2012年3月27日火曜日

続・オシャレな新しいベトナム人


前回のエントリに続いて、オシャレな新しいベトナム人。

まずは冒頭の写真、カッコイー!
1954年製のベスパだ。このややグレイがかった水色。40〜50年前の日本の車の塗装にも似た色があった。たしかマツダのオート三輪にもあったような。この色の塗装を見ると、懐かしさとともに「いい色だな〜」との思いがじ〜んと湧いてくる。下の写真、スピードメーターの書体もかわいい。黄みがかったプラスチックの風合いもいい味だ。(メーターはすでに壊れてて、針は動かないらしい)


さて、このベスパ。ベトナムはサイゴンのとあるレストランの入口を入ったところに、さりげなく置いてあった。それはベトナム中部・ホイアン料理のレストランで、先のエントリに出てきた“CUC GACH QUAN”というレストランのすぐ近く。そして、下が、ここで注文したホイアン名物汁麺、カオラウだ。


ぶっかけうどん風で、汁が少ない。フォーと同じ米粉。小麦粉ではない。一番印象的だったのは、この麺の食感だ。フォー麺とは大きく違う。ザラザラした舌触り。そして少しコシがある。コシといっても小麦粉のようなグルテンのコシではなくムニっとした独特のコシ。そのせいか、食事感覚というよりスナック菓子感覚が強い感じ。スナック菓子とはいえ、甘い汁な訳じゃない。(カップ・ヌードルというよりはカップ・スターって感じ。分かるかなぁ?) また、私はホイアンには行ったことがないが、このレストランの料理は化学調味料をあまり感じなかった。入ってないか、入ってても極少量だ。これはベトナムでは珍しい。その点、前回のエントリのレストラン、“CUC GACH QUAN”と共通した感がある。決してギラギラしてなくて、素朴なおいしさだ。

店主にこの麺についてきいたところ、「“古い”米粉を使っている」とのこと。“古い”ってどういう意味だぁ〜? それ以上突っ込んできかなかったが、フォーの麺とは明らかに違う。

で、先のペスパ、店主のものだった。彼の写真は撮らなかったが、やはり「オシャレな新しいベトナム人」。小さめの黒縁のメガネをかけ、後ろで小さく結ばれたやや長めの髪、きれいに刈り揃えた口ひげ、東京にいても全く違和感のないこざっぱりした服装。私たちの帰り際、お昼時のピークが終わって、ベスパに話を振ったら、嬉しそうに笑顔で応じてくれた。

こうした「オシャレな新しいベトナム人」に会って感じるのは、この10年〜20年のベトナムの経済発展による社会の成熟さ、そして同時に、格差社会の予兆にも感じてしまう。

2012年3月23日金曜日

オシャレな新しいベトナム人

先週、ベトナムへ行ってた。15年ほどベトナムに通っているが、この15年のめまぐるしい変化を動的だとすると、今回は新しい静的な変化をしみじみと感じた。

ベトナムへ通い始めた頃は、さほど慣れていなかったということもあろうが、どんどん変わるモノや経済に目を奪われた。例えば、どんどん新しい大きなビルが建ち、どんどん新しいオートバイが増え、自動車も増え、道はよくなり、しゃれたカフェ、豪華なレストランも増えていった。そして、その頃お目にかかったお金持ちの人々は(町ですれ違うぐらいの人も含め)商売で成功したようなギラギラした成金的な人たちがほとんどだった。次に越僑さん(海外在住のベトナム人)かフランス人。この両者は物静かで決してギラギラしてない。越僑は主に海外で稼いだカネを地盤としていて、フランス人は仏領時代の名残りもあって、いまだにヴィラなどを持っていたりする。

でも最近は違う。


上の写真は、最近サイゴンで流行りのレストランのテーブル。天板のきれいなアンティーク・テーブル。陶器は全てソンベー焼、箸はココナツの木製、ブリキ製の箸立て、栓抜きは氷割りの形(ベトナムで古くから使われているアルミ製の氷割りを模したもの)。一般的なベトナム人が見たら、「(サイゴンで流行りのレストランなのに)何でこんな古くさいの使うの?」と目が点になること間違いなしだ。おまけにツマヨウジの器は、見てそれとすぐ分かるよう大きく欠けていた。店内のインテリアも古いモノばかり。テーブルが並んだ部屋へは、かがまないと通れないぐらい低い、仕切り壁の開口を通るつくりだ。従業員は英語で注文をとりにくるが、メニューはベトナム語。客は、抑えの利いたオシャレな服装で、控えめの声量の英語とベトナム語のチャンポンで会話していたりする。ちなみに料理の値段は通常の3倍ぐらいする。

