2017年6月13日火曜日

ジョージアのオレンジワイン

ご存じのとおり、2015年、日本政府は「グルジア」改め「ジョージア」という呼び名にするという法律が成立した。私個人的には、「ジョージア」より「グルジア」という響きの方が、深遠かつ謎めいた雰囲気があって好きなのだが、調べてみると、グルジアは、「グルジア」と呼んで欲しくないと日本政府に要請していたらしい。

グルジアは旧ソ連から独立した国だが、その後、ロシアと武力衝突があった。「グルジア」という呼び名は、ロシア語由来で、現地語での呼び名は「サカルトベロ」というらしい。国際会議などでは、英語読みの「ジョージア」と呼ばれることが多いということで、日本政府としては、「ジョージア」にした、ということだ。この経緯を知ってからは、単に「響きが」とは思わなくなった。「サカルトベロ」が一番通な呼び名か。

さて、そのジョージアへ、今年の秋だか冬だかに、うちのカミさんがグループツアー旅行に行くらしい。「ジョージアと言えば、ワイン」との連想の元に、カミさんにきいてみると、当然のようにワイナリーにも行くらしい。ジョージアは、ワイン発祥の地と言われている。

私は、数年前にこのブログでも書いたが、ロシア料理レストラン(新宿・スンガリー)で、グルジアのワインをグラスで一杯だけ飲んだことがある。その遠い記憶での印象は、素朴な味わいだった。「素朴」。あまりにぼんやりした記憶だったので、今度はちゃんと一本入手して飲んでみようと思った。

早速、近所のワイン店(立川・おぎの)へ行って、きいてみた。「ジョージアのワインありますか?」。すると、店主はニヤッとして、「前のグルジアでしょ。ありますよ」。店主は、かなりのワイン通で、フランスやイタリアなどのワインは、等高線が細かく入った地図でブドウ畑の場所の説明からその年の天候の説明までしてくれるのだが、行ったことがないジョージアのワインについては、また別アングルの説明。

「まー、ジョージアはワイン発祥の地と言われていますけどね・・・・(得意分野ではないらしい)。ただ、作り方が昔ながらの手法が残っていて、それがおもしろい。今でも(ラベルにあるような)壺に入れて仕込んでます。そして、この通称オレンジワインと呼ばれる白ワイン。通常、白ワインは、(皮や種を除いた)果汁のみのジュースから作られるんだけど、これは、(赤ワインのように)皮・種ごと仕込んでます。だから、通常の白ワインにはない色(黄みがかった皮の色)と味(種のタンニンの味)があるんですよ。最近はイタリアあたりでも、こうしたオレンジワインを復活させてる作り手も現れてるんですよ」

「へぇ〜、さすがおぎのさん。これ飲んでみます」

と、白(オレンジ)を1本買った。そのラベルが冒頭の写真。壺のイラストがありますね。そして、下がコップに注いだオレンジワインとボトルの裏面の表示。オレンジというか、黄金色のようにも見える。
まずは一口、口に含むと、意外な感じ。おぎのさんの言うとおり、タンニンをしっかり感じるのだ。今まであんまり考えたことがなかったが、タンニンが効いた白ワインってのは飲んだことがなかった。皮の成分も手伝ってか、味全体にボリュームを感じる。洗練された感じはないものの、複雑さも感じる素朴な感じ。「へえー、へえー」とその珍しさを確かめるように次々飲んでたら、残りほんのちょっとのところでシャッターを切ったのが上の写真。

思えば、現代のほとんどの白ワインは、なぜ皮・種を除去して、赤ワインはしないのだろう? それに慣らされている私は、「そういうものだ」と勝手に思い込んでいた。それには必ず何か理由があるハズだ。その土地の食べ物との関係もありつつ、ジョージアでは当然のように引き継がれている製法の理由があるんじゃないかと思えてきた。半年先ながら、カミさんの土産話が楽しみだ。

