私は東京生まれの東京育ち。関西は京都界隈に2年ほどいたことがあるが、大阪は全く知らない。そんな大阪に、先月、出張した。一人で夕方以降に時間が出来て、その日は泊まり。これはどっかで一杯やらないとと思って、なんば駅から戎橋筋のアーケードを抜けて道頓堀へ。繁華街をしばらくウロウロした。冒頭写真の「道頓堀」というネオンが、大衆的な懐かしさを醸し出していて、「これ大阪っぽいな」と、勝手に思った。
歩きながら、「昔、『道頓堀川』っていう映画があったよなー」とか、「道頓堀劇場っていうストリップがあったよな、あ、あれは渋谷かぁ」とか、「大阪八百八橋って言うよなー」とか、「阪神が優勝すると、飛び込むのはこの橋からなんだな」とか、すっかりお上りさん気分に浸りながら、歩いていると、やや古びたように見える、ふぐ屋さん。店構えからこの店に決めた。ふぐ料理「与太呂」東店。
「一人なんですが」と入り、様子をうかがっていると、「こちらのカウンターでも、奥のテーブル席でも、どちらでもいいですよ」と声を掛けてくれた。入口すぐの細長いスペースに5〜6人のカウンター。広くなってる奥には、テーブル席が10ほどあっただろうか。テーブル席は常連客で埋まっている雰囲気だったし、「東京から来た心細い一見のひとり客」ということ、そしてテーブル席より仲居さんと少しは話しがしやすいかもと思い、他の客がいないカウンター席についた。
目の前に壁に「ふぐ料理」と題したメニューがかかってる。
ちりなべ 5,080円
お造り 2,480円
おぢや 390円
清酒 白精上撰 350円
ビール(中) 500円
何とこれだけ。
「ちりなべ、お造り、それとビールお願いします」。
それを仲居さんが厨房に注文を通すのだが、ひとこと、「両方!」。(笑)
そうだなー。メニューこれだと、選択肢は「なべ」、「お造り」、「両方」の3つしかない。
ビールを飲み終わった頃、てっさが出てきてた。あわててお燗を注文。「ヒレにしますかー?」と言われたが、ふぐ自体を味わうには、ヒレにしない方がいいように思って、普通のお燗。
すごいボリューム。お造りにしても、トウトウミにしても、東京の1.5倍から2倍はあるような・・・・。そして、薄くない薄造り。鯛や平目より少し薄いぐらいだ。ん〜、うまい。薄いと少しのふぐを大事に食べる感じになるが、この厚さだと「うまいものをしっかり食う」という感じになる。「スッゲーなー、これが大阪のふぐってことか」とちびちび飲んでると、なべ登場。
これがまたスゴイ量。(写真がどれも食べかけです)
脇役のポン酢・アサツキ・紅葉おろしが、上品な感じじゃなくていい。甘味がほとんどなくて出汁なんかが利いてないシンプルなポン酢に、アサツキ・紅葉おろしをドサッと加える。他店だが。ときどき出汁がしっかりきいた甘めのポン酢がふぐと一緒に出てくるが、あれはいけない。こういうのでないと。そしてこういったふぐはもちろん、ポン酢が「大阪では、ふぐは高級品じゃなくて、みんなのものだよ」と主張している気がする。うまい。うまいが、なべの後半は、何とかこれを平らげないと、「おぢや」にたどり着けないという思いでいっぱいだった。「ふぐは、おじやが一番おいしい」が今は亡き私の父の見解だった。
そして、何とか「おぢや」を注文。
おぢやを作ってもらうとき、化学調味料が使われることが多いので、一見客とは言え、そこだけは言わせてもらった。
「あのー、化学調味料が苦手なので、塩だけで味付けしてもらえますか?」
「そうなのよね。私も家では使わないんだけど、ここでは(何も言われなければ)使うのよね。(あなたの言うこと)分かりますぅー」
あー、よかった。そして、何とか「おぢや」まで食べ尽くした。しばらく動けない。
それにしても、この上ないシンプルなメニュー。カウンター席だったので、一応きいてみた。
「メニューが分かりやすいですね。余計なこときくようですが、まさか、頼めば白子や唐揚げがあるなんてことないですよね?」
「ありません。うちはこれだけなんですよー、すみませんねー」
「やっぱ、そうですよね」
