2009年12月14日月曜日
塩ラーメンの旨味
写真は、東京駅八重洲南口の地下1階にある「ラーメン・ストリート」の中のラーメン屋さん、「ひるがお」の「塩らーめん(ひるがお盛り)」。1週間ほど前に食べに行った。長年「カンホアの塩」を使い続けてくれている。
このお店は元は新宿御苑にあったが、東京駅に引っ越して来た。新宿御苑の頃と味はやや変わっていた。新宿御苑の頃は、もっとスープの味に旨味の主張が強かったと思う。それが少し穏やかになったような気がした。
一般論としてだが、醤油や味噌といった調味料にはそれら自身にも旨味があるため、塩ラーメンになると、ラーメン屋さんはそれらにない旨味を補おうとして、旨味を強くする傾向があるんじゃないだろうか、と常々感じている。旨味が強いと、一口目からズッシリとその旨味を感じ始めるから、食べ終わる頃は舌がその旨味一色になって、なかなかつらいときがある。それは化学調味料を使わない旨味であってもあり得る。
だから、私にとって、一口目にスープの旨味を穏やかに感じることは、安心感に繋がっている。でも、この塩らーめんの旨味は、ただ「穏やか」になっただけではない。スープの中にいろいろな旨味を感じたが、中でも鰹の旨味がとても「抑えが効いた」大人なものだったことが印象深い。
私は15年か20年ぐらい前に、NHKの「きょうの料理」という番組で和食の出汁の取り方を、2人の板前さんが(もちろん別々の日に)教えてくれたのを観たことがある。ひとりは、道場六三郎さん。もうひとりは、野崎洋光さん。このおふた方の出汁の取り方は全く対照的だった。
道場さんは、昆布出汁を取った後、鰹節・鯖節を使ったが、それら魚を入れた後はグラグラ煮立たせて、魚の味をシッカリ取っていた。一方、野崎さんは、昆布に鰹節だけだったが、鰹節を入れる前に火を止めて冷水を足す。そして鰹節を入れた後も火にはかけず、再び冷水を足していた。野崎さんはその冷水の理由を「対流を抑える」と言っていた。私はどっちも自分でやってみた。想像つくとは思うが、道場さん流は、野趣あふれる旨味。鯖節のクセもしっかり「おいしさ」になる。野崎さん流は、フワーっとした浮遊感さえ感じる柔らかい旨味だ。どっちが「おいしい」の議論は意味がない。合わせる料理にもよるし、個人差もある。
ただ、ひるがおの塩らーめんは、野崎さん流の方だった。野崎さんは「対流を抑える」と言っていたが、私はそれは温度の違いでもあるような気がしている。今回ひるがおには11時の開店と同時に入った。つまり、朝一番のスープだった。寸胴に仕込まれたスープは、時間と共に保温され続け、夕方頃には多少味が変化しているかも知れない。
今や様々な食材が手に入り、いろいろな旨味を作り出すことが出来る。でも、ここでいう旨味は、あくまで味の部品であり、「おいしさ」とは別だ。いろんな味の部品で組み立てられた味が、「おいしい」かどうか? それが問題なのだ。例えば、先に「温度の違い」と簡単に書いたが、温度が低ければ当然時間はよりかかる。そうした細かいことの積み重ねで全体が組み立て上がる。
スープの旨味の穏やかさは、その分、麺の味、各トッピングの味、ひとつひとつの味がより印象に残るようになったとも言える。麺の「小麦を食べてる」実感をともなった味、青さのりの豊かな香りと微妙な味わい、トッピングの塩卵にもかすかに「カンホアの塩」の味がした。どれもきっとスープの穏やかさが背景ゆえに感じたもので、無理がない。「こういいうのでいいんだよな」と感じさせてくれる。そんな素直な「おいしさ」の塩らーめんだった。
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