2016年12月20日火曜日

大阪のふぐ

私は東京生まれの東京育ち。関西は京都界隈に2年ほどいたことがあるが、大阪は全く知らない。そんな大阪に、先月、出張した。一人で夕方以降に時間が出来て、その日は泊まり。これはどっかで一杯やらないとと思って、なんば駅から戎橋筋のアーケードを抜けて道頓堀へ。繁華街をしばらくウロウロした。冒頭写真の「道頓堀」というネオンが、大衆的な懐かしさを醸し出していて、「これ大阪っぽいな」と、勝手に思った。

歩きながら、「昔、『道頓堀川』っていう映画があったよなー」とか、「道頓堀劇場っていうストリップがあったよな、あ、あれは渋谷かぁ」とか、「大阪八百八橋って言うよなー」とか、「阪神が優勝すると、飛び込むのはこの橋からなんだな」とか、すっかりお上りさん気分に浸りながら、歩いていると、やや古びたように見える、ふぐ屋さん。店構えからこの店に決めた。ふぐ料理「与太呂」東店。
「一人なんですが」と入り、様子をうかがっていると、「こちらのカウンターでも、奥のテーブル席でも、どちらでもいいですよ」と声を掛けてくれた。入口すぐの細長いスペースに5〜6人のカウンター。広くなってる奥には、テーブル席が10ほどあっただろうか。テーブル席は常連客で埋まっている雰囲気だったし、「東京から来た心細い一見のひとり客」ということ、そしてテーブル席より仲居さんと少しは話しがしやすいかもと思い、他の客がいないカウンター席についた。

目の前に壁に「ふぐ料理」と題したメニューがかかってる。
ちりなべ 5,080円
お造り 2,480円
おぢや 390円
清酒 白精上撰 350円
ビール(中) 500円

何とこれだけ。
「ちりなべ、お造り、それとビールお願いします」。
それを仲居さんが厨房に注文を通すのだが、ひとこと、「両方!」。(笑)
そうだなー。メニューこれだと、選択肢は「なべ」、「お造り」、「両方」の3つしかない。

ビールを飲み終わった頃、てっさが出てきてた。あわててお燗を注文。「ヒレにしますかー?」と言われたが、ふぐ自体を味わうには、ヒレにしない方がいいように思って、普通のお燗。
すごいボリューム。お造りにしても、トウトウミにしても、東京の1.5倍から2倍はあるような・・・・。そして、薄くない薄造り。鯛や平目より少し薄いぐらいだ。ん〜、うまい。薄いと少しのふぐを大事に食べる感じになるが、この厚さだと「うまいものをしっかり食う」という感じになる。「スッゲーなー、これが大阪のふぐってことか」とちびちび飲んでると、なべ登場。
これがまたスゴイ量。(写真がどれも食べかけです)
脇役のポン酢・アサツキ・紅葉おろしが、上品な感じじゃなくていい。甘味がほとんどなくて出汁なんかが利いてないシンプルなポン酢に、アサツキ・紅葉おろしをドサッと加える。他店だが。ときどき出汁がしっかりきいた甘めのポン酢がふぐと一緒に出てくるが、あれはいけない。こういうのでないと。そしてこういったふぐはもちろん、ポン酢が「大阪では、ふぐは高級品じゃなくて、みんなのものだよ」と主張している気がする。うまい。うまいが、なべの後半は、何とかこれを平らげないと、「おぢや」にたどり着けないという思いでいっぱいだった。「ふぐは、おじやが一番おいしい」が今は亡き私の父の見解だった。

そして、何とか「おぢや」を注文。
おぢやを作ってもらうとき、化学調味料が使われることが多いので、一見客とは言え、そこだけは言わせてもらった。

「あのー、化学調味料が苦手なので、塩だけで味付けしてもらえますか?」
「そうなのよね。私も家では使わないんだけど、ここでは(何も言われなければ)使うのよね。(あなたの言うこと)分かりますぅー」

あー、よかった。そして、何とか「おぢや」まで食べ尽くした。しばらく動けない。

それにしても、この上ないシンプルなメニュー。カウンター席だったので、一応きいてみた。

「メニューが分かりやすいですね。余計なこときくようですが、まさか、頼めば白子や唐揚げがあるなんてことないですよね?」
「ありません。うちはこれだけなんですよー、すみませんねー」
「やっぱ、そうですよね」

まー、何しろ、ふぐ屋さんというと、東京では敷居が高いし、値段も高い。(最近は、安いチェーン店があるが、それも高いことの裏返しだ) 「大阪のふぐ」と話しには聞いていたが、本当に食い倒れた。

お会計は、ちょうどメニューを全部ひとつずつ頼んで、8,800円也。ただ、これは二人でちょうどいい量だということを言っておかねばならない。

会計の際、「東京から来たんですけど、東京の倍の量ですね」と言うと、「みなさん、そうおっしゃいますぅー」と軽く返された。「たらふくご馳走になりましたぁー」。これで私の慣れない上方の会話が成り立ったんであろうか。

ええかっこしいの東京のふぐ。「うまいもんは腹一杯食う」大阪のふぐ。しょっちゅう食べる訳ではないので、ちまちま頂く東京のふぐもいいのだけれど、もっと身近で気軽に腹一杯食うふぐの方が王道だな。

ところで、このふぐ屋さん、夏場も同じメニューでやっているのだろうか。それ、聞くの忘れた。でもやってそうな気がする。同じメニューでね。

2016年12月16日金曜日

ベトナム人で、日本を想う

 外国に行くと、「日本(の特異なところ)が見えてくる」なんてことが、よく言われる。私自身の経験からしても、それは本当にそう思う。これは、普段、「当たり前」と(空気のように)意識もしていないことが、外国へ行くと「当たり前」でも何でもないことに気がつき、「あれー」となって、「日本の特異なところ」として認識する、というようなことだと思う。いい意味でも悪い意味でも。それは外国人が日本に来ても同じこと。外国に行かずとも、それを感じた外国人と接っすると、それを経験できるときがある。

先のエントリで、ベトナム人の知人と、一週間日本旅行したことを書いた。

京都の町をタクシーで走っていると、「あれー、道路にゴミが落ちてない」とベトナム人は驚く。たしかに、ベトナムの町にはゴミが散らかっている。夜になると、人々は、ポリ袋に入ったゴミをポンと道路に捨てる。何度かそんな光景をを見た私は、最初は「ん?」と、思ったものだ。それから何年かして、夜中に車でベトナムの町を走っていると、すっかり道路のゴミがなくなっていて、驚いたことがあった。もう少し走ったら、その訳が分かった。その先で、清掃車が道路のゴミを回収しながら走っていた。

ベトナムの町では、日本のようなゴミ捨て場がない。人々はどこにゴミを捨てるかというと、大きな道路なのだ。いわば大きな道路は、公のゴミ捨て場なのだ。そこにもちょっとしたマナーがある。真夜中の回収がしやすいように、ポリ袋などに入れて、道路の端に、夜寝る前などに、ゴミを捨てる。だから、朝は道路がキレイになっているのだが、それまでは景観はあまりよくないかも知れない。でも、そのシステムを知ってからは、これはこれで効率的なゴミ回収システムだと思った。人通りが多い真っ昼間にはあまりゴミを捨てないが、捨てるときもあろう。そんな緩〜いシステムなのだ。この緩さ故に、ベトナムの南国的なおおらかさがあるのだと思う。また、粗大ゴミなどのリユース・リサイクルは促される。

さて、一週間の日本旅行に話しを戻そう。京都から東京に移動した私たちは、東京の町をタクシーで走っていた。するとそのベトナム人は、「あれ、京都では道路にゴミが落ちてなかったが、東京は落ちているな。これはどうしてだ?」と質問した。窓の外を見ると、イチョウなど色づいた街路樹の葉が道路の端に吹きだまっていた。11月半ば過ぎのことだ。「京都では、あまり風がなかったけど、東京では夕べ強い風が吹いたでしょ。それで木の葉が落ちただけだよ」と、当たり前のような答えをしたが、それに納得する様子もなく、「京都の方がきれい好きだ」と思ったようだった。落ち葉はこの季節の風情に感じるが、考えてみると、熱帯のベトナムでは秋になって葉が落ちるということはないのだ。

我が家に来たときも似たようなことがあった。すっかり葉が落ちて草花も静かになった庭(冒頭の写真)を見て、「もっと、こんもり植木を植えた方がいい。これじゃあまりに寂しい庭だ」とアドバイスをくれた。「いや〜、もう冬だからね。今はこのぐらいがいいと思っているんだけど・・・・」と答えたが、その意味は伝わったのかは分からない。松の木や椿はないので、たしかに寂しいかも知れないが、晩秋の枯れかけの小菊や真っ赤な葉が何枚か残ってたブルーベリーの木など、量からすれば少しだけど、この季節なりの表情は見せてくれている。私にとっては、それもまたこの季節の趣なのだが、こういったことを一週間の滞在で分かってもらうのは難しいことだと思った。「これでも春から夏の草取りは大変なんだよ」と言えばよかったか。

「東京のエスカレータは、左側に立ってね」、「日本の町中では、煙草はどこでも吸えないよ」、「車は左側通行だから、道を渡るときは、右から見てね(ベトナムは右側通行)」などなどは、一言で説明がつくが、食べ物を含んだ季節感については、説明が難しい。

四季の中で暮らしている人間は、知らず知らずのうちに、それなりの感覚が根付いているんだなあ。それは雨期と乾期の熱帯の人たちに根付いている感覚があるのと同じように。そう思うと、まだまだ私が知らないベトナムのことがたくさんあるように思えた。

きっと、広く、人と人の間の誤解なんて、こんなことなんじゃないかと思う。

2016年12月13日火曜日

旅の土産は、400〜500人分

旅行に行って、義理土産を探し回るほど、煩わしいものはない。

こないだ、長らく世話になった「カンホアの塩」生産者の代表が退職間近ということで、彼と彼の鞄持ちの二人のベトナム人を日本に招待し、一週間の旅行を一緒にした。初めての日本ということで、京都→富士山→東京。コース・内容ともに超ベタだったものの、紅葉ど真ん中の京都や、部屋から富士山がでーんと一望できる旅館などに泊まった。こんなこともないと、こんな旅行は私にはないだろうと思った。

