2017年1月26日木曜日

塩資源としての海水(3)海に戻る成分と岩塩・湖塩

先のエントリ「塩資源としての海水(2)」の続き。

海水を今後、500年間、現在のように使い続けると、地球上の全海水の0.001%を使う、そして50年間では、0.0001%使うことになる。

と、先のエントリでは試算した。ただし、これらの試算は、海水を一方的に使う場合のもので、雨や河川などで海に戻っていく成分は考慮されていない。また、現在地球上の人間が使う塩の4分の3を占める岩塩・湖塩のことも考慮していない。

それは、雨や河川で海に戻っていく成分を把握するのはなかなか難しいだろうし、岩塩・湖塩の埋蔵量や今後新たに出来る岩塩・湖塩を推量することも困難だからだ。

しかし、いろいろ思いを巡らせたり想像することは出来る。「想像」だからこれらについての試算はない。ただ、先のエントリで試算した数字の肉付けとして必要と思われるので、その「想像」を記してみたいと思う。

まずは、「雨や河川で海に戻っていく成分」について。

2つ前のエントリ、「塩資源としての海水(1)」でも書いたがことを、改めて下記に引用する。

「海水塩を作るために消費する海水」の成分。そして、「雨や河川から海に供給される水」の成分。理論的には、これらがイコールならば、確かに「海水の成分は変わらない」ということになる。しかし、イコールだろうか? いや、イコールではないハズだ。雨や河川の成分は、主に人間の生活スタイルの変化とともにどんどん変化しているハズだからだ。

海水から作った塩が、雨や河川によって海に戻っていっていれば、「海水を消費する」という一方通行ではなく、持続可能な循環になる。おそらく、人類が昔のように、塩を食用として使うだけならば、(糞尿などで)結局は海に戻っていくような気がする。しかし、現在の日本のような下水(+汚水)処理システム下だと、どうなんだろうか。楽観的にみれば、汚水は有機物をたくさん含むだろうから、その有機物が処理されてミネラルだけが残った処理後の水が海へ戻っていくような気もする。

しかし、先のエントリ「塩資源としての海水(2)」でも触れたとおり、例えば日本の塩の需要の75%はソーダ工業用だ。ソーダ工業用とは、例えば苛性ソーダ(NaOH)などを作るのに、塩は使われる。NaClが水に溶けると、Na+とCl+になることぐらいは分かるが、こうして、化学的にNaClが形を変えてしまうとどうなるのだろう? 昔のように「雨や河川から海に供給される水」の成分は海水と同じような成分になるとはどうも考えにくい。それに75%という割合からしても、食用塩よりも、こっちの工業用の塩についてのことの方が重要になる。

人類の歴史の中で、塩がこうして工業用に大量に使われ始めたのは、ここ100年ぐらいだろうか。とは言え、こうした塩の使われ方は、現在の私たちの生活に密着しているので、今後も長く続くように思われる。ただ、もしもソーダ工業用など化学的にNaClの形を変えて大量に使われ始めたことが、ターニングポイントになって、海水の成分が変わっていくとしたら、たとえそれが「圧倒的な水量」の海水からすれば僅かでも、不可逆で一方通行の変化がすでに始まっていることになる。百年後、塩の用途がどうなっているかは想像出来ないが、世界で一年間に生産されている約2.8億トンの塩がますます増える可能性だって十分にある。

そして、もうひとつ。岩塩・湖塩について。
現在地球上の人間が使う塩の4分の3を占める岩塩・湖塩について。

先のエントリ「塩資源としての海水(2)」でも触れたが、年間の塩の生産量、約2.8億トンの塩のうち、4分の3は、岩塩・湖塩だ。たった3.4%の塩分濃度の海水を濃縮して塩を作るよりも、立地条件のいい(運搬するのに過大なコストがかからない)岩塩・湖塩は比較的コストがかからないだろう。だから、4分の3ということになっているのだと思う。先のエントリ「塩資源としての海水(2)」で試算した、海水塩を作るために消費する海水量が、「遠い将来」に、もしも環境などに影響を与えるとすれば、時間軸としてはその前に、立地条件のいい岩塩・湖塩が枯渇することも、あるかも知れない。現在、埋蔵している岩塩が枯渇する可能性を考えている人はほとんどいないと思う。それだけ岩塩・湖塩も「圧倒的な量」があるのだが、同じ「圧倒的な量」でも、地球上の全海水と比べると、岩塩・湖塩は少ないだろうという意味だ。

したがって、もしも「遠い将来」が、陸地の移動などによって新たに岩塩・湖塩が作られる前だとすると、岩塩・湖塩から海水塩の生産へシフトしていくことも考えられる。岩塩・湖塩は全体の4分の3だから、これが全部海水塩にシフトするとなると、単純計算で、現在の海水塩の生産量が4倍になり、海水を消費するスピードも4倍になる。

閑話休題。

こんなことより、もっと目に見える、工場排水・生活排水などの海洋汚染問題の方が、はるかに現実的というのが一般的な見方だと思う。しかしながら、ハシクレとは言え、海水から塩を作ることを私が生業としている以上、考えておくことは必要だと思っている。

環境問題という言葉が一般的に使われ始めたのは、ここ30年ぐらいだろうか。海水に限らず、地球上の物質を化学的に変えたものがどんどん増えて行くと、物質的にいずれは地球自体が変わることになる。空気、水、海、土壌、・・・・(遺伝子なんかもこれに加わるのだろうか)、それらはいずれも「圧倒的な量」がゆえに、少々の変化では何も変わらないように見える。しかし、それらに顕著な変化が起こってしまった後では、今度はその「圧倒的な量」がゆえに、元に戻ることは現実的に不可能になる。

よく「資源は有限」なんて言われる。すでにカウントダウンされている原油などではピンとくるが、無尽蔵に感じるものは実感が湧きにくい。しかしそんなものほど、生命には欠かせないものなのだ。原油がなくても人類は存続出来るだろうが、空気の成分が変わったらどうなるんだろう? と、同じように、生態系に影響を及ぼすほど海水の成分が変化してしまったらどうなるんだろう? と思うと、ゾッとする。

さてさて、キッカケとなった質問をしてくれたお二人には、お礼とともに改めた回答を伝えなくては。「今は、心配するほどのことではないと思うが、遠い将来、人間の営み次第では、問題になる可能性はあります」と。

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