2009年7月2日

ベトナムの銀行で


きょうは食べ物の話ではない。銭の話、大げさには経済の話。

先月のベトナムでのこと。手持ちの米ドルを現地通貨であるベトナム・ドン(VND)に両替しようと銀行に行った。待たないで済むようにと、(外国人など)両替をする人はいなそうな銀行に入った。そこの両替の窓口へ行ったら、思いの外、混んでいた。5〜6人待ってたか。ただ外国人らしき人は一人もいなくて、みんな地元らしき人々。番号札もなく、列を作るでもない。その人たちは手に何枚かの札(さつ)を握りしめて片ひじをカウンターについたりして、ややイライラしながら順番を待っている。私のような両替が目的ではなさそうだった。馬券を買う窓口ってこんな雰囲気かなぁ〜、とも思った。

その人たちに混じり、何となく順番を待っていた私。「いつになったら自分の番が来るのかな〜」と思っていたら、窓口のお姉さんはその5〜6人の順番をちゃんと覚えていて、正しい順番で声を掛けられた。ん〜、さすがベトナム・・・と、今回はそういう話ではない。

待ってた間、この人たちは何をしにこの窓口に来てるのか、ここは(両替の他)何の窓口なのかと、当然気になった。そして窓口の脇にあった小さな張り紙を見て分かった。それが上の写真。定期預金の金利表である。2009年4月17日の13時の日付が見える。このレートの開始日だろう。

縦に数字が4列並んでいるが、左からベトナム・ドン(VND)の年利と月利、3列目がUSD(米ドル)、4列目がEUR(ユーロ)だ。外貨預金が出来る。そして、横列は、“1 TUAN”が1週間、“12 THANG”が12ヶ月。そして驚くべきは、その数字。一番低いユーロで、1年ものの年利0.9%、米ドルで2.00%、そしてVNDに至っては何と8.00%。私はこの手の話題に疎いが、1年預けての8%がメチャクチャ高いことぐらいは分かる。(ちなみに日本はと、ちょっとネットで調べてみると、今の都市銀行の定期は、年利0.2%から0.3%ぐらいのようだ) もちろん米ドルやユーロと比べ、VNDが著しく高いのは、そのインフレ度合いが反映されているのだろう。疎いので詳しくは分からないが、米ドルとユーロでも倍以上違う。何しろ一番低いユーロだって、日本での日本円の4倍近いのだ。これをある税理士に話したら、「金の借り手が多いのでは」とのこと。なるほど。そしてもちろん現地通貨であるVNDは、8%なのだから、預金するのは当然とも言える。それでこの窓口で順番を待ってる人たちは、「小銭が貯まると預金」を繰り返しているという訳だ。後でこのことをベトナムの知人に話したら、「あ〜、最近はそういう(セコい)ヤツもいるな〜」と言っていた。でも、何となくそのセコさが憎めない。

ここはニャチャンという町で、ベトナムでも南部に属する。南部の人はよく言えば、おおらか。例えば、友達同士10人でカフェにコーヒーを飲みに行ったとする。払いはだいたい一人がする。割り勘はあり得ない。必ず同じメンバーで再びコーヒーを飲む保証はもちろんないが、何となく「きょうは私が」となり、それが続く。ルールがあるようなないような。しかし例えば「最近アイツの子供は病気で金がかかってる」とかは暗黙のうちに配慮されるだろう。この習慣は、私のような比較的金を持っていそうな人間が混じっていても変わらない。だから、私も様子をみながら、たまに払う。他の国・地域と同じように、ところ変われば経済感覚も変わる。

ベトナムは今、景気がとてもいい。さっきの高い金利の話でも、金の借り手と預け手の両方が多く、金がどんどん動いているのかも知れない。町を歩いていても、建設中の建物がいっぱいなのは誰でも分かる。人件費・物価もバンバン上がっている。「バブルがはじける前だからね」と言う人も少なくないが、これがもう10年続いてる。ベトナムは、タイ国に追いつこうとしている。バンコクへ買い物に行くのは、ちょうど日本人が30〜40年前にハワイに買い物に行くような、ひとつの「憧れ」だ。見ていて「憧れ」を持つことはいいことだし、羨ましいとさえ思う。それは謙虚さなしには持てない気がするから。そんな人たちの経済は今後どうなっていくんだろうと、銀行を後にしながら考えた。