まー、何しろ、ふぐ屋さんというと、東京では敷居が高いし、値段も高い。(最近は、安いチェーン店があるが、それも高いことの裏返しだ) 「大阪のふぐ」と話しには聞いていたが、本当に食い倒れた。
お会計は、ちょうどメニューを全部ひとつずつ頼んで、8,800円也。ただ、これは二人でちょうどいい量だということを言っておかねばならない。
会計の際、「東京から来たんですけど、東京の倍の量ですね」と言うと、「みなさん、そうおっしゃいますぅー」と軽く返された。「たらふくご馳走になりましたぁー」。これで私の慣れない上方の会話が成り立ったんであろうか。
ええかっこしいの東京のふぐ。「うまいもんは腹一杯食う」大阪のふぐ。しょっちゅう食べる訳ではないので、ちまちま頂く東京のふぐもいいのだけれど、もっと身近で気軽に腹一杯食うふぐの方が王道だな。
ところで、このふぐ屋さん、夏場も同じメニューでやっているのだろうか。それ、聞くの忘れた。でもやってそうな気がする。同じメニューでね。
2016年12月16日金曜日
ベトナム人で、日本を想う
外国に行くと、「日本(の特異なところ)が見えてくる」なんてことが、よく言われる。私自身の経験からしても、それは本当にそう思う。これは、普段、「当たり前」と(空気のように)意識もしていないことが、外国へ行くと「当たり前」でも何でもないことに気がつき、「あれー」となって、「日本の特異なところ」として認識する、というようなことだと思う。いい意味でも悪い意味でも。それは外国人が日本に来ても同じこと。外国に行かずとも、それを感じた外国人と接っすると、それを経験できるときがある。
先のエントリで、ベトナム人の知人と、一週間日本旅行したことを書いた。
京都の町をタクシーで走っていると、「あれー、道路にゴミが落ちてない」とベトナム人は驚く。たしかに、ベトナムの町にはゴミが散らかっている。夜になると、人々は、ポリ袋に入ったゴミをポンと道路に捨てる。何度かそんな光景をを見た私は、最初は「ん?」と、思ったものだ。それから何年かして、夜中に車でベトナムの町を走っていると、すっかり道路のゴミがなくなっていて、驚いたことがあった。もう少し走ったら、その訳が分かった。その先で、清掃車が道路のゴミを回収しながら走っていた。
ベトナムの町では、日本のようなゴミ捨て場がない。人々はどこにゴミを捨てるかというと、大きな道路なのだ。いわば大きな道路は、公のゴミ捨て場なのだ。そこにもちょっとしたマナーがある。真夜中の回収がしやすいように、ポリ袋などに入れて、道路の端に、夜寝る前などに、ゴミを捨てる。だから、朝は道路がキレイになっているのだが、それまでは景観はあまりよくないかも知れない。でも、そのシステムを知ってからは、これはこれで効率的なゴミ回収システムだと思った。人通りが多い真っ昼間にはあまりゴミを捨てないが、捨てるときもあろう。そんな緩〜いシステムなのだ。この緩さ故に、ベトナムの南国的なおおらかさがあるのだと思う。また、粗大ゴミなどのリユース・リサイクルは促される。
さて、一週間の日本旅行に話しを戻そう。京都から東京に移動した私たちは、東京の町をタクシーで走っていた。するとそのベトナム人は、「あれ、京都では道路にゴミが落ちてなかったが、東京は落ちているな。これはどうしてだ?」と質問した。窓の外を見ると、イチョウなど色づいた街路樹の葉が道路の端に吹きだまっていた。11月半ば過ぎのことだ。「京都では、あまり風がなかったけど、東京では夕べ強い風が吹いたでしょ。それで木の葉が落ちただけだよ」と、当たり前のような答えをしたが、それに納得する様子もなく、「京都の方がきれい好きだ」と思ったようだった。落ち葉はこの季節の風情に感じるが、考えてみると、熱帯のベトナムでは秋になって葉が落ちるということはないのだ。