近頃、日本への外国人観光客が多いことは、知っていたものの、一緒に行動すると、「へぇー」ということがあるものだ。3年ほど前、イタリア人の旧友と日本を旅行したことがあったが、「外国人観光客」と言っても、イタリア人とベトナム人ではずいぶん違う。それもまた、いとおかし。

1.外国人観光客で、京都の一番人気スポットは、伏見稲荷

ネットでちょっと調べれば分かることだが、そういうことだったので、連れて行った。私にとっても初訪問。訪問者の8割方が外国人。あの千本鳥居と呼ばれる朱色の鳥居のトンネルが印象的なんだと思う。でもそのベトナム人二人は、途中で飽きてしまって、ちょうど中間地点ぐらいで、「もう、鳥居はいらない」と言い出した。すごい人数が列になって歩くので実質的に一方通行。ただ進むしかなかった。それにしても、

観光地、どこへ行っても、外国人

「今や外国人観光客がいないと、京都(の観光産業)は潰れます」とは、タクシーの運転手さんのお話だが、本当にそうだ。

2.河口湖畔の旅館の宿泊客の9割は外国人

旅館の方に質問したときのお答え。「週末は半分以上日本人になることが多いが、平日は9割は外国からのお客様です」とのこと。外国人観光客は、わざわざ料金割高な週末なんかに泊まらない。週末は、その日しか休みの取れない日本人が多くなるということだ。平日の五合目にも行ったが、8割は外国人観光客(アジア系多し)だったなぁ。

3.なんつったって、お土産がスゴイ

中国人観光客の「爆買い」と言われて久しいが、今回連れだったのは、ベトナム人。それもホーチミンなど都会のベトナム人ではなく、田舎のベトナム人だった。冒頭の写真は、彼らのお土産リストなんだが、リストになるのは、親しい人向けのお土産だけなので、これはほんの一部ということになる。私は、質問した。

「あなたたちは、いったい何人分のお土産を買おうとしているの?」
「全部でだいたい400〜500人ぐらい」

ぶったまげた。
最近、驚くことが少なくなってきちゃったなと思っていたが、これには久しぶりに驚いた。ぶったまげたが、その答えをにわかに信じられなかった私は、さらに質問。

「それは例えばどんな人たちなの?」
「会社の全従業員(およそ300人、詳しくは同じ会社でも、親しい人、遠い関係の人といろいろだが)、家族・親類はもちろん、自宅の近隣の人たち、知人・友人・・・・。周りの人たちを、幸せにしたいんだ」とは、この旅行の主役であるその代表者の話。

無論、お土産にもランクがあって、それがピラミッド型になっている。その底辺の300〜400人ぐらいの人たちには「(お印程度の)ちょっとしたもの」でいいらしい。しかし、大変なのは、(不公平感が出ないように)同じものということ。例えば、キーホルダーにしても、全く同じもの300個となると、ひとつの店にはなかなかない。そして、「made in Japan」と明記されてないとならない。「えー、そんなお印程度の安いもので、日本製なんかあるのかなー」と思ったが、これがあるのだ。

秋葉原のヨドバシカメラなど、外国人客の多い量販店に行くと、一膳100〜200円ぐらいの箸で、パッケージにでっかく「made in Japan」とか印刷されたものがあったりする。売る側も、買う側の事情をよく知ってて、その手の商品が並んでいるコーナーがあったりするのだ。見るからに、中国で作って日本で袋詰めしたかのような体裁で、とても「ちゃち」なものだけど、それを買うベトナム人は、その「ちゃち」さは十分承知していながらも、「これでないといけない」ということなのだ。お土産は、それがたとえどんなものであっても「せっかく日本に行ったのだから、中国製のものを買って帰っては馬鹿にされる」ということらしい。「同じ中国製でも、日本への輸出品と、中国国内向けの品物は違うと思うよ」と言う私の意見は通らない。

そして、家族など特に親しい人たちへのお土産も、これはこれで大変だ。その要求にはかなりのこだわりがあって、例えば、化粧品。「○○堂のコレ」などピンポイントで商品の外観写真などの指定があって、ちょっとでも違うといけないらしい。「そんなの発売時期がずれているせいで、少しパッケージが変わってるだけだよ」と言う私の意見は通らない。

この旅行に招待したのは、退職間近の代表者(主役)とその鞄持ちさん(脇役)なのだが、鞄持ちさんが必要なのがお分かり頂けたと思う。慣れない土地で青ざめながら奮闘してた彼が一番大変だった。彼は、京都や富士山など旅行の前半からお土産のことで頭がいっぱいで、そんな彼に私は「荷物になるから、お土産は最後の東京の二日間で買えばいいよ」と言っていたが、最初の二日間ぐらいでお土産ショッピングを済ませた方がよかったように、結果的に思った。写真のリストは、東京に着いてから見せてもらった。

まー、そんなあんなで、一週間の最後の二日間の東京滞在は、54年ぶりに降る11月の雪もあって、苦行のようだった。見渡す限りの見事な紅葉の清水も、雨に濡れて色っぽかった竜安寺の庭も、そして日の出前のぼんやりとした光の中に薄っすらと浮かび上がった窓枠いっぱいの富士山もぶっ飛ぶような、二日間の買い物でした。ジャン、ジャン。


2016年11月16日水曜日

ベトナム原発計画白紙

 きょうも、新聞の記事についてです。
日本は、官民一体となって、ベトナムに原発を売ることになっていたが、それが白紙になったという内容です。

11月10日の東京新聞に、上の写真の記事が載っていた。(クリックすると大きくなります)

2010年、当時の首相菅直人氏が、陣頭指揮を執る形で、日本の原発メーカーとともに、ベトナムに原発のプラントを売り込んだ。他国とも競合したが、ベトナムは、日本とロシアから2基ずつ「買います」となった。

2011年、東日本大震災。ベトナムは態度を保留し続けた。
その後、私は何度かベトナムを訪れていて、「原発は止めといた方がいいよ」と言っていたのだけど、ベトナムは慢性的な電力不足に悩んでいたし、政府の態度は変わらなかったしで、ベトナムの人たちは、口を閉ざしていた。日本では考えられないけど、ベトナムは共産党の一党独裁で、人々は国の方針には決して逆らわない。そして、急遽11月10日のこの記事になった。

私が「あれ」っと思ったのは。この記事だけでなく、この3日前にも似たような記事(こちらは「延期」という見出しの記事)があったことだ。(リックすると大きくなります)
「延期」にしても、「白紙」にしても、理由は「現時点で多額の投資は非常に困難」と全く同じ。また、2つの記事のソースは、両方とも【ハノイ=共同】。ハノイにある日本の共同通信社だ。ベトナムの要人は、たった3日間をあけて、日本の通信社に小出しに情報を提供したことになる。

アメリカ大統領選挙でトランプ氏の当選が確実になったのが、11月9日から10日ぐらいだから、それも関係していたのだろうかと疑いたくなるタイミングだ。

ベトナムは、多額のODAを日本から受けているから、あまり日本政府のご機嫌を損ねたくはないだろう。そのせいか、福島の原発事故以降、態度を曖昧にし続けていた。が、ここにきて、グッと「このままではマズイ」と、やや焦りながら「白紙」へと急に動いたように見える。慎重なベトナム政府だから、もうこの「白紙」は戻らないだろう。ベトナムは、原発回避を前提として、今後のエネルギーを模索していく方向に舵を切ったということだと思う。やれやれ。

2016年11月11日金曜日

「学校でうんちしない」こと

写真は昨日の東京新聞(夕刊)の記事。(クリックすると大きくして見られます)
私は、この記事にひとつ、もの申したい。ということで、このエントリを書きます。

まず、この記事の内容をざっと説明します。
  • 家庭のトイレは、ほとんど洋式だが、小中学校は56.7%が和式で、その多くは洋式に変えたがっている。
  • ただ、おカネの使い先として、トイレよりも耐震化という優先課題があって、なかなかトイレまで手が回らないのが実情である。
  • そして、「学校でうんちしない」児童は三割もいて(特に男子は39%と多い)、有識者からは、我慢することで便秘につながるといった健康面の懸念、(和式だと)床が汚れやすいなど衛生面の問題が指摘されている。
  • 例えば、東京・豊島区では子供から「古くて汚くて行きづらい」との声。また豊島区長は、「和式トイレは自動生徒のストレスになっている」と、向こう三年で13億円を充て洋式に変えようとしている。
  • 学校施設で改善が必要性と回答されているのは、第一位がトイレ(59%)で、第二位のパソコン・電子黒板を大きく上回る。
以上が記事の内容だが、この記事の主語である文部科学省や自治体が「本当に分かっているのか?」と私が心配して思うことがある。上記の記事内容の中の、特に下記の部分に注目して欲しい。

「学校でうんちしない」児童は三割もいて(特に男子は39%と多い)

なぜ、「特に男子は39%と多い」のか?

私が小中学校の男子生徒の頃、少しうんちを催す気分になったとき、うんち用の個室に入りたくなかった。この手のことは、気持ちの問題も大きくて、「学校ではうんちしないぞー」と意識すると、身体もそれなりに順応してきて、ほとんど学校ではうんちしないようになった記憶がある。

学校でうんちする気が起きない理由は、他でもない。休み時間などにトイレの個室に入りうんちしてて、それ誰かに察知されると、だいたいからかわれるからだ。

「おっ、誰かうんちしているぞ。誰だ?」となって、扉をドンドン叩く輩。手を濡らして、グーからパーにしながら個室の開いた上部から(少量だが)水を撒く輩。個室の床と仕切り壁の少し開いたところから覗いて、上履きの名前を見て、「あー、○○のやつ、うんちしてやんのー」と騒ぎ立てる輩などなど。さんざんからかわれるからなのだ。「いじめ」に近い感じを受ける方もいると思うが、私の小中学校時代これは、特定の児童生徒が受けることではなく、肩で風切って歩いてたような男子もやられてた記憶があるので、単なる「からかい」なのだけど、それにしても、困った習慣だった。ちなみに、もちろんその頃の個室トイレは全て和式。洋式に慣れていなかった私(を含めほとんど)は、和式の方がうんちしやすかったことを、忘れずに記しておこう。洋式の方が足に負担が少ないが、和式の方がふんばりやすかった。

ちなみに、私自身が、この「からかい」をした側か、された側かは、無責任のようだが、覚えていない。何度かしたような気もするが、されたような気もする。うんちをすると、臭いは拡散するし、遠回しに、「臭せえぞー」と迷惑がってからかっていたのかも知れないが、健康第一なのは言うまでもない。

だいたい小さな子供ほど、「うんち」「おしっこ」という言葉が好きなものだ。高校や大学では、こんな「からかい」は自然となくなっていたから、小中学生という微妙に子供な年代のことだと思う。

想像だが、その点、女子は、おしっこするにもうんちするにも個室だから、おしっこするついでにうんちもすることもきっとあるでしょう。私は、小中学生時代、そういう女子を羨ましく思った記憶がうっすらある。

この話しを、夕べ、現役の小学校三年生の息子に話したら、同じような「からかい」状況を笑いながら話していた・・・・やっぱ、そうか。そして、カミさんや小学校六年生の娘には、「男子は男子なりに大変なことがあるのね〜。初めて知ったわ」と同情された。

さて、新聞記事の話しに戻そう。

そりゃあ、慣れてない・古くさいという理由で、和式トイレ(個室)を使わない男子もいるでしょう。でも、いくらトイレを和式から洋式にしても、この「からかい」がなくならない限り、「4割の男子が、学校でうんちしない」の数字は大きくは変わらないのではないだろうか。順序からしたら、この「からかい」は全く無用なものだということを、小中学生に浸透させることが先だと思うのだが、どうだろう。

そういう意味も込めて、最後に、今年4月に「ウンチマン」と撮った写真を載せます。「ウンチマン」の話をし始めると長くなるので、また改めて。
 子供たちよ(特に男子)。学校のトイレでうんちしているお友だちをからかうのは、幼い子供のすることよ。自分だって、うんちしたくなったとき、不自由でしょ。

2016年10月27日木曜日

アルモン・デ・ブラザース

 1リットル紙パック入りの豆乳。使い切って紙パックをハサミで切って洗おうとすると、へばりついた豆乳のカス(固形物)が気になった。しかし、使い切る前によ〜くシェイクすると、豆乳カスが激減。アワアワの豆乳ラテも飲める。その喜びを書いたのが前のエントリだった。

そのエントリ書いてて、最後に思いついた「シェイクする前に折り目を伸ばすこと」(上の写真)。やってみたら、見事に大成功。下の写真のように、すっかりカスはなくなった。あー、気分がいい。あんまり気をよくしたのでまた書きたくなった。

昨今、どんどんいろんなものが便利になってるように見えるけど、その分、「工夫しなくなっちゃったな」とつくづく思う。例えば、出掛ける際、ネットの乗り換え案内なんてなかった昔はちっとも不便を感じてなかったのに、今じゃチェックしないと心配になる。携帯電話なんかなくても何とかなった。車のナビも同じだ。

この「なんちゃってクリーマー」は大したことないが、○○器がなくたって、他の「あるモン」でちょっと工夫すればいいじゃないか。と、しばしば思う。これを称して、

「アルモン・デ・ブラザース(またはシスターズ)」

というのは、どおだろう?
これは昔、友人が言ってた言葉。
最近、よく思い出す。

「アルモン・デ・ブラザース」だと、モノが売れなくなるのかも知れない。
「アルモン・デ・ブラザース」だと、経済は沈滞するかも知れない。
でも、いいじゃないか。それよりこっちの方が面白いぜ。

2016年10月13日木曜日

豆乳カスと、なんちゃってクリーマー

 3年ぐらい前までは、冷蔵庫の中にいつも牛乳があったのだが、ここんところはすっかり豆乳に替わってしまった。私の場合、かつての牛乳や今の豆乳は、主に朝のコーヒーに注ぐためのものだ。かつては低温殺菌の牛乳じゃないとおいしくないと思っていたにもかかわらず、豆乳にしてからは、不思議と牛乳だとやや抵抗感を覚えるようになってしまった。

思えば、牛乳から豆乳に切り替えたキッカケは、「想いやり生乳」だった。

★関連エントリ:
「想いやり生乳」と母乳(2013年10月8日)

「想いやり生乳」を飲んで、普段飲んでいた牛乳との違いを思い知った私は、とてもすんなりと普通の牛乳には戻れなくなってしまった。とは言え、「想いやり生乳」は我が家にとってはなかなか高価だし(送料もかかるし)、たまに飲むにしても身近に購入出来るものではないので、「想いやり生乳」には切り替わらなかった。そこで豆乳を常備して使っているうちに、「これでいい」となった。

最初は、小出しに使える200ml入り紙パックの豆乳を常備していたのだが、最近はもっぱら写真の1リットル入りにしている。無論大きい方がコスパがいいという理由もあるが、別の理由もある。

それは豆乳を使い始めて、ずぅっと気になっていたことがあったからだった。容量が小さくても大きくても、使い切った後、ハサミで紙パックを切って内側を水ですすぐとき、必ず固形化した豆乳がカスのようにへばりついていることだった。「んー、なんかもったいないなー。これもおいしいだろうにな」と思いつつも、その都度スプーンでこそいで食べるのも面倒だし、毎回ただただ水に流して洗っていた。

しかし1ヶ月ほど前、たまたま半分ぐらい使い終わった1リットル入り豆乳の紙パックを手にしていたとき、パックの内側の固形物(豆乳のカス)のことが気になり意識した。そして、「あ、そうだ」と、これをしっかりシェイクしてみた。その直後に、コーヒーに加えたところが下の写真。
泡立った豆乳ラテだぁ〜。ただしこれは出来損ないのクリーマーを使ったよう。そう、ちゃんときめ細かな泡が立っているわけではないので、ちゃんとしたクリーマーとは言えず、「出来損ない」のなんちゃってクリーマーだ。でも、これで、豆乳カスは激減した。

それまで多用していた200ml入りのパックはハサミで開封して使うのだが、1リットル入りのパックは、スクリュー式フタ付きなので、しっかりフタを閉めて心置きなくシェイク出来ることを付け加えておく。まっ、少し使った後でないと空間がないので、シェイク出来ないけど、それは後からしっかりシェイクすればいいだけさ。

また、その紙パックには上下に折り目がついていて、シェイクしてもその折り目の中には豆乳カスがたまってしまうのだが、そこ以外にはたまらなくなった。しかも、少しだけど泡立った豆乳ラテになる。めでたし、めでたし。

・・・・ん、いや、今思いついたのだけど、もしかしたら、使い切る前に、折り目を伸ばしてからシェイクすればいいだけかな。帰宅したら試してみよう。

2016年10月7日金曜日

山栗とメガソーラーの関係

この間、山梨の友人宅を訪れた際、お土産に山栗をもらった。「さっき近くで落ちてたから拾ってきたやつよ。全部は食べられないと思うけど」と言葉を添えられたとおり、10個に1〜2個は、虫が食ってたりでたべられなかったが、とてもおいしく頂いた。最初の1個食べたら、もう止まらない。写真はいつのまにか残り僅かになって、慌てて撮ったものだ。

栗ひとつずつに、包丁で切り込みを入れて、ルクルーゼやストウブのようなフタ付きの厚手の鍋で、水を加えず、栗自身の水分だけで加熱する。これがうウチのカミさん流なのだが、そのへんで売ってる大粒の栗と、一回り二回り小さなこの山栗とでは全然違う。

売ってる栗が虫食いだとクレームになっちゃうんだろうし。「幸せはカネじゃ買えない」とは言い過ぎか。

さて、私はその山梨は八ヶ岳南麓に住む友人を訪れる前に、蓼科山北麓の別の友人宅を訪れていた。その界隈を車で走っていたら、「メガソーラー 絶対反対」というでっかい看板があった。その後、その八ヶ岳の友人宅を久々に訪れたら、彼の家の隣の敷地には広々とメガソーラーが広がっていてビックリ。八ヶ岳の友人は、「震災以来、このへんこれがバンバン出来てね。すごいんだよ。森を更地にしてコレ(メガソーラー)ってのも珍しくないんだぜ」と言う。メガソーラーには、このおいしい山栗が食べられなくなるという関係もあるのか・・・・。

そう言えば、電力会社は電気の買取りを行っているが、震災直後はある程度の価格で買っていたものの、その後は買取り価格を下げてしまって、メガソーラーを設置した業者は「作ったはいいが採算が取れなくなってきてる」という話しを聞いたことがある。さらに、ソーラーパネルには、有毒物質が使われていて、廃棄するときそれが問題になる。ドイツなどでは、廃棄時、その有毒物質を分別出来ないソーラーパネルの規制がすでにあるのだが、安価が売りの中国製などのソーラーパネルは分別出来ない構造だから、生半可な投資で出来たメガソーラーは、今後耐用年数を迎えるときに深刻な問題になる。といった話しも思い出した。これらの話しを思い出しながら、友人宅隣に威圧感たっぷりに広がるソーラーパネルを見てたら、正直ちょっと恐ろしくもなった。

町中の住宅の屋根に貼り付いているソーラーパネルは、珍しくなくなったし、原発や火力発電よりは、次世代のエネルギーとして、戸別に設置可能なソーラー発電は有望なのかも知れないと、かつては思っていた。

私はベトナムで「カンホアの塩」という天日塩を作っているのだが、かつてはその生産現場で使う電動石臼や室内作業の照明の電気を、「オフグリッドのソーラーシステムで賄えないものか。天日で塩作ってるんだから、電気だって・・・・」と考えていたことがあったが、なーんかその考えはどんどんしぼんできてしまった。

★関連エントリ:
ソーラーシステムの現実(2014年8月11日)

頂いたおいしい山栗を食べながら、メガソーラーの将来を考えてしまった。

2016年8月22日月曜日

とろ、トロ、長い瀞


渋滞で車がトロトロ走る。
とろ〜りハチミツ。
仕事がとろいヤツ。
岩畳の長瀞(ながとろ)。

「とろ」という音には「ゆっくり・緩い」といった響きがある。

先日、家族で埼玉の長瀞へ行ってきた。
長瀞が観光地になっている理由は、かき氷だけでなく、その地質学的な名所である、岩畳だ。ライン下りの船にのって、船頭さんにこの岩畳の話を聞いた。

