2011年12月27日火曜日

ピザ窯、完成


作りかけだったピザ窯が、先週末に完成した。先のエントリ、ピザの石窯、ただ今施工中 (11月28日付け)でも触れたように、「カンホアの塩」の石窯焼き塩のための石窯を応用して作った。我が家では3代目の窯にあたる。左に立てかけてある、大きな木製のヘラは、廃材の板を削ったもの。これで平らなピザやパンを出し入れする。(追記:雨除けは、しばらくの間はブルーシート。後日、屋根をつけた)

この窯の特徴は、コンパクトさ。窯本体内部のサイズは、幅67cm、奥行き45cm、高さ30cm。これで直径30cmのピザが焼ける。さらーに、この3代目は、壁際に置いたので、庭のハジっこになって、庭が広く使える。ただし、煙突が壁際になったので、掃除がしにくくなったというデメリットがある。誰も特別知りたくもないだろうけど、その煙突はモルタルづけしないで、レンガを積んだだけにした。つまり煙突・ロストルの掃除は、積んだレンガをどかしてするようになっている。

下の写真がその煙突。壁際コンパクトサイズのため、煙突の形が横長に平べったくなってる。写真は焚き始めの頃。このときは、煙突の口がちょっと広すぎたので、薄いレンガを一枚上にのせて半分ぐらいにしてる。こうして煙突の口を調整することで、ダンパーの役割をしてもらう。次に、焚き口。フタ自体は耐火レンガの半丁(はんぺん)。そのフタがのっているのは、赤レンガのはんぺんを切ったもの。
フタをのせる赤レンガのはんぺんは、その半丁分の高さをいかしていくつかの形に切ってあり、例えば下の写真のようにハの字に置いたりして焚き口の調整をする。下の写真は、窯の側面。基本的な窯の形は、赤レンガ2段積んだ上に、半円のアーチがのっかった、かまぼこ形になっている。完成時、「あ〜、出来た〜」と充足感に浸っている私に、カミさんは、「どーせピザなんか春にならないと焼く気にならないわよ」と冷や水をかける。確かに、こんな寒い中、いくら晴天の日中でもピザを焼く気にはならない。

とはいえ、私としては、せっかく完成したのだから、焚いてみたくなった。その気持ちの問題は大きいが、それだけではない。この窯にあった焚き方は実際に焚いてみないとわからないものだ。自分で設計したから、どんな風に焚くかも自分で探らないとならない。さー、いざ「ピザ焼くぞー」といきなりなると、最初は適した焚き方・焼き方を探りながらになる。

そーゆーこともあるので、まずはプレーンなパン(ホブス、ピタパン、またはチャパティのようなもの)を焼いてみた。5枚目ぐらいからだんだん上手に焼けるようになった。あと2〜3回練習すると、三分の力ぐらいでカッコ良くピザが焼けるようになるような気がする。

冬至がやっと過ぎた。
あ〜、今年は一段と春が待ち遠しい。

2011年12月21日水曜日

塩粕+大豆のソース


久保本家酒造の「塩粕」。生もとの酒粕と塩を合わせ2年熟成させたものだ。漬け床でもあるし、一種の調味料とも言える。通常、粕漬けの床には砂糖やみりんなど甘いものが入るが、この塩粕には入らず、塩のみ。「粕漬けは嫌いじゃないけど、あれで甘くなければもっといいのに・・・・」と思っている方には特にオススメです。もちろん2年の熟成期間を経てるので、すでにただの酒粕ではない。

去年、このブログでも書きました。・・・・塩粕(2010年4月16日)

そんなんで、今年の夏、晴れて「カンホアの塩」を使った塩粕が出来上がり、知り合いの酒屋さんに送ってもらった。届いたのを見てまず思ったのは、アメ色が以前より濃くなっていること。そして塩味がやや柔らかくなり、奥行きが出たような気がする。

それでです。早速、使ってみようとまずはエリンギを漬けたのですが、うちのカミさんが、今度は「大豆と合わせてみよう」と言い出し、早速やってもらった。

その大豆とは、湯がいたいわゆる「煮大豆」。それをフードプロセッサーにかけて、塩粕を加えて混ぜ込んだ。「作り方」ってほどのことはない。上の写真はそれをパンに塗ったもの。一昨日の朝食です。

塩粕に大豆を加えると聞いて、何となく思ったのは原材料的に味噌に近くなりそうな気がしたんだけど、実際は違った。クリーミーな感じになり、味にコクが出た。また大豆の分、塩分も低くなってるから、たっぷり塗れて、ホワイトソースを塗ったような感覚に近い。だから、パンに塗るだけでなく、いろんな食材とともにオーブンで焼くとグラタン風にもなりそうだ。市販のホワイトソースは、旨みが強い(または強すぎる)ものが多いと私は感じているが、その点もほどほどになるので、合わせた食材のおいしさが隠れない。

パンに湯がいたブロッコリーをのせて、この塩粕+大豆のソースを塗ってからトーストしたり、それで物足りなければチーズをのせてトーストしたり。ブロッコリーにツナやハムを一緒にしても・・・・。もちろんパンじゃなくてご飯でもドリア風になっていけそうだし、肉や魚に合わせても。

こいつを作り置きしておくと、「もう一品」なんてときはとっても重宝しそうでーす。

2011年12月16日金曜日

タイの皆既月食

先週末、皆既月食がありましたね。土曜日の夜11時頃という、日曜日が休日の人にとっては絶好のタイミング。私も日曜日が休みの口なのだけど、最近は9時〜10時には寝てしまう習慣から抜け出せず、11時にはぐっすり寝てしまった。

今から22〜23年前、私はタイ国南部の島、パンガン島にいた。今はかなり観光地化されている噂を聞くが、当時は、船着き場のある村以外は、電気もなく夜など必要なときは発電機で発電、だからケロシンのランプも大活躍していた。そんなところだから、夜は暗い。しかし、満月の夜は、夜道を歩くのに懐中電灯が必要ないほど明るかった。

そのパンガン島で、皆既月食を見た。街灯もないところだけど、それでもなるべく灯りのない場所がいいだろうと、仲間とともに夜道を30分ほど歩いて、人気のない海辺の高台へ行ってスタンバった。夜空は快晴。皆既月食のショウを満喫した。

ところで、このタイ国では、皆既月食の間に行うちょっと不思議な慣習がある。まず、皆既月食は「不吉なこと」というのが前提だ。月食が始まり2時間ほどで終わるまで、人々は両手に持った石をカチカチ鳴らす。なぜ石を鳴らすかというと、そうすると時間が早く進む、つまり不吉な時間が早く終わる、というのだ。

その皆既月食の間、私は人気のないところへ行ってしまったので、非常に残念ながら、このカチカチの音は聞けなかった。この話は、後でフランス人の旅行者から聞いたもの。

先にも書いたが、満月の夜は本当に明るい。街灯が当たり前の場所に住んでるとつい忘れがちだけど、それは夜の太陽と言えなくもないぐらい明るい。野球は出来なくてもサッカーぐらいはなんとか出来るんじゃなかろうか。昔から多くのお祭りが満月に行われるのも、この「明るさ」も理由のひとつだったんじゃなかろうか。月明かりに従った暮らしをしている人たちにとって、雲もないのに、それが突然暗くなるのが皆既月食だと思うと、それを「不吉なこと」という感覚になるもの分かるような気がする。

皆既月食ショウを見終えた私たち数人は、再び満月に照らされた、明るい山道を30分ほど歩いて、自分たちのバンガローへ帰った。