2017年2月10日金曜日

ふるさとの不思議

冒頭の写真は、東京は江東区、深川は森下町にある「みの家」さんの立派な店構え。桜鍋(馬肉)の老舗です。通称「けとばし(蹴飛ばし)」。東京の下町らしい遊び心のある言い回しだ。で、この店に、先日、何と45年ぶりぐらいに行って、昼食を頂いた。

私は、この界隈に2歳ぐらいから23歳ぐらいまで、その間、多少の出入りはあったものの、住んでいた。なので、この森下が私の「ふるさと」ということになる。「ふるさと」というと、私なんかは、つい唱歌の「ふるさと」(♪兎追ひし彼の山・・・・)を思い起こしてしまうのだが、無論森下には野生の兎も小鮒もいない。また、大学生の頃、初めて地方出身者の知り合いが多数出来たのだが、彼ら彼女らは、「正月はクニへ帰るわ」などと言って帰省した。帰省先に兎が生息していたかどうかは知らないが、私が育った場所よりは自然は豊かであったろうし、無理矢理に自分の帰省先を考えてみても、それは何の変哲もない普段寝起きしている自分の家なのだから、笑えもしなかった。つまり当時、「私にはふるさとはない」と思っていて、「ふるさと」がある人は私が持っていない宝物を持っているようで、羨ましかった。

その後、私はこの町を離れ、30年もの間、遠ざかっていた。そうしてすっかり疎遠になってからこの町を久しぶりに歩くと、他の町では感じることの出来ない特別な感覚が湧いてきた。「帰ってきた」感覚だった。「ここは私のふるさとなんだ」と知らしめられた。おそらく今この町にいる人は、昔から9割方は変わっているだろうし、9割以上の商店も変わっている。それでもこう感じたのだ。

写真の「みの家」さんは、そんな1割にも満たない、「変わっていない」希少なお店だ。実は、「みの家」さんは私が住んでいた昔の時点でも既に老舗ながら、地元の人はあまり行ってなかった。当時私の家族で行ったのも一度きり。「桜鍋」という特別な料理で、普段使いのお店ではないからだ。

実は45年前の、そのたった一度、桜鍋を食べに家族で行って帰宅した直後、私だけが激しく嘔吐した。その姿を見て親父は、幼かった私に「タケシはもう馬肉はやめといた方がいいな」と言ったのを憶えている。「みの家」さんの名誉のためにも、断っておきたい。嘔吐した原因は不明だ。ここを誤解してもらっては困る。ただそうしたことがあった故に、とてもよく憶えている。

そんな思い出のある「みの家」さん。先日、用事があって森下を訪れた際、もう一度食べねばと思い、入店した。老舗のどじょう鍋屋さんなんかと共通した、低めの長〜くのびた座卓。古い木造の建物も魅力だが、お店の方々が醸し出すこの軽やかな雰囲気にタイムトリップした。適度な丁寧さの接客、用があるときの小気味いい対応、そして放っておいてもくれる安心感。(当時の私にはそれが普通のことで、特別ではなかったのだが・・・・) 私の中で、この軽やかな雰囲気が、昭和40年から50年頃の東京の一番の思い出だ。懐かしくも感じるし、こういう居心地のよさの価値を改めて思った。そして、大人になった自分がここで桜鍋をつついている。それが何やら不思議に感じた。甘い味噌だれの甘さは懐かしかった。鍋の火を一番小さくして、ゆっくり箸をすすめ、小一時間をまったりと過ごした。ときどき聞こえてくる話し声からして、周りの客は、明らかに地元の人たちではない。そういう意味でも「変わっていない」。そして今や、私だって地元の人ではない。

「ふるさと」っていうのは、「生まれ育った場所の人間」ではなくなって初めて感じるものなんじゃなかろうか。「私にはふるさとはない」と思っていた学生の頃は、まだ生まれ育った場所に属していたというだけだったのだろう。そう思うと、その頃の自分に耳打ちしてあげたくなった。ずっと「生まれ育った場所の人間」である人たちに「ふるさと」はないのだよ。「ふるさと」が欲しけりゃ、そこから離れなさい、と。

さてさて、おいしく頂いた45年ぶりの「みの家」さんの桜鍋。次は森下界隈のどの店に行こうかと計画を練っている。まるで京都や外国のおいしいものを探すように。

0 件のコメント: