
今年の秋、家族でカミさんの実家を訪れた。そこは稲作もしている専業農家。私たちが食べるお米も送ってもらっている。今回はタイミングよく稲刈りの直前に行ったので、「真似ごとでいいので、是非稲刈りをさせて欲しい」とお願いした。
私たちは毎日その田んぼで出来たお米を食べている。その米が植物としてどんなものなのか、そしてどんなふうに食卓に並ぶまでになるのか、子供たちは知らないので、まずはちょっとでも稲刈りをさせたいと思った。また私自身、東京生まれの東京育ち。子供の頃、こういう経験がなかったせいか、「これはチャンス!」と迷うことがなかった。「子供たちに体験学習をさせよう」という、親父のちょっとしたプランだった。
コンバインが最初に入る田んぼの部分は、手で刈るとのことだったので、そこで3合分ぐらいの稲刈りをさせてもらい、東京の自宅へ送った。実家では、収穫が終わったら、町の協同組合のようなところへ納めて乾燥機で乾燥させる。自宅では、軒下で2ヶ月ほど、稲木にかけるようにかけておいた。
・・・・と、そこまではよかったが、「この後どーやって脱穀する?」
無知な私は、「脱穀(だっこく)」とは籾の殻をとって玄米にすることだと思っていたが、調べてみると、それは「籾摺り(もみすり)」で、「脱穀」とは、「籾摺り」の前に稲から籾を離すことだった。どうやら、一番の問題は、「籾摺り」のようだ。
稲を干しながら、ネットで「一般家庭で出来る籾摺りの方法は?」を調べてみた。東京・銀座の田んぼで収穫された稲の脱穀・籾摺りのイベントでは、すり鉢に入れた籾を野球のボール(イボイボ表面の軟球)でスリスリしていた。それをみた私は、「そんな(時間のかかりそうな)方法しかねぇのかなぁ〜」と正直不満だった。これだったら、「厚手のポリ袋に籾を入れて、ビンでたたいた方がいいんじゃないのかな」とも思った。
さて、十分に干されたところでまずは脱穀をやってみた。子供と遊びながらでおよそ3合分、1時間で出来た。ただ単純に手でしごいただけだ。(冒頭の写真はそのときのもの) 次はいよいよ「籾摺り」。「(機械のなかった)昔は、こんなふうにやってたものさ」みたいたな答えを期待しながら、カミさんの実家はもちろん、農家に育った私の親にもきいてみたが、全員、機械の方法以外知らないのだった。もう50〜60年も前から機械で籾摺りされていたということか。
「たぶん一升瓶に入れて棒でつついてみたら出来るんじゃない」。「それって精米の方法で、玄米をつつくんじゃないの?」と聞き返すと、「そうかもねぇ〜」と何とも頼りない反応。しかし他に思いつかず、やってみた。・・・・3合やるにはたぶん1日中つついてないと出来ない感じ。この方法は諦めて、次に以前思いついてた厚手のポリ袋に入れて一升瓶でたたく方法。・・・・棒でつつくのと五十歩百歩またはそれ以下か・・・・。
何しろ、籾殻は、思ったより玄米とくっついている。ポロッととれるイメージだったが、そんなことはなかった。機械を使う以前の「籾摺り」を調べてみる。・・・・木製の臼で挽かれていた。
そりゃ無理だ、情けない哉、現代人(五七五調)
失意の中、「すり鉢に軟球でスリスリ」をやってみた。「ありゃ〜、よく取れる!」それは他の方法に比べ、ブッチギリで素晴らしかった。もーこれしかない。ある程度時間はかかるけど、一升瓶や厚手のポリ袋に比べたら、雲泥の差だ。この方法を知った当初は確かに不満に感じたが、実際これは、とてもすばらしい方法だということを身をもって知った。
ただ、まだ3合全部籾摺り出来ていない。今年中にはやらないと、自分たちで刈ったせっかくの「新米」が「古米」になっちゃうー・・・・と焦っているのは私だけ。
この体験学習は、実は私のためだった、ということに最近気がついた。
2009年12月22日火曜日
お米の体験学習
2009年12月14日月曜日
塩ラーメンの旨味

写真は、東京駅八重洲南口の地下1階にある「ラーメン・ストリート」の中のラーメン屋さん、「ひるがお」の「塩らーめん(ひるがお盛り)」。1週間ほど前に食べに行った。長年「カンホアの塩」を使い続けてくれている。