てっきり経営者はフランス人か越僑さんかと思ったら、生粋のベトナム人だった。今の一般の日本人に、この感覚はなかなか分からないだろうが、生粋のベトナム人がこの感覚で商売する、そしてその類の(ギラギラしてない)ベトナム人がたくさん来店し、繁盛している・・・・私には10年前は想像すら出来なかったことだ。もちろん、これはほんの一握りのベトナム人だが、10年前は一握りのこの手のベトナム人に私はお目に掛かる機会さえなかった。今は、いわゆる富裕層が厚みを増してきたのだと実感する。


上の写真は、私たちが食べた料理。何の変哲もないベトナム料理だ。しかし、調理が丁寧で、優しい味つけが印象的。化学調味料も使ってないかも知れない。奥に見えるジュースのストローは、太めの空心菜の茎。(←これも一般のベトナム人にはかなりショックだろう) 写真を拡大してみよう。手前の豚肉のスライスが盛られたソンベー焼の皿は、ボロボロとフチが欠けてる。このソンベー焼は最近のと違い形がしっかりしている。10年以上前のものだ。もー、一般的なベトナム人は、驚いて椅子から転げ落ちるか、気が狂うかも知れない・・・・それは言い過ぎとしても、黙って言葉を失うだろう。


このレストランのコンセプトは、現代の在ベトナムのフランス人のセンスに寄るところが大きいと思う。一部のフランス人は、郊外のいいところにコロニアル風のヴィラを建て、ベトナムの昔のモノを活かしたインテリアや道具とともに暮らしている。それに似ているから。

日本で例えてみよう。そうだな、1960年代、破れたジーパンが初めて若者の間で流行ったときがある。それを見たほとんどの年配者たちは、「なぜ、わざわざボロをはく?」って、ビックリしたと思う。それのもっと極端なものかな。

下の写真がこのレストランの入口だ。重厚な木戸が半開きになっていて、最初、「営業しているのかな?」と思いながら恐る恐る中に入ると、店内はお客さんで大賑わいだった。もちろんこの扉の半開き加減もこの店の演出だ。


生活スタイルが画一的に変わっていくと、必ずと言っていいほど、そのアンチテーゼのようなスタイルが登場するのだ。ベトナムも例外ではなかった。15年前の私には、それが想像できなかっただけかも知れないが、今回この静かな驚きは私の心にしみじみと染みいった。

下記が、このレストランのインフォメーション。サイゴンの中心地に近いが、ポッカリと静かな裏路地沿いにある。もー、いい歳こいたおっさんの私は、ビックリだぁ〜。

CUC GACH QUAN
10 Dang Tat, Tan Dinh, Quan 1
Sai Gon
tel. 08-38 480 144

★「オシャレな新しいベトナム人」、続編もあります。

2012年3月6日火曜日

写真教室とボルシチ

「カンホアの塩」のサイトでは、カノウユミコさんの塩料理レシピを定期的にアップしている。そこで使っている写真はすべて私が撮ったもの。決していい写真とは言えないが、始めてもう5年たった。始めた当初は、「レシピとして伝われば・・・・」ぐらいの気持ちだったが、続けているうちに欲が出てきて、「もっと思うとおりに撮れないかな〜」と思うようになった。そう思い始めると、自分が撮った写真がとてもヘタクソに見えてくる。

そこで、カノウユミコさんのお誘いを受けて、去年の秋から月一回ぐらいのペースで、写真教室に通い始めた。実は昨日もあったのだが、教室の主催は、彼女のお店・仙。先生は久間昌史さん。nobuや菊乃井といった大御所の料理本の写真を撮った方でもある。

とまぁ、そんなこと始めると、何かとカメラ関連品が必要になってくる。その関係から、新宿西口のヨドバシカメラに何度か通うことになった。

先週末も修理が終わったフラッシュをとりに新宿へ。用事が済むと、その日はちょうど昼時だった。「どっかこのへんで昼飯っつったらどこかな〜」と、まだ寒さの残る空を見上げたら、30年ほど前に行ったロシア料理のレストランを思い出した。1回か2回しか行ってないが、おいしかった記憶があって、「また行きたいな」と淡く思いつつ30年が過ぎていた。それにしても、30年たって思い出すレストランってのも、そうはない。

とはいうものの、しつこいけど30年ぶり。「まだあるかな〜」と半信半疑だった。当時すでに老舗だったと思う。富士重工のビルだったのは憶えていたので、まずはそのビルの案内板を見た。

地下1階と2階、店名までなく、「スバル名店街」としかない。どれどれと歩き進むと、マクドナルドと大戸屋がドーンとあった。「この様子だと、もうなくなってるかな〜」と思いきや、ありましたー!