2017年5月25日木曜日

「道」

この写真は、私が作る「カンホアの塩」の塩田へと向かう道。(ベトナム・カンホア)
この先の左に水色の平屋の家屋が2つあるのが分かるだろうか。右側のは倉庫、左側のは検品など作業屋舎。写真では見えないが、その周りに「カンホアの塩」の専用塩田がある。一週間前、ここにいた。

この道の左右には水が張ってあるように見えるが、これは現地の塩田。

この塩田地帯は広いので、移動はもっぱらオートバイだ。こうした道をオートバイで走っているとき、いつも考えていることがある。

「どこを通って行こうかな」

写真ではあまり分からないが、この辺りの土の道は結構起伏がある。トラックなど車も通るので、ところどころ轍(わだち)にもなっている。また、乾いた土・砂が吹きだまっているようなところもあるし、小さな橋、そしてときどき大きな石もある。

このときもそうだったが、オートバイの後ろに人を乗せているときは、特に気を使うことになる。ここに通い始めて20年近くなるが、一度、パンクしたこともあるし、何度か砂にはまって転びそうになったこともある。

どこを通れば一番すんなり通れるかは、そのときそのときの状況で違うから、「どこを通って行こうかな」と、少し先の道の状態を見ながら、進むコースのイメージを描きながら走る。

先週、そんなこと思いながら走っていたら、これは人が生きていくことのミニチュアのように思え、この道の写真を撮りたくなった。オートバイをいったん停めて、カメラのシャッターを押した。

きっと人の数だけ道もある。私の場合はこの道ということだ。どこを通ろうと自由だが、選択を誤ると、パンクしたり転んだりすることもある。ガソリンがちゃんと入ってないとオートバイを降りなきゃいけなくなる。目の前の道の状態だけに気を取られると、その先は悪路だったりすることもあるので、なるべく遠くを見ながら、目の前も視野に入れて走るのがいい。かといって、いつも失敗をせずに通れることはない。具体的な失敗の経験こそ、新たに進むときの糧になる。しかしながら、どこを通っても、結局は自分の進む道は目の前にある道しかない。

そんなこと思って写真の道を走っていたら、フェデリコ・フェリーニの「道」を思い出した。続けて、ジャック・ケルアックの「路上(オン・ザ・ロード)」。どちらの主人公も、運命的とも思える人生を歩んでいて、どこに辿り着くのかは不確かだが、その不確かな中を生き抜くことが現実なのだ。不確かだからと、つい確かにしたくなるのが人情だが、それこそが現実の歪曲(誤りまたは偽り)の始まりだと思う。

もう数百回は通った道を走っていて、初めて思ったことだった。

2017年4月28日金曜日

神亀 小川原良征氏 逝去

昨日、故小川原良征氏の告別式に行った。
一昨日の朝、会社にFAXが入って知った。
一年前から病気を患っていたという。知らなかった。
私は、専務の功績を語るようなタマじゃない。
ただ、ひとつだけ。

「お前は、塩を語るな。塩に語らせろ」について。

私が作る「カンホアの塩」の話をしに、初めて蔵へお邪魔したのは、私はまだこの仕事を始めて3年目ぐらいの頃だった。当時は、ひたすら塩について、自分が面白いと思ったことや、それなりに工夫した点などをしゃべり続けた。すると専務は、「おんなじだ、おんなじだよ」と言って、私のしゃべりを制した。

その後何年かたって、少し親しくさせてもらうようになった頃、専務は当時のことを振り返りながら、私に言った。

「お前は、塩のことを語り過ぎ。塩を語るな。塩に語らせろ」

当初は、塩の話に行って「塩について語らない」とは、どういうことか? と思ったが、今はしみじみ分かる。2〜3年前だったか、酒の席で私がつまらない話をすると、専務は私にデコピンした。それも楽しかった思い出です。