このお店は元は新宿御苑にあったが、東京駅に引っ越して来た。新宿御苑の頃と味はやや変わっていた。新宿御苑の頃は、もっとスープの味に旨味の主張が強かったと思う。それが少し穏やかになったような気がした。
一般論としてだが、醤油や味噌といった調味料にはそれら自身にも旨味があるため、塩ラーメンになると、ラーメン屋さんはそれらにない旨味を補おうとして、旨味を強くする傾向があるんじゃないだろうか、と常々感じている。旨味が強いと、一口目からズッシリとその旨味を感じ始めるから、食べ終わる頃は舌がその旨味一色になって、なかなかつらいときがある。それは化学調味料を使わない旨味であってもあり得る。
だから、私にとって、一口目にスープの旨味を穏やかに感じることは、安心感に繋がっている。でも、この塩らーめんの旨味は、ただ「穏やか」になっただけではない。スープの中にいろいろな旨味を感じたが、中でも鰹の旨味がとても「抑えが効いた」大人なものだったことが印象深い。
私は15年か20年ぐらい前に、NHKの「きょうの料理」という番組で和食の出汁の取り方を、2人の板前さんが(もちろん別々の日に)教えてくれたのを観たことがある。ひとりは、道場六三郎さん。もうひとりは、野崎洋光さん。このおふた方の出汁の取り方は全く対照的だった。
道場さんは、昆布出汁を取った後、鰹節・鯖節を使ったが、それら魚を入れた後はグラグラ煮立たせて、魚の味をシッカリ取っていた。一方、野崎さんは、昆布に鰹節だけだったが、鰹節を入れる前に火を止めて冷水を足す。そして鰹節を入れた後も火にはかけず、再び冷水を足していた。野崎さんはその冷水の理由を「対流を抑える」と言っていた。私はどっちも自分でやってみた。想像つくとは思うが、道場さん流は、野趣あふれる旨味。鯖節のクセもしっかり「おいしさ」になる。野崎さん流は、フワーっとした浮遊感さえ感じる柔らかい旨味だ。どっちが「おいしい」の議論は意味がない。合わせる料理にもよるし、個人差もある。
ただ、ひるがおの塩らーめんは、野崎さん流の方だった。野崎さんは「対流を抑える」と言っていたが、私はそれは温度の違いでもあるような気がしている。今回ひるがおには11時の開店と同時に入った。つまり、朝一番のスープだった。寸胴に仕込まれたスープは、時間と共に保温され続け、夕方頃には多少味が変化しているかも知れない。
今や様々な食材が手に入り、いろいろな旨味を作り出すことが出来る。でも、ここでいう旨味は、あくまで味の部品であり、「おいしさ」とは別だ。いろんな味の部品で組み立てられた味が、「おいしい」かどうか? それが問題なのだ。例えば、先に「温度の違い」と簡単に書いたが、温度が低ければ当然時間はよりかかる。そうした細かいことの積み重ねで全体が組み立て上がる。
スープの旨味の穏やかさは、その分、麺の味、各トッピングの味、ひとつひとつの味がより印象に残るようになったとも言える。麺の「小麦を食べてる」実感をともなった味、青さのりの豊かな香りと微妙な味わい、トッピングの塩卵にもかすかに「カンホアの塩」の味がした。どれもきっとスープの穏やかさが背景ゆえに感じたもので、無理がない。「こういいうのでいいんだよな」と感じさせてくれる。そんな素直な「おいしさ」の塩らーめんだった。
2009年12月11日金曜日
猫が来る

この間、ある金曜日の夜、いつものように私たち家族の夕食が終わって、少しくつろいでいると、月見台(張り出し)への引き戸の外側から猫のような鳴き声がした。それは何かを求めているような急を要した声だったので、同時に気がついた幼い娘と一緒に、私たちは引き戸の上半分の透明なガラスから外を見た。紛れもない、猫だ。三毛猫だ。この辺りには、いわゆる「周り猫」と呼ばれる猫が2〜3匹いるが、この三毛猫は見たことがない。見上げてこちらを見ながら鳴いている。泣いているとさえ感じてしまった私は、直感的に「マズイなー」と思いつつ、つい引き戸を開けた。すると、トコトコ部屋に入って来て、足にまとわりつく。我が家は借家で、動物は飼ってはいけないことになっている。また大家さんちは、簡単な塀を隔てた隣なので、音が筒抜け。猫がいるだけでもすぐにバレる。