この岩畳は、通常なら地下のずっと深いところにある岩盤が広く隆起したものであるとのこと。したがって深く掘らなくても深い岩盤の研究が出来るので、地質学的に希少な場所とのことだ。横に広く平らな岩盤が隆起したのだから、その地表は平らになる。その平らなところに川(荒川)が流れているから、その川の流れは緩やかになる。川が緩やかな流れのところを「瀞」と言うらしい。そして、ここは、この「瀞」が長く続く場所なので「長瀞」という地名になったとのお話だ。へぇ〜。

「瀞」の文字をよく見ると、「三水(さんずい)」に「静」みたいな字。水が静かに流れるとも読める。

数十年前、私が今の息子ぐらいの歳の頃、親父に連れられ、長瀞へ行ってライン下りをしたことがある。そのときは川のしぶきがじゃばじゃば船に入って来てスリル満点だった記憶があるのだが、今回、スリルはほとんどなし。夏場は水量が少ないのが理由らしい。子供の頃行ったのは雪解け水が流れていた春だったか。

ただ考えてみると、長い瀞でライン下りとは、トロトロのはず。乗った船のコースでは、長い瀞の少し上流からスタートし、少しのじゃばじゃばの後、あるときを境に一粒の水しぶきもない穏やーかな長い瀞になって船はゆっくり進んだ。そのメリハリがいい。瀞がよりとろく感じた。所要15分〜20分。猛暑の中、瀞の穏やかさと木々に囲まれた静けさ中の渓流の涼しさは爽快であった。もう少しその静けさの中にいたかった。一緒に行ったうちの子供たちにとって、長瀞のライン下りは、私と違って、動的スリルよりは静的涼しさの印象が残ったような気がする。

ライン下りの後は、流しそうめん。こちらの流れは本当に急で早かった。


流しそうめんの順番待ちの間、岩畳近くの河原に座って子供たちと石拾い。私は畳のような岩のかけらを見つけたので、記念撮影。

2016年8月19日金曜日

骨付きもも肉の照り焼きと舌ビラメのムニエル

先日、小学3年生の息子の誕生日にあたって、子供たちはカミさんから「何が食べたい?」ときかれ、「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」との答えだった。傍らでそれを聞いていた私はちょっと意外だった。

なぜかというと、40〜50年前にもなる私の子供の頃も「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」に憧れがあったからだ。「こんな何十年経っても同じようなのが食べたいだなんて」とちょっと意外だったわけだ。

私の子供の頃、近所の鶏肉屋さんや焼き鳥屋さんの店先で、鶏の骨付きもも肉や鶏の丸焼きがグリルされながらゆっくりとグルグル回っていた。照り焼きだったから、照明に照らされたその表面はテカテカと赤黒く光っていた。香ばしい香りをかぎつつ、グルグル回っているその様をを眺めて、「あー、いつかこれ食べてみたいなー」という憧れの食べ物だった。また、焼き終わって並べられていたもも肉の突き出た骨の部分にはアルミホイルが巻かれていた。その鶏皮の赤黒いツヤとアルミホイルのキラキラのコントラストがたまらなかった。ただし、憧れだったので、実際のところ、子供の頃、それを食べた記憶はない。うちの子供たちにとっては、手が届くものなのだから、その点は異なるな。

また、トムとジェリーなどアメリカのアニメだったと思うが、ご馳走というと、骨付き肉。そして、手で持つところの突き出た骨の根元には赤いリボンが巻かれているイメージだ。当時の私にとって、このテレビの虚構の世界が、近所の鶏肉屋さんでグルグル回っている現実の世界に繋がっていて、単なる憧れ以上のものがあったと思う。

今の子供たちは、私のような経験はないだろうし、どうして「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」に辿り着いたのだろうか。例えば、ワンピースのルフィーが、骨付き肉をかじって「この肉、うっめー」というシーンがしばしばあるが、そのへんか。今度、子供たちにきいてみよう。

ところで、私の子供の頃の話しは、東京の下町でのことだ。鳥取の田舎で幼少の頃を過ごしたうちのカミさんは、また違う。彼女は、近所に住む祖母の家にたまに招かれ、ご馳走になった「舌平目のムニエル」が忘れられないと言うのだ。いろいろ聞いてみると、どうもそれが私の「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」に近いようだった。私のように手が届かなかったわけではなく、実際に食べた体験としての思い出としてだけど。数十年も前の田舎で、「舌平目のムニエル」とは何ともハイカラだ。それもバターをたっぷり使ってムニエルにし、仕上げに青じその千切りを散らすというのが、その祖母がお気に入りのスタイルだったらしい。青じそもハイカラぁ〜。田舎といっても海に近いので、舌平目もときどき手に入っただろう状況を付記しておく。

さて、私が初めてこの古典的な「舌平目のムニエル」を食べたのはいつの頃か。私の両親では考えつかなかっただろうから、たぶん子供の頃ではない。二十歳頃、ウェイターとしてアルバイトしていた渋谷のレストランのメニューに「舌平目のムニエル」があった。「おめぇら、知らねぇだろうが、フランス料理といやぁ、この舌平目のムニエルだぁ。ソール・ムニエルってんだー、覚えてとけ」と、私と同じ東京の下町出身のシェフの下町訛りの口癖だった。私はお客さんにいつもサーブしていたものの、そこでは一度も食べたことがなかった。しかし同じ頃、表参道の交差点際にあった「Fish Market」というレストランに入ったとき、メニューに「舌平目のムニエル」があり、ここぞとばかりに思わず注文した記憶がある。味は覚えていないものの、レストランの名前・場所を覚えているのが不思議だが、だぶんそれだけ特別なものだったのだろう。最近は意識したことはないが、今どきのフランス料理のレストランではもうメニューにないのではなかろうか。

さてさて、息子の誕生日に話しを戻す。

子供たちには「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」、自分と私には、青じそを散らした「舌平目のムニエル」を、カミさんは料理してくれた。冒頭の写真は、私の皿の「舌平目のムニエル」がそろそろ食べ終わるところ。縁側は小骨が多くて食べにくく思っていて、最後に片側だけ残ってしまった。それを見たカミさんは「この縁側がパリパリしてうまいのよー」との年季の入ったアドバイス。言われるままに、残った縁側を食べると、魔法がかかったように、小骨も気にならず、うまかった。この「舌平目のムニエル」はバターたっぷりで、縁側の小骨もパリパリなのだ。

そんなわけで、子供たちの「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」の骨には、私はアルミホイルを巻き、その上に去年のクリスマスで余った赤いリボンを結んでみた。

2016年8月12日金曜日

「日光天然かき氷」の穴場

猛暑が続く。
こんなときは、プール、冷やし中華、かき氷。

ということで最近は、ふわっとした口溶けの「日光天然かき氷」なんてのが流行っている。練乳やシロップ類も自家製の有名店も数あれど、この猛暑の中、とても一時間もの行列なんか並んでられない。でも、天然氷のかき氷、一度は食してみたいなーなんて思ってはいた。

で、先日、うちの子供たちの「夏休み、どっか連れてってー」に応えて、東京スカイツリーに行ったときのこと。展望台の後、プラネタリウム、水族館とまわって、涼しくなった後、隣接のソラマチをぶらぶらしていると、「日光天然かき氷」(750円)のポスターが目に入った。カウンター越しにお姉さんが二人、客待ちをしているほどで、行列はなく、一人も待っていない。

この「日光天然かき氷」のシロップは、とちおとめ製の、いわゆるプレザーブタイプ(イチゴが大粒で残っている)のイチゴジャムソースのみ。ということで、上から下まですっかり栃木県。ここは、栃木県のアンテナショップだった。このお店の前がちょうどベンチが数個あるちょっとした休憩場所になっていて、そこに座って、家族四人で頂いた。

初めて食べた「日光天然かき氷」。冒頭の写真のように、粗めに削られたように見える氷は、口の中でフワッと溶けた。なるほど、この感じ、とてもいい。四人で食べたせいもあろうが、あっという間に食べ終えた。流行る理由が分かる気がした。

ところで、以前、鵠沼にある、とある有名天然かき氷店の店主がラジオに出演していて話してたことを思い出した。氷の温度がポイントらしい。通常の冷凍庫の温度は、マイナス17℃だか18℃。したがって、氷もその温度。しかし、天然氷のかき氷は、マイナス3〜4℃ぐらいと言っていたような記憶がある。かき氷にする前に、マイナス3〜4℃になるまで氷を外に置いて、適温の氷をかき氷にするらしい。夏場の行列についてその店主、「夏場以外なら、並ばなくて済みますよ」。それを聞いて「夏場以外にかき氷なんて」と思ったが、時季に合わせて、氷の温度を変えているということだから、そんな単純な話しではない。

さてさて、マイナス3〜4℃の氷だと、口の中ですぐ溶ける。これがフワッとした口溶けだ。頭が痛くならないのも、あんまり冷たくないからだろう。きっと、マイナス17℃なんていう冷たさは、そもそも人間にとって生理的に冷めた過ぎるのだ。だから頭が痛くなる。実際に食べてて、この3〜4℃の温度が心地よい。心地よく受け入れているから、身体は警戒することがない。そして心地よく受け入れられた「冷たさ」は、冷凍庫製の氷より「冷たく」感じてしまうところが妙なるところだ。

「日光天然かき氷」、一度は食べてみたいけど、有名店で並ぶ程ではなく、一度ぐらい東京スカイツリーに行ってもみてもいいかなと思う人にとっては、このアンテナショップの「日光天然かき氷」は、穴場かも。まだまだ暑そうだしね。


2016年7月21日木曜日

カフェ・チョンの幸せ

先週末、ベトナムからの来客があり、お土産に「カフェ・チョン」を頂いた。ベトナム語のチョンは、日本語ではジャコウネコ。この「ジャコウネコ・コーヒー」ついて、ベトナムで語られる有名な話しがあるので、ちょっと説明します。

まず、(野生の)ジャコウネコは、コーヒーの実を「選んで」食べる。その実はやがてウンチになるが、硬いコーヒーの種は未消化のまま。コーヒー園の中に落ちているその未消化のコーヒーの種を集め、洗って乾燥させる。そのコーヒーの種だけを焙煎したコーヒーということだ。ベトナム人に「カフェ・チョン」のことを質問すると、人によってディテールが微妙に違うのだが、だいたいこういうこと。