2009年6月11日

ブラッディーマリーのソルティードッグ

ヘンテコで長いタイトルだ。「ブラッディーマリーなのかソルティードッグなのかハッキリせい!」と怒られそう。

「カンホアの塩」のサイトで、「カノウユミコ・塩料理レシピ」というのをやっている。季節ごとぐらいに新しいレシピをアップしているが、昨日、この夏に向けて3品アップした。その中に、「スイカのソルティードッグ」というのがある。こーれが、なーかなかイイ。ちょっとしたことだけど、グレープフルーツの替わりにスイカのジュースでウォッカを割る。そしてスノースタイル・・・塩をグラスの縁(フチ)に飾る。もちろん塩は単なる飾りではなく、舌でチョイチョイなめながら飲む。だから塩の個性もしっかり感じ取れる。グレープフルーツは独特の苦味があるから、それが瓜っぽいスイカのクセに替わって、甘さがやや増した感じです。元々、スイカと塩は幼馴染みな組み合わせなので、普通に記憶にある味だ。それにウォッカで大人な夏のカクテルになっている。こんなちょっとしたことと言えばちょっとしたことだけど、よく思いつくな〜、と感心しきりです、カノウユミコさん。

「カノウユミコ・塩料理レシピ」はコチラ

さて、この「スイカのソルティードッグ」。これはこれで完成された形です。ただ、ヴィジュアル的には、「ソルティードッグ」と言うより、どー見ても「ブラッディーマリー」でしょ? 「ブラッディーマリー」がスノースタイルでサーブされてる。ちなみに、「カノウユミコ・塩料理レシピ」の写真は、自前(私がカメラ担当)なので、試食(試飲)もしてます。で、それならいっそのこと、「ブラッディーマリーをスノースタイルにしたらどんなだろう?」と思い立つのは、私としては当然の成り行きで、先日実際にやってみた。それが上の写真です。

もー、イケる、と思うよ(やや歯切れが悪い)。「トマトジュースと塩」だって「スイカと塩」と同じぐらい「普通に記憶にある味」だ。ウォッカの替わりにジンでもいいだろうな。もちろん、これには「無塩」のトマトジュースが必要だ。私は、それを手っ取り早く求めるため、一番近所の赤と緑と橙色のコンビニへ走った。ところが、意外や意外、トマトジュースという、かつてかなりメジャーだったはずの定番商品が、冷蔵庫の一番上の一番ハジッコに追いやられていて、「無塩」のなんかは問題外。「そ、そんなハズはー」と店内の「無塩」をくまなくチェックしてみると、トマトとにんじんとパブリカ(赤ピーマン)の混合ジュースがあった。「黄金比」と銘打たれたその商品を手にした私はしばしの間考え、買うことに決めた。一種の妥協だった。「オレは『ブラッディーマリー』を作りたいんだよ、無塩のトマトジュースで」との思惑が少し邪魔したが、乗り越えた。妥協から、新境地を開拓する気持ちにスイッチし、帰路についた。

で、ですね。まぁ、その「黄金比」による「ブラッディーマリーのソルティードッグ」。「黄金比」だから、上の写真をよーく見ると、色がトマトジュースよりやや黄みがかっているの、分かります? それで飲んでみて思ったのは、この世界もアリだろうけど、やっぱりトマトジュースだけで飲んでみたくなった。またはこの場合、スノースタイルにしない方がいい。トマトと塩はいいんだけど、にんじんと塩の組み合わせがややカクテルの趣から外れてしまう感がある。カクテルってやつは、いろいろ混ざってるからカクテルなんだろう。その混ざり具合の意外な組み合わせは、カクテルの「自由さ」を感じさせてくれる。だからって、何でもいいわけはない。例えばブラッディーマリーのように、世界的に長らく定番を張ってるやつは、それなりに支持される理由があるのだ、と改めて思った。やっぱりブラッディーマリーはトマトジュースだけで。今度はちゃんとやってみよう。頭硬いけど、正直な感想です。

