁ、半分近くは観てるので、その映像のリアルさが色褪せるものでは決してありません。

ただただ、すっごい眠くなるんです。

すぐに眠りに落ちる。それも非常に快適な眠りに。かなりの快感だった。隣に座った娘が、時折、気持ちよーく寝ている私をつついて「なに寝てんのよー」と起こすので、「おっ、寝てたな」とか言って、起きて観る。しかし、すぐさま睡魔が・・・・。起きていようと思っていても、1分も経たぬうちに眠りに落ちる。そして、(たぶん)10分ぐらいすると、娘が・・・・。これを3〜4回は繰り返したろうか。

眠っちゃいけない状況で眠くなるのは、辛さと快感が同居している。学校の授業中に眠くなるのもそうかも知れない。または、学校の朝礼で、真面目な話をする校長先生の「社会の窓」が開いていたとしよう。笑っちゃいけない状況で、笑いをこらえなくちゃならない。こういうのも、辛さと笑い(快感)が同居しているように思う。だから、娘が私を起こすのも、それがあったからこその眠り快感があったかも知れない。

さて、「もー、起こすなよー」という言葉を抑え、投影時間の60分間が終わった。この感覚、前にも経験したことを思い出した。むか〜し行った五島プラネタリウムだった。中学生頃だったろうか。そのときは誰も起こす人がいなかったので、ほとんどあの著名なお話(語り)を聞くことなく、ぐっすり寝ていた。そして、それが非常に気持ちよかった。

真っ暗な中、静かに星を見る。それはほとんど夜。だから眠くなるのかな。今度はひとりで、「寝ること」を目的に行ってみようかと思っている。ただイビキが心配だな。

2014年2月18日火曜日

チリトリの雪かき

この冬二度目の大雪に見舞われた東京。金曜日が降雪のピークで、上の写真はその翌日土曜日の東京・立川近郊だ。当日、私は電車で一駅の立川で待ち合わせしていたのだが、その電車が動かず、立川まで1時間歩いた。私だけでなく、多くの人が繋がって黙々と歩いていた。

歩道は雪で埋まってたので、車がほとんど走らない車道の轍(わだち)を歩く。ときどき私と逆方向に歩いている人とすれ違わねばならぬが、そんなときは、まずはお互いの靴を見る。私は長靴だから、相手が革靴だと私が積もった雪に除けて道を譲る。お互い長靴だと、年配の方や女性、子供には譲る。逆に、相手が長靴を履いた若い男性だと、譲ってもらう。立川まで歩いた1時間、そうした暗黙のルールが静かにキッチリ働いていて、微笑ましくも可笑しかった。

さて、それから2時間も経った頃だろうか、私は待ち合わせしていた人とようやく会えた。彼は札幌の人で、2日前に上京していた。

「東京は除雪車がないし、こうなっちゃうと大変です。しかし、(東京では)チリトリで雪かきしてるの見ました? スゴイですよね?」

と言うと、

「もうそれは、事件です。土産話が出来ました」

と応えた。
私は、学生のとき、スキー場で4シーズン(1〜2ヶ月ずつ)アルバイトをしていたことがあり、雪かきは雪国レベルの経験がある。「事件です」には思わず笑った。スコップがないのは分かる。ホームセンターでも売り切れなのも分かる。でも、同じ状況でも雪国の人は、決してチリトリでは雪かきしない。

では何でするか。たぶん、板きれなんかを探してきてやるだろうなー、と思う。そして、チリトリしかない場合は雪かきしないだろう。

「北海道の雪は、こんなベトベトじゃなくてサラサラ。まぁ、春先はこういうときもあるけど、ほんの短い間です」

何人もの北海道の人から聞いたことがあるフレーズだった。
雪国の人のささやかなプライドに触れた気がした。

2014年2月3日月曜日

子供の靴を揃える

この間、自宅の玄関で、息子の靴が散らばってたのが気になった。私はそれがいつも気になるほど几帳面ではないのだが、そのときは気になったので、揃えた。そしてその行儀よく揃った靴を見たとき、一瞬、息子が襟を正したような錯覚に陥った。

おそらく、彼は、私が靴を揃えたことなどには気がつかず、揃えられた靴を無造作に履いていくことだろう。

ただ、それが何度も何度も続いたとしたら・・・・、とふと考えた。

そして、いつか靴を履こうとしたとき、それも特に急いでいるとき、「揃ってない靴」を足下に持ってきて履くとき(それはほんの些細なことだけれど)、ちょっとでも面倒だと感じたら、それまで靴を揃えてもらっていたことに気づくかも知れない。

子育てなんてそんなものかも知れない、と思った。私だって、似たようなことを親からしてもらっていた。今頃になって気づくのだが、そのおぼろげな記憶は、今の私を後押しする。

いつもとはいかないだろう。でも、気がついたら、いや、気になったら、その気持ちに素直に従って、子供たちの靴を揃えようと思う。そうしたら、もしかしたら、子供たちも誰かの靴を揃えるようになるかも知れない。