だから、「カフェ・チョン」には独特のおいしさがあり、大変希少なコーヒーということになっている。17〜18年前だったか、私がこの話しを初めて聞いた当時でも、町中のコーヒー豆屋さんには高価だが「カフェ・チョン」がさほど珍しくなく売られていた。

ところでベトナムには、この手のストーリーがときどきある。どの鳥だったかは忘れたが、ある特定の鳥が食べた唐辛子(チリ)の糞から集めた種を育てた唐辛子、とかね。その唐辛子を生でかじったことがあるが、外見は小ぶりで、青唐辛子の緑色とともにうっすら赤味がかったものもあった。かじると他のベトナムの唐辛子よりやや鋭い辛さだった記憶がある。

なんかね、こういう動物にまつわるストーリーは、人間至上主義ではなく、動物へのリスペクトにもとれるところがいい。(でも、現実はそんな甘〜くはない。その話は後で)

さて、そんな「カフェ・チョン」なんだが、今年3月、ベトナムへ行ったとき、空港でも売っていた。ジャコウネコのイラストがパッケージにあったので、写真に撮った。
ちなみにこの写真の箱入りの「カフェ・チョン」は、200g入りでVND550,000。およそUS$25。決して安くないが、空港価格だし、「そんな希少なカフェ・チョンが」と思うと安くも感じる値段だ。

で、お土産に頂いた「カフェ・チョン」は、ダラット周辺にあるコーヒー園で直接購入されたものだった。ベトナム最大のコーヒーの産地は、バンメトート周辺。客人は、ダラットとバンメトート両方の、今どきの「カフェ・チョン」の違いを説明してくれた。

バンメトートの方は、広いゲージの中にジャコウネコが何匹も放し飼いにされていて、そのジャコウネコにコーヒーの実の餌を与え、糞を収穫する。広いゲージだし、ジャコウネコはある程度は、コーヒーの実を選ぶことが出来る。一方、ダラットの方は、小さなゲージでジャコウネコを一匹一匹飼育していて、各ジャコウネコには、それぞれ特定のコーヒー種(アラビカ種、ロブスタ種など)の実だけを与える。だからジャコウネコは食べ残す以外に実を選ぶことが出来ないが、「カフェ・チョン」を、はっきりとコーヒー種別に得られるということだ。

いずれにしてもジャコウネコは商業ベースで、ゲージの中で飼育されているのだから、ジャコウネコからしたら、リスペクトなどという甘〜い話しなんかではない。

さて、頂いた「カフェ・チョン」をまずは袋から出してみる。
多くのベトナムのコーヒーのように深煎りで、豆の表面が浸み出した油なのかテカテカしている。そして粒の大きさがずいぶんとバラバラだ。コーヒー店によっては、粒のサイズを揃えるために一粒一粒選別するが、そんな店からしたら、怒られそうなバラバラさだ。そして、この「カフェ・チョン」はダラット産なので、品種が特定されている。「Cherry種」というちょっと珍しい品種。リベリカ種系の品種らしい。

いつもより丁寧にこの豆のコーヒーを入れた。

ジャコウの香りがするわけではなかったが、朽ちた木のような香りがする。決して悪い意味ではなく。そして深煎りの苦味の後味にうっすらと独特の酸味がある。この香り・味がジャコウネコの体内を通過したせいなのか、それとも「Cherry種」という珍しい品種のせいかのかは分からない。この土産を持ってきてくれた客人は、この香り・味をクセと感じていて、あまり好みではないらしかった。ただ、私にとってそれらは、好みのもので、おいしゅうございました。

最後に、ジャコウネコのウンチから採るコーヒー豆のことをネットで調べてみたら、世界では差ほど珍しくないと分かってしまった。残念。代表的なのは、インドネシアの「コピ・ルアク」。インドネシア語で、コピはコーヒーで、ルアクはマレージャコウネコ。そう言われると、そんなのあったなーという気になった。

そして、wikipediaの「コピ・ルアク」には、こんな記述も。

かつて、ベトナムでは同種のジャコウネコによるものが「タヌキコーヒー」(英語ではやはり Weasel coffee)と呼ばれて市場に出ていたが、現在は流通経路に乗る機会が乏しくなり、人為的に豆を発酵させたものが「タヌキコーヒー」と称して販売されている。

「人為的に豆を発酵させた」・・・・だましているからタヌキなのか? まさか。しかし「タヌキコーヒー」には思い当たるフシがある。私に初めて「カフェ・チョン」の話しをしてくれた日本語通訳のベトナム人の人は、チョンのことをタヌキと訳していた。単なる誤訳だと思うのだが。空港で売られていた「カフェ・チョン」の箱をよく見ると、“Weasel coffee”と書いてあるのに気がついた。“Weasel”を辞書で引くと「イタチ」となっている。また、俗に「ずるい人」の意もあり、苦笑い。それにしても、「人為的に発酵」だとー。ジャコウネコが食ってもいないのか。この土産の「カフェ・チョン」は、ダラットのコーヒー農園まで行って買ったものだから、いくらなんでもそれはないと思うが・・・・。ジャコウネコ、タヌキ、イタチと、もう何が何だか分からない。(笑)

wikipediaで、このインドネシアの「コピ・ルアク」のページを読んでいると、ベトナムの「カフェ・チョン」のストーリーは、インドネシアから渡ってきたものと思えなくもないが、ベトナムの場合は、ジャコウネコが「実を選ぶ」という点が加わっている。まさかベトナムが先なんてこともあるのかなぁ?

さらに、wikipediaの「コピ・ルアク」のページには、下記の記述も。

好き嫌いがはっきりと分かれやすい。豊かな香りと味のこくを高く評価する向きもある反面、「ウンチコーヒー」("poo coffee")と茶化す向きもある。

「おいしい・おいしくない」は、あくまで個々の問題だ。それは幸せもしかり。幸せならそれでいい。なんてことを改めて思わせてくれる「カフェ・チョン」でした。

2016年7月6日水曜日

梅の塩漬け・失敗の巻

2週間ぐらい前、梅干しを仕込むにあたっての、最初の段階である、塩漬けに失敗した。結果、3キロ仕込んだ梅が半分になってしまった。

毎年梅干しを仕込み始めてから、18年たつが、これほどの失敗は初めて。(赤ジソを加えた後の)本漬け時に、若干のカビが生えたことは2〜3度あったが、今回は仕込んだ梅の半分がダメになってしまったので、規模が違った。「正統派・梅干しレシピ」なんてのを書いてる者としては、何とも格好悪く、ショッキングな出来事ではあるが、こういう事ほどネットに上げておかねばと思い、パソコンのキーを叩く。

どんな失敗かというと、梅の塩漬けの段階で、梅酢がなかなか上がらず(2〜3日で上がって欲しいところ一週間かかってしまった)、その間に重石と自重で梅が傷み、カビが生えてしまったのだった。

しかし、大事なこととして、2点。まず無農薬の「完熟梅」というちょっと珍しい梅を使ったということ。もうひとつは、「せっかく無農薬なのだから」ということで、「水洗いせずに塩漬け」をしたということがある。私としては、チャレンジの意味もあった。とは言うものの、2年前には「水洗いせずに塩漬け」で成功していたので、今回は軽い気持ちのチャレンジであった。

さて、2年前の梅干しに関するエントリで、以下を書いた。

●洗わない「完熟手もぎ梅」(2014年6月16日)

で、今年も、希少品である「完熟梅」で仕込んだ。ただし今年のは、2年前購入した大分の菊の助さんの「完熟手もぎ梅」ではなく、他の農家さんの(手もぎかどうかは不明な)「完熟梅」。どちらも無農薬だ。この「完熟梅」も以前2度使ったことがあるし、仕込むときに、「手もぎ」との大きな違い(主に見た目と香り)は感じなかった。が、今思い返すと、菊の助さんの「完熟手もぎ梅」は、送られて来た箱の中で、すでに数個の梅が使えないぐらい傷んでいた記憶がある。一方、今年の「完熟梅」はそれがなく、全部使えた。・・・・ということは、同じ完熟梅でも、「手もぎ」か否かだけでなく、厳密にはその完熟度に違いがあったかも知れない。

そしてもうひとつの大きなポイントは、「水洗い」工程の有無。ここで誤解してもらっては困るのは、「水洗い」するときれいになる、ということではなく、私の考えでは、「水洗い」することで、塩の浸透圧を促せるという点だ。

この「水洗い」を少し説明しよう。

梅干しの最初の段階で、通常は、主にアク抜きのために、塩漬け前に一度水に浸す。あんまり熟してない青みがかった梅は3〜5時間、完熟ものは浸しても1〜2時間、浸さず水洗いして陸上げでもいいと思う。いずれにしても、水を通すことになるので、(ある場合は)農薬や汚れもある程度落とすことにもなるのだが、それよりも大きなことがあると思っている。

我が「カンホアの塩」の「正統派・梅干しレシピ」では、こうして水に浸して水切りした後、「まだ梅の表面が乾かぬうちに塩をまぶす」と書いている。これはその表面に残った水分が呼び水になって、塩が梅に絡みやすくなるからだ。こうすることで浸透圧がより促され、梅酢が出やすくなり、傷んだりカビたりしにくくなる。

したがって、逆に「水洗いせず」の場合、塩が梅に行き渡りにくくなり、梅酢が上がるのにより時間がかかる。2年前の「完熟手もぎ梅」もそれを心配しながらだったのだが、3日目に梅酢が上がり、「あー、なんだー、心配するほどじゃなかったなー」と思った経緯があった。それで、今年も「まー、完熟なら大丈夫だろう」と高をくくっていた。

ところがドッコイ。

今年の「完熟梅」は3日たっても一向に梅酢が上がってこない。「あれ〜?」とは思ったものの、3日目まで来て今さら塩にまみれた梅を水洗いすることも出来ずに、時間は過ぎていった。そして、ちょうど一週間後(7日後)、ようやく梅酢が上がった。さらに一週間、不安はあったものの、赤ジソの入手までそのまま放置。(この時点で一度重石をはずして梅をチェックした方がカビは少なかっただろう) そして赤ジソの塩もみが終わったところで、恐る恐る重石を外して梅酢に漬かった梅を瓶から取り出した。それが、下の写真。左側が傷んでしまったりカビが生えたりしてしまった梅で、右側が辛うじて救出した梅。あー、ショックです。18年目にして初めてだし。これを育てて、完熟するまで待って収穫してくれた農家さん、ごめんなさい。半分になってしまいました。
決していい見た目ではないが、傷みカビが生えた方の写真をアップで撮ったものがこれだ。
 さー、ここから気を取り直して、現実的に、次は何をすべきかだ。