ところで、ちょうどそんなことに思いを巡らせていたとき、村上春樹氏のエッセイを読んでたら、「飛行機の中で飲むのは、ブラッディーマリーがいい」という下りがあった。ん〜、そう言われると、とても不健康な空気に満ちている密室の機内は、トマトジュースの健康的な感じがいいように思える。今度飛行機に乗ったら、「ブラッディーマリーを、スノースタイルで」と頼んでみようかな。

2009年6月5日

ベトナムの普通の市場

左が果物屋で、右が魚屋
左が買い物が終わった客で、オートバイのハンドルに鴨などを引っかけてる。そしてその右2つが八百屋さん。
写真はどれも「カンホアの塩」の専用塩田の近くにある市場で撮ったもの。ベトナムのどこにでもある普通の市場である。では、「普通ではない」市場はと言うと、大きな町にある大きな市場、例えばサイゴンではベンタイン市場など。確かに大きな市場は品揃えが豊富だし、高級品や季節外れの果物などすぐに見つかる。でも、私はあえて、このドップリとローカルな市場のことを伝えたい。

前のブログ(6月3日「ベトナムの普通のご飯」)で、こう書いた。

『日本よりベトナムの方が断然暑いし、冷蔵庫・冷凍庫も普及していない。しかし皮肉にも、より涼しく冷蔵庫・冷凍庫が普及している日本の方が食材の鮮度が劣るのだ。この大いなる矛盾をどう見よう。それはベトナムの市場に行くと分かる』

その「市場」とは有名なベンタイン市場ではなく、上の写真のような、ベトナムの地方にはどこにでもある普通の市場のことだ。ご覧のとおり、この市場には冷蔵庫なんてありゃーしない。しかし、肉屋もあれば魚屋もある。そしてこの市場周辺で、つまりこの市場の客の家で、冷蔵庫のあるところは半分ないだろう。たとえあったにしても、ときどき停電があるので、日本のように信用のある存在ではない。そしてこのあたりは一年中暑い。一番寒く(?)ても20℃ぐらいで、最高は40℃以上にもなる。つまり一年中日本の夏のようなもの。だから、生鮮品が悪くなるのも早い。

しかしだ。

「だから、生鮮品が悪くなるのも早い」は全くもって「冷蔵庫があって当たり前」が染みこんだ私のような人間の言葉で、ここで暮らしている人たちは、それで不自由はしていない。朝は市場のお店にたくさんの生鮮品が並ぶが、昼近くになると肉屋・魚屋の並んだあたりはすっかり静まりかえって誰もいなくなる。八百屋も残り物を売ってるところがちらほらぐらいだ。つまり、基本的に生鮮品は「その日のうちに売り切る」のだ。買う方も「その日に使う」食材を買う。ベトナムは暑い。暑いからこそ、この循環が続く。それがここでは当たり前なのだ。したがって、私がこの辺りに滞在している間は、いつも新鮮な食材を食べさせてもらうことになる。上の写真の店はどれもオママゴトのように小さく見えるかも知れない。確かに冷蔵庫がたくさんある大きな町の市場の店はもっと大きい。しかし、「1日分」だからこそ、この小回りの利く循環があるのだ。

上の写真に、鴨を買った女性客がいる。鴨は生きてるまんま買い、「料理する前にしめる」んだ。生きてる間は腐らない。毎朝、豚肉や牛肉の大きな固まりを忙しく小売用にさばいているのが肉屋さん。またここは海、漁村が近い。朝あがった魚がこの市場に運ばれ、写真の魚屋になっている。