我が家に来たときも似たようなことがあった。すっかり葉が落ちて草花も静かになった庭(冒頭の写真)を見て、「もっと、こんもり植木を植えた方がいい。これじゃあまりに寂しい庭だ」とアドバイスをくれた。「いや〜、もう冬だからね。今はこのぐらいがいいと思っているんだけど・・・・」と答えたが、その意味は伝わったのかは分からない。松の木や椿はないので、たしかに寂しいかも知れないが、晩秋の枯れかけの小菊や真っ赤な葉が何枚か残ってたブルーベリーの木など、量からすれば少しだけど、この季節なりの表情は見せてくれている。私にとっては、それもまたこの季節の趣なのだが、こういったことを一週間の滞在で分かってもらうのは難しいことだと思った。「これでも春から夏の草取りは大変なんだよ」と言えばよかったか。
「東京のエスカレータは、左側に立ってね」、「日本の町中では、煙草はどこでも吸えないよ」、「車は左側通行だから、道を渡るときは、右から見てね(ベトナムは右側通行)」などなどは、一言で説明がつくが、食べ物を含んだ季節感については、説明が難しい。
四季の中で暮らしている人間は、知らず知らずのうちに、それなりの感覚が根付いているんだなあ。それは雨期と乾期の熱帯の人たちに根付いている感覚があるのと同じように。そう思うと、まだまだ私が知らないベトナムのことがたくさんあるように思えた。
きっと、広く、人と人の間の誤解なんて、こんなことなんじゃないかと思う。
先のエントリで、ベトナム人の知人と、一週間日本旅行したことを書いた。
京都の町をタクシーで走っていると、「あれー、道路にゴミが落ちてない」とベトナム人は驚く。たしかに、ベトナムの町にはゴミが散らかっている。夜になると、人々は、ポリ袋に入ったゴミをポンと道路に捨てる。何度かそんな光景をを見た私は、最初は「ん?」と、思ったものだ。それから何年かして、夜中に車でベトナムの町を走っていると、すっかり道路のゴミがなくなっていて、驚いたことがあった。もう少し走ったら、その訳が分かった。その先で、清掃車が道路のゴミを回収しながら走っていた。
ベトナムの町では、日本のようなゴミ捨て場がない。人々はどこにゴミを捨てるかというと、大きな道路なのだ。いわば大きな道路は、公のゴミ捨て場なのだ。そこにもちょっとしたマナーがある。真夜中の回収がしやすいように、ポリ袋などに入れて、道路の端に、夜寝る前などに、ゴミを捨てる。だから、朝は道路がキレイになっているのだが、それまでは景観はあまりよくないかも知れない。でも、そのシステムを知ってからは、これはこれで効率的なゴミ回収システムだと思った。人通りが多い真っ昼間にはあまりゴミを捨てないが、捨てるときもあろう。そんな緩〜いシステムなのだ。この緩さ故に、ベトナムの南国的なおおらかさがあるのだと思う。また、粗大ゴミなどのリユース・リサイクルは促される。
さて、一週間の日本旅行に話しを戻そう。京都から東京に移動した私たちは、東京の町をタクシーで走っていた。するとそのベトナム人は、「あれ、京都では道路にゴミが落ちてなかったが、東京は落ちているな。これはどうしてだ?」と質問した。窓の外を見ると、イチョウなど色づいた街路樹の葉が道路の端に吹きだまっていた。11月半ば過ぎのことだ。「京都では、あまり風がなかったけど、東京では夕べ強い風が吹いたでしょ。それで木の葉が落ちただけだよ」と、当たり前のような答えをしたが、それに納得する様子もなく、「京都の方がきれい好きだ」と思ったようだった。落ち葉はこの季節の風情に感じるが、考えてみると、熱帯のベトナムでは秋になって葉が落ちるということはないのだ。
我が家に来たときも似たようなことがあった。すっかり葉が落ちて草花も静かになった庭(冒頭の写真)を見て、「もっと、こんもり植木を植えた方がいい。これじゃあまりに寂しい庭だ」とアドバイスをくれた。「いや〜、もう冬だからね。今はこのぐらいがいいと思っているんだけど・・・・」と答えたが、その意味は伝わったのかは分からない。松の木や椿はないので、たしかに寂しいかも知れないが、晩秋の枯れかけの小菊や真っ赤な葉が何枚か残ってたブルーベリーの木など、量からすれば少しだけど、この季節なりの表情は見せてくれている。私にとっては、それもまたこの季節の趣なのだが、こういったことを一週間の滞在で分かってもらうのは難しいことだと思った。「これでも春から夏の草取りは大変なんだよ」と言えばよかったか。