まず、梅酢自体、やや濁っていたので、茶漉しで漉した。コーヒーフィルタの方がより漉せたが、気持ちに余裕がなかったな。また、カビは確実に梅酢の中に混じっているので、茶漉しで漉した梅酢を、火に掛けた。ゆらゆらと湯気が立って、沸騰する前に火を止めた。(温度計を差すのを忘れたが、だいたい70〜80℃ぐらいだったと思う) そして、一晩置いて冷ました後、通常の梅干しの工程に戻り、塩もみしたシソの葉を挟みながら、残った梅を本漬けした。現在、それから10日ほど経過したが、カビは発生していない。

そして、つい2〜3日前、同じ「完熟梅」をハチミツに漬けたのに若干だがカビが発生しているのに気がついた。ハチミツ漬けにカビが生えたのは初めてだった。ハチミツに漬けたのは(ドサッと塩を撒いて)塩漬けしたのと同じタイミング。んー、やはりこの梅自体が、「完熟手もぎ梅」よりもカビが生えやすかったということが言えるかも知れない。同じ「完熟梅」でも、これが「手もぎ」か否かの違いなのか。

1.(手もぎではない)「完熟梅」の場合は、(手もぎと違い)水洗いした方がいいようである。ただし、完熟なので、時間は短めに。
→見た目は概ね同じだが、2年前に一度だけだが、「手もぎ」は「水洗い」しなくてもよかったので、(手もぎではない)「完熟梅」の場合は、それが無難そうだ。くどいようだが、それは洗浄の意味ではなく、呼び水という意味だ。

2.厳密な完熟度が影響している可能性
→今年の「完熟梅」だって、見た目は完熟だった。一年をまたいで厳密に比べることは難しいが、完熟度が高いほど、梅酢が上がるのは早いハズだ。今回のカビの原因は、この点も大きく影響したように思っている。

3.品種・産地の違いはあるのか?
→梅の見た目からして、それはないように思っている。

来年は、改めてもう一度、菊の助さんの「完熟手もぎ梅」で、あえて「水洗いせず」にやってみようと思う。

2016年6月23日木曜日

外国人技能実習生の光と影

私がベトナムで塩を作り始めて18年ほど経つ。毎年1〜2度はベトナムを訪れるので、とても親しみのある国だ。そして、こうしてベトナムで仕事をしてこれた理由の一つに、ベトナム人が持つ日本のイメージのよさがあると思っている。ベトナムから見た日本は、「戦後、焼け野原だったところから見事に復興、そして経済発展を成し遂げ、今や世界でも有数の豊かな国」といったものだ。

そんなベトナムも、昨今の経済発展は著しく、毎年多くのベトナム人が来日しているのだが、その中で、「外国人技能実習生(研修生)」というのがある。詳しくは下記のサイト。

●公益財団法人・国際研修協力機構(JITCO)

この外国人技能実習生(研修生)という制度とは、国をあげて日本が行っている事業で、その趣旨は、「諸外国(主に発展途上国)の青壮年労働者を一定期間産業界に受け入れて、産業上の技能等を修得してもらう」というもの。しかし受け入れ側の日本にとっては、労働力不足(特に、建築業・農業)を補うことに使われているのが現実だ。

それがうまくマッチして、実習生は帰国後、日本で得た技能を発揮してうまくいっているケースもあるが、そうでないケースもある。その後者が、冒頭の新聞記事だ。(2016年5月7日朝刊、東京新聞)クリックすると拡大されます。

そして、それからおよそひと月後、下記の記事が同じ東京新聞に載っていた。これもクリックすると大きくなります。その実習生はおそらく先の記事の人と同一人物のようだ。経緯が酷似している。(2016年6月1日夕刊、東京新聞) 記事の中の専門家のコメントで、「(法務省の)極めて画期的な判断だ。・・・・」とあるが、本当にそう思う。

それにしてもこの問題はとても複雑だ。

現実的に、深刻な労働力不足を補わなくてはならない日本側。中には、最初の記事にあるようなヒドイ業者もいるのだが、一方、実習生の中には、日本入国だけを目してこの制度を使う人もいると聞く。実習生の賃金は一般より安い。その手の人たちは、入国後、(極端な場合はその空港で)逃亡し、不法滞在しながらカネを稼ぐ。いくらこの制度があっても、自費は必要だ。例えば最初の記事で取材に応じているグエン・チー・タンさんの場合は、「60万円」とある。多くの場合、(親御さん含め)借金してその費用を捻出しているから、そう簡単には帰国出来ない事情もある。さらに、日本の業者と実習生を繋ぐ存在として、その国のブローカー(斡旋業者)がいる。最初の記事の中に「(グエン・チー・タンさんは)ベトナムの送り出し団体に手数料60万円を支払って来日した」とあるが、「ベトナムの送り出し団体」がブローカー(斡旋業者)であり、無論ビジネスとして行っている。

冒頭に書いたとおり、ベトナム人が持つ日本のイメージはとてもいい。これは私の仕事に限らずとても大切なことだと思う。何とかそれが悪い方向に進まないようにせつに願っている。例えば、ベトナムには日本で技能を習得したい人が多くいるだろう。そして、日本には人手不足に悩む建築業・農業の業者が多くいるだろう。でも、こうしてこの制度を悪用する日本人・ベトナム人もいる。この絡まった状況が続くと、両国にとってよくない。この外国人技能実習生の制度をもっと現実に即すように、変えていかなくてはならないと思うのだが・・・・。

2016年5月24日火曜日

ホーチミン日本町の「同じようなもの」と「同じもの」

 上の写真は、この3月、ベトナムへ出張した際に撮ったもの。この紫色と赤色のライトを基調とした雰囲気に包まれた私は、何となく、昔みた「ブレード・ランナー」という映画の中に出てきた、未来のアジアの繁華街のシーンを連想した。

ここは、ホーチミン市、レタントン通りから南側に一本露地を入ったところ。この界隈は、日本人ビジネスマンが多く居住していて、日本の食材店が何軒もあったり、日本の漫画喫茶があったりと、日本人向けの店がたくさんある特異なエリアだ。この照明の色のせいか、何となく「子供は来ちゃいけませんよ」的な、怪しげな雰囲気がいい。ぶら下がっている提灯をアップで見ると、
 この日本人が書いたものではない「日本町」の文字が、異国情緒をさらに醸し出している。実際、日本にはこんなところはないんだけど、このベトナム人が作ったと思われる日本のイメージが、私には新鮮で、ここにしかないというオリジナリティを感じる。

このあたりがこんな風になったのは、ここ何年かのことだと思う。私も日本人ビジネスマンといえばそうなのだが、日本人ばっかりのところに行っても面白くないなと、ずうっと思っていて、これまであまりこの界隈に立ち寄ることはなかった。でも今はこんな風に不思議な空間になっていて、最近になって、行くようになった。

さて、この界隈の焼き鳥屋さんに入った。5〜6人いる店員さんは、全てベトナム人の若い女性。注文したり会計したりなど、無論日本語が通じる。座ったカウンター席はちょうど炭火で焼くところの前。炭火で熱い中、丁寧なその仕事ぶりは、さすがベトナム人という感じだ。
 日本のブロイラーの鶏よりおいしい。そして店内の様子はというと、
 メニューはもちろん日本語で、客は仕事帰りの日本人ビジネスマンばかり。時間は7時か8時ぐらいだった。すっかり新橋あたりの焼き鳥屋さんに迷い込んだような雰囲気だ。この焼き鳥屋さんで一杯やった後、次にラーメン店に入った。注文したラーメンはこれ。
 去年行った台北のラーメン店もそうだが、ここサイゴンのラーメン店も豚骨が圧倒的だ。日本のチェーン店の豚骨ラーメンよりおいしい。
 このラーメン店の客も日本人ばかりかと思いきや、若いベトナム人女性の二人連れ客もいた。二人で一つのラーメンや料理を注文していて、各品を二人の真ん中に置いて吟味しながら食べていた。若い人たちの間では、世界中で、日本モノが結構もてはやされているみたいだが、これもその一つなんだろうか、と思ったりする。

この界隈のこの雰囲気の中にいると、「これはいつの時代なのか? またここはどこなのか?」と、時間と空間の感覚がゴッチャになってしまう。日本のようでもありベトナムのようでもあり、現代のようであり一昔前のような、そして未来のような気もする独特なものだ。それが何とも不思議で刺激的。そして「このゴッチャになった感覚はいったい何だろう?」とふと思った。

グローバル化と言うが、だんだん世界中が混じり合っているんだと思う。それは、浸透圧の実験のように、国境という名の膜で仕切られたコップの中に濃い液体と薄い液体があるようなものだ。それは平衡状態になるまで混じり合う。

豚骨ラーメンは、日本の地方の国道沿いのラーメン店でも食べられるが、ホーチミンでも、ニューヨークでも食べられる。ちょっと前までは、ベトナムで(日本の)ラーメン店に入るのは、日本人ぐらいだったと思うが、今やベトナムの若い人たちも気軽に食べに来る。ちなみに、上の写真のラーメンは、8万ドン(400円ぐらい)。たぶん、東京で食べると600円ぐらいかな。そんなに大きな差ではない。一方、日本の百均ショップでは、ベトナム製陶器がいっぱいあり、「あっ、これベトナムの市場で見たことある」ということも珍しくない。ネットや交通・運搬手段がどんどん世界中で普及して、どんどん世界中が混じり合っている。近い将来は、世界中のどこでもだいたい「同じような」ものが食べられ、「同じような」サービスが受けられるようになるような気さえする。

ただそれらは「同じような」であり、「同じ」にはなり得ない。そこに見直されるべき価値がある気がする。「同じような」ものは、珍しくなく世界中にあるようになるのだから。

