2022年5月11日水曜日

円通寺の時間


30年以上前になるが、京都は岩倉を中心に、2年程暮らしたことがある。滞在していたアパートの近くに円通寺というお寺さんがあり、何度か出掛けた。目的は、主に枯山水の庭。季節によって表情が変わるが、いつ行ってもいい。おそらく、私が一番好きな庭だ。

その京都に3週間前に出張があった。その際、たまたま先方の都合で、半日と一日の空き時間が出来た。これはチャンスとばかり、最初の半日の午後に円通寺へ向かった。10年ぶりぐらいだったが、周りの道路や境内の様子がすっかり変わっていていた。以前はなかった立派な新しい石の壁が続く。私の他に参拝者の気配はなかったが、経験上、それは全く珍しいことではなかった。しかし、前とはずいぶん立派になった入口の門に到着すると、冒頭の写真。

ナント、開いてない。
「毎週水曜日、拝観休止」
という札が掛かっている。

もー、ショック、ショック、大ショック。
よりによって10年ぶりに訪れた日がピンポイントで拝観休止日だなんて・・・・。10年の月日は、拝観休止日の記憶を私から吹き飛ばしていた。諦めるほか道はない。傷心の思いで、市内在住の友人宅へ向かった。到着すると、その友人は、たまたま翌日午後の仕事がなくなったと言う。そして、「じゃあ、明日午後、(車で)円通寺行くか?」ときかれ、私は即、首を縦に振った。私には、翌日もう一日休みがあったが、閉ざされた門を目の前にしたショックで、私はその翌日再び足を向ける気になっていなかった。しかし、車でポンと連れてってもらえるとなれば、話は別だ。その友人も円通寺には興味があったらしく、有り難くも、車で連れて行ってもらうことになった。

前日の余りの悔しさとこの日の嬉しさとで、意地になって撮りたくなった、翌日午後の写真が下。

間違え探しというほどでもないが、前日固く閉ざされていた大きな木戸と右手の鉄柵が開いている。こーでないといけない。

と、ここまで、前置きが長くなった。

この日の午後の庭は、下記の写真。(庭に向けてのカメラは許可されています)
先に「周りの道路や境内の様子がすっかり変わっていていた」と書いたが、さすがに庭はそのまま。
何と美しいことか。
比叡山が霞んでいる。
この庭自体はもちろん、借景と呼ばれる比叡山を中心とした庭の背景も含め、この庭が造られたとき(江戸時代初期)から変わらないという。現代に、そんなことがあっていいのか、とも思うが、それを守り続けている人たちがいるということだ。詳しくは知らないのだが、この庭をこよなく愛する私にとっては、こんな有り難いことはない。

少し意地悪なことを言うと、霞んでないときは、比叡山のテッペンにある(江戸時代初期にはなかったはずの)建物が若干見えるのだが、このときは霞んでいたので、「ちょうど」それも見えない。

季節柄、新緑が目を引く。ここの枯山水は砂利ではなく、苔が敷き詰めてある。スギゴケだ。およそ半分ぐらいの面積のスギゴケが枯れていて、そこに等間隔にスギゴケの苗が植えられているように見える。そのエリアにはちょうど水が溜まっているので、低い場所のスギゴケが枯れているのか。詳しくは分からないが、スギゴケのシートを貼って修復するということは、しないことは分かる。

竜安寺と違い、石の配置は、左手側に固まってある。この感覚も好きだ。また上の写真で分かるとおり、庭の奥の垣根の前後に、まっすぐ伸びた桧が4本植わさっている。太い桧だ。視覚的に、この庭の強烈なインパクトになっている。この庭は、300年以上前からあるから、これらの桧は、後から植えられたことになるのだろうか。この写真の外側になるが、左手には、樹齢何百年かはありそうな、楠の巨木も植わっている。さすがに百年単位となると、樹木の成長による太さ高さの変化は、庭の景色という面でも影響が出てくる。「変わらない」ということはこの世にないことを教えてくれる。この場合、「生きている」と言った方が適しているか。

この日も庭に面した広い部屋には、先客がひとりいただけ。10分もすると、その人も去り、私たちだけになった。私たちは各々の気分で座る位置を変えたり、立ち上がってみたりと、この庭を30分ぐらい、ただボーッと眺めていた。

そして、この日は、裏庭(中庭?)。

ここは撮影出来ないので写真がないが、数種類の品種のツツジが咲き乱れていた。一般的に、ツツジというと、公園なんかの植え込みになってる濃いピンク色の花が咲く刈り込まれたものを私は思い起こすが、この裏庭のツツジは、別世界。淡い色のいろいろなツツジの花。花の高低や枝振りにメリハリがあり、それでいて全体的にはフワッとした華やかさを感じるという絶妙な剪定だ。表の枯山水を眺めた後の、この華やかさは格別だった。

思えば前日は、ショックで再び来る気は失せていた。「一寸先は闇」と言うが、分からないものだ。連れてきてくれた友人も喜んでくれてたし。めでたし、めだたし。

それにしても、この円通寺。庭もさることながら、拝観者が少ない(しばしばいない)ところがいい。竜安寺の枯山水を、もしも、一人であちこち座る位置を変えながら、一番好きな場所を見つけ、飽きるぐらいまでゆっくりと眺められたら、きっとそれもいいだろう。しかし、現実には難しいでしょ。しかし、この円通寺は、平日なら、他の拝観者がいないか、いたとしても少数だから、しばらくすると一人になれることが多い。(一度、紅葉の頃来たとき、十数人の拝観者が途切れなかったときがあったから、例外もある)

庭の一番の魅力は、静かにゆっくりと、眺める時間そのものだ。円通寺は、それを与えてくれる。ただし、水曜日以外ね。お気をつけあれ。