こんな人慣れした猫が、こんな見ず知らずの人の家に、それもこんな時間に来るなんて。「きっと、何か事情があるに違いない」と思ったが、同時に「ウチに来てもねぇ〜」と、とても複雑な心境。子供たちは突然の『愛くるしい』とも言える訪問者に大騒ぎ。フワフワの毛を撫でては、もう歓喜極まっている。こんなとき、オヤジはいかなる行動を取るべきか。短い時間にいろんなシナリオが頭の中を駆けめぐった。
とりあえず、いつものように家族は順番に風呂に入る。私は最後なので、しばしの間、部屋でサシで一緒に過ごした。猫はまるで自分の家のように、座布団の上でゴロゴロ。明らかにリラックスしている。それを見て、何となく「コイツにはかなわない」という感覚が私の心にグッサリと刺さった。風呂から上がっても興奮状態の子供たちは、とても寝付けそうにない。それでも、「もう寝よう」と電気を消した。「猫さんはどうするの?」と当然の質問。「この猫さんは、迷子になってるかも知れないから、きょう外に出してあげよう」と、大した抵抗なく私に抱きかかえられた猫は入ってきた引き戸の外に出た。しばらく引き戸の向こうで鳴いてはいたが、無視するしかない。だんだん鳴き声の間隔が長くなり、やがて声が聞こえなくなった後、私も布団に入った。
翌朝、引き戸の外を見るが、いない。「またどこかへ行ったかな」と思ったのもつかの間、玄関わきのポストに新聞を取りに行くと、隣の家の玄関の前に座っている。ポストを開ける音に気づいた猫は、私に向かって走ってくる。「あや〜」。幸か不幸かこの日は土曜日で私は一日中、家で仕事の予定だった。カミさんは外で仕事、子供を保育園に預けた後、私は一日一緒に過ごすこととなった。しかし、このままではいけない。
とりあえず2軒隣の友人に相談。その家はかつて猫を飼っていて、私たちより猫に詳しい。しかし、その家も同じタナゴ(共通の大家さんの借家)だから、「ウチも無理だけど、近所の○○さんちだったら、猫飼ってもいいな〜ってなこと言ってたよ」とすばらしい情報。早速、○○さんちに電話をかけると、悪くない反応。簡単に言えば、「猫による」のだろう。でも、この猫が受け入れられる自信はあったので、まずは我が家に来てもらった。案の定、OKが出て、翌日の日曜日、連れて行くことになった。ホッと一息。と同時に一抹の寂しさはあったけど・・・。
しかし、この猫が単純に迷子になってる可能性がないわけではない。そこで、「迷い猫、預かってます。お心当たりの方はコチラまで(携帯番号)」という写真付きの紙を、近所の電信柱に貼りまくった。○○さんには「もし、飼い主が現れたら帰ってもらうから」は条件だ。そして夕方保育園のお迎え、間もなくカミさんも帰宅。ほとんど仕事にならなかった長い一日を説明した後、「(翌日の)お昼ぐらいまでこの猫と一緒に過ごそう。また会いたくなったら○○さんちへ行けばいい」と話した。半分自分に言い聞かせるように。冒頭の写真は、その日曜日に撮ったものである。
1ヶ月ほど連絡を待ったが、梨のツブテ。張り紙を全て撤去し、その三毛猫は○○さんちに住むことになった。どんな事情があったかは分からないが、猫も大変だ。
猫と言えば、もう10年以上前のことだが、我が家の縁側の下から、か細い子猫の声がしたので覗いてみると、母猫が子猫2匹を抱えて授乳していた。明らかに子猫たちは弱ってた。そぼ降る雨の中だった。私と目が合った母も弱っていたが懸命に私を威嚇する。「雨宿りぐらい全然OKよ」と言い残して1〜2日後、「どうしたかな」と見てみたら、子猫1匹だけが死体で残っていた。つい数十年前までの日本では、生まれてすぐに命を落とす人間の赤ちゃんが少なからずいたという。どんな事情があったかは分からないが、命がけで猫も大変だ。裏庭の土の中に遺体を埋め、手を合わしながら、そう思った。
2009年11月24日火曜日
森林伐採の棒

「抜けるような青空」とはこういう空だろう。その空の下、さっそうとオートバイが走っている。実にのどかな風景だ。ここは「カンホアの塩」の塩田へ向かう道。しかし、写真のピントは右側の赤と白のシマシマに数字が書いてある棒に合っている。きょうのブログのタイトルのとおり、これは、「森林伐採の棒」とも言えなくもない。これ、何だか分かります?