冒頭の写真は、昨日の告別式後の出棺を待つ蔵人さんたちと葬儀のお手伝いをされていた方々。この後、走り去っていく霊柩車の背中に向かって、ある女性が「専務、ありがとう!」と大きな声で叫んだ。私はただただ合掌するだけだったが、思いは同じだ。

ありがとうございました。
もう何もすることはありません。
ゆっくり休んでください。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌

2017年4月26日水曜日

創造と絆創膏

何ヶ月か前、新聞のコラムで、「創」という漢字の意味に触れていた。「創」は、(創造など)「つくる」という意味と同時に、「きず(傷)」という意味があるという。そして、詩人・吉野弘さんの著書『詩のすすめ』からの下記のように引用していた。

「創造らしい創造をする精神は、そのいとなみに先立って、何等かのきずを負っているのではないか。きずを自らの手で癒そうとすることが創造につながるのではないか」

その好例が、傷口から初々しい根が生えてくる挿し木であり、きずが創造につながることを示す姿ではないかと、吉野さんは書いている。

「創造」なんていうと、「何もないところから何かをつくり出す」ようで、何となくカッコイイ。でも、「何もないところから何かをつくり出す」なんてことがあるのだろうか。きっとそれは、その「きず」に気づいていないだけなんじゃなかろうか、と私は思うようになった。(いちいちそれに気づく必要もないのだろうが)

私たちがしばしばお世話になる「絆創膏」。その意味は、以下の3つの文字の意味が重なって出来たという。

絆・・・きずな(つなぐ)
創・・・きず(傷)
膏・・・油、薬など

つまり、「傷をつなぐ薬」。

詩人・吉野弘さんは、その著書の中で、「創」について、冷静にやんわりと書いているが、私はそれを読んで、その続きを想ってしまった。

「創」は、その「きず」を癒すという必要があって創られるもの。
きっと、「きず」のないところに「創」はないのではないか、と。

身体の傷も心の傷も、負った傷が深ければ深いほど、つなぐのが難しくなる。そのためにつくることも大変になる。「創」という文字のふたつの意味を知って、「つくる」ことに人間の悲哀のようなものを感じるようになった。そして私が負っている心の傷も癒されるような気がした。

「創」というひとつの文字にふたつの意味を持たせてつくった中国の先人に敬意を表したい。その人は、一体どんな「きず」を負って、「創」という文字をつくったのだろうか。

2017年3月31日金曜日

醤油麹小麦の焙煎と粉砕

先のエントリの続き。

醤油の最初の工程である、「小麦の焙煎・粉砕」の模様だ。これは松田師匠のお家でのこと。師匠の発案で、設備などが設えられた。私たちのグループが使う小麦の栽培から焙煎・粉砕も一緒にお願いしていることもあって、今年の2月半ばに手伝いに参加した。私たちはもちろん、師匠にとっても初めての試みだった。こういう、「必要なものがないときは、作ればいい」という、師匠に引っ張られておこなった。

今回、焙煎・粉砕する小麦の量は、80キロぐらいだったか。数キロならば、焙烙やフライパンなどで煎ればいいのだが、80キロとなるとそうはいかない。冒頭の写真のとおり、小麦を入れたドラム缶の下で火を焚いて、ドラム缶を回した(一度に10キロぐらいずつ)。当初の予定では、回すのはモーターにやってもらうことになっていたのだが、いざモーターにチェーンをかけてみたら、チェーンと歯車のピッチが合わないというアクシデント発生。私を含め3人の男性が人力で回した。ということで、モーターがうまくいかない場合にも備えて、エルボーで継いだ水道管のハンドルの準備もされていたのは、流石師匠。しかし、交代とはいえ数時間続いたグルグルは、後半正直バテた。