どこにでもある「同じようなもの」と、ここにしかない「同じもの」。

この2つは今でも身の回りにたくさんあるが、混じり合うことがもっと進み、「同じような」が多くなればなるほど、「同じ」の希少価値が高まるのだ。

紫と赤のライトに包まれたサイゴンの裏露地を歩いていて思った。

2016年5月13日金曜日

サイゴン・マジェスティックホテル 103号室

 上の写真は、ベトナムはサイゴン(現・ホーチミン)の老舗ホテル、マジェスティックホテルの103号室の入口。ドアの左側に金色のプレートが掛かっている。それをアップで見ると・・・・。
 暗いところでフラッシュ焚かずに撮ったので、ちょっと読みにくい。文字打ちしてしまおう。

日本の作家開高健は一九六四年末から六五年までサイゴンに
滞在して、開高健はマジェスティック・ホテル一〇三号室に滞在していました。
(現ホーチミン市)毎週、開高健は 週刊朝日にいろいろな記事を
よく送りました。また ベトナム戦記について書きました。

(この日本語の下にベトナム語)


開高健を知らない若い人たちに誤解のないよう付け加えるが、彼はこの部屋に閉じこもっていた訳ではない。命がけで戦場に足を運び、そのルポルタージュの原稿をこの部屋で書いた。「(ベトナム全土の戦争だから)このホテルさえも戦場になり得る」といった下りもあるらしいが。

それにしてもこのプレートの日本語、いくら開高健の記録とは言え、この短い文章の中に「開高健」が3回も出てくるし、全体的にちょっとおかしな日本語だ。日本語の上手なベトナム人が書いたのかなという感じがする。

この写真は、2013年、(単に私の出張ではなく)食の学校のツアーで、このホテルの他の部屋に泊まった際に撮ったものだ。まー、そんな機会でもない限り、私が泊まるようなホテルではないので、ミーハー心でこの103号室の前まで行ってみたのだった。この部屋に泊まるためには、ずいぶん前から予約を取らねばならないと聞いたことがある。

でまぁ、今改めて読んでみても、やはり変な日本語だ。

・・・・でだ。
ついこのあいだベトナムへ出張した際、偶然にもこのこのプレートの代替え品に出会った。正確には、代替え候補品なのだが。このマジェスティックホテルのプレートを見て、「もっとちゃんとしたい」と思った開高健の関係者が、日本で新たに作り直したものだった。そのお気持ち、よく分かる。それが下の写真。縁取りのデザインは踏襲されていている。四隅のねじ穴もキッチリ測って開けられているはずだ。
こちらはさすがにちゃんとした日本語だ。(読みにくいと感じたら画像をクリックしてください。大きくなります) ただひとつ、ベトナム語がなくなっちゃったのはちょっと残念。やはり現地言語は尊重したいという気持ちが私にはある。ねじ穴でサイズが限定され、日本語と英語で、スペースがいっぱいになってしまった、ということかなぁとは思うが。

でも、英語の最後。“....wrote a series of historic Vietnam War reportages that spurred antiwar movement in Japan.”の下りには、胸を打たれる。日本は今、当時に比べ、確実に平和ボケしていることを、“antiwar movement in Japan”という言葉から感じとれる。また、「この部分が日本語になっていないのはどういうことだろう?」と深読みしたくなってしまう。まっ、それはそれとして、「ベトナム戦記」まだ読んでないので読まなくちゃ。

さて、先に、このプレートは代替え候補品と書いた。私がこの写真を撮ったのは3月末。事前に代替え品の話はしているらしいのだが、この後マジェスティックホテルは現物をチェックし、承認を得られたら、掛け替えとなるらしい。この写真を撮ってから一ヶ月半が過ぎた今頃は、103号室の脇に掛けられているだろうか。

2016年5月9日月曜日

自前の船で、醤油搾り

遅ればせながら、今年の醤油搾り、3月10日に行った。
今年の新しいことは、何と言っても、船(搾り器)が自前になったこと。

いつもモロミを管理してくれている埼玉・秩父の黒澤氏が、昨冬、秩父の大きな古い農家にある蔵の整理を手伝っていたら、その蔵の中から、昔使っていた醤油の船(搾り器)が出てきたというのだ。おそらく何十年も使われていなかったので、復活にあたり、やや直しが必要なところがあったものの、十分に使えた。秩父には、「おなめ」と呼ばれる醤油のモロミに砂糖を加えて甘くした発酵保存食品が今でもある。モロミを食す食習慣が秩父にはあるのだが、私が想像するに、昔はそのモロミを搾って醤油を作っていたのではないかということ。しかし、搾るのは手間なので、今では簡単にそのモロミを甘くするなどして食されている、なーんて思うのだ。

そして、ビックリしちゃうが、古い蔵から醤油の船(搾り器)が出てきて、それを譲り受けたという同じような話しが、やはり埼玉・比企郡の川上氏にも今年あり、彼も今年は、自前の船(搾り器)で醤油を搾ったという。川上氏は、この3月10日の黒澤氏の搾りに、見学を兼ねて参加していた。

たまたま同じようなタイミングで、昔の船(搾り器)が2つも出てきて復活したということだが、こんな偶然ってあるんだろうか? と不思議な気分。そもそも自分たちで醤油を搾っていて、それを必要とする人たちが何人いるのか? 数十年も前に使われていた醤油の船(搾り器)が今一体いくつ残っているのか? 等々、考えれば考えるほど、不思議な出来事だと思う。しかし、数十年前までは、いろんな場所・地域で、醤油搾りが行われていたということは、言える。今のように、「醤油は買うモノ」が常識になったのは、この何十年かであって、その前までは、各地で(自分たちで)搾っていたのだ。それを私たちは忘れてしまっている。

以前、ドブロクについてのエントリで、私は下記のように書いた。

現代は、何でも「買う」ことが当たり前になってますね。便利って言えば便利だけれど、本当は、「自分で作る」がまずありきで、「自分で作れないもの」を「買う」ということだと思う。

●natural salt cafe: ドブロクのススメ(2014年1月30日)

さて、自前の船(搾り器)の復活デビューが一番の新しいことだったが、もう一つ、(今年の搾りのための)去年の仕込み直後に、温室のような醤油小屋を作ったことも以前のエントリで書いた。それがどのくらいの効果をもたらすかも、今回の搾りの注目点だった。

●natural salt cafe: 醤油小屋(2015年6月22日)

この醤油小屋は、去年お願いした搾り師の天野次郎氏のアドバイス「夏場の温度上昇が足りないのではないか?」を頂いて、作ったものだった。それまでは、吹きっさらしの軒下(南向き)にモロミの樽を置いていたのだが、それを温室に入れて、夏場の温度上昇を促した。結果、旨みが増した。色は、去年のゴールデンから濃いアメ色に変わった。香りも一段とよくなった気がしている。今年、天野搾り師に搾りをお願いしないのはやや負い目があるが、船(搾り器)を入手してしまっては仕方がないかと思う。

下の写真は、今年の搾り始め。
そして、搾り終わる頃は、


ちっとカメラのアングルが違うので分かりにくいが、去年と同様に、搾り終わりの頃の方が、透明度が増し、旨み・香りが増し、おいしい。去年の搾り時のエントリは、以下。

●natural salt cafe: 搾り師の醤油搾り(2015年3月17日)

やはり、ギューっと搾って、大豆の中心部からしみ出てくる醤油の方がうまいということか。「一番搾り」を珍重するオリーブの搾りとは反対なのだ。オリーブオイルはいわば、果実をそのまま搾ったジュースだけど、発酵・熟成したモロミ(大豆・小麦・塩)が搾られた醤油は、「最終搾り」がうまい。「一番搾り」というキレイに聞こえる言葉の響きに囚われてはいけない。

さてさて、搾りたての醤油は、当日少量もらってきたが、火入れ後の醤油を取りに秩父へいかなくちゃ。我が家は、この連休中、引っ越ししてバタバタ。なかなか行けないでいるのが気がかりだ。我が家の醤油が切れてきた。

2016年4月26日火曜日

活きタケノコかぶりつきの夢

先のエントリで、「大根おろし法」という簡単なタケノコのアク抜き方法を書いたが、きょうもタケノコの話。

長年、私にはタケノコにまつわる夢がある。夜見る夢でなく、「夢見る乙女」の方の夢だ。冒頭の写真は、我が家(東京・昭島市)の近所の竹藪(真竹)だが、所有者は不明。町に住むとなかなか私の夢の実現は難しい。

先のエントリでも触れたとおり、下記の先人の言葉は、いつも私の心の奥底で静かに息づいている。

「タケノコ掘りに行くときは、台所で湯を沸かしながら、行くものだ」
「タケノコは、掘った(根から切り離した)とたんに、アクが出てくる」

そして、つい先日、サムライ菊の助さんのブログで、

「タケノコは、掘ってから30分以内にゆで始めなければならないのである」

とのお言葉。
つまりは、「掘ってから、出来るだけ短い時間にアク抜きするといい」ということだ。

・・・・ならばだ。

その「出来るだけ短い時間」や「30分」をいっそのこと「ゼロ」にしたらいいではないか! つまりは、生えてるタケノコにかぶりついたらいいいいではないか! と、20〜30年ぐらい前に思いついた。これが私の「活きタケノコかぶりつきの夢」だ。

この夢を思いついたキッカケは、30年ほど前の5月、紀州の山の中にある友人宅に泊まっていたときのこと。私は、窓越しに竹林がある部屋に寝ていたのだが、深夜未明、突然「バリバリ、バリバリ」と窓を隔てた竹林でスゴイ音がした。怪獣がビルを叩き壊すような音。私は真っ暗の中、飛び起きた。耳をひそめると、何か大きな動物が、竹林の中を少し歩いては「バリバリ、バリバリ」と数回繰り返した。30分もすると、音がしなくなったので、私は再び眠りについた。翌朝、友人にその話をすると、「あー、そりゃ、イノシシだ」とのことだった。「バリバリ、バリバリ」は、イノシシがタケノコをかじっていた音だったのだ。そしてその竹林に行ってみると、イノシシの背丈ぐらいにのびたタケノコが数カ所、荒々しく食べられていた。「イノシシって、タケノコ食うんだー」と思った。

それ以来、何度か(アク抜きした)タケノコを食す機会があったが、その度毎にあの「バリバリ、バリバリ」を思い出す。そして、「あのイノシシが食っていたタケノコは、アクはなかったんだろうか?」とも思った。そして、もしかしたら、「生えたままのタケノコは、アクがない(またはほとんどない)」ということかも知れない、と思い至ったのだった。先に書いたの先人の言葉と繋がった。