塩田へはあと2〜3分といったところなので、海へももうすぐだ。この写真からは想像出来ないが、実はこの辺りは、毎年雨期になると水浸しになる。今(11月)、カンホアはちょうど雨期だ。この写真は今年の5月、乾期真っ盛りのときに撮ったもの。
少し前まで(15〜20年ぐらい前まで)ベトナムの田舎では、一般家庭用も含め燃料はみんな薪や炭を使っていた。(もちろん日本も昔はそうだった)ところが、経済も発展し人口が増えると、それまで続いていた薪や炭の循環による燃料だけでは足りなくなり、山に生えてる木を切り始めた。そして、しばらくして山はハゲ坊主になってしまった。10年ほど前、私はバスで山を走ったことがあったが、見事というかゾッとするぐらい木が切られた風景を思い出す。当然、山の保水力は衰え、やがてその山の下にあたる地域は雨期時の洪水の規模を増した。死者が出ることも決して珍しくないほどだ。
あわてたベトナム政府は、木の伐採の規制を強化し取り締まった。その結果、少しずつだが回復に向かっているという。いくら植物の成長が早い熱帯とはいえ、とても時間がかかることは言うまでもない。現在は、ちょっとした町ならガスが普及しているし、七輪を使っている田舎でも薪や炭の燃料は禁止され、すべて練炭になっている。
写真の赤白の棒、分かりましたか? こいつは、この辺りが水浸しになったとき、その水深を示す定規なのです。どんなに起伏のある道でも、水は平らにしてしまうから、上から見ただけで、その深さは分からない。例えば、水深20cmまでなら自分の乗ってるオートバイのエンジンに水が入らないとすれば、それ以上のところは通れない。それを確認するための定規である。
洪水は毎年あるので、こうしてコンクリートでしっかり作られている。もちろんこの辺りでも低い場所に立っている。ベトナムはメートル法が一般的なので、“2”は20cmを示すんだろうけど、“2”の上端に水面が来ると“2”が見えなくなっちゃうな。ん、まぁ細かいことは抜きにして、定規なんです。これが20cmならまだしも、120cmまで目盛りがある。120cmまでは来ないにしても、車が通れないぐらい(50cm)にはなることがあるらしい。私は雨期にもこのあたりに来たことはあるが、洪水の最中にはないので、実体験としては分からない。でも、これは決して飾りではないのです。
ところで、植樹活動はちゃんと行われているのか、気になるところだ。こうした森林伐採の話は、環境問題の課題としてしばしばあるが、そういう社会問題としてだけでなく、毎年の雨期には、塩田も塩田で働いている人たちの家も水浸しになる。私と直接関係ある人たちにも被害は及んでいる。
一度、カンホアの天日塩生産者に、「将来、少しでも出来る範囲で山に木を植えたいと思うが、どう思う?」と話したことがある。しかし、「そりゃ〜、喜ぶ人はいると思うけど・・・」とつれない反応。例えば、日本で言えばNGO組織などが植樹運動をしていれば、それに協力する形を比較的簡単にとれるだろうが、そういう雰囲気はまるでない。だから、もし現実的に行うとすれば、役所をからめてそのシステム作りから始めなくてはならないだろう。もちろんその際は、カンホアの天日塩生産者も巻き込んでのことになるだろう。それなりの覚悟は必要だ。
残念ながら、現在のところ、私にそこまでの余力はない。「カンホアの塩」は日本の人に喜んでもらいたい、また生産地もそれなりの技術的・経済的恩恵を受けてもらうことで、ひとつの循環がそこに生まれれば、という気持ちで作っている。最低限度、そこまでの循環がないと、このようなことは難しい。そういう意味で、余力がない。
