2014年10月15日水曜日

エスカレータの片側

上の写真は、東京を走るオレンジ色の中央線のホームへと上るエスカレーター。東京なので、左側に立って、急ぐ人のために右側を空けている。これが大阪では左右が逆。では名古屋では? というクイズがきょうの内容ではない。

私が21歳の頃(32年前)は、日本にはこんなエスカレーターの習慣はなかった。その頃、知人を訪ねがてら滞在した、ロンドンの地下鉄(tube)のエスカレーターでは、(右だか左だか忘れたが)今の日本のように、片側に寄って立ち、急ぐ人に他方を空けていた。最初気がつかなかった私は、空けるべき側にのんびり立っていた。すると、後ろからド突きながら走り抜け、イヤーな顔で一瞥して上っていった男がいた。私は、「おいおい、やけに荒っぽいなぁ」と思ったものの、それによって鈍かった私もさすがにその習慣を学習した。当時21歳だった。普段しょっちゅう駅の階段を2段飛ばしで上っていた私は、「あ、これはいい習慣だ。さすが(地下鉄の歴史が古い)ロンドンだ」と感心した。

その3年後ぐらいから、私は2年間、エスカレータがほとんどないアジアの国々を旅行した。ロンドンの頃から数えると5年後。2年たって日本に戻ってきて驚いたことが2つあった。ひとつは、レコード盤がなくなって全てCDになっていたこと。そしてもう一つは、東京のエスカレーターでは、立つ人はみんな左側で、右側を急ぐ人たちが上っていたことだった。

そして20年ほどの月日が流れたこの頃、私は思うのです。

「エスカレーターの右側、何も空けなくてもいいんじゃないかぁ」

と。無論、急いでいる人がほとんどいない場合だ。
そりゃー、若い頃は特に急いでなくても階段を2段飛ばしで上ることもあったが、この歳になってくると、多少急いでいても、階段を駆け上がることはない。エスカレーターもしかり。

そして、時代もあると思う。

東京で、急ぐ人用にエスカレーターの片側を空ける習慣が始まった1988年か89年頃は、若い人ばかりでなく右側を使う人(急いでいる人)が多かった。今はスマホを見たいのかも知れないが、エスカレーターでは若い人でも立っている人が多い。そして、立ってる側の乗り口に長い列が出来ることがしばしばなのだ。長い列の横には、誰も上らない不思議なスペースが細長く空いている。そんなとき、その長い列に並ぶのがかったるい。だから仕方がないと、私は渋々空いたスペースを上ったりする。後ろから誰も上ってこないか振り返りながら、いないと上るの止めて立ってたりして。

要するに、例えば、通勤ラッシュの時間帯など、急いでいる人が一定以上多いときは、エスカレータの片側を空ける意味がある。急ぐ人と急がない人、各々が各々の事情に合わせられる。たとえ99%の人が急いでいる場合でも、1%の急がない人の安全が保たれるという面も見逃せない。しかし、昔に比べ最近は、特別な時間帯を除き、急いでいる人が減った。たった一人二人のために、片側を空けて長い列を作ることはないのではないか、ということだ。

日本の活気も、20〜30年前と比べたら、ない。でも、ここで重要なことは無理して活気あるようにすることではなく、ないならないなりの活気(=落ち着き)に合わせて、決まり事を変えることだと思う。景気も同様。政治家が「景気をよくする」という目標をしばしば掲げるが、そもそも景気なんていう全体的なものは、人間がコントロール出来るものではない。政治家が出来ることは、景気のコントロールなんかではなく、減った税収に対して借金(国債)を膨らませたり、せいぜいアッチの予算をコッチに移動するぐらいだ。「景気をよくする」なんていう幻想に囚われず、現状に合わせて、決まり事をどう変えていくかが重要だ。

エスカレーターの片側がすっぽり空いていて、反対側に長い列が出来ていると、ついそう思ってしまう。

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