先のエントリでも書いたとおり、タケノコは、適度なアクがあった方がいい。でも、たとえ掘って30分でも、アク抜きが必要なタケノコを、生えたままかぶりついたらどんな味がするのかを、死ぬまでに一度は確かめてみたいのだ。あのイノシシだって、真夜中とはいえ、リスクをおかして人家に近づいて次から次へとバリバリ食べていたのだから、それはそれはおいしいものなのかも知れない。

まだ実現はしてないものの、そこまで思っているので、私の中でシミュレーションはかなり出来上がっている。
  1. 天気のいい4月中旬から5月中旬、長靴を履いて竹林へ(出来たら孟宗竹)行く。持ち物は、小さなスコップ・ナイフ・お醤油・塩・山椒の葉。
  2. 少し土の盛り上がった食べ頃のタケノコさんの周りの土をスコップで軽く掘り、表れる皮をナイフで剥き、柔らかな先っちょ(7〜8センチ)を露出させる。(たぶんそれは地面よりも低い位置になるだろうから、先っちょの周りの土を大きめのドーナツ型に掘ることになろう)
  3. 腕立て伏せをするように、両手をその先っちょの左右両側につき、(イノシシのように)露出した先っちょに、まずはかぶりつく。
  4. 味をみて、調味料が欲しいようなら、別の露出した先っちょに塩をかけたり、お醤油を垂らしたり、山椒の葉を少しのせたりして、改めてかぶりつく。
  5. 次に、また別のタケノコの先っちょだけをナイフですっと切って、即、口に入れる。これは「掘って(切って)から3秒ぐらい」になろうか。もちろん、オプションで調味料類。
「先っちょだけ食べちゃって、その下がもったいないぞ」、「それでその竹は成長出来ないじゃないか(いやいや、今や荒れている竹林が多い)」、または「そんな(イノシシみたいで)お下品な!」など、異論も多いと思うが、大地にまだくっついている植物を直接食す。イノシシがそうしてタケノコを食すように、自分が動物に近づけるような気がして、想像しただけでゾクゾクする感覚がある。これまで、活きた白魚やエビのお造りを食べたが、口の中で動くと、妙な気持ちになったものだ。タケノコは動かずとも、どうなんだろう? 果物や野菜類は何となく想像がつくが、この活きタケノコは想像がつかない。

冒頭に書いたとおり、現在私は町に住んでいて、なかなかその機会はない。田舎に住む知人の中には、近所の竹林でタケノコ掘りが出来る人がいよう。その人に頼めばいい。だが、こういうのって不思議なのだけど、本当にやってしまったら、夢が終わっちゃうんじゃないかという寂しさへの不安も同時にあって、ずうっと20〜30年やれずにいる。普段は忘れているだけど、毎年、この時期になると、思い出すのだ。

きっと「そのとき」は、自然とやって来るものだと思っている。

2016年4月20日水曜日

大根おろしで、タケノコのアク抜き

桜が散ると、心の中にしばしの間あった桜の記憶もすっかりなくなってしまうのは、どういう訳だろう。「桜が散ると、暖かくなるんだ」と誰かが言ってたが、そんな陽気がこの2〜3日続いている東京です。熊本は、地震で大変だが、我が町・東京だって、いつあのぐらいの地震が来てもおかしくないことを改めて思う。台風が来たら雨戸を閉めるぐらいの感覚で、川内原発もとりあえずは止めなきゃね。伊方は今は休止中でよかったけど、7月下旬には再稼働の予定があるらしい。

さて、4月の半ばを過ぎると、やっぱりタケノコです。でもタケノコは、アク抜きが面倒だ。かといって、すっかりアクが抜けきった水煮缶のようなタケノコは、中華なんかではしばしば登場し、その食感を楽しませてくれるが、本来タケノコは、このアクというかエグ味を感じて「あー、タケノコだー」と感じるものでしょ。しかし、そのエグ味は、ほどほどでないといけない。そこで、「自分でアク抜き」となる訳だが、これがなかなか面倒なものだ。

サムライ菊の助「畑日記」の4月12日のエントリ「竹の子の水煮は柔らかく煮てはいけない」を読むと、

「竹の子は、掘ってから30分以内にゆで始めなければならないのである」

とある。サムライ菊の助さんは、ツバキの葉を使う点も、特筆もの。そして他の人からもまた、

「タケノコ掘りに行くときは、台所で湯を沸かしながら、行くものだ」

と聞いたことがある。つまり、「タケノコは、掘ったとたんにどんどんアクが強くなる」ということなのだが、それを聞くと、正直「そらりゃー、恵まれてるぜ」と、東京に住む私は言いたくなる。どちらも、自分ちの、または仲のいい人の竹林がすぐそばにおありの方だからこそ言える台詞だからだ。私の場合、東京といってもちょっと郊外の昭島市なので、近所に竹藪(真竹だけど)があるが、(知らない)人様のものなので、そこのタケノコは食したことはない。また、孟宗の竹林のある公園なんかに行くと、「タケノコを掘らないでください」なんて立て札があったりして失笑する。公園の竹林でタケノコを掘った輩がいたということだ。夜にでも忍び込んだのか。まさか白昼堂々とはいくまい。何ともいい根性しているなと思うが、余程のタケノコ好きだったのだろう。(もちろん、泥棒はいけないことです。よい子の皆さんはくれぐれも真似しないように)

さてさて、前置きが長過ぎた。

きょうは、その面倒なタケノコのアク抜きの新技の紹介です。
先日、カミさんが、人から聞いた話として、「大根おろしでアク抜き」という方法でアク抜きしてくれた若竹煮を食したが、ちょうどいいアク抜き加減だった。ちなみに、この簡単な方法の出所は、「分とく山」の野崎さんが、NHKでやってたとのことだった。(「分とく山」には行ったことはないが、私にとって野崎さんは「きょうの料理」などでお馴染みで、その料理・お人柄などのファンの一人である)

したがって、カミさんも私もその番組を見た訳ではなく、聞き伝えであり、何となく「こんな風に理解していて、結果的にうまくいった」という方法を下記に記します。

  1. 「大根おろし(汁も一緒)」と「水」を1対1の割合でボウルに入れ、総量の1%の塩を加え、混ぜる。
  2. 皮をむいたタケノコを料理する大きさに切って、そのボウルに漬ける。(冒頭の写真)
  3. 1時間置いたら、タケノコをさっと水洗いして、料理に使う。

無論、大根おろしの量は、タケノコの量をみて加減してください。何しろ時間にして、1時間と少しあれば、生のタケノコの料理を始められる。火も使わず簡単だ。サムライ菊の助さんが忠告する「竹の子の水煮は柔らかく煮てはいけない」は、アク抜き段階でのことなので、この「大根おろし法」だと、料理の際に気をつければいいこととなる。

掘ってからの時間などによって、タケノコのアクは異なるから、大根おろしの量または濃度(水との割合)を変えたり、漬けてる途中で一度大根おろしを新しいのに入れ替えたりするとより強力なアク抜きになりそうだ。あと、大根の品種によっても違うかも知れない。また、これは番組でもやってたみたいだけど、この場合の「大根おろし」とは、正確にはその汁(液体)のこと。普段、例えば焼き魚のために大根おろしを擦りますね。そのとき、ザルでざっと水分を取ったりしたとき、出た汁を残しておいて(冷凍して)、それをこのときぞとばかりに使ってもいいそうです。私は、大根おろしの汁が余ったら、飲んじゃうけど。

もう少し、皮付きのタケノコが店先に並ぶでしょう。米ぬかでのアク抜きが面倒という理由だけでタケノコを食べずにいるタケノコ好きの方は、この「大根おろし法」でやってみてはいかが?

2016年4月12日火曜日

ベトナムのおじいちゃんの杖

先月、ベトナムへ出張した際、サイゴン(ホーチミン市)の知人宅に行った。彼は、以前下記のエントリでも書いた、私のココナッツの先生でもある。

●ココナツジュース、ベンチェー流 (2013年1月26日)

上記エントリにもあるとおり、その知人はベンチェーというココナツで有名な町の出身。それはこのエントリでは関係ないのだが、今回、私と同い年ぐらいの彼の父親と会う機会があった。その父親は、その日ベンチェーからホーチミンにやってきていた。「あ〜、(長い間バスに乗って)疲れたー」と椅子に腰掛けていたが、脇にあった杖が私の目に留まった。このおじいちゃんお手製の杖である。

私は、こーゆーのが滅法好きだ。

こんな小さな写真では、ディテールがよく分からないので、下の寄った写真を見て頂きたい。
これが取っ手。杖を持つところ。水道屋さんが使う水道管の継ぎ手だ。いわゆる「エルボー」と呼ばれるL字型のヤツ。これを本体の竹に固定するために、向こうとこっち2箇所を木ねじでとめてある。エルボーには、最初にキリのようなもので穴を開けた後、木ねじでとめたのだろう。そして、ポカンとあいてるエルボーの穴には、プラスチック製のビンの蓋のようなもので塞いである。廃物利用のお手本のようなものだ。これで手の平への負担が少なくなる。次に、杖が地面を突くところ。

オートバイのグリップだ。すばらしい。ご存じの方も多いと思うが、ベトナムでは、オートバイがたーくさん走っています。さらに下の写真。
竹の節の部分を削ってある。実に仕事が丁寧で、このおじいちゃんの性格を物語っているようだ。

以前、下記のエントリで書いたことがある。

●ドブロクのススメ(2014年1月30日)

その一部を引用する。

現代は、何でも「買う」ことが当たり前になってますね。便利って言えば便利だけれど、本当は、「自分で作る」がまずありきで、「自分で作れないもの」を「買う」ということだと思う。

この杖は、これがそのまま体現されている。
私のそのエントリでは、ドブロクについてだが、「自分で作る」がまずありき、には何ら変わりない。

言うまでもないが、私がこのおじいちゃんの杖を絶賛しても、おじいちゃんは表情ひとつ変えやしない。当たり前なのだ。そこに「カッコいい」という陳腐な言葉では言い表し切れないものがある。

これがベトナムの底力なような気がしてならない。