しかし、一過性の経済優先で失われた環境は、結果的に社会全体としては不利益だという、(悪い意味での)経験値は日本の方が高い。せっかくだから、それは何とかして伝えたい。が、これがかなり難しいのだ。ただ、もしそこまで出来たらそれは絶対にすばらしいことだ。そんな夢もあるから、この仕事を続けられているのかも知れない。
2009年11月17日火曜日
「ズルズル」の文化

前のブログで、麺の「ズルズル」を書いた後、もう一歩踏み込んで、「ズルズル」を考えてみたくなった。「ズルズル」は世界的にとても特別なもの。考えてみる価値を感じてしまった。
まず、麺の食べ方のスタイルは大きく3種類に分かれると思う。
- 日本では、もり・せいろ・ざる・そうめんなど、つゆにつけて食べる麺(以下、「つゆ麺」と称す)
- ラーメンやフォーなどの「汁麺」、朝鮮の冷麺もこれに入る
- スパゲティーなど主に絡まったソースで食べる麺
上の3つの麺類で、私が最も「ズルズル」を必要と感じるのは、間違いなく1番のつゆ麺だ。2番の汁麺はケースバイケース。着てる物にもよったりしてね。3番は「ズルズル」しない。
汁麺をケースバイケースと思うのはなぜだろう。何となくのイメージでは、麺以外の具材がたくさん入っている汁麺は具材と共に食べることもあるから、「ズルズル」な印象は比較的薄いが、ちょっとトッピング程度のシンプルなラーメンやフォーは「ズルズル」する印象がややある。やはり、「ズルズル」は「麺と汁との絡み具合」がその骨子だろう。汁麺はあらかじめ汁に浸かっており、つゆ麺は自分で浸ける。もしかしたら、私にとって、汁麺の「ズルズル」はつゆ麺の「ズルズル」の延長線上にあるのかも知れない・・・・という仮説の下、つゆ麺の「ズルズル」を深ーく考察してみようと思う。
ちょっと話が面倒になってきた。ちょうど今蕎麦がうまい時だし、蕎麦に絞って進める。
まず、蕎麦(そば切り)を汁にドップリつけると、大概はつゆの香り・味が勝ち過ぎて、蕎麦の味・香りが消され過ぎてしまう。だから、箸でとった蕎麦の5cmぐらいは残して下の部分をつゆにつけるぐらいがちょうどいい。そして素早く「ズルズル」っとする。ちょうど落語家の人が扇子の箸で蕎麦を食べる感じだ(「時そば」は汁麺だったと思ったが)。それで思い出したが、蕎麦通と呼ばれる人が「死ぬまでに一度でいいから蕎麦をたっぷりつゆにつけて食べたかった」というオチの落語があったような気がする。やせ我慢はよくないが、やはり適度が一番いい。・・・・ちょっと話がそれたので、戻します。・・・・何しろ素早く「ズルズル」っとすると、口の中で蕎麦と適量の汁がうまく絡み、独特のハーモニーを醸し出す。これは蕎麦をつゆに適度に浸けてゆっくりハムハムするのとは違う。素早く「ズルズル」っとすることにより、蕎麦とつゆだけでなく、「空気」も口の中に一緒に入り、その3者の絡みで、蕎麦とつゆのハーモニーを感じるのだ。私にとって「ズルズル」の意味は、この「空気」をも一緒に食べることにある。
またオプションとして私の場合、最初の一口の前に、一度は蕎麦だけを2〜3本つゆに浸けずに口に運び、蕎麦の香り・甘さも含めた味を記憶にとどめ、つゆを浸ける量を調整しながら「ズルズル」する。蕎麦を食すとき、蕎麦の香り・味を感じたいと思う。これはうどんの小麦の味・香りも一緒だ。
こうしたことはスパゲティーではあり得ない。粘性のあるソースがあらかじめ平均的に麺に絡まっているので、「ズルズル」するとかえってそのバランスを崩しかねない。それにソースが飛び散るのもイヤだ。だから「ズルズルは御法度」なのも頷ける。
でも、蕎麦はね。うどんもそうめんも冷や麦も、つゆ麺はね・・・・
もー、世界の誰が「ズルズルは御法度」と言おうが、「ズルズル」は止められない。
きょうは、「ズルズル」の文化を考えてみようと臨んだが、気がつくと私の全く主観的な、単なる「ズルズル」の言い訳に過ぎないな。もーいいや、「ズルズル」のどこが悪い!