「東京のエスカレータは、左側に立ってね」、「日本の町中では、煙草はどこでも吸えないよ」、「車は左側通行だから、道を渡るときは、右から見てね(ベトナムは右側通行)」などなどは、一言で説明がつくが、食べ物を含んだ季節感については、説明が難しい。
四季の中で暮らしている人間は、知らず知らずのうちに、それなりの感覚が根付いているんだなあ。それは雨期と乾期の熱帯の人たちに根付いている感覚があるのと同じように。そう思うと、まだまだ私が知らないベトナムのことがたくさんあるように思えた。
きっと、広く、人と人の間の誤解なんて、こんなことなんじゃないかと思う。
2016年12月13日火曜日
旅の土産は、400〜500人分
旅行に行って、義理土産を探し回るほど、煩わしいものはない。
こないだ、長らく世話になった「カンホアの塩」生産者の代表が退職間近ということで、彼と彼の鞄持ちの二人のベトナム人を日本に招待し、一週間の旅行を一緒にした。初めての日本ということで、京都→富士山→東京。コース・内容ともに超ベタだったものの、紅葉ど真ん中の京都や、部屋から富士山がでーんと一望できる旅館などに泊まった。こんなこともないと、こんな旅行は私にはないだろうと思った。
近頃、日本への外国人観光客が多いことは、知っていたものの、一緒に行動すると、「へぇー」ということがあるものだ。3年ほど前、イタリア人の旧友と日本を旅行したことがあったが、「外国人観光客」と言っても、イタリア人とベトナム人ではずいぶん違う。それもまた、いとおかし。
1.外国人観光客で、京都の一番人気スポットは、伏見稲荷
ネットでちょっと調べれば分かることだが、そういうことだったので、連れて行った。私にとっても初訪問。訪問者の8割方が外国人。あの千本鳥居と呼ばれる朱色の鳥居のトンネルが印象的なんだと思う。でもそのベトナム人二人は、途中で飽きてしまって、ちょうど中間地点ぐらいで、「もう、鳥居はいらない」と言い出した。すごい人数が列になって歩くので実質的に一方通行。ただ進むしかなかった。それにしても、
観光地、どこへ行っても、外国人
「今や外国人観光客がいないと、京都(の観光産業)は潰れます」とは、タクシーの運転手さんのお話だが、本当にそうだ。
2.河口湖畔の旅館の宿泊客の9割は外国人
旅館の方に質問したときのお答え。「週末は半分以上日本人になることが多いが、平日は9割は外国からのお客様です」とのこと。外国人観光客は、わざわざ料金割高な週末なんかに泊まらない。週末は、その日しか休みの取れない日本人が多くなるということだ。平日の五合目にも行ったが、8割は外国人観光客(アジア系多し)だったなぁ。
3.なんつったって、お土産がスゴイ
中国人観光客の「爆買い」と言われて久しいが、今回連れだったのは、ベトナム人。それもホーチミンなど都会のベトナム人ではなく、田舎のベトナム人だった。冒頭の写真は、彼らのお土産リストなんだが、リストになるのは、親しい人向けのお土産だけなので、これはほんの一部ということになる。私は、質問した。
「あなたたちは、いったい何人分のお土産を買おうとしているの?」
「全部でだいたい400〜500人ぐらい」
ぶったまげた。
最近、驚くことが少なくなってきちゃったなと思っていたが、これには久しぶりに驚いた。ぶったまげたが、その答えをにわかに信じられなかった私は、さらに質問。
「それは例えばどんな人たちなの?」
「会社の全従業員(およそ300人、詳しくは同じ会社でも、親しい人、遠い関係の人といろいろだが)、家族・親類はもちろん、自宅の近隣の人たち、知人・友人・・・・。周りの人たちを、幸せにしたいんだ」とは、この旅行の主役であるその代表者の話。
無論、お土産にもランクがあって、それがピラミッド型になっている。その底辺の300〜400人ぐらいの人たちには「(お印程度の)ちょっとしたもの」でいいらしい。しかし、大変なのは、(不公平感が出ないように)同じものということ。例えば、キーホルダーにしても、全く同じもの300個となると、ひとつの店にはなかなかない。そして、「made in Japan」と明記されてないとならない。「えー、そんなお印程度の安いもので、日本製なんかあるのかなー」と思ったが、これがあるのだ。