また「暑い」ことは、生ものを腐らせるスピードとともに植物を育てるスピードをも促す。どんどん出来てくる農作物を小出しにどんどん流通させる。例えば、米の二毛作は当たり前。三毛作だってある。一年中暑いから、農作物は小刻みに育てられ、小刻みに収穫・出荷される。フォー屋(フォーとはベトナムの米粉の麺の汁そば)のテーブルに盛られるハーブ類は、その日の朝に採れたものでも夕方になるとしおれてくる(ときどき水をかけたりして頑張らせているが)。それと冷蔵庫に1週間眠ってもまだ黄色くなってないホウレン草とどっちがおいしいんだろう。新鮮な野菜を間違えなく食べたいのなら、冷蔵庫は関係ない。畑の近くか、暑くて冷蔵庫のないところへ行こう。

2009年6月3日

ベトナムの普通のご飯


きょうは、ベトナムのご飯の話。それもごくごく普通のご飯。ベトナムでも食事をすることを「ご飯を食べる(an com)」と言う。もちろん米が主食だ。

私は仕事でベトナムへ行くから、食事も仕事がらみが多く、ときには有難くもてなされもし、宴会料理など特別な料理を食べることが多い。それはそれで楽しみだが、普通の食事を普通に食べるときが一番リラックスしていて、「あ〜、おいしいなぁ〜」としみじみ思うのも事実だ。

私の仕事場である「カンホアの塩」専用塩田で食事をするとき、「仕事がらみ」以外のときは、現地天日塩生産者のところで普通のいわゆるマカナイ料理を頂く。それが上の写真。お昼ご飯だった。写真では分かりにくいので少し解説しよう。

主菜:「焼き魚 〜 鯵(のような魚)」
焼き魚と言っても網じゃなく、フライパンに油をひいて両面焼いている。味はついてないので、箸で身を取った後、その後ろにある白い椀に入っているヌクマム(魚醤)に唐辛子を入れたタレを、各自でつけて食べる。

副菜:「豚のモツとインゲンの油炒め」
あっさり塩コショウ味。

スープ:「ヘチマとフクロ茸のスープ」
これも塩味。生姜か何か他にハーブ類が入っていたかも。ベトナムでヘチマは立派な食材だ。

デザート:マンゴ
この時期ちょうど旬だった。

これで3人分。あとは見てのとおりの白いご飯。インディカ米でタイ米と同様やや香りがある(土佐高知では「香り米」と呼ばれるらしい)。左にはデザートのマンゴ、赤い字で“Phu Sen”のラベルのビンは炭酸水だ。炭酸水はビールと同様、かち割り氷の入ったジョッキに注いで飲む。そう、ビールも氷を入れて飲むのがベトナム流。最初は私も戸惑ったが、今はジョッキの氷が溶けて小さくなると「氷をください」と普通に言う。料理が大きなお盆にのってるのは、単に片付けやすいから。これは食事する者同士がとてもカジュアルな関係にあることも示す。

食べ方にルールはない。でも、その人ごとに食べ方は何となくあるものだ。例えばこの日の私の場合はこんな感じだったと思う。

炒め物を少々食べた後、自分の箸でほぐした魚の身の端をちょんちょんとヌクマムのタレにつけ、左手で持ったお茶碗のご飯の上にのせる。それをタレでやや染まった白いご飯と一緒に口に運ぶ。そしてたまにスープの具のヘチマやフクロ茸をご飯の上にのせて、ややスープが浸みたご飯と食す。こうして2杯のご飯を平らげた後、3杯目はいきなりスープを具ごとご飯の上にかける。雑炊状態のご飯をお茶漬けのようにサラサラ食べる。そのお茶碗が空になったところで、今度はスープだけを注ぎ満腹感の余韻に浸りながらゆっくりとスープを食す。その頃になると、すでにマカナイのお姉さんがマンゴをむいてくれてて、マンゴもたっぷり食べて、ごちそうさま。