黄金色に煎り終えた小麦は下。夕方にフラッシュ焚いたので、残念ながら、色はイマイチだけど、「黄金色」は分かると思う。
そして、この煎った小麦を砕く。師匠所有の石臼器が下。小麦が上から落ちて、縦になって回っている石臼を通って、挽かれた小麦がクラフト袋の中に落ちている。
挽くサイズは、平均でだいたい粒の半分ぐらいか。
丸一日かけて、ここまでやった、何とも言えない達成感。それはすばらしいことだったが、実際に行うとなると、簡単なことではない。

醤油作りの工程で、「大変なこと」の第一位と二位は、この小麦の焙煎と粉砕だと思う。焙煎は、コーヒーの焙煎器がいいように思うが、香りが命のコーヒー用の焙煎器で小麦を焙煎させてもらうのは、無理があるように思う。また粉砕は、こういった電動の石臼があればクリア出来るが、それがないと、少量ずつすり鉢で当たるか・・・・。そんなぁ〜。でも、少量なら・・・・。

まあ、こうして小麦の焙煎と粉砕が終わった。

そして、先のエントリの麹の仕込みとなった。麹の仕込みには、丸2日、足かけ3日を要した。初日に大豆を蒸して冷まして、小麦と麹の種菌を合わせたのだが、その日、私は参加していない。種菌を合わせてから24時間後ぐらいから発熱してくるので、次の24時間は、主に温度が上がりすぎないように、1時間から30分おきに、麹の温度チェックしながら面倒をみる。つまり徹夜だ。私はそのタイミングで参加。早めに寝かせてもらって、深夜に起きた。

まあ、こうして醤油麹が出来上がった。

先のエントリで書いた、醤油の工程をもう一度記す。

0.小麦と大豆を栽培・収穫し、丸大豆と麦粒の状態にする。
1.小麦を煎る。
2.煎った小麦を粗く砕く。
3.浸水後、大豆を蒸す。
4.2の小麦と3の人肌に冷めた大豆に、種麹を振って、醤油麹を作る。
-------------------------------------------------------
5.醤油麹と塩水を合わせ、浸ける。(初期のモロミ完成)
6.(一般的には冷暗所だが)私たちは、陽当たりのよいところの温室に置く。
7.適宜、攪拌する。
8.夏を越えて熟成した(発酵した)モロミに適量のお湯を加え緩くして搾る。
9.搾った醤油を加熱して(火入れ)、発酵を止める。(完全には止まらないが)
10.静置して、澱が沈むのを待って、ビンなどに詰める。

去年までは、5番から10番までを行って、「手造り醤油」の気分になっていたのだが、今年は、(最も大切なことながら)0番は別にして、1番から4番までも行った。それによって、醤油作りの全体像が見えたように思う。全体像というのは、どの工程がどのくらい大変かということだ。大変なことはしんどさもあるが、面白くもある。その全体の中で、自分たちは「どこからどこまで」を行うかを決めて、「手造り醤油」を作る。

何でも自分で作ることは面白いが、それはまず、「どこからどこまで」を決めることから始まるように思った。

2017年3月22日水曜日

今年は醤油麹を作る

もうすっかり春になった東京。この3年ぐらい、毎年この時期に、仲間とともに醤油の仕込みをしている。去年まで、麹(大豆+小麦)は、麹屋さんに頼んでいたのだけど、事情があって、今年から自分たちで(醤油仕込みだけでなく)麹作りも試みた。上の写真は、早朝に完成した、醤油麹。北向きの窓からの柔らかな光に包まれていた。

この日本独特の調味料の作り方を知っている人は少ないと思うので、ざっと以下に。

0.小麦と大豆を栽培・収穫し、丸大豆と麦粒の状態にする。
1.小麦を煎る。
2.煎った小麦を粗く砕く。
3.浸水後、大豆を蒸す。
4.2の小麦と3の人肌に冷めた大豆に、種麹を振って、醤油麹を作る。
-------------------------------------------------------
5.醤油麹と塩水を合わせ、浸ける。(初期のモロミ完成)
6.(一般的には冷暗所だが)私たちは、陽当たりのよいところの温室に置く。
7.適宜、攪拌する。
8.夏を越えて熟成した(発酵した)モロミに適量のお湯を加え緩くして搾る。
9.搾った醤油を加熱して(火入れ)、発酵を止める。(完全には止まらないが)
10.静置して、澱が沈むのを待って、ビンなどに詰める。

