この間、自宅の玄関で、息子の靴が散らばってたのが気になった。私はそれがいつも気になるほど几帳面ではないのだが、そのときは気になったので、揃えた。そしてその行儀よく揃った靴を見たとき、一瞬、息子が襟を正したような錯覚に陥った。
おそらく、彼は、私が靴を揃えたことなどには気がつかず、揃えられた靴を無造作に履いていくことだろう。
ただ、それが何度も何度も続いたとしたら・・・・、とふと考えた。
そして、いつか靴を履こうとしたとき、それも特に急いでいるとき、「揃ってない靴」を足下に持ってきて履くとき(それはほんの些細なことだけれど)、ちょっとでも面倒だと感じたら、それまで靴を揃えてもらっていたことに気づくかも知れない。
子育てなんてそんなものかも知れない、と思った。私だって、似たようなことを親からしてもらっていた。今頃になって気づくのだが、そのおぼろげな記憶は、今の私を後押しする。
いつもとはいかないだろう。でも、気がついたら、いや、気になったら、その気持ちに素直に従って、子供たちの靴を揃えようと思う。そうしたら、もしかしたら、子供たちも誰かの靴を揃えるようになるかも知れない。
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