秋葉原のヨドバシカメラなど、外国人客の多い量販店に行くと、一膳100〜200円ぐらいの箸で、パッケージにでっかく「made in Japan」とか印刷されたものがあったりする。売る側も、買う側の事情をよく知ってて、その手の商品が並んでいるコーナーがあったりするのだ。見るからに、中国で作って日本で袋詰めしたかのような体裁で、とても「ちゃち」なものだけど、それを買うベトナム人は、その「ちゃち」さは十分承知していながらも、「これでないといけない」ということなのだ。お土産は、それがたとえどんなものであっても「せっかく日本に行ったのだから、中国製のものを買って帰っては馬鹿にされる」ということらしい。「同じ中国製でも、日本への輸出品と、中国国内向けの品物は違うと思うよ」と言う私の意見は通らない。
そして、家族など特に親しい人たちへのお土産も、これはこれで大変だ。その要求にはかなりのこだわりがあって、例えば、化粧品。「○○堂のコレ」などピンポイントで商品の外観写真などの指定があって、ちょっとでも違うといけないらしい。「そんなの発売時期がずれているせいで、少しパッケージが変わってるだけだよ」と言う私の意見は通らない。
この旅行に招待したのは、退職間近の代表者(主役)とその鞄持ちさん(脇役)なのだが、鞄持ちさんが必要なのがお分かり頂けたと思う。慣れない土地で青ざめながら奮闘してた彼が一番大変だった。彼は、京都や富士山など旅行の前半からお土産のことで頭がいっぱいで、そんな彼に私は「荷物になるから、お土産は最後の東京の二日間で買えばいいよ」と言っていたが、最初の二日間ぐらいでお土産ショッピングを済ませた方がよかったように、結果的に思った。写真のリストは、東京に着いてから見せてもらった。
まー、そんなあんなで、一週間の最後の二日間の東京滞在は、54年ぶりに降る11月の雪もあって、苦行のようだった。見渡す限りの見事な紅葉の清水も、雨に濡れて色っぽかった竜安寺の庭も、そして日の出前のぼんやりとした光の中に薄っすらと浮かび上がった窓枠いっぱいの富士山もぶっ飛ぶような、二日間の買い物でした。ジャン、ジャン。
こないだ、長らく世話になった「カンホアの塩」生産者の代表が退職間近ということで、彼と彼の鞄持ちの二人のベトナム人を日本に招待し、一週間の旅行を一緒にした。初めての日本ということで、京都→富士山→東京。コース・内容ともに超ベタだったものの、紅葉ど真ん中の京都や、部屋から富士山がでーんと一望できる旅館などに泊まった。こんなこともないと、こんな旅行は私にはないだろうと思った。
近頃、日本への外国人観光客が多いことは、知っていたものの、一緒に行動すると、「へぇー」ということがあるものだ。3年ほど前、イタリア人の旧友と日本を旅行したことがあったが、「外国人観光客」と言っても、イタリア人とベトナム人ではずいぶん違う。それもまた、いとおかし。
1.外国人観光客で、京都の一番人気スポットは、伏見稲荷
ネットでちょっと調べれば分かることだが、そういうことだったので、連れて行った。私にとっても初訪問。訪問者の8割方が外国人。あの千本鳥居と呼ばれる朱色の鳥居のトンネルが印象的なんだと思う。でもそのベトナム人二人は、途中で飽きてしまって、ちょうど中間地点ぐらいで、「もう、鳥居はいらない」と言い出した。すごい人数が列になって歩くので実質的に一方通行。ただ進むしかなかった。それにしても、
観光地、どこへ行っても、外国人
「今や外国人観光客がいないと、京都(の観光産業)は潰れます」とは、タクシーの運転手さんのお話だが、本当にそうだ。
2.河口湖畔の旅館の宿泊客の9割は外国人