よく「ベトナム料理はおいしい」と言われる。私もそう思う。かつてジャーナリストの本多勝一氏は、「ベトナム料理は世界一おいしい」と言った。日本の料理もおいしいが、ベトナムから日本に帰って来るとある違いを痛感する。それは決定的に日本で食べる料理は食材の鮮度において劣ることだ。そして日本は加工品や半加工品が多い。(この場合の加工品とは自家製の漬物や納豆などではなく、冷凍・レトルト食品などのこと) 日本よりベトナムの方が断然暑いし、冷蔵庫・冷凍庫も普及していない。しかし皮肉にも、より涼しく冷蔵庫・冷凍庫が普及している日本の方が食材の鮮度が劣るのだ。この大いなる矛盾をどう見よう。それはベトナムの市場に行くと分かる。このことはまた改めて。

・・・追記・・・
巷のベトナム料理に関しては、知人の写真家・福井隆也氏がベトナム料理研究家の伊藤忍さんと共著で本を出版している。「よくぞここまで取材したな」と思う。

「ベトナムめし楽食大図鑑」(情報センター出版局)

2009年5月11日

10年パスポート


今、ベトナムにいるハズだった。

5月10日の朝、成田発の便で、「カンホアの塩」の生産地、ベトナム・カンホアへの出張を予定していた。その出発の4日前、連休最後の6日夜、そろそろ旅支度でも始めようかと、まずは引き出しにしまってあったパスポートを出して、何気にペラペラとページをめくってて驚いた。

有効期限が過ぎている。何度見ても過ぎている。もう完全に過ぎている。

航空券は翌日会社に届くようになっている。当然、現地のアポを始め出張中の予定は全て決まっている。参ったな。とりあえず、パスポートの申請をネットでチェック。やはり1週間かかる。昔に比べたらずいぶん早くなったけど、やはり1週間。1〜2日のハズはない。即、ベトナムに電話をかけた。「パスポートが切れてたのに今気がついた。ごめんなさい。悪いけど全てのアポをキャンセル、出張は延期、新しいスケジュールなど詳細は1〜2日中に連絡します」と伝えた。事が事だけに、どうあがいても、もうどーにもならない。“04 FEB 2009”、切れて3ヶ月たっている日付を見ながら、気持ちを切り替える。それしかない。

言い訳をしよう。

前回パスポートを使ったのは、去年の6月。そのときもカンホアへの出張。その時点で8ヶ月残っていた。この8ヶ月って期間が微妙だった。もしかしたら、その数ヶ月後に出張するかも知れなかったし、しないかも知れなかった。その時点では。今となってみれば、去年の6月の時点で更新しておかなきゃならなかった。また、この「10年」という長さが油断を促している。(申請時、5年も選択できます) 「10年」は、「当分、切れないなー」の気持ちにさせる。「次の10年後はどうやって気をつけよう?」と今考えたりもするが、妙案はない。今から10年後のことなんかメモしても意味はない。近づいたら気をつける。これしかねぇーだろーなー。でも、今回のことは、10年たっても深く記憶にとどまるだろう。それだけが救いか。

翌日、パスポートの申請はもちろん、飛行機のキャンセルと取り直し、アポの取り直しなどなど、バタバタと追われた。アポの相手に何とか予定を変更してもらったりと、周りの人たちに大変な迷惑をかけた。その方々、これを読んでいたら、重ねて「ごめんなさい」。

ところで、このバタバタの最中、「規定の1週間より早くパスポートを受け取れるかも知れない」という情報を2箇所から得た。この一分の望みを持って航空券持参で、申請の窓口で嘆願した。まぁ、今回のケースは、申請の3日後の朝出発で、2日後が土曜日(窓口が完全休業日)。だから申請の翌日受け取れないと間に合わない。「つまり明日受領したい」ということ。「もう翌日というのは、人道的理由など(余程の)理由がないと無理です」とキッパリ言われた。ちなみに「人道的理由」とは、家族が海外でテロに巻き込まれ、すぐにでも渡航しなくてはならないなどのこと。たかが出張ぐらいでは・・・、もっともなことだ。でも、この際だからと、よくよくきいてみると、(出張ぐらいでも)3日後(営業日)ぐらいで受領できることもあるみたいだ。ただ、無論これは例外的なことだから、公に「3日後」とは言ってくれない。ちゃんと規定の1週間以上の余裕を持つのは当然のこととして、万が一、1週間を切ってても、4日間後ぐらいなら間に合う可能性はあるみたいだ。