2009年11月10日火曜日
蕎麦屋のシンフォニー

昔、私が二十歳ぐらいのときのこと。スイス人の友だちが日本に遊びに来ていて、一緒に蕎麦屋に入った。もりだかせいろだかを頼んで、私はズルズルと普通に食べ始めた。それを見ていたスイス人の友だちは、目を見開いて驚愕している。最初、私は彼に何が起きたか理解できなかった。「どうしたの?」ときいても、興奮して「お前スゴイな〜」と言うだけ。似たような経験をお持ちの方もいらっしゃるだろう。
彼ら西洋の人たちにとって、「ズルズル音を立てて食べる」ということは御法度だ。幼い頃から、「音を立てて食べてはいけません」と躾けられている。日本も共通しているが、麺類だけは例外だ。その意識のなかった私はゆるーい感じで、「蕎麦はこうして食べた方がうまい。やってみな」と言った。でもこれがいくら頑張っても出来ない。「これも日本の文化」と彼は何度か仕切り直して頑張ってみるが、出来ない。それはまるで自転車に乗ったことのない人に「ペダルをこげばいいんだよ」と言うのと同じようだった。
彼は、ズルズル食べることを諦めると、今度は腹を抱えて笑い出した。彼曰く「(蕎麦屋が)スゴイことになってるー」。私はそれまで意識したことなかったが、意識してみると、あっちで「ズルズル」こっちでも「ズルズル」。その店のあちこちから「ズルズル」が、まるで田んぼの蛙のシンフォニーのように聞こえてくるのだ。彼にしてみれば、禁断の行為がまるで無法地帯のように行われているからおかしくてたまらない。
ところ変わってベトナムはサイゴン。今年、「カンホアの塩」の生産者の人(ベトナム人)と、日本料理店で一緒に食事をした。お造りだの天ぷらだのを肴に日本酒を飲んで、シメに蕎麦となった。そーしたら、出来ないんです。麺類が豊富なベトナムの人も。広くは東アジアは麺類が豊富だから、そこの人たちはみんな「ズルズルする」と私は勝手に思いこんでいたが、それは大きな間違いだった。
よく考えてみた。
ベトナムのフォーは汁麺(noodle soup)だが、ベトナムでもブンという麺は、ときどきつゆにつけても食べる。が、サーブされるブンは日本のもりやせいろのようにパラパラしてなくて、麺がくっついて固まりになっている。箸でその固まりを刺すように取る。固まりになってると食べにくいから、つゆにドップリつける。ドップリつけるとブンはつゆの中でほぐれて食べやすくなる。それに若干の違和感を感じたことを思い出した。しかし、もちろんそれは「そーいうもの」であり、それなりにおいしい。
何しろ、世界で(アジアも含め)「ズルズル」は特別なことなのだ。
・・・・と話が結論めいてきて、私は鏡の中の自分を見る。ベトナムで私がフォーやブンを食べるとき、「ズルズル」してなかったか? もう相当な回数食べているけど、どうしても思い出せない。あまりに日常的なことなので全く記憶に残っていないのだ。「ベトナムの普通のご飯」という見出しのブログでも少し触れたが、ベトナムで食べ方の流儀はいくらかあれど、無礼にあたるタブーのようなことはあまりない。だから「ズルズル」の受け取り方も西洋とは違うからやや安心。まぁ、単純に周りの視線に私が鈍感だっただけかも知れないが。
ん〜、でもやっぱりベトナムで麺類を食べるときも、個人的には人の視線を気にせず、ノビノビとズルズルしたいなと思う私がいる。
(冒頭写真は、東京・八王子の車屋さんの「鴨せいろ」)
2009年10月20日火曜日
人力山荘が語るもの

写真は、人力山荘名物、露天・五右衛門風呂に浸かる中山氏。1年前ぐらいの撮影。現在は、絶景はそのままに、屋根がついている。さて、きょうも前のブログ「人力山荘@東京・奥多摩」の続き。