下記のエントリで、「手造り醤油は簡単」と書いた。

●手造り醤油(2014年4月25日)

それは、上記の工程で、5番以降のことだ。0番の大豆と麦は別グループの仲間から分けて頂き、1番から4番以前の麹作りは、麹屋さんに頼んでいた。そして、8番の搾りは、搾り師の方に頼んでいた。その場合、麹と塩水を混ぜた後の残りは、7番の攪拌ということになる。その攪拌も、モロミをあえて陽に当てる方法では、従来ほど大変ではないのは、その上記エントリでも書いた。その「手造り醤油」は、確かに、思っていたより簡単だった。

しかし、神様はいろんな変化を起こしてくれる。

これでも十分に「手造り醤油」だと思うのだが、去年は偶然にも、醤油仕込み仲間のリーダーが、近隣の蔵の整理を手伝っていたら、何と醤油の搾り器(通称「船」)を見つけてもらってきた。もー、ビックリ。若干修理する箇所はあったものの、ジャッキとネットで酒用の搾り袋を見つけて、自前で搾れるようになった。それが去年のこのエントリ。

●自前の船で、醤油搾り(2016年5月9日)

そして、ついに今年。1番から4番工程の麹作りも試みることとなり、一週間ほど前に完成し、モロミを仕込んだ。これにも、そうなった(またはそうせざるを得なかった)理由があった。それは、醤油用麹の入手だった。

味噌を自宅で仕込む人は多いので、冬場になると、麹屋さんが米麹を販売している。たとえ近所に麹屋さんがなくても、通販で乾燥麹・塩切り麹もあるし、何とかなる。しかし、自宅で醤油を仕込む人は少ないので、醤油用の麹(大豆+小麦)は、米麹のように一般人向けの少量では売られていない。つまり、醤油の場合、麹の選択肢は、2つということになる。大量に麹屋さんから買うか(200kg以上など、詳細は不確か)、自分で作るかだ。じゃあ、自分で作ればいいかと言うと、そう簡単ではない。

味噌用の麹の多くは米麹だから、種菌を入手して自前で米麹を作っている人は少なからずいる。しかし、醤油麹の場合は、大豆と小麦になるが、その小麦は焙煎して砕いた小麦だ。大豆は蒸すだけだから、概ね米麹の米と似ているが、小麦の焙煎と粉砕は、数キロ以下など少量ならなんとかなるが、何十キロ以上となると、ホウロクまたは中華鍋で煎って、すり鉢で砕くという訳にはいかない。

冒頭に「事情があって」今年は麹作りも試みた、と書いた。それは、去年までは麹屋さんから一緒に買っていた別グループの仲間が、今年から自分たちで麹を仕込むようになったことだ。それにより、自分たちの分量だけでは大量ではなくなってしまい、買えなくなってしまった。従って、自分たちで麹を仕込まなくてはならなくなった。その別グループの仲間は、私たちの麹作りに大いに協力してくれた。私たちはまるで、その別グループの仲間に引っ張られるように、麹作りに踏み込んだ。

その別グループの仲間とは、松田のマヨネーズの松田さん。松田さんの自給自足ぶりは、語り出すとキリがない。冒頭の工程0番の、固定種の大豆・小麦は松田さんの畑で栽培されたもの。味噌は当たり前で、醤油もということで、年々、自給自足度は増して、昨年からは、標高千メートルの広大な元牧場地に畑の準備が始まっており、動力も賄えるオフグリッドのソーラーシステムと薪ボイラーなどのエネルギーで暮らし始めている。馬まで飼っているし・・・・、ということで、キリがない。