何しろ「自分だけは・・・」という思いは危険だ。

と偉そうに言ってみるものの、私は実は特別かも。それは5〜6年前のこと。何を隠そう、パスポート忘れて成田へ行ったことがあった。空港行きのバスの車中、到着直前の検問で、「パスポートを拝見」と言われて、ないのに気がついた。朝の便だったので、カウンターでその日の夕方の便に無理矢理変えてもらって、その間にパスポートを取りに家に帰った。今回のはやや趣は違えど、2度目の【うっかりポカ〜パスポート編】。私はきっと人一倍抜けてる。でもこういうことを人に話すと「お前らしくないな」と言われる。でも、私からすると「常に何かにおびえながら生きている」。例えば、パスポートの更新のように「何か大事なことを忘れてやしないか」と。そのボンヤリした「何か」がハッキリすれば怖くなくなるのだが、だいたい「何か」は突然やってくるから、すぐには分からない。だから、いつもおびえている。

それにしても、切れてるパスポート持って、カウンターでチェックイン。航空会社のお姉さんに「切れてますね、パスポート」と笑顔で言われたら・・・と思うとゾッとする。最悪のシナリオではなっかった、というだけだけど。

2009年4月27日

花山椒


猫の額のような我が家の庭に2本の山椒の木がある。1本は、隣の家が引っ越ししたとき、垣根をまたいで譲り受けたもの。「雄(オス)だから、実はならないけど、木の芽は使えるよ」と言われ、「それなら(うちには1本もないから)」と頂いた。それはそれでよかったんだけど、そのうち、「実も欲しいなぁ」と思い始め、山へ行ったときに、小さな苗をポリ袋に入れて持ち帰った。小さいうちは雄だか雌だか分からない。「確率半分かな」と思いながら、いざ大きくなったら雄だった。それで家には2本の雄の山椒の木がある。2本もあるのに、実が採れない歯がゆさはあるが、毎年この時期(4月の中旬から下旬)には、この花で楽しませてくれる。線香花火のようないとおしさがある。

花はホントにこの時期だけ。咲いてるのは、長くて2週間。それも大量に咲くので、毎年この花を見るたびに、これをうまく使えないものか、と考える。木の芽の代わりに・・・、常套手段だろうが、香りの立ち方は木の芽の方が上。それで、あるとき某高級スーパーに行ったとき、「花山椒」という商品名で、小さなガラス瓶に入ったものを見つけた。原材料の表示を見ると、醤油・みりん・酒とある(順序は不確か)。2,000円ぐらいしたかな。やたらと高いのでそれは買わずに、今年は、自分で炊いてみた。醤油は薄口か白醤油がいいと思う。

ちょっと変わった山椒の楽しみ方だ。最初、口に含んだときは、柔らかい花の房の食感で山椒の味や香りはあんまりしない。「ん〜、かじると香りが広がるかな」と思いきや、ちりめん山椒の実のような刺激ではなく、ほのかな味と香り。そして「ソフトな刺激なんだ」と思いきや、なぜか飲み込んだ後から舌に残る刺激が思いの外強い。結果的に口の中には山椒の味と香りが結構残る。完全に酒の肴だ。

木の芽は最初に立つ香り。実(み)はかじったあとの刺激。とすれば、花は、刺激は柔らかだが、後効き(アトギキ)の味と香り。だから、最初効かないと思って多めに口にすると後で大変です。でも、ちびちび食べながら、お酒を飲むには乙(オツ)なもの。