「ロシアレストラン スンガリー」

この入り口のイメージも、30年前当時のまま。30年前に1〜2度会っただけだけど、とても気のあった知人に再会したかのような気持ちになって、とっても嬉しかった。

そしてこれが外にあったメニュー。

木製の扉を開けて入ると、満席・・・・のように見えたが、「カウンターならお一人分あります」と、運良く座れた。

グルジア産の赤ワインをグラスで注文。すぐさま出てきたのがこのボルシチ。やさしい味で、ホッとする感じ。ディルがやんわり効いてる、ビーツがベースのスープだ。これに黒パンがついてくる。

私個人的には、30年ぶりの嬉しさも手伝って、ワインも黒パンもおかわりして、次のロールキャベツのオーブン煮込みを迎える。(おかわりはどっちも有料でーす)こっちもディルがほんのり効いてた気がする。あとはアニスかな(不確か)、何しろおいしゅうございました。(岸朝子さん風)

最後に、甘ーい何種類かのベリー系ジャムを口に含みながらすするルシアンティー。ほろ酔い気分で、新宿西口の雑踏も気にならず、帰路についた。

写真教室に通ってなかったら・・・・、ヨドバシカメラが昼時じゃなかったら・・・・、お店がなくなってたら・・・・、カウンターの1席が空いてなかったら・・・・、いろんな偶然が重なって、30年ぶりに再会したこのボルシチは身も心も温まるおいしさだった。

2012年3月2日金曜日

東京の雪、雪国の雪


一昨日の早朝から半日、私の住む東京に雪が降った。1ヶ月ほど前も雪降りの日があったが、そのときは氷点下の中降ったから、東京の雪としては珍しくサラサラで、雪ダルマが作れなかった。

昨日の雪は東京らしい牡丹雪。2℃ぐらいの中の雪だったから、ベタベタ雪で簡単に雪ダルマができた。前夜から予想できたので、いつもより1時間早く起きて、子供2人と雪ダルマを作った。ベタベタ雪で、手袋やヤッケはビショビショになったが、子供たちは興奮して雪を重ねた。

東京生まれ東京育ちの私も、子供の頃、「雪→雪ダルマ」という発想だった。雪が降っても雪ダルマを作れなきゃおもしろくない。雪ダルマが作れるほどの雪は、東京では何年かに1度のチャンスだから、いろんな不具合は全く気にならず、楽しみが上回る。

これはもちろん雪の少ない地域だからこその話。雪の日、東京の道ばたの雪ダルマの数は、雪国に比べ、断然多い。

二十歳頃、スキー場のロッジで何シーズンか泊まり込みのアルバイトをしていた。親しくなった同じ年頃のそこの息子さんが、2月の終わり頃のゲレンデで、遠目に見える山をストックで指して私に話してくれたことを思い出す。

「山が黒くなったろー。(針葉樹の葉に積もった雪が落ち、その濃い色の葉が露出して黒く見える) あとひと月ぐらいすると、今度は(ずぅーっと雪に覆われてた足下の)地面の土が、少しだけ見えるときがあるんだ。それが嬉しいんだよ。分かる?」

そこはスキー場だったから、雪が消えることはスキー客がいなくなることを意味する。私は、それって寂しいことじゃないかなと思っていたから、とても意外な話だった。

さて、東京の雪は、2月〜3月が多い。一昨日が2月29日だったから、もう一度ぐらい降るかも知れない。12月〜2月の東京は、晴天の下の放射冷却で、肌を刺すような乾燥した北風が寒いが、2月〜3月になると少しずつその西高東低の気圧配置が崩れ始める。そして、雲が発生し、雪や雨が降る。この三寒四温の候、「寒」のときに雪が降る。雪国と違い、東京の雪は、「春はもうすぐだよ」と告げているのだ。

東京の子供たち、そして朝起きてカーテン開けると広がる一面の雪景色を楽しんでいる大人たちにとって、東京の雪は、歳時記上「春」であり、その訪れを喜んでいるように感じる。

一昨日の雪降りから一転、昨日は暖かな一日だった。冒頭の写真の雪ダルマもすっかり姿を変えてしまったが、子供たちはそれを悲しむことはない。