2018年6月27日水曜日

梅干し、土用前の土用干し(準備編)

 梅干しの仕込みのクライマックス、「土用干し」。カンカン照りの下、3日間行うのが一般的だ。梅を天日干しするタイミングが土用の頃が適していると、そもそもこの名前がある。しかし、私が感じるに、ここ数年の土用の頃の天気が差ほどよくなく、土用干しに苦労している。私が住む東京でのことだ。

これまでの私の感覚では、7月20日から25日ぐらいの学校の夏休みが始まる頃、梅雨が明け、7月末から8月初旬ぐらいまでの間、カンカン照りの日が続くというものだった。概ねこの頃が暦の上で夏の土用と重なる。しかしここ数年、梅雨明けが滅法早くて、7月初め。その後2週間ぐらいカンカン照りが続いて、「え〜、こんなに早く梅雨が明けて、この夏は暑い日が長くなりそうだ」との心配とは裏腹に、その後は結構雨や曇りが多くてそんなに暑くならない。カンカン照りが何日も続くことがほとんどないので、なかなか土用干しが出来ない、または途切れ途切れの土用干しとなる。東京では、7月末から8月初めに大きな花火大会が多いが、雨の中の決行もしばしばだ。

土用干しが出来ない、または長くかかるということは、梅が瓶の中に漬かったままになる時間が長くなるということ。そうなると、カビの心配が増すこととなる。

・・・・という訳で。

今年2018年は、思い切って、7月上旬に梅雨が明けるとの予想の下、7月上旬に干す計画を立ててみた。つまりは、その前段階の梅の塩漬け、そして赤ジソ投入のタイミングを少し早めた、とういことだ。

先週金曜日、しっかり白梅酢が上がったところで、赤ジソを投入し、赤ジソと梅が梅酢にギリギリ浸かる程度の重石をした。その5日後の今朝の状態が、冒頭の写真だ。しっかり赤ジソの成分・色が梅酢に移っている。一週間後ぐらいに、土用前だが土用干しをする予定なので、完全に重石を外した。それが下の写真。
こうすると、ご覧のように、赤ジソと梅が梅酢の水面から出てしまうので、その箇所がカビのキッカケになりやすくなるのだが、重石がのった状態だと、梅と梅がくっついて、そのくっついたところに赤梅酢がしみ込みにくくなる。だから、去年から土用干し前の最後の一週間に限って、重石を外すことにしている。こうすると、梅に赤ジソの成分がしっかり染みこみ、真っ赤になる。

これで、「土用前の土用干し」の準備は整った。

去年の最後の一週間の「重石外し」、そして、今年の「土用前の土用干し」。今年で、18年目になる私の梅干し仕込みだが、毎年、いろいろと試してみたくなることがある。もちろん、その梅干しを食べるための仕込みなのだが、試したいことがあるので、止められないという側面もある。

ちなみに、今年2018年の(夏の)土用は、7月20日から8月6日。この「土用前の土用干し」を、何と呼べばいいのか? うまい言葉が見つからないので、ちょっと長いけど、「土用前の土用干し」と呼ぼうと思う。

今年は、一週間後(7月初旬)の梅雨明けを前提にここまで来たが、そうなるとも限らない。一週間後に、改めて報告のエントリを書きたいと思っている。

次エントリ:梅干し、土用前の土用干し(土用干し編) (2018年7月3日)

参考:正統派・梅干しレシピ | 天日海塩 カンホアの塩

2018年6月1日金曜日

タマムシの物語

 タマムシと言えば、私が最初に思いつくのは、小学生のとき国語の教科書に載っていた「たまむしのずしのものがたり」。漢字がどうだったかは覚えてないが、音として覚えている。その物語の私の印象は、情景として薄暗い場所、湿気を感じるような空気感。そしてその物語の趣旨は、苦労に苦労を重ねて、その厨子が出来上がったということだったように思うが、どうだったろうか。私は、それを読んで、無数のタマムシの死骸を思い浮かべたという、趣旨とは違うひねくれた思いを持った記憶がある。

また、大人になって、おとぎ話のように記憶していた「たまむしのずしのものがたり」の玉虫厨子が実在のものだったことを改めて知って、不思議に思った記憶もある。さらに、その後、「たまむしのずしのものがたり」は、後付けで創作されたものなんだろうとも思った。

それにしても、多くの物語を教科書で読んでいながら、「たまむしのずしのものがたり」を覚えているのは例外的だ。どういう訳なのだろう?

「あっ、タマムシだ」

冒頭のタマムシの写真は、つい一週間ほど前に、うちの庭で撮ったもの。私は、東京の下町の生まれ育ちなので、その物語を読んだ子供の頃、本物のタマムシを見たことがなかった。クラスの仲間も皆そうだったと思う。それだけに、「タマムシって、どんなに美しいんだろう」と想像だけが膨らんだ。見たことのないものの想像というものは活発なものだ。特に文字からだけの想像は。日光の「想像の象」を思い浮かべる。それが例外的に「たまむしのずしのものがたり」を覚えている理由なのかも知れない。

友人の陶芸家、小野哲平の父親(すでに故人)の個展に行った際、小さな猿の置物の作品が気に入って買った。そのとき、親父さんは「私は、猿を作るとき、猿を(図鑑などで)見ないようにしています。これはそうして作りました」と言ってたのを思い出す。

さてさて、私なりに思い出深いタマムシ。庭で発見して驚いた私は、子供たちやカミさんにその興奮を伝えようとするも、全くにして、つれない。だいたいそういうものだと思いつつも、やっぱりやるせない。

すると、庭のタマムシ発見時は「たまむしのずしのものがたり」だった連想が、紙芝居のようにスルッと変わって、中学時代、親に買ってもらった学ランの裏地がタマムシ色だった連想にすり替わった。当時、学ランの裏地をタマムシ色にすることは、先進的な(平たく言えば、不良な)生徒たちの間で流行っていた。そんな風でない至って平凡だった私は、学校でそれが周りに知られないようにとビクビクしていた。その青く弱い心持ちを思い出したのだった。

タマムシに視線を移すと、風に揺れる新緑の萩の葉の裏に隠れようとしていた。