そして、もちろん生のまんまでも。ハーブのノリで楽しめます。サラダにパラパラなど。細かく刻むと、アトギキの時間差が縮まります。でもこの使い方は、木の芽と変わらないから、イマイチか。

今はもうすっかり花の落ちた山椒の木。来年までにまた何か考えておこう。これを読んで、「こんな使い方があるよ」という方、是非書き込んでくださーい。

2009年3月30日

サイゴンの靴屋


1998年2月、私は初めてベトナムを訪れた。そのとき、強烈に印象に残っていることがある。それは今でも私の心に刻まれていて、私にとって、ひとつの「ベトナム人観」にもなっている。

日本からの直行便でサイゴン(今は正式には「ホーチミン」というが、私には「サイゴン」の方が町の名前らしくて親しみがある)に着き、宿に荷物を置いて、まずは町をぶらついた。何の気なしに歩いていると、路上に古着ならぬ古靴が並べられた革靴屋があった。路上とは言え、その数は200足ぐらいはあり、壮観でさえあった。程度のいいものはそのままだが、ざっと半分は靴底を張り替えられたり縫われたりと修繕してあった。また古靴だから、商品はすべて「1点物」。だからいくら「いいな」と思ってもサイズが合わないとダメ。服に比べ、靴はサイズが多様な分、やや難しい。

普段、私が買い物のとき(特に服や靴)一番大切にしているのは第一印象だ。最初にパッと目に飛び込んできたモノを大事にしている。「パッと目に飛び込んでくる」ことに、まだ自分が意識さえしていない「何かしらの理由」が必ずあると思ってしまうのだ。しかしそんなことはそうそうない。

で、そのサイゴンの路上ではそうだった。上の写真の靴だけが、光っているというか、私に何かを訴えているように感じた。でも、サイズの問題があるので、注意して並んだ靴の間を進み、その靴を店の最前列まで持ってきて、履いてみた。ん〜文句なしにちょうどいい。「こりゃ欲しいな〜、でも困ったな〜」。2週間のベトナム旅行に来て初日に革靴なんか買うのは荷物になるし、私はまだベトナムの多くを知らない。つまり、もっといいものがたくさんあるかもという欲もあった。

サイズのピッタリさは店員さんも気づいたらしく、「いいじゃないか〜」という視線で私を見つめ、すすめる。気に入っているだけに、ここで値段を聞いてしまっては「買う」方向に進んでしまうし、「いや〜、きょう着いたばっかりだから、また来るから・・・」なんてベトナム語はとても言えやしない。英語は全く通じなかったが、それが観光客相手に商売をしていない証だし、何しろとても誠実そうな男だった。仕方なく、冷やかし客のようにその場を立ち去った。店員さんは他の客の相手を始めた。

2週間後、帰国のためサイゴンに戻った私は、同じ靴屋に向かった。路上だったし、「きょうもあるかなぁ」と一抹の不安を抱えていたから、遠目に見えたときは嬉しかった。店に着いて「まだあるかな?」と見回し始めたそのとき、2週間前と同じ店員さんが、スッと私の足下に「その靴」を丁寧に揃えて置いた。私は感動した。全身の力が抜けた。彼と目が合ったが、笑顔はない。強い日差しが彼の額の汗を光らせる。呆然として無言の私を見て、彼はすぐに他の客の相手を始めた。私はその客の相手を終えるのを待ち、買った。いくらだったか忘れた。ただ、2週間ベトナムで過ごした私には、妥当に感じられた値段だった。しかし、それ以上にもう完全に心を奪われていた私は、値切る気持ちも奪われていた。なかなかこんなに気持ちのいい買い物はない。「彼はこの2週間、一体何人の客と接したろう?」そして「何足の靴を並べ、何足の靴を売っただろう?」「客へのサービス、商売って、何なんだろう?」 その店を後にして、いろいろ思った。

もちろん、ベトナムの人たちがみんな彼のようではない。
しかし、今もこの靴を履く度に、その思い出が頭をかすめ、「彼は今どんな仕事をしてるだろうなぁ」と考えたりもする。