旅館の方に質問したときのお答え。「週末は半分以上日本人になることが多いが、平日は9割は外国からのお客様です」とのこと。外国人観光客は、わざわざ料金割高な週末なんかに泊まらない。週末は、その日しか休みの取れない日本人が多くなるということだ。平日の五合目にも行ったが、8割は外国人観光客(アジア系多し)だったなぁ。
3.なんつったって、お土産がスゴイ
中国人観光客の「爆買い」と言われて久しいが、今回連れだったのは、ベトナム人。それもホーチミンなど都会のベトナム人ではなく、田舎のベトナム人だった。冒頭の写真は、彼らのお土産リストなんだが、リストになるのは、親しい人向けのお土産だけなので、これはほんの一部ということになる。私は、質問した。
「あなたたちは、いったい何人分のお土産を買おうとしているの?」
「全部でだいたい400〜500人ぐらい」
ぶったまげた。
最近、驚くことが少なくなってきちゃったなと思っていたが、これには久しぶりに驚いた。ぶったまげたが、その答えをにわかに信じられなかった私は、さらに質問。
「それは例えばどんな人たちなの?」
「会社の全従業員(およそ300人、詳しくは同じ会社でも、親しい人、遠い関係の人といろいろだが)、家族・親類はもちろん、自宅の近隣の人たち、知人・友人・・・・。周りの人たちを、幸せにしたいんだ」とは、この旅行の主役であるその代表者の話。
無論、お土産にもランクがあって、それがピラミッド型になっている。その底辺の300〜400人ぐらいの人たちには「(お印程度の)ちょっとしたもの」でいいらしい。しかし、大変なのは、(不公平感が出ないように)同じものということ。例えば、キーホルダーにしても、全く同じもの300個となると、ひとつの店にはなかなかない。そして、「made in Japan」と明記されてないとならない。「えー、そんなお印程度の安いもので、日本製なんかあるのかなー」と思ったが、これがあるのだ。
秋葉原のヨドバシカメラなど、外国人客の多い量販店に行くと、一膳100〜200円ぐらいの箸で、パッケージにでっかく「made in Japan」とか印刷されたものがあったりする。売る側も、買う側の事情をよく知ってて、その手の商品が並んでいるコーナーがあったりするのだ。見るからに、中国で作って日本で袋詰めしたかのような体裁で、とても「ちゃち」なものだけど、それを買うベトナム人は、その「ちゃち」さは十分承知していながらも、「これでないといけない」ということなのだ。お土産は、それがたとえどんなものであっても「せっかく日本に行ったのだから、中国製のものを買って帰っては馬鹿にされる」ということらしい。「同じ中国製でも、日本への輸出品と、中国国内向けの品物は違うと思うよ」と言う私の意見は通らない。
そして、家族など特に親しい人たちへのお土産も、これはこれで大変だ。その要求にはかなりのこだわりがあって、例えば、化粧品。「○○堂のコレ」などピンポイントで商品の外観写真などの指定があって、ちょっとでも違うといけないらしい。「そんなの発売時期がずれているせいで、少しパッケージが変わってるだけだよ」と言う私の意見は通らない。
この旅行に招待したのは、退職間近の代表者(主役)とその鞄持ちさん(脇役)なのだが、鞄持ちさんが必要なのがお分かり頂けたと思う。慣れない土地で青ざめながら奮闘してた彼が一番大変だった。彼は、京都や富士山など旅行の前半からお土産のことで頭がいっぱいで、そんな彼に私は「荷物になるから、お土産は最後の東京の二日間で買えばいいよ」と言っていたが、最初の二日間ぐらいでお土産ショッピングを済ませた方がよかったように、結果的に思った。写真のリストは、東京に着いてから見せてもらった。
まー、そんなあんなで、一週間の最後の二日間の東京滞在は、54年ぶりに降る11月の雪もあって、苦行のようだった。見渡す限りの見事な紅葉の清水も、雨に濡れて色っぽかった竜安寺の庭も、そして日の出前のぼんやりとした光の中に薄っすらと浮かび上がった窓枠いっぱいの富士山もぶっ飛ぶような、二日間の買い物でした。ジャン、ジャン。
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