さて、こうした成り行きがあって、今年の醤油仕込みは麹も作ることになったのだが、ここまで来ると、安易に「手造り醤油は簡単」とは言えない領域に入った。次のエントリでは、松田師匠の協力を得ながら行ったその麹作りを、1番の小麦の焙煎から紹介しようと思う。いや、「松田師匠の協力を得ながら」ではなかった。松田師匠の手伝いがてらに参加した模様を紹介するということだ。

2017年3月14日火曜日

チリ・ビールとポピュリズム

そろそろ梅の香りにも驚かなくなった先週末、風はやや冷たかったものの、暖かな陽差しの下、近所のスーパーへ買い物に行ったら、こんなのを見つけて、思わず買ってしまった。チリ・ビール(メキシコ産)。早速飲んでみると、青唐辛子の爽やかな香りと味。ラベルに「Very Hot」とあるように、ちゃんと辛い。ビール自体は、コロナビールのような、軽ーいソフトドリンク のような味。「うまいビール」という感じではないものの、強い陽差しの中、グビッと飲むとうまいのかも知れない。ベトナムもそうだけど、総じて暑い地域 は、こうした軽いビールが好まれるようだ。カミさんにすすめたら、一口飲んで「これ、うまくない」とやや不機嫌な様子。

驚いたことに、グラスに注ぐと、青唐辛子が一本、丸のまんま出てきた。ボトル裏のラベルを見ると。
原材料欄に、「唐辛子」とちゃんと載ってる。あと「コーンスターチ」、「スピリッツ(大麦)」ともある。春になって、ずいぶん緩んできたとはいえ、このビールをおいしく飲むには、まだまだ暑さが足りないようだ。所変われば品変わる。メキシコの風土の人たちはこういったビールがお好みなのだろう。

ところで、こないだ、車を運転してて、信号で停まったとき、前に停まっている車の後ろに、こんなステッカーが貼ってあるのにちょっと驚き、思わず写真を撮った。
「TRUMP MAKE AMERICA GREAT AGAIN!」。
「へぇー、日本人でも、こんなステッカー貼る人がいるんだー」と驚いたのだけど、後から考えてみると、それは私の思い込み(誤解)で、実はこの車の所有者は、米国人だったかもしれない。その上に貼られた「HONK FOR HOOTERS」も米国っぽいし、近くに横田基地もある。

去年の英国のEU離脱の国民投票と米国のトランプ氏当選について、「ポピュリズムの台頭」なんて言葉をよく耳にする。きっとこのメキシコのビールも、メキシコの人たちのポピュリズムによって支持されているからこそ、メキシコでは大量生産・大量消費されていて、その果てにこうして太平洋を渡って来たのだとも思う。

ビールの銘柄と一国の大統領を一緒にする訳にはいかないが、大衆に支持されているという共通点はある。その共通点は、「何がおいしい」とか「何が正しい」といった決まり事はない世界だ。しかし、グルメの人たちは「こういうのがおいしい」と決めたがるし、インテリの人たちは「こういうのが正しい」と決めたがる。そして、大衆は何かを支持する。それら全ては、自由だ。

世界中にネットが普及した昨今、言葉は瞬く間に地球上を駆け回る。言葉が伝わっていくのにもっともっと時間を要した昔は、その時間と空間(場所)の間に、言葉が淘汰され、生き残った言葉だけが伝わっていったように思う。誤解や間違えをしない人間はいないから、その滞空時間が言葉を洗練していたのだと思う。それもその頃のポピュリズムの表れだ。

ずいぶん前だけど、日本の真夏に海水浴へ行ったとき、海の家が今どきのカフェ風になっていて、そこでライムをビンに突っ込んで飲んだコロナ・ビールはうまかった記憶がある。そのとき店員さんに、「これがコロナビールの正しい飲み方です」と教わった記憶もあるんだけど。