私は、この人力山荘で2つのことを思った。
ひとつは、個人的な趣味趣向として。私にとって、自分や家族が住む家を建てたり古い家を改築したりするのは、最高の趣味または道楽だと思っている。その土地の事情に合わせながら、家の全てのディテールを自分たちの好きなようにして、その家に住む。最高の贅沢ではないか。価値基準はあくまで自分たちの住み心地だから、特に高価な建材は要らない。廃材を含め雰囲気のある建材は多少欲しい程度だ。高価で新しい建材ばかりの家は自分が落ち着かない。そういった自分の感覚が現実のフィルターにかけられ、リアルに形になって家が出来る。究極の道楽じゃ。
しかし残念ながら、今の私にはそれが出来ない。今の私の生活を支える諸般の事情では、それが出来ないからだ。「類は友を呼ぶ」のか、私の友人には自分でそれをやった者が、中山氏も含め数人いる。彼らは決してカネ持ちではないことが、私の諸般の事情がカネではないことをリアルに教えてくれる。語弊はあろうが、(土地を含め)変にカネが使われた家は魅力的ではなくなる。それは、変にカネが使われている生活が魅力的でないことと同じだ。そしてなぜか「自分の営むその生活を形にしたい」という欲が私にもあり、それを昇華することが家作りであり、その実現は最高の贅沢に感じるのだ。中山さん、いいな〜と素直に思う。時間がたっぷりあって、日々「ここはああしよう、あそこは・・・」と考えながらそんなことが出来たらと思うと、夢のようだ。
そして、人力山荘で思ったもうひとつのこと。それは、やや社会的なこと。景気が悪いとか、勝ち組/負け組(もー古いか)とかイヤな言葉が流布してるが、そんな今の日本で大事なのは、「幸せのあり方」だと思う。景気が悪くても負け組であっても、幸せなら何の問題もない。
高度経済成長期のように、多くの人々が同じような方向を向いてると、ある意味幸せ実現の効率がいい。例えば家なら、通勤1時間ぐらいの30坪の新築が幸せの形であるなら、不動産業者・建設業者・金融業者はそれを集中的・効率的に作って売ればいい。買う方もある程度その効率の恩恵を受けられるだろう。でも、本当は違うんだと思う。「多くの人々が向く同じような方向」は確かに効率的だが、それは仮想的でもある。元来、幸せとは自分自身で切り開かねばならないものだ。オーダーメイドなのだ。だから解決しなくてはいけない問題もオリジナル。よって例外なく大変なのだ。いくら人から幸せそうに見えても、本人が幸せと感じないと幸せではない。またいくら人から不幸そうに見えても、本人が幸せを感じていれば幸せだ。
私個人的に、自分の住み家を自分の好きなように作っている中山氏を羨ましいと思う。そしてそれは私の大きな参考にはなるが、私に同じようなことは出来ない。私は私なりの形を模索するしかない。それはきっと、人力山荘の他にも、有形無形のいろいろな縁といろいろなことを感じる私の経験によって少しずつ育まれるものと信じている。だから、大変なのだ。しかし、そんなもんだ。
中山氏を「変わり者」扱いするのは簡単だ。でも、人力山荘は、私に、そして社会に、「幸せのあり方」のヒントを示してくれているように思えてならない。各人の「幸せのあり方」を束ねると、「幸せの多様性」とも言えるかも知れない。しかし、「多様性」という言葉は使いたくない。なぜなら、元々幸せは多様なものだから。「多様性」とは、単一的だった高度経済成長期の価値観に対するアンチテーゼというだけで、本質的な具体性はない。さぁ、あなたの幸